2008年12月20日土曜日

12月20日(土)多聞、一夜明けて

・ 「関西テレビの放映は中学副校長がコピー」を取っていてくれた。学校も映してくれており時間も結構長い。私の思いも村長の思いも伝わる内容だし、ある村民の方が「年寄りの村に若い生徒さんが来てくれるのは嬉しいね」とインタビューに答えてくれていたのが嬉しい。
・ 新聞は産経、朝日、読売、毎日と各紙が取り上げてくれていた。写真つきだから大変良く分かる。ただ産経を除いて南河内版だ。村長のコメントは「廃校となった小学校に新たに命を吹きこんでくれた。学校名も残してくれ、地域や村にとって嬉しい限り」と各紙とも似通った文言である。
・ 私のコメントは産経が「自然豊かで歴史のある学校を大事に再活用したい」、毎日は「133年の歴史ある学校を受け継ぐ。大切に使っていきたい」。朝日は「住民には今までどおり施設を開放するなど地域振興に配慮していきたい」、読売は「自然豊かで学習環境が良いと村に購入を打診した」とある。
・ 特に産経新聞は大きく取り上げてくれており写真も大きい。見出しは大きく「校外宿泊学習施設で再出発」とある。読売は「廃校、合宿地に再生へ」とある。会見場所が千早赤阪村で記者クラブは南河内クラブだったから千早赤阪村からの視点が幾分強い感じであったが毎日の見出しは「大阪国学院が購入」とある。
・ これで9月以来の一連の仕事は「大きな山」を通り過ぎ、次の段階に移る。価格交渉には強い意思を持って臨んで行きたい。しかし陰の最大の功労者は本学校法人理事長職務代理である。この先生が私を千早赤阪村に連れてきてくれたお人だ。後世忘れることはない。
・ 今日は最後の「中学校の入試説明会」である。14時に開始される。すでに山場は過ぎており「機会を逃した小学校6年生のために」設けているものである。プレテストもないし体験授業などの計画もないが「誠実」に対応するのが「浪速流」である。
・ 私としては「多聞尚学館」のことが堂々と言えるのが嬉しい。今日は言ってみれば追加の機会でそれほど参加者も多くないと思っていたら結構の参加者で力が入った。多聞尚学間に大変な興味を抱かれたことが直ぐ分かる。これで本校は生徒募集でも有利な戦いをすることが出来る。
・ 既に外部から反応があった。某私立高校から「トップインテンシブセミナーに数名でもその学校の生徒を加えさせて貰えないか」というお話だ。最近特進コースを作り生徒たちにその雰囲気を味合わせてやりたいというのだ。
・ 多聞では外部講師を積極的に招聘して「生徒にも教員にも刺激」を与えることが重要だと考えている。今度は宿泊も可能だ。ゆっくりと時間が取れるはずだ。私は職員会議で言った。「多聞は学校とは違う」。「学校とは一味も二味も異なるアプローチ」をして欲しいと。
・ 多聞での教師の活動は「特別に配慮」する。2泊3日で頑張ってくれたらちょっとした収入になるように会計基準を改める積りだ。勿論受益者負担の原則であるが法人もPTAや神社界にお願いしたりして「多聞ファンド」を用意して会計を進める。
・ 例えば高校3年生の受験科目に「日本史」を選択して生徒に「体系からはじめ、古代史、近世・・・」などとポイントを教えて詳細単元に入っていくというやり方だ。だから間が空いたら意味はないのである。連続してやるのが「味噌」である。
・ 二泊三日で連続して日本史を教える、それを2回でも繰り返したら、「生徒は何かを掴むはず」だ。後は自分で学ぶことが出来る筈だ。そういうことをする場所が多聞である。古文,漢文、英文法、英作文のコツとか色々ある筈だ。
・ 教員は自ら教材を準備して多聞尚学館の館長の了解を得て「「スケジュールを組む」のだ。言い方は不適切かも知れないが、言い換えれば「自分で稼ぐ算段をせよ」ということだ。今出来上がっている形は「進路指導部のトップインテンシブ」だけだがこのような「特別講座」がどんどん出来なければならない。
・ 「記者会見」でも私は強調したのだが「学校+多聞の組み合わせ」で何かが生徒に生まれてくる筈である。くれぐれも強調しておくが「教室の延長」であってはならない。「宿泊旅行」であってはならない。
・ 着任した年の夏に京都のサマースクールに行った時に私は驚いて、空いた口が塞がらなかった。あれは完全に「ミニ修学旅行」である。「教える体系もなく」単に教科の先生が「付き合って」2なし3コマ分教えて生徒に力が付くかということだ。
・ 多聞では「生徒に本当の実力が付くやり方」を「生徒と共に泊り込んで」頑張ってもらうということだ。恐らく先生にとっても「指導方法の開発」に繋がろう。従って「数人が手分け」してやるなどは余り感心しない。多くても一科目2名だろう。基本的に一人がやらねばならない。「その先生のノウハウ」を生徒に伝達するのだから。
・ さりながら高校生とは違う。体力の問題もあろうから「サブ講師」をつけることを考えている。若い先生をつけるのだ。その先生にとっても勉強になるはずだ。メイン講師とサブ講師では当然手当ては異なる。
・ 夏のサマースクールで実験的に講師料を弾んだ。それなりのブランドバッグが買えるくらいの特別手当を講師の先生は手にしたはずだ。このように付加価値のある先生、価値ある仕事をした先生に収入が付いて回るのが社会の常識である。
・ 本校の教師では駄目だとなったら私は「河合塾」や「駿台」の講師を招聘する。多聞はこのようにして活用するのだ。学校とは違う「教室の延長ではない教科指導」をする場所が「浪速多聞尚学館」である。
・ それにしても反響が凄い。PTA同窓会、他の私学など問い合わせや喜びなどが伝わってくる。ある保護者などは「凄い、凄い」しか言われないがそのお声は「良い学校に子どもを行かせて良かった」と言ってくれているのだ。
・ 生徒の希望を取るのではない。教師が「多聞送りを宣言」してやらねばならない。「君は多聞行きだ。」とね。私は本校の教員に告ぐ。「多聞を使って、生徒の力を伸ばせ、そのことが自分の生活を守り安定させる唯一の手である。」徹底的に多聞で変わった教科指導をして欲しい。普通のことは学校の教室で出来る。