2008年12月18日木曜日

12月18日(木)その1:千早赤阪村議会

・ 12月14日(日)のブログで「千早赤阪村と楠木正成公」のことについてある程度記したが、この村のことについて少し記さねばならないことがある。千早赤阪村、大阪府で唯一の村、府下最高峰を誇る金剛山(標高1125)を擁する金剛生駒紀泉(紀泉とは紀州と泉州)国定公園と南北朝の武将「楠木正成」生誕の地で知られた「太平記の世界」にある村落である。
・ 府内中東部に位置し人口は平成20年10月現在で6461人、世帯数は2354戸で面積は37.38平方キロである。「村章」は村の象徴である金剛山を示し村訓の「」をイメージしたものである。村の木は当然のことながら「くすの木」で村の花は「山百合」という。
・ 海抜は村役場が120メートルで最高は1020メートル、土地利用は全地目の82%が山林原野の山里に開けた村である。村境界は河南町、富田林市、河内長野市に接し、現在河内長野市との合併協議が進められている。裏側は奈良県に接している。
・ 村の一般会計規模は28億円レベル、それ以外に特別会計がある。農業は作付け面積で大きい順で果樹それに稲作、野菜となる。耕地面積も徐々にではあるが減少しつつある。製造業商業への従事者も減少の傾向であり、過疎と高齢化が進行する典型的な山里であると言える。
・ 気を吐いているのが霊峰金剛山ロープウエイ事業であるが利用人数は平成4年の20万人をピークに年々減少し平成18年度で利用者は114000人、村営のロープウエイ事業収入は6000万円ちょっと。ちなみに料金は大人で片道700円である。
・ 千早赤阪村長は松本昌親氏、父君も村長をされた。長身で気骨のある素晴らしい村長さんである。豪放磊落とでも言おうか、フットーワークも良く誰よりも千早赤阪村を愛し河内長野市との合併に東奔西走されている政治家である。もう数回お会いしてお話ししているが本当に立派なお方である。
・ 楠木正成公や千早城址、千早神社とともに村には多くの「有名なスポット」がある。まず日本でも有名な「千早の棚田」である。さらには「建水分神社」もある。この神社は特に有名で通称は「水分神社」と言われる。古来より金剛山鎮守、又楠木氏の氏神として崇敬されてきている。式内社で社格は府社である。
・ 村会議員数は定員10名で丁度現在第4回「千早赤阪村議会」が9日に開会され、今日18日の木曜日に閉会される。それでその村議会に「ある目的」があって一般傍聴者として本日村議会場に赴いたのである。朝6時には学校に行き、一仕事をして8時に学校を出発した。
・ 村議会は定刻9時30分に開会された。80号議案、81号議案、次期議会に係る議案が粛々と議論され議決された。そして「一般質問」となる。代表質問は与党7名の議員団を代表してのものであると断って、冒頭に質問者の田中議員が述べ始めた。
・ 「議案は旧多聞小学校の売却について」である。傍聴席には本校からの2名以外に千早地区の区長さんや小吹台小学校の生徒が社会見学のためか引率教員に連れられて来ていた。このためほぼ40名程度の傍聴席は一杯であった。
・ 代表質問者田中議員は冒頭「多聞小学校の歴史」についてお話を始められた。多聞小学校は133年の歴史を飾り、地元村民の拠点であった。議員はここで声を詰まらせる。話が先に進まない。思い直して議員は話を先に進められた。
・ 要は一昨年の19年3月31日に「閉校式」の様子からお話になるのだが、ここでも涙でお声にならないのだ。「感極まった感じ」である。「私は今でもあの3月31日の有り難う多聞!」と皆で涙を流した閉校式の日が忘れられないとまず述べられた。
・ そして質問は具体化し、「どういう交渉経緯か」「何処に売却するのか」「地元村民の感情はどうか」「地元への配慮は」などについて独自の調査を踏まえて「行政当局に誠実な回答を求める」と発言された。およそ10分以上の冒頭発言であった。
・ これを受けてまず回答は総務課長から、「10月中旬大阪市内の学校法人大阪国学院から購入の申し出でがあり、地元意向など調査したが大歓迎の意向であり、行政としても願ってもないプロジェクトである。敷地境界の確定など急ぎ極力早い段階で契約成立に向けて最大限の努力をしたい」旨の答弁があった。
・ 引き続いて田中議員は秦副村長を名指しして「村としての財政的見地から売却に伴うメッリト」等について答弁を引き出される。詳細は省略するが「村始まって以来の出来事」で、旧多聞小学校は現状のままでも固定費がかかっている中で、もしこの交渉がまとまれば売却益は既存の学校の整備等にも当てられ、村としてのメリットは極めて大きい等の答弁をされた。又市内有数の大規模校であり、相手先にリスクは感じていないが今後具体的交渉の過程で村の要望など話し合いをして参る所存であるとよどみなく述べられた。
・ そして最終局面になると田中議員は村長に対して「大阪国学院誘致のために正門入口の道路拡張などインセンティブは必要ないのか」「村の責任者としてこの話をどのような決意で進める積りか」と問いかけるのであった。
・ 村長は答弁する。「私自身昭和21年多聞小学校に入学した。兄弟もそうであった。特別の思い入れがある。大阪国学院にはホスピタリティを強く感じた。村長になって一番良い話であった。万難を排し誘致を進めて行きたい。」と。(この前村長は河内長野市との合併問題で散々議会から突っ込まれていた)
・ 更に田中議員は「このような公立の廃校なった小学校を私学に買って貰え、未来に渡って存続する試みは聞いたことがない。村としても積極的にPRし村民に元気を与えるようにして欲しい」との要望がありこれに答えて村長は明日14時に村で共同の記者会見を予定していると答弁された。
・ 平成20年12月18日午前10時過ぎ大阪府南河内郡千早赤阪村議会で遂に「浪速招致」が議会で議員の質問に答える形で行政当局は本学校法人の名前を明らかにし、「浪速誘致に全力で当たる」との「村長の決意表明」が為されたのである。
・ もう少し臨場感溢れるように記述できるのであるが、それは敢えて避け、淡々と今日の村議会最終日のことを記述したが私にとって忘れられない日となった。同席した事務室の主査も些か興奮気味で「感動しました。先生のお蔭で色々な場面を経験させて頂いています。」と言っていたのである。