2009年8月8日土曜日

8月8日(土)教育に空前の巨費を投入


・ 結局この国の問題は「正しく現状を分析している人」と「それを政策に反映いている人」のギャップだと思う。あらゆる社会の問題を様々な人がその人の立場で分析解析して意見を物申すが彼らには「言うだけ」であって、それが政策になって初めて解決に進む。
・ その政策にするというのが「政治家の仕事」であるのだが、この世界は必ずしも正しことが正しいとはならない」世界である。そこには「思惑」がうごめき、「権力闘争」が主体であって時に打ち出される政策は現場の実態から大きく離れることになる。
・ 今衆議院が解散され「政権選択選挙」として与党の自民・公明と野党の民主がすさまじい「権力奪取闘争」を繰り広げているが、我々は彼らの「マニフェスト(政権公約)」に注目しなければならないと私は前のブログにおいて強調した。
・ 特に今回の大きな特徴は「教育」について現れている。合わせて「子ども手当て」も両サイドで打ち出されてきた。さも「教育・子ども対応選挙」の様相を示している。そこには核問題や北朝鮮対応な国の安全保障の議論や「雇用の安定策」などのものは吹っ飛んでおり、まさに「大衆迎合的」なポピュリズム政策に政党は走り回っている感じだ。
・ 確かに「教育を言えば」、一応誰もが「振り向いてくれる」が大切なことはそれで「根本問題の解決」にならなければ意味はないのである。8月5日の読売新聞は「教育に空前の巨費投入」、民主は「公立高校の授業料無償化」自民は「給付型の奨学金」と明確に分かれてきた。
・ 中高等教育の現場にかってない巨費が投じられようとしているが本当に授業料の無償化と奨学金で今日本の抱えている教育問題は解決に向かうのであろうか。「教育は国の根幹」「教育は国家百年の大計」であることは間違いない。
・ 経済協力開発機構(OECD)が2005年のGDPを土台に各国の公的財政教育支出の割合を比較したデータから見ればわが国は3.4%で28か国中最下位で平均5.0%を大きく下回っている。
・ このデータからどの教育評論家も「5%。5%」と叫んでいるのだが文部科学省によればGDP5%というのは約25兆円となり、今の支出に加えて「更に7兆円の上積み」が必要である。言い換えれば後7兆円しか投入の余裕はないと言い換えることも出来る。
・ 民主党は「子育て支援」で中学まで年に31万2000円を至急する「子ども手当て」を至急すると息巻いているがこれを教育費とみなせば「5.3兆円」となりあらかた残りを食ってしまう。本当にこれで良いのか。
・ 更に民主党の柱である「高校の授業料無償化」では現在定時制を含む高校生は全国で約330万人おりこれだけで4500億円、これに奨学金の拡充で「希望者全員が文句なく受けれる制度」を加えると9000億円となるから7兆になるのである。
・ 財源があるのか、財源をどうするのかとの批判は自民党であるが確かに子ども手当てと高校授業料の無償化だけでGDP5%に届くのは正しい政策かという疑問が消えないのだ。この点自民党は「低所得者への支援」に限っていることは適切な判断ではないか。
・ 親の年収が800万円や1000万円を超える世帯まで無償化してどうする。高校は「義務教育」ではない。親の経済状態から中学で終えた子どもたちには「税の公平性」の観点から問題は多い。
・ さすれば「高校の義務教育化」に踏み切るのかといえばそこの議論はまったくないのである。いずれにしても民主党の施策は「首を傾げる」ものがある。「私学を経営する立場から言えば無償化は歓迎」すべきことだと言わねばならないのだろうが、教育の問題は授業料の無償化で済む話ではない。
・ もう一つの大きな問題は民主党は「保護者に直接支給する」としている。これは根本的に間違っている。「親がちゃんとしていれば良いが食費や遊興費に消える」可能性を指摘する声もある。
・ 中には「支給されたら塾代に当てる」という保護者もいると新聞は報じていた。「国立大学でなくとