・ 遂に「麻生内閣の支持率が20%を割り込んだ」と昨日からテレビ各社の報道が続き、昨日、今朝の新聞でもそのことばかりだ。栃木県選出の渡辺代議士が本日自民党を「離党」するとも報じている。
・ 不支持率が70%を超えたと言うのも珍しい。安部内閣、福田内閣と2代続けて政権を放り投げ、選挙で国民の審判を受けていない内閣で選挙から逃げている内閣だから「国民はソッポ」を向いているのかも知れない。それにしても酷いことになった。
・ 相対的に民主党が力を伸ばし,小沢代表の待望論も本格化してきている。こういう情勢であるにも関わらず自民党はなんら「有効な手」を打ち出せずにいる。そこが歯がゆいのだが「もう無理」なのだろう。「何も出来ないのだろう」。「ローマが滅びていく」のと同じ構図だ。
・ 自民党にも若い優秀な政治家がいるにも関わらず「党を割ってでも」といいうのも渡辺氏以外にはいない。あのテレビにてしょっちゅう出て政権批判を繰る拡げる山本一太とかいう男などもどうしようもない。「安全地帯の内側で叫んでいる」だけでは何も変わりはしない。
・ 政治でもなんでも既存の秩序を本気で変えようという時には「捨て身の覚悟」が必要だ。そこを有権者は見ている。麻生さんは何をやりたいのか全く見えてこない。そこが問題だ。「発言のブレ」などどうでも良い。要は「国民に何を示すかと言うトップのビジョン」が伝わってこない。
・ 「定額給付金」の話が出てきた時に国民は「アレッ」というか「意外感というか異質なもの」を感じたのだろう。だから70%近い人が「2兆円も使うなら他に使い道があるだろう」と言っているのだ。「高齢者医療問題、耐震強度校舎問題、派遣切り対応」など色々とある。
・ 私はこれで自民と公明の政治は「終わった」と感じている。「元々は国民から集めた税金を何百億円ものコストをかけて再配分するだけ」だから何をやっているのか分からない。「これは政治ではない」。それを生活給付金の性格から今度は景気刺激策と後付であれこれ言うものだから「白けて」くるのだ。
・ 閣僚は「1万2000円貰ったらどうする」「受け取るのか、受け取らないのか」とかの低次元の話ばかりで恥ずかしくなる。辞退したら国庫へ戻入しなければならないため、辞退しても面倒な話でというが私は受け取りを辞退というか「取りに行かない」積りだ。
・ 住民票を置いてある役場まで新幹線往復の料金を支払っていくと貰えるお金の3倍は費用がかかるし、日程がもったいない。私の1泊2日の日程コストは12000円どころの話ではない。一生懸命仕事をして「学校の価値を高める」ことがひいてはGNPの向上になると信じて疑わない。
・ しかし「些かの不安感」もあるのだ。このまま民主党が政権を取ったら「社会は社会民主主義的色合いの強い」ものになってくるのかという心配だ。米国では遂に8年ぶりに民主党に政権が渡り、「オバマと言う新大統領は明らかに社会民主主義的」である。
・ 前にもブログにおいて書いたが「蟹工船」が読まれている。どうも共産党が息を吹き返しつつあるのか。日比谷公園の「派遣村」などは間違いなく社会民主主義的運動の成果である。こういう団体が市民権を得てくる社会はどうも私には馴染めてこないのだ。
・ 社民党の福嶋瑞穂党首や辻元清美政審会長代理、何をやっているのかしらないが田島陽子という人などが今まで以上にテレビに出てくると「ますますテレビを切って早く寝る」ようになるだろう。この種のタイプは苦手だ。
・ 保守本流と思っていた民主党の小沢代表なども良く分からない。「生活が第一」などと当たり前のことを言うだけで少なくともこの政党の管副代表とか横路さんとかの市民運動家、社民そのものと言う人々の混成部隊で一体如何するのか全く分からない。
・ 「選挙を数回して政界再編」が進むのだろうと思うが世界で日本が取り残されても困る話だ。私は今民主党が政権を取ったら「日本の私学はどうなるのか」勉強しているのだが全く判断する材料が少ない。
・ 恐ろしいのは管代表などは「高校の授業料はただにする」とマニフェストに書かせた。それは「公立だけの話で私学はどうするの?」と言いたいのだ。民主党参議院の興石議員会長などは日教組出身でパワーを有している。自治労の支援を受けている民主党も大丈夫かという気がする。
・ 政権が変わっても急激には「文教政策は変わらない」と思うが「じわじわと」変わってくることが予想される。「橋下改革で大阪の私学はぐらぐら」させられた。今度は中央政権が変わったら日本の私学はどうなるのか。そこが問題である。
・ 「教職員団体が元気を取り戻す」ことになるのか。「組合組織率が上がってくるのか。」 しかしいずれにしても「教育界の特権階級的」なものは薄れていくのではないだろうか。大胆な仮定だが「地方分権の名前の下」で「公立学校が大きく性格を変えるような動き」がより出てくるのではないか。それは間違いなく「私学をも揺さぶる」ことになろう。
・ 私立学校の教職員は「反射神経」を高めておかねばならない。「脳天気」な人間では付いていけなくなる。勉強しなければならない。「持ち時間を減らせ」などという「先祖帰り人間」はこの激動の時代を生きていけないだろう。田舎に返って「畑仕事」でもしたらどうか。
・ 来年度というかこの4月入学者数の予測数値が大体読めるようになってきた。近々公立中学校校長会の「進路相談結果数が新聞紙上」に出てくるだろう。「浪速中学校と浪速高等学校の支持率、人気度」はこれらの数値に出てくる。
・ もし本校が「麻生総理並みの支持率」であったら大変だ。すべては「トップの責任」である。私学の人気度はその学校を率いている「伝統と実績」「改革の進展(透明性と説明責任)」「学校長への期待度人気度」で決まる。私にとって「唯一絶対の審判」がもう直ぐ下る。斎戒沐浴してその日を待たねばならない。
・ 教職員の人気投票など「クソ食らえ」だ。教員の替わりはいくらでもいる。唯一絶対学校を存続させるためには「生徒が入学を希望する学校」ということだ。「その先頭に学校長は立たねばならない」。
・ まず「良い教育」、その為には「学校長の顔とその方針」そして「その元での教職員の働き」だ。キーワードは「生徒の面倒を徹底的に見る」ということに尽きる。「自分は安全な、損をしないところに身をおいて」、次に生徒のことを考えるという輩は返って学校にとって「邪魔になる」。
・ 「朝読書」とか何処もがやっているようなことを先頭を切ってやるような教職員のいる学校でなければ誰が大切な子どもを預けてくれようか。やってやるから「持ち時間を減らせ」などとのたまう学校ではどうしようもない。
・ 「身を粉にして働け」「働かないものがあれこれつべこべ言うな」。嫌だったら「自民党の渡辺氏みたいに離党したらどうだ」「それ位の覚悟で物を言え」ということだ。当面の間本校では「社会民主主義的な意思決定」方式は絶対取らない。今回のことで確信した。
・ 元々学校社会は「職員会議至上主義のの共産民主的意思決定」のやり方だった。その結果が今日の学校のていたらくをもたらした。同じ愚は二度と冒さない。「持ち時間はどんどん減少させ」、「弱者から金を取るな」と言って「授業料値上げに反対し」、そして「自分たちの給料は上げろ」だから、こういう人たちに学校は任してはおけない。すぐ潰れる。