2009年8月1日土曜日

8月1日(土)教育は人生前半の社会保障


・ 8月1日始動日である。何時も「ついたち」は特別な「心持ち」がする。我々は「月度単位」で日常を送っているから月の初めの「一日」は「さあ、この月も無事に」と思うのである。例月なら「一斉参拝」だが夏休みなので8月はない。
・ 朝会を済ませ「多聞尚学館」での「高校2年生のトップ30」と「中学3年生練成学習合宿の開講式」のために学校車を自ら運転して赴いたのである。11時30分多聞を後にして学校に戻り、今度は「大阪天満宮」に行く。
・ そこで名誉理事長と理事長職務代理の3人で「常任理事会」を開いて、「1学期の総括と9月理事会の方針」について調整を行う。ついこの前「天神祭」で大勢の人で賑わっていた境内であったが、静けさを取り戻していた。
・ 特に話題になったのはもし今度の国政選挙で「民主党が政権を取った時の教育界へ与える影響」についてであった。確かに「高校授業料無償化」など目を引く公約にはなっているが、まだもって民主党の目指す方向が良く見えていない。

・ ところで「教育は人生前半の社会保障」と言う言葉が最近新聞などに見え始めてきた。本校の教職員はこの意味を正しく捉え、考え方について論考しなければならない。「人生前半の社会保障」とは上手く言ったものだ。
・ 親の「所得格差」が露骨に子どもの「教育環境の格差」につながっているのは間違いないところである。不況などで学校に就学費用を納められない子も少なくない。従来の社会は「社会保障費」と言えば「介護」や「医療」など「人生後半に集中」していたが「そうではない」という新しい考え方である。
・ 世の中には賢い立派な人は居るものである。広井良典千葉大学教授は厚生省勤務を経て千葉大学へ転職した先生で専門は社会保障、公共政策である。この先生を中心に今この考え方を「じわじわ広がり」を示してきている。
・ 年取った年代への介護や医療は確かに重要な社会保障政策であるが、もっと若い段階での教育分野に社会保障として教育を捉えるなら「活力ある社会」に大きな影響を与えると言うものである。「素晴らしい」。
・ 広井教授は主張される。「安心できる社会の実現には子どもたちが共通のスタートラインに立ち、努力すればより豊かな人生を送ることができるという希望が持てる環境を整えることが大切」であると。この点に関しては全く同意だ。
・ そして「家庭の経済状況で教育を受ける機会と質に差ができないような社会の構築が必要」と指摘される。まったく同感である。この先生を私が尊敬するのは「明確な論理と道筋をつけて主張」されている点である。「抽象的な言い方」をせずに議論が具体的で分かりやすい。
・ 財源は幾らでもある。「スタートラインの平等化」と言う観点から「相続税を強化」し、就学前の教育費支援とか「環境税」を当てるとかのご意見である。政府の役人をしていただけにその辺は「視点」が普通の大学人とは違うのであろう。
・ 先生の根本的なお考えは従来の米国型の「強い成長意志と小さな政府」という社会モデルは破綻しつつあり、「持続可能な福祉社会」とも呼べる新モデルを考えるべきと言われているがこれには少し私も意見がある。
・ そのような社会は何か「元気がなくなる」のではないか。福祉社会は福祉社会で良いがやはり「成長し続ける社会」という考え方は重要だと思う。そこには「新技術開発」をベースにすべきと思う。
・ 実際テレビはアナログからデジタルに変わり、車はガソリン車からハイブリッド、電気に変わっていくだろう。私は日本が世界に伍して生きていくキーは「技術革新」だと思っている。技術系だからそのように囚われているのではなくて時代の節目は「工具、材質、生産方法等々」技術革新が歯車を回転させてきている。
・ 「知的創造立国」であるからには「教育」は根本的に重要なものでそのためにこそ「教育は人生前半の社会保障」と言われるなら大変良く分かる。教授の発想でもう一つ面白いと感じたものは「若者基礎年金」という考え方だ。
・ 先生は言われる。今は人生が長くなった。高齢期が延びた分「子どもの期間も大きく伸びている」と捉えるべきだといわれるのだ。このような論理の展開は初めてである。「実に新鮮」である。思春期までを「前期子ども」30歳ころまでを「後期子ども」と定義される。何か後期高齢者みたで嫌だが・・・。
・ この後期は「学と働の複合期間」と考え「教育の概念を広げる」と言われる。この時期に「職業訓練、職業紹介の制度を拡充」して「若者基礎年金を支給」するという発想だ。「面白い。」
・ 人生において生産から少し距離をおいた子ども期と高齢期が長い人間と言う生き物の特徴を冷厳に見つめ「子ども期を前期と後期」に分けて「教育の概念」を幅広くしていくと言う発想は素晴らしい。これは大学そのものの変貌にもつながる話である。
・ この考え方は「旧来の文部科学省の教育行政の大きな転換」につながっていく可能を秘めている。日本の教育の大きな問題は戦後60年全く変わらず、縦割りな文科省教育にあったという人は多い。
・ 文科省の教育行政と厚生労働省の社会保障行政がドッキングすれば間違いなく「狭くマンネリ化した教育の枠を打ち壊す」ことにもつながる。「所得の高い世帯の子どもばかりが良い教育を受けられるような形で固定化」されたら社会は活力を失う。今はその流れにある。「貧困の連鎖」である。
・ 戦後教育の極めて良かったものは「教育の機会均等」であったが実は今やそれは見せかけだけになってきているのである。「スタートラインは公平」に若者に与えるためにも教育費の公的支援の拡充」は今こそ我が国が進むべき道である。
・ 教育費の公的支出が経済協力開発機構(OECD)で最低水準であることを政治家は「恥ずかしいと感じる感覚」が必要である。今は家庭がそれをかぶっているのである。だがそれが今や近年の不況や雇用状況の激変で支えられなくなってきているのである。
・ 自公政権と民主党の衆議院選挙となったが我々は彼らの教育政策について「凝視」しなければならないが、ここで紹介した広井教授などの提案は一つの判断材料になる。橋下知事あたりも大阪府の知事ならもう少し「教育問題」に深く切り込んで欲しいと思う。
・ 単に私学助成費を削減してその後「どうするの?」と問いたい気分である。教育は「誰もがすぐ教育評論家になれる」。保護者も立派な教育評論家であるがそれだけでは国の施策は変わらない。「政治を変えていくしか方法」はないのである。
・ 自民党にも民主党にも「教育は人生前半の社会保障」といった考え方がどこにも無く単に子供手当てと奨学金とかの「ばらまき」では駄目だ。これでは従来の枠組みの中での話でしかない。「構造」を変えていかねばならない。