・ 8月5日の読売新聞朝刊である。「親の収入高いほど高得点」の見出しで昨年度の「全国学力調査結果と親の所得との関連性」を記事にしている。文部科学省の委託を受けたお茶の水女子大の教授らが分析いたものだからあながち的外れの分析でもなかろう。スポーツ紙にも記事があったからマスコミの関心が高いことは分かる。
・ こういった分析の場合、いい加減な人だったりすると「都合の良いデータばかり」を使って解析し自分の思うような結論を導き出す輩が多いから気をつけなければならない。一般的には大学人が良いと思う。NPOと組合とか特殊な団体とかは疑問を持つように私はしている。
・ 全国学力調査に参加した小学校6年で「全国5の政令指定都市から100校で合計8000人を抽出」し親と教師を対象に学習環境を調べたものだ。世帯収入と平均正答率を見ると「高所得者ほど点数が高い」ことが分かったという。
・ ただこれだけでは別に驚くことではなくて今まで「親の経済力が子どもの学力」と言われてきたことに過ぎないからだ。敢えて言えば今回の「データの新鮮さ」は具体的な所得数値が出ていることだ。私はこのように見る。
・ 「もっとも正答率が高かったのは親の収入が1200万円以上1500万未満の世界」だという。200万円未満の世帯と比べると平均正答率で20ポイントの開きがあったという。
・ 出ているデータを見ると「完全に正比例の関係」である。このデータは五つの政令都市だから大都市であり、私が注目するのは「200万円と1500万円の所得格差」である。実に7.5倍の格差である。この格差で20ポイントの正答率格差をどう見るかであろう。大きいと見るかそれほどでもないとみるか。
・ 記事は更に続く。「親が心がけてること」について調べたところ、高学歴層の子どもの親は「小さい頃から絵本を読み聞かせてきた」「博物館や美術館に連れて行く」「ニュースや新聞記事について子どもと話す」といった回答が多かったという。
・ また例え所得が低くとも「本の読み聞かせ」や「ニュースを話題にする」などは学力向上に一定の効果があったという。これは「当たり前」である。ここのところが重要である。貧乏だから勉強が出来ないとはならない。
・ 昔は今ほど豊かな家庭は少なかっただろう。しかし親は子どもとの会話やしつけ、すなわち「日常生活習慣に厳しい目」を持っていたのである。それが学力向上に結びつくのである。昔は逆に「金持ちのぼんくら息子」と良く言われたものである。
・ 貧乏な家に育った子どもほど「何時かは偉くなって一杯稼いでお母ちゃんを楽にさせる」「お母ちゃんに家を作ってあげるんだ」などと言って、一生懸命勉強したものである。ところがどうだ。今は金持ちが更に金持ちになり「貧困は連鎖するという。」
・ 低所得の家庭はそのような「子どもと話す」時間さえ持てず、「稼ぎ」に走り回っているのが実態で食事は冷凍物を「チン」すれば食べられるだけにして親は家にはいないのである。「本の読み聞かせ」や「ニュースを話題」にする時間などはないのである。
・ 調査では学校の取り組みも調べたという。「児童に挨拶を徹底」したり「教員研修」を積極的に行っている学校20校のデータは学力向上に効果があったとしている。これも当たり前である。即ち「日常生活態度がしっかり」していればある程度の学力は担保されると言うことなのか。
・ 一方7月31日の朝日は大きな取り扱いで「大学進学 際立つ年収差」と出ていた。とにかく最近は親の年収と学力進学の関連性ばかりが記事になる。「年収200万円未満の家庭の高校生の4年生大学への進学率は28%で一方1200万円を超える家庭では倍以上の62%が大学進学」するという。
・ 東大の経営政策研究センターが05年度に全国の高校3年生から4千人を抽出して3年間追跡調査したデータという。「追跡」というのがすごい。一過性のデータではなくて「追いかけて調べる」ということが立派である。
・ 進学先を見ると「国公立大学は年収600万円未満はどの層も10%強,1200万円以上でも12%強と大きな差異はない」。しかし「私大進学の差は顕著」である。200万円未満は17.6%で1200万円以上では50.5%で2.9倍の格差である。
・ しかしこのデータは注意を要する。「国公立の場合は年収に関係ない」ことは当然で誰もが最初に目指すのであってだから「親の年収差には関係ない」のである。しかし私立大学は当然違ってくる。貧乏な家の子どもは私立大学への進学はしんどいということをこのデータは示している。
・ しかし最初から私立と決めている場合と国公立に行きたくとも学力的に行けない高校3年生の場合、親の年収が大きく影響はしてくるのは当たり前であろう。国立大学の年間授業料は平均で54万円、私立大学では約85万円であり、入学料とか色々あるから私大への進学は確かに大きな関門である。
・ すなわち収入の低い家庭は最初から「大学進学」を諦めているのであり、高校3年生の就職率を見ると「200万円未満では35.9%が就職し、1200万円以上では5.4%」という。
・ 「大学教育」は別格な物だとして国家レベルでの支援が必要である。今のように「猫も杓子も大学へ」というのはボツボツ限界に来ていると私は思う。「大学への公的支援は欧米の大学のようにもっと手厚くしていくべき」である。
・ 親の格差で大学進学に差があるようでは「将来の国力に問題」となる。「社会全体の大きな損失」である。優秀であるなら大学進学は公的に支援していくべきである。大体「基本的に大学において国公立も私立もあるまい」。大学は大学なのである。
