2.持ち時間の均等文化
ところが「授業が華」の教師にとって「持ち時間の取り扱いの実態」は大きく「華」からは程遠いもので、ここには「教師人間模様がうごめく」のである。とにかく「公平に均等に」が教師社会の不文律である。これは公立、私立を問わない。
1年間の、例えばある教科の授業時間数をその教科の教員数で割り、一人当たり何時間と割り出す。しかし上限はその学校の「内規」で決められており、どこにも法令はない。府立の学校では教育委員会の指導があり、「一人18時間が標準」とされており、現在日本全国、大体18時間と言うのが日本の学校の一般的数値だと思う。「担任」を受け持つ場合はロングホームルーム時間の1時間差し引いて17時間とする。
従って少なくとも教科内ではまったく同じような持ち時間となる。これに差でも出ようものなら「何故私が1時間多いの?」となるのである。教科によってはその学校の上限値以下のところがあり、まず同じになるというのは実態としてはあり得ない。保健体育科は12時間で英語が16時間などの例は一般的にあり得ることである。ただ英語科の教員からすれば、1円も違わない給料なのに、体育は時間数が少ないのだから「分掌担当は体育科から出してください。英語は時間数が多いのだから英語科からは人は出せません。」となるようなこともある。
3.経営と持ち時間増
一般的に校長が「持ち時間増」を言い出そうもなら、教科は一団となって「抵抗」する。とにかく私の経験では「教職員の持ち時間増への抵抗感」は尋常ではない。私学においてもそれは例外ではなく、本校においても事態は同じであった。
それよりも、とにかく理由をつけて持ち時間を減らそうという心理が教員一般のものである。「減」という考えが存在することを説明しておきたい。学校の教員には「教科で教えること以外に様々な仕事がある」ことはすでに記述したが、例えば進路指導部、生徒生活指導部、教務部などの分掌業務や学年主任などの役職があるのである。これらの長には「持ち時間をマイナスするのが一般的」である。学校によってこれまた「内規」で決められており、例えば進路指導部長は標準持ち時間16時間から4時間差し引き12時間の持ち時間となるのである。前述したように担任になると1時間は減となるように「減へのこだわり」は相当強い。要は時間増のエネルギーよりも時間減にエネルギーを使う。
一方、「学校経費の80%以上は人件費」であり、完全に学校という企業体は「労働集約型」であり、教職員がコストの大半を占めている。電気代や水道代なんてしれたもので、適正な人件費レベルに抑えることが「経営の要諦」である。
生徒への総授業時間数が1600時間とすればこれに必要な教師数は単純計算で一人当たり16時間の持ち時間で割れば100人とすぐ出てくる。即ち100人の教職員を手当てしなければならない。ところが一人当たり18時間持ってくれれば、1600÷18=89人で済むのである。
即ち100-89=11人の減が可能になる。「経営的に教職員一人当たりの年間経費は給与、法定福利費等を入れて1000万円とみるのが一般的」で、こうして考えると実に11人分で1億1000万円のコスト減になる。真水の1.1億円であるからこの金額は大きい。一挙に経営好転となりかねない数値である。このように「持ち時間は教員数に比例し、経営と直結している数値」なのである。
4.浪速高校での実践
浪速高校赴任時の持ち時間は16時間であった。前理事長は孤軍、持ち時間増を「何回もお願い」したと記録にはあるが、組合との団交も上手く行かず、一向に事態の打開は見えず、袋小路に陥り、迷走状態であった。それは経営ビジョンを明確に指し示されていない状態で組合も「おいそれとは簡単に乗れない話」であったのであろう。それくらいこの持ち時間問題は大きな教師文化を揺るがすようなものであったし、それを本当の意味で当時の経営者が理解していたかが問われるところである。
浪速高校の実践平成19年2月7日の時点で私は明確に「持ち時間の増」を打ち出した。着任1ヵ月後であった。その時の資料の抜粋は以下のようなものである。
① 持ち時間に関する不公平感の充満
*減基準の見直し 極めて大きな問題
平成12年時間減 38時間
平成成17年時間減 72時間 +34時間
逆に増加 組織の複雑化などが要 因し減時間は増大している
*教科別標準持ち時間の差異 不公平感
*専任別標準持ち時間の未達 不公平感
② 府立高校、他の私学との比較から
府立高校 18時間 担任は17時間+HR
私立 19時間 (経営危機の)K 1校のみ
18時間 B、S、R、K、K、O、T、N, H, J, S, G 、K, S
以上 14校
17時間 S, M, Y, S, H, S, K, K, S, K, S,K, S, O, S, M, S, H, O,
以上21校
16時間 「浪速」と残りの学校
最早その数は少ない最低レベルの持ち時間
③ 標準持ち時間を18時間とし、減基準を見直す。
*体調不良、個人的事由などで受けられない、同意できない教員もいると思うので、その場合は「相当する年収分をカット」する。
*即ち 持ち時間か相当する部分の給与の削減かで選択権を教職員に委ねたい。「二者択一理論」の導入である。
*専任教員間での不揃いの解消は可能か? しかし実態は教科間でばらつきが出てくる。 私学においては「教員配置計画」が公立ほど適切に運用されない。学校は一つであり、転 勤先はないし、解雇も出来ない。また教育課程が本校ほどここ数年くるくると変わったところでは教員配置は予想出来ない面がある。従って当面は教科間でばらつくと思うがこれは 致し方がない。当面この状態が続くと予想する。
*また19年度に限って言えばすでに常勤、非常勤とも採用の内定をしており、「効果は少ない」即ち、見直しても「実質持ち時間は期待ほど増えない、即ちコストの減少には繋がらない。」と見ている。
*しかしすべては「持ち時間の見直し」から始まると考えている。経営危機に直面している「浪速の姿勢」の問題である!!と考えている。勿論上記データだけで説明したのではないが、あらゆる経営資料を分析し、財務内容を公開して、今、何故 持ち時間増が必要なのか」を詳しく説明し、教職員の理解と協力をお願いした。「改革前半の大きな山場」であった。
教員は見事に理事長提案を受け止めてくれ、「浪速高校の教員持ち時間は16時間から18時間」に増えることになったのである。これから改革が大きく進むことになる。持ち時間問題に悪戦苦闘した理事長職務代理は今でも「信じられない電光石火で教員との話を新理事長はつけた。我々の苦労と苦悩は一体何だったのか」と言われる。こういう経緯をあの4人組は知っている筈なのにと私は残念でならないのである。