・ 受験は「安・近・少」傾向。世界的な金融危機による景気悪化が深刻になり、高校教員の約7割が「受験生の進路選択に影響」と感じていることが大手予備校河合塾の調査で分かったと13日の大阪日日は報じている。
・ 国公立大学など学費が安くて身近にある大学を選び、受験校数を少なくする「安・近・少」だというのである。進路への影響を大きく感じるが12%、やや影響が55%であわせると67%に上っている。
・ 具体的な影響を複数回答で聞くと「奨学金の活用を考える」が64%で最も多く、次いで「通学可能な範囲の大学を選ぶ」が54%、「学費の安い国公立大志向」が45%そして「私立大学の受験校を減らす傾向」が40%と続くとある。
・ 「大学進学自体を見直す」も14%あるというからこの河合塾名古屋の調査結果は衝撃的であるが、よく考えれば「理解出来る」話である。従って「推薦入試」や「AO入試」を積極的に利用する志向も59%にのぼり、一般入試の受験料負担を回避しようという意識も伺える。
・ 先般親しくしている大学関係者と懇談した時も「学部受験の数の減少」傾向が顕著だという。一学部3万円から4万円の受験料だから、そう大きな数値でもないと考えるが七つも八つも受けると相当な金額にもなる。こういうところから「節約」しているのだ。
・ 河合塾名古屋によれば「推薦は関東、関西の有名私大でも希望者はいなかった」というから愛知県から東京や関西に出てくる希望者が完全に減少傾向となっていることは間違いない。私は今100年に一度と言われている経済危機に落ち込んでいる世界の状況の中で「日本の大学進学パターン」が本質的に変わりつつあると見ている。
・ その証左は私立高校を巡る環境変化にもあるのだ。新聞報道によれば、大阪の私立中高受験地図を塗り替えるとまで言われた早稲田摂陵は思ったほど志願者を得ることはなかったと校長が歎いていた。
・ 大学入試センター試験が終わったがここでもその傾向は見て取れる。志願者は昨年よりも596人多い543981人であり、その中でも「現役志願率」は初めて4割を超えて40.4%となった。この意味は大きい。
・ 本校でも有史以来最大数のセンター受験者を数えた。数は言うまい。しかし伸びが凄い。センター受験者の数がその学校の「進学熱」だと言っても良い。着任したのが2年目の1月、すぐセンター試験があり、受験者数を知って「愕然」としたのを覚えている。
・ 前の勤務先であった府立高津高校でも着任当初は受験者が他の学区のトップ校に比べて少なく恥ずかしかったものだ。それを最終的に3年生在籍の93%を超える受験者にまで私は高めた。それから進学実績が「ぐんッ」と上がっていったのである。
・ とにかく金融危機の波がとにかく受験生にも押し寄せていることが分かる。センター試験の受験生の一人は「親の経済事情から併願校を減らした」「遠方の大学は諦めた」との声が引き続いている。
・ 大阪の東成区の私立高校のある3年生は「学費のこともあるし親の元から通えるし」と府立大が第一志望で尚且つ私大受験は数校絞って3校にしたそうだ。京都府立校のある女生徒も自宅から通える神戸大が第一志望でとにかく将来の就職のことも考えて学費、ブランド力から国立大学に進みたいと思っていると記事にはある。
・ 言い過ぎを覚悟で言えば「今後大学は地元志向」が強くなるのではないか。東京大学や京都大学は別格として大阪大学や神戸大学などは「地方大学」の位置づけでそれは「東京六大学も関関同立」も地方大学の域で存在意義が出て来ると思う。
・ 中央の大学が「大学名の冠」をつけて地方に進出し傘下の高校を増やす動きも、それが単なる「学生募集のため」だけだったら「期待したほどの効果」はないのではないか。私はそのように感じてならない。
・ すべての生徒がブランド大学にいける偏差値であるわけでもなく、大学名を冠につけても少子化の中で地元を離れてそのような遠くの大学に行くであろうか。それよりも地元のしっかりとした大学で十分であるとの機運が出始めてきたのである。
・ 私は思う。傾向としては行政組織も「地方分権」が始まり、その流れは本格的になっていくだろう。少子化の中で現在のような「48都道府県という行政単位では人も金もついていけなくなる」のは目に見えている。「道州制」とならざるを得ない筈だ。
・ 広域行政で役人の数を減らし小さな市町村は合併で適正規模と成ると問題は「知の拠点」となる「大学のありよう」ではないか。江戸時代は私に言わせれば「素晴らしい地方分権の時代」であった。「藩」単位に「藩校」が設けられ、「私塾」が大いに活躍した時代であった。大阪などは特にそうだ。
・ 明治のエネルギーも地方から起きた。何も中央に出かける必要はない。「地元志向」で結構なのである。そういう意味でじわじわとした「地殻変動」が起きてくるのではないか。いや、既に起きつつあると思う。
・ 徳川時代は265年、近代日本は明治以降で140年でこの140年は官僚主導の中央集権国家であった。そして「行き詰って」きたのである。ボツボツ新しい形の出現でありそれはもう一度「地方分権の時代」ではないだろうか。
・ 「安・近・少」というのは実はその地殻変動の予兆であると私は思う。「地方分権と安近・少は実は一体なのである。」とも言える。遂に横浜市は500校の小学校と中学校の「小中接続」をするという。
・ 道州制はもろに「府立、県立の高等学校の有り様」に影響を与える。又高等学校は「小学校・中学校サイドに近づくのか、大学サイドに行くのか」、「統廃合」をしながら「変わっていくだろう」。ますます私の興味は尽きない。