2009年1月26日月曜日

1月26日(月)「男道」清原和博本

・ 「男道」という「清原和博氏」が書いたという幻冬舎の本を難波のジュンク堂書店で求め一気に読んだ。本屋では入口に陳列していたから「売れているのか」。通常本屋は新刊本や売りたい重点本を目に触れる場所に置く。
・ 「清原大好き人間」が待ちに待ってこの本を購入したものではない。僕は兼ねてから清原和博氏という人物に興味があったことと本の宣伝の「帯の記述内容」に釣られたと言って良いかも知れない。
・ しかし読んでみて「後味の良い本を読んだ」という感想とは全く無縁の本であった。逆に「嫌なものに触った」というような感慨を受けた。本を読んでこのように感じさせる本も珍しい。それは何故なんだろう。
・ タイトルの「男道」の表紙デザインも「その面積の90%を占めるあの清原さんの顔」で埋め尽くされているしその「顔つきも怖い感じ」がする。本全体から「恨み、つらみ」が臭って来そうなのである。「じゃあ、どうして手にするのか?」と聞かれても困るのであるがやはり「清原という人物」に「興味なり、関心」があったとしか考えられない。
・ 新聞の下段に大きな広告欄があり、発行元の幻冬舎の作戦なんだろうが「強烈に文中の一文を」載せて読者の関心を引き寄せようとしている。本には「波乱万丈の野球人生を振り返る、最初で最後に自叙伝」とある。
・ 新聞の広告記事は以下のようなものだ。(仮名使いなどそのまま)
 “神宮外苑の並木道にクルマを停めて、ハンドルにつっぷして泣いた。僕だって覚悟はしていたのだ。最後くらいは平和的に握手をして別れたかった。9年の間には、僕の方だって迷惑をかけたこともあったし、お世話になったこともたくさんあるのだ。結論は解雇でも「9年間よくやってくれた」と感謝して別れるくらいの思いやりがなぜ持てないのか。・・・”
・ 巨人から2005年8月に「来季、君とは契約しないから。で、なんかある?」と言われた後の彼の行動を自ら記述したものだ。“この9年間の苦闘は何だったのか。高校時代につけられた心臓の古傷に、なぜ又錆びたナイフの刃を差し込むのか。”とまで書いている。
・ この本で「私が特筆する場所」は以下の部分だ。ここに「清原和博という野球人の全てが凝縮」されている。おそらくゴーストライターが本人からので聞き語りを文章にしたものだろうが、ここがポイントである。
どうして巨人は最後の最後まで僕を痛めつけようとするのか。組織というのはそんな冷酷なものなのか。僕の野球人生は恨みで始まって恨みで終わるのか。”
・ 清原さんというという岸和田生まれの、並みの日本人男性の平均体格から外れた「大男」は小学校4年生でリトルリーグに入り野球を始め、PL学園時代は桑田と組んで5度の甲子園出場を果たした。
・ 本人が書いているように「自分が勝手に思い込んでいた巨人行き」をチームメイトの桑田にさらわれて(?)から彼の「」というか「」の人生が西武、巨人、オリックスとプロ野球23年間続くことになる。この間タイトルは一つも取れていないが「スター」であったことは間違いない。
・ 私は清原選手時代も含めて「ファン」ではないが別に「嫌い」でもないし、ただテレビでやる「清原物語」とかはたまたま見たり、週刊誌を騒がしたゴシップめいた銀座の女性との子ども認知騒動とか、23年間に24台の外車を買った話とか、よくある芸能人の類の「騒動の多い人間」であるくらいは思っていた。
・ 今年頂いたある塾の経営者の年賀状には、縁戚関係もないのに「キヨ。カッコ良かった。私もキヨのようにカッコよく今年も決めたい」と書いていたのは今更ながら驚いたものだった。未だに「どこがカッコよいの?」というのが私の偽らざる気持ちだ。恐らく清原ファンの神経を逆なでするかも知れないがこういう「清原人物論」を有する人間も世の中にはいるのである。
・ この本から私は完全に清原和博氏という人間の有する「社会的視点」が私が想像していたものと全く間違っていなかったと確信した。「単純思考」であり、「複層的思考の拡大」が全くもって不得手である。
