2009年8月12日水曜日

8月12日(水)倭は国のまほろば








・ 「教育の目的が健全な国民を育てる」ことにあることは誰しも疑いは持たないだろう。ところがその教育が問題で、事はそう簡単にはいかない。学校で教える教員の側には「厄介なもの」があるからだ。それを「」という。
・ 「教育観」「価値観」「社会観」、「歴史観」何でもかんでも「」という言葉を使って自分たちを正当化しようとする勢力がいるのである。数学や理科には「なんとか観」はあまり関係ない。「自然科学の世界」ではそうかもしれない。
・ ところが国語や英語、なかんずく社会科の科目である「歴史や公民」で「教員が有する個人の価値観や教育観、歴史観」で授業をされては時に「とんでもないこと」が起きる可能性がある。
・ 「日本の歴史を否定的に扱い」、「教科書を読むと日本が嫌いに成る」ような教育観で授業を受けた子どもたちは自国を愛する態度を見に付けられなくなって、「自虐的」な国家観を有するようになったら、これ以上の不幸はない。「お仕舞い」である。
・ 従って「学習指導要領」が定められ、「教科書審議会」や「教科書調査研究委員会」などの手続きを経て教科書は採択されるのである。勝手気ままな「教材」を使って授業をされないか教育委員会と私立学校の理事会は注視しているのである。教員に教科書の採択権限がないのはそういうことなのである。
・ 戦後長い間学校現場では「価値観を押し付けてはならない」とする風潮の中にあった。日本教職員組合(日教組)が「教え子をふたたび戦場に送るな」というスローガンを掲げ「戦前の日本の歴史を否定する」が日本の教育会を縛ってきたと私は思う。
・ 国家は悪であり、権威を否定し、愛国心などはとんでもない話で学校の方針は、教職員、自分たちが職員会議において多数決で「民主的」に決めるとしてきた。「校長は教職員に対峙する存在」として基本的に学校は「校長を頂点とする管理され、組織化された」ものとは程遠い状態であったのである。
・ 言ってみれば戦後60年、学校現場は「コミューン化された社会」であったのである。私はそのように思っている。「校長のリーダーシップ」など言葉さえ存在してこなかったが平成12年頃から「卒業式における国歌斉唱国旗の掲揚」問題でようやく教職員団体が社会の批判をあびるようになってきたのである。
・ そのような中に「子どもの権利条約」が更に拍車をかけ、一部の勢力はこの条文を「子どもの自己決定権を尊重」すると捻じ曲げる解釈をするに至り、そこに「ゆとり教育」が覆いかぶさってきたと私は見ている。
・ 子どもを指導し教育するのではなくて子どもが主体的に行う学習を「支援する」という「教育観」がアッと言う間に教育界に広まり定着した。その結果「学力の低下」は勿論、「公共でのマナー」なども目に当てられなくなる生徒の出現と「学級崩壊」などの問題が出て来ているのである。
・ 子どもの野放図な自由を、「個性を尊重する」との美名で認めたことにより、まず「忍耐力のないすぐ切れる」生徒の出現に繋がったという識者も多い。前日のブログ「行き過ぎた子ども中心主義の破綻」である。
・ 子どもがやる気になるまで待つ、教えない、支援するのだ。「今のままが子どもの個性」である、それを尊重するなどの「寝とぼけた教条」は教員に「何もしなくても良いという免罪符」を与えることになったのである。
・ 「ゆとり教育」などは典型的で、勉強が出来ないのも個性と放任するものだからますます授業が分からなくなり学校がおもしろくなくなるのである。「学校の友達は楽しいが学校の授業は嫌い」と荒れてきたのである。
・ そこに持ってきて「社会科の教科書に大きな問題」があったと私は見ている。日本の歴史教科書なのに「日本の偉人が出てこない」のである。前日のブログで「他律たるべき教科書」と書いたが「子どもの気持ちを豊か」にしていく教科書が必要である。
・ 偉大な先人の話に子どもの目は輝き、「自分もああなりたい」と思うはずだ。公民教科書においても「家族や社会に感謝して生きていく」と言う他律の意義をもっと重要視すべきと私は考える。
・ 歴史は「自分よりも前の時代の人がどういう社会を築いて来たのか」、その「成功と失敗」も含め、それを次の世代に繋いでいくことを教える教科である。ところが日本の歴史教科書には日本の偉人は出てこない。「歴史上大事な人のことを学ばなくて」歴史を学んだとは言えないのではないか。
・ 遣唐使を廃止し「国風文化」が起きるきっかけを作った「菅原道真」や農村復興政策の指導者「二宮尊徳」などの時代の革命家などは我々の時代にはまず絶対的に学ぶ対象であったが今や教科書からは姿を消している。
・ 小学校の学習指導要領で特に取り上げる人物とされている日露戦争の連合艦隊司令長官の「東郷平八郎」も中学校では姿を消している。この東郷平八郎には少し思い出が私にはある。
・ 前の公立高校勤務時代に「東郷平八郎の直筆の扁額」があると古い同窓会報にあったので私は校内の隅から隅まで一生懸命探し、それをようやく見つけ出したのである。綺麗に整備してそれを同窓会館に飾った。恐らく戦争の張本人として遺棄されたものだろう。しかし旧制の中学校には講堂に飾ってあったのである。
・ 「聖徳太子」に関する記述もたったの数行であり、「柿本人麻呂や勝海舟」などは多くの教科書に記載がないのである。日本と言う国に生まれてきたわけであるからその「国の伝統と文化の中で育まれた規範やルール、マナー」を系統立ててきちんと教えていくことは家庭では無理である。この部分こそ「学校教育しか担えない部分」ではないか。
・ どうも戦後教育は「根無し草」「無国籍」の教育であったような気がする。生徒たちは市町村という地域に住み日本という国に生きる国民である。多くの公民教科書は「国民とは」「「国家とは」はどういうものかに触れずに一足飛びに「地球に住む地球人」とか強調されているがまず「自国の理解が先」ではないのか。
・ 平成18年12月「教育基本法が60年ぶりに改正」され新しい理念が条文化された。第2条には「豊かな情操と道徳心」「公共の精神」「生命を尊び」「伝統と文化を尊重」「我が国と郷土を愛する」が明記された。
・ 私は今自国への素直な愛と希望の光をもてるような社会科教育を成し遂げるために少しでも「子どもたちの目が輝くような教科書を採択すべき」と考えているのである。清らかで明るく正しく直く平易にして品格ある教科書を望むべく「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」に属して自らが勉強してきた。
・ 私は「多聞尚学館」を開館してから敢えて河内の偉人「楠木正成」」と「後醍醐天皇の建武の中興」を生徒に語り「青葉茂れる桜井の」を何回も生徒の前で歌ってきた。これは「明治時代の小学校唱歌」である。今の中学生、高校生は余りにも我が国の歴史を知らない。全く悲しいことである。
・ 「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」この古代史の中でも際立つ国民的英雄である「ヤマトタケルノミコト(日本武尊)」が故郷を偲んで歌った「この国に生まれて良かった」と思えるような生徒を本校で育んで行きたいのである。
・ 「古事記」に詳しく記されていることを「古事記に書いてある」と少なくとも教えていかねばならない。「神話」だと馬鹿にしてはいけないのである。「我が国はこのような美しい伝説を神話として後世に伝えてきた」のである。
・ 「伊勢神宮」を中枢におく「神社神道の精神を建学の礎」として「校内に学院神社」があり「天照大御神」と「府内各神社の八百万の神々のご加護」を頂いてる本校に相応しい教科書を採択しなければならないと私は今考えているのである。