2009年8月4日火曜日

8月4日(火)天地人と火炎土器

・ NHKテレビ「天地人」も佳境に入った感じである。6月7日のブログに私なりの評論を書いたものだが、これが結構「面白かった」と言ってくださる人は多かったのである。このときに皮肉交じりに「戦国大名青春涙物語」として良く泣くドラマだと書いたら早速同じようなことをいう有名人が居た。
・ 作家で東京都副知事の猪瀬直樹氏だ。彼はこういう書き出しだ。それにしてもNHKの大河ドラマ「天地人」の登場人物はなぜ「毎回泣いてばかりいるのだろうか。」だ。大笑いしてしまった。同じように感じる人はいる。
・ 互いをじっと見つめ合い、分かってくださいと懇願する顔をすれば「うむ、分かった」と応じる。言葉で状況や心境を説明しないで泣いている場面が展開する。猪瀬氏はいう。「実際の世の中ではそうはいかない。」
・ 会社に勤めていて「涙を流しながら」上司に向かって「分かってください」と訴えても仕事は進まない。店に来た客の目をじっと見つめて「これを買って下さい」と言う顔をしても話は進まない。どうすれば相手にわかってもらうかそのことが重要だと氏はいうのである。
・ さらに猪瀬氏は続ける。「じゃないですか」という言い方に「鉄槌」を下す。「私って神経質ではないですか」「私って一人っ子じゃないですか」「私ってxxじゃないですか」のオンパレードだという。
・ 「耳障りでうるさい」と言う。この「ですか」は同意を求めているらしいのだが、それも賛成とか反対とかではなくて軽い「相槌」を求めているだけのことで強い共感を得る努力をしているのではないと続ける。
・ すべて「独りよがり」だと断定し、涙ばかりの大河ドラマと同じで共通しているのは「他者の不在」であり、何時の間にか「なあなあ」の「もたれあいの時代」になってしまったと嘆息されているのである。
・ そして最後は「私って泣き虫じゃないですか」と実在の上杉家の家老直江兼続は絶対に言ってないと断言されていた。猪瀬氏の論理はともかく今年の大河ドラマの女性は強いし泣かない。「男は泣いて女は泣かない」のである。
・ 今週からさも「女天地人」のように変わっていっていたがあの兼続の奥方「お船の方」は賢妻でつとに知られた歴史上の人物である。山内一豊の妻「千代」と「お船」が両巨頭で一豊も兼続も生涯側室を持たなかったという。いや恐ろしくて「持てなかった」という歴史家もいる。
・ 特に兼続は直江家に「婿入り」しており、変なことをしたら奥さんが激怒して「追い出した」だろうというのである。そのときも兼続は「涙を流して許しをこう」のであろうか。
・ ところでテレビによく出る知名が「与板」であり、兼続を支えた「与板衆」は上杉家の中枢武士団で留守勝ちの与板城を守ったのは年上女房お船であったのである。与板城は現在の新潟県長岡市与板町で今与板の人々はドラマ「天地人」で沸きに沸いているだろうが、お船は良いとしてもあの泣き虫兼続はどうにかならんかとでも言ってるかも知れない。
・ しかし長岡というところは「魅力ある町」だと思う。偉大な人物を排出している。幕末戊辰戦争での指導者「河井継之助」米百票の「小林虎三郎」、日米開戦時の「山本五十六」などである。
・ 人は彼らに共通するものは戦争に反対し平和を求める姿勢だと書いておられるが確かにこれらに共通するものはベースには「」というより「」であり、我が意と異なるが「」に生きた姿だと思う。
・ ところで加えてもう一つ、長岡は「火炎土器」で超有名である。昭和11年12月31日に長岡市の近藤篤三郎氏によって長岡の「馬高古墳」で発見された「縄文土器」はその形状が燃え上がる焔に似ていることから「火炎土器」と称されるようになった。
・ この馬高遺跡で発見された火炎土器が今「和泉市」の「大阪府立弥生文化博物館」に展示されている。「火炎土器の国 5000年前のメッセージ」として驚くような力強い縄文式土器が間見られると思って先週の日曜日に出かけたのである。
・ どうして「信濃川沿い」だけにこのような「火炎土器」が生まれたのであろうか。長岡から十日町、津南町に沿った街道はまさしく「火炎街道」であり、特に新潟十日町で出土した笹山遺跡での928点は独創性や芸術性から初めて「縄文土器として初の国宝」に指定されている。
・ 8月30日までだったと思うので見に行かれたらどうですか?「天地人の舞台である与板には5000年前にこのような力強い土器を作る先人」が居たのだ。私にはこの火炎土器を作った人の末裔である天地人の人々の「愛と涙」がどうしても結びつかないのである。