・ 彼の思考構造は「余りにも人間関係論で物事の決着をつけるのが主体」である。もうこれはこの本の随所に現れる。彼は長淵剛の「トンボ」という歌がとても好きみたいで桑田との関係、王監督、人生の節目に長淵氏、勿論亡くなられた仰木氏など本に登場する人物は極めて多い。「男の一生にこれほど他人が関与」するだろうか。そこが私の疑問なのである。
・ 彼は「義理人情の世界」で生きる「仁侠映画」の主役みたいな感じがした。本の最後の方に尊敬する王監督から「人生には思い通りにならないこともあるんだよ」とハワイで言われたらしいのだが、その時は心のどこかにこだわりが邪魔をして王さんの気持ちが僕の心の底には届かなかったと正直に告白している。
・ そうなのである。王さんは良いことを言われた。しかし彼は人生は自分の思うようにいくと思っていたのではないか。「自分はこれくらい一生懸命思っている。貴方のことを考えている」だ。それは清原氏自身が他人に気を使い、細かい神経を有し、友人に尽くし、親孝行であり、「思い込み」で一生懸命するだけに思うようにならないときに怒りの対象を自己以外に求め「何でやねん」と成るのではないか。
・ 「巨人への恨みがあのピアス」になったと言うが本当だろうか。あの金髪や突然の丸坊主も巨人への恨みなのかそれは書いていなかった。私は「はけ口と存在感の誇示」だと見ている。とにかく気持ちを「内に秘めておく」ことが出来ないのかも知れない人間だと私には見える。
・ 「愛憎」という言葉があるようにこのような人物は徹底的に「面倒をみるという男気」に満ち溢れているがひとたび「裏切られたりすると」極端に「怨み」の世界に沈溺する。その恨みが「自身のエネルギー」となるのだ。
・ 従って清原氏を知っている人間は「徹底的に見た目、清原さんを尊敬しているかそのようなふりをしている。」のではないだろうか。逆らって「逆襲、復讐を恐れているのだ」と思う。即ち利害関係の遠いところで無難に付き合っておれば良いと考えるのだ。
・ ところが清原氏は「親分子分の関係」「義理人情」の関係を重要視する。大体ドラフト制度や巨人軍のやり方などは「冷徹な組織の論理」そのもので長島を切り、王を切り、金田を切り、張本を切り、原を一方的に切ってきた大企業そのものの論理で動いてきた冷徹な組織中の組織なのである。
・ 岸和田という田舎町に住むPLの清原など巨人からすれば関係ない。「客を呼べ、勝負に勝つ為に必要か否か」だけが巨人の判断基準でそのためなら「裏技」で「江川を取ったり」「「桑田を取ったり」することは平気な組織なのである。
・ 惜しむらくは清原さんはFA宣言した時に阪神の吉田監督が「縦じまを横じまにしてまでも」と要望されながら心の奥底にある巨人への「怨み」の対象そのものに「身を売った」ことに全ての結末があるように感じられてならない。阪神に移籍して「巨人をやっつけたる!」としておれば偉大なる「大阪岸和田だんじり男」として何時までも耀きを放ったのではないか。
・ しかし私は思った。17歳の高校生が受けた人生最初の挫折がこのように中年男になるまで生き続けることの「怖さと人間心理の複雑」さだ。彼も書いているように1年で普通のサラリーマンが一生かけて稼ぐ年俸を得ていてもだ。
・ 清原さんも、昨日復活した朝青龍も「人間二つのタイプ」に分けるとしたら間違いなく同類項である。清原に常に対峙してきた桑田や横綱白鳳はまた同類項であろう。このように言う私も年上ではあるが完全に「清原タイプ」であり、この本を読んで今更ながら清原氏の気持ちと言動論理が分かるのである。
・ これだけの男が晩節にこれだけの苦しみを残し、それを公的に明らかにしただけに、今私は自分の身を「投射」させて思いを致しているのだ。この本を読んで「清原万歳」と声を上げるような人がいるだろうか。そこが悲しい。
・ 又ここまで書く必要もなかろうにとも思う。自らが古傷をいじくりまわしているのだ。何億円も年俸を貰い、9年間もお世話にもなった巨人軍だろう。私は時に男は黙って墓場まで心の中を持っていくのも「大事な男の覚悟」と考えているのだ。王さんではないが「人生は思うようにはいかないんだよ」と。逆に思うように行く方が少ない。あれだけのファンに愛されてそれだけでも普通の人には叶わないことなんだと。