・ しかしこれらのデータに「本当に優秀だが家庭が貧乏だからと言って大学進学を諦めた生徒が何名いるのか」と言った疑問が私にはある。貧乏だから大学にいけないのではなくて行ける様な本人と保護者の関係、家庭環境ではないということもあるのではないか。
・ こういった分析の場合、いい加減な人だったりすると「都合の良いデータばかり」を使って解析し自分の思うような結論を導き出す輩が多いから気をつけなければならない。一般的には大学人が良いと思う。NPOと組合とか特殊な団体とかは疑問を持つように私はしている。
・ 全国学力調査に参加した小学校6年で「全国5の政令指定都市から100校で合計8000人を抽出」し親と教師を対象に学習環境を調べたものだ。世帯収入と平均正答率を見ると「高所得者ほど点数が高い」ことが分かったという。
・ ただこれだけでは別に驚くことではなくて今まで「親の経済力が子どもの学力」と言われてきたことに過ぎないからだ。敢えて言えば今回の「データの新鮮さ」は具体的な所得数値が出ていることだ。私はこのように見る。
・ 「もっとも正答率が高かったのは親の収入が1200万円以上1500万未満の世界」だという。200万円未満の世帯と比べると平均正答率で20ポイントの開きがあったという。
・ 出ているデータを見ると「完全に正比例の関係」である。このデータは五つの政令都市だから大都市であり、私が注目するのは「200万円と1500万円の所得格差」である。実に7.5倍の格差である。この格差で20ポイントの正答率格差をどう見るかであろう。大きいと見るかそれほどでもないとみるか。
・ 記事は更に続く。「親が心がけてること」について調べたところ、高学歴層の子どもの親は「小さい頃から絵本を読み聞かせてきた」「博物館や美術館に連れて行く」「ニュースや新聞記事について子どもと話す」といった回答が多かったという。
・ また例え所得が低くとも「本の読み聞かせ」や「ニュースを話題にする」などは学力向上に一定の効果があったという。これは「当たり前」である。ここのところが重要である。貧乏だから勉強が出来ないとはならない。
・ 昔は今ほど豊かな家庭は少なかっただろう。しかし親は子どもとの会話やしつけ、すなわち「日常生活習慣に厳しい目」を持っていたのである。それが学力向上に結びつくのである。昔は逆に「金持ちのぼんくら息子」と良く言われたものである。
・ 貧乏な家に育った子どもほど「何時かは偉くなって一杯稼いでお母ちゃんを楽にさせる」「お母ちゃんに家を作ってあげるんだ」などと言って、一生懸命勉強したものである。ところがどうだ。今は金持ちが更に金持ちになり「貧困は連鎖するという。」
・ 低所得の家庭はそのような「子どもと話す」時間さえ持てず、「稼ぎ」に走り回っているのが実態で食事は冷凍物を「チン」すれば食べられるだけにして親は家にはいないのである。「本の読み聞かせ」や「ニュースを話題」にする時間などはないのである。
・ 調査では学校の取り組みも調べたという。「児童に挨拶を徹底」したり「教員研修」を積極的に行っている学校20校のデータは学力向上に効果があったとしている。これも当たり前である。即ち「日常生活態度がしっかり」していればある程度の学力は担保されると言うことなのか。
・ 一方7月31日の朝日は大きな取り扱いで「大学進学 際立つ年収差」と出ていた。とにかく最近は親の年収と学力進学の関連性ばかりが記事になる。「年収200万円未満の家庭の高校生の4年生大学への進学率は28%で一方1200万円を超える家庭では倍以上の62%が大学進学」するという。
・ 東大の経営政策研究センターが05年度に全国の高校3年生から4千人を抽出して3年間追跡調査したデータという。「追跡」というのがすごい。一過性のデータではなくて「追いかけて調べる」ということが立派である。
・ 進学先を見ると「国公立大学は年収600万円未満はどの層も10%強,1200万円以上でも12%強と大きな差異はない」。しかし「私大進学の差は顕著」である。200万円未満は17.6%で1200万円以上では50.5%で2.9倍の格差である。
・ しかしこのデータは注意を要する。「国公立の場合は年収に関係ない」ことは当然で誰もが最初に目指すのであってだから「親の年収差には関係ない」のである。しかし私立大学は当然違ってくる。貧乏な家の子どもは私立大学への進学はしんどいということをこのデータは示している。
・ しかし最初から私立と決めている場合と国公立に行きたくとも学力的に行けない高校3年生の場合、親の年収が大きく影響はしてくるのは当たり前であろう。国立大学の年間授業料は平均で54万円、私立大学では約85万円であり、入学料とか色々あるから私大への進学は確かに大きな関門である。
・ すなわち収入の低い家庭は最初から「大学進学」を諦めているのであり、高校3年生の就職率を見ると「200万円未満では35.9%が就職し、1200万円以上では5.4%」という。
・ 「大学教育」は別格な物だとして国家レベルでの支援が必要である。今のように「猫も杓子も大学へ」というのはボツボツ限界に来ていると私は思う。「大学への公的支援は欧米の大学のようにもっと手厚くしていくべき」である。
・ 親の格差で大学進学に差があるようでは「将来の国力に問題」となる。「社会全体の大きな損失」である。優秀であるなら大学進学は公的に支援していくべきである。大体「基本的に大学において国公立も私立もあるまい」。大学は大学なのである。
・ しかしこれらのデータに「本当に優秀だが家庭が貧乏だからと言って大学進学を諦めた生徒が何名いるのか」と言った疑問が私にはある。貧乏だから大学にいけないのではなくて行ける様な本人と保護者の関係、家庭環境ではないということもあるのではないか。