2008年12月26日金曜日

12月26日(金)心を病む教師の増加

・ 2007年度の「心を病む教師が15年連続で増加」とある。今朝の朝刊に各紙とも取り上げているが、何時もこの種の記事は「世評」を呼ぶのか各紙とも取り上げに熱心だ。クリスマスプレゼントではなかろうが文科省が25日に発表した。
・ 「うつ病」など「心の病で休職した公立の教員」は前年度より320人増えて「4995人」に上ったという。公立の全国の小中高の教員は916000人というからこの5000人を多いと見るか、まあ普通の数値だと見るかの議論はあろうが、やはり「多い」と見る方が自然ではないか。
・ 1979年以来毎年数百人単位で増加しており、「今後ともしばらくはまだ増加する」ものと私は想像している。特に「うつ病」を訴える教員の割合は「一般企業の2.5倍」であり、「背景に何があるのか」が議論の対象とならなければならない。
・ 文科省の説明は*保護者からのプレッシャー*部活動の指導や報告書の作成に追われて忙しい*教員の立場の相対的な強さの低下*同僚との人間関係の希薄などと説明しているがまあ「文章にすればこういうことだろう」と思うがもう少し掘り下げないといけない。以下私が論考してみたい。
・ まず今回の文科省の発表で強く不満を述べたいのは「年齢構成」を発表していないことだ。このような意味のない発表などするなと言いたい。「若い世代か中堅か、ベテラン」か、「男女比率」はどうかが、本質を見極めるポイントとなる。
・ 一般的に教師は「精神的に脆い性向を有する集団」と言って良い。一般社会の「荒波」など全く関係ない「塀の中に囲まれた」人々である。相手をする人間も「子ども」であり、23歳から60歳まで「先生、先生」と尊称で呼ばれる特殊な職業集団である。
・ この職業を選択した人たちは若い世代では「難関といわれる職業」を手に入れた人たちである。言ってみれば「秀才のエリート集団」と言っても良いのである。ところがどっこい若い世代に対比する団塊世代の教員は「デモシカ教師」と言われてきた。ひどい言い方だ。この「二つのジェネレーション比較」が本質に近づく面白いアプローチとなる。
・ 優秀な友達はどんどん一流企業に就職していくのに自分は決まらず「教師にデモなるか」「教師シカなれない」というのが「デモシカ教師」と言われる所以だ。こういう世代の先生方は「腹はくくっており」、この人達は「心の病」になる筈などなくて、病気になるのはこのようなふてぶてしいこの種の教師に対峙している「校長などの管理職」である。
・ うつ病になるのは「真面目で優秀」でどちらかというと「頭でっかち」の若い、それも「男性教師に多い」というのが私の観測データが示す。元々この若い世代は「ひ弱い」ところがある。「個性を尊重され」「乳母日傘(おんばひがさ)」で育ってきている。
・ 要は「甘やかされて」育ってきている世代だ。材料力学的に言えば「耐力(プルーフストレス)」がない。「ポキッ」と折れてしまうのだ。とにかくこの世代の特徴は「急激な環境の変化に付いていけない」。そして又付いていけない理由を「自分であれこれ真面目に考える」ものだからますます事態を複雑にしてしまう。考えなければ良いのにと思う。
・ 「自分の心の処理の仕方」を知らないから、最後は暗い部屋で一人動かなくなってますます自分を追い込んでいく。「こんな筈ではない、何かがおかしい自分は駄目だ」というのが「答え」でそれで「起承転結」を明確にする。しかしその時は完全に「うつ病」に罹っている。
・ もう一つ大きな要因は結構若い世代は「周辺との関係」についてとても気にする性向がある。「自分と相対的な周囲の環境」がまず心に入ってくる。この点ベテランといわれる教員は「人のことなどお構いなし」で「わが道を勝手に行く」というところがあるから、もう最初の段階から「解放されている」のだ。
・ 若い世代は「パソコンを自在に操り」何でも情報は簡単に手に入れるが肝心の「取捨選択」や「優先順位」などが出来ないものだから「何でもかんでも」受け入れてしまう。だから「心の中の器はすぐ一杯になって」満杯状態であふれ出てしまう。
・ これは特に「男性教師に多い」ように感じる。女性教師はこの点、強いというか「自由」というか「割り切り」というか「自己を解放する手段」をどうも「先天的に有している」みたいだ。どうもこれはジェンダーとしての生まれつきかも知れない。「馬の耳に念仏」とは言わないが一応「聞いたふり」をしているだけで決して心の奥底を開けない。
・ ベテランと言われる教師はこれはもう「ずうずうしい」だけで「パソコンも出来ない」「資料のまとめも出来ない」「他の情報などの関心が基本的にはない」から心が一杯になることは最初からないのだ。だから取捨選択も優先順位もへったくれもない。最もこれは一般論で本校の話ではない。
・ モンスターペアレンツのせいにする向きもあるが私の観察ではペアレンツではなくて「モンスターペアレンツが生んだモンスター子どもの影響」の方が大きい。即ち「生徒への対応の仕方」のマニュアルが出来ていないのもある。
・ その点、ベテランは「完成されたもの」を持っているから「うるさい親が来ようとも」、「小生意気な生徒が為口をきこうとも」とも「扱い方」は上手い。本校には特に「保護者対応の名人」といわれる人が居る。この人に掛かるとどのような保護者も納得して帰られる。
・ テレビでコメンテーターが「学校管理社会化の進展」も理由と言っていたがこれはあるかもしれない。ここに面白い記事がある。府教委の進めた「人材評価システム」が不当だとして府内の学校職員105名が「自己申告票の提出義務はない」と「確認」を求めた訴訟で地裁は「教職員の資質向上に有用、公平性も図られており、合理性がある」と全面的に請求を棄却したとある。
・ この種の「グループに属する教職員」はまず「心の病に陥る」ことはなかろう。なり易いのは確かに「訴える対象を持たない、相談する仲間がいない、孤高、孤独、狭いタイプ」に多いような気がしてならない。私は今少しやり方を変えつつある。
・ このようなタイプには「豆腐を扱うようなオドオドした対応」を改め、「しっかりと鍛える」ようにしたことと、住む環境を変えさせることにした。暗い田舎のアパートに住むのではなくて長居とか天下茶屋とか些かの都会に転居させる。
・ そして圧倒的に多い独身者には「結婚を迫る」のである。分かりやすく言えば「責任を自覚させる」ということだ。それから服装には厳しく言う。大体服装が乱れてきたり、無精ひげなどが見え始めたら「病の前哨戦」だ。大体「おしゃれタイプ」に心の病は近寄らない。
・ どうも今後求められる教師像は「単なる頭でっかち」だけではなくて「幅の広い人間」が求められているようになってきた。偏差値だけでは駄目だ。ますますそのように感じる。しかしこのことは学校だけのことではない。中央省庁も企業も結局はそうだ。
・ しかし私は思うのだ。一般企業に比べて2.5倍も多いと言う「うつ病」に悩む教師の多さはまさしく「学校が変わりつつある証明」ということもあろう。「耐力のある新しい教師の出現」が「日本の教育を変える」ことは間違いない。
・ 「うつ病に悩む教師」は逆の意味で日本の教師のある面での「優しさ、優秀さ」の証明であり、それほど私は心配することではないと考えている。それよりも問題は「仕事もせず、文句ばかり言って、手当てとかばかり気にし、うつ病になど全く関係ない教師の存在」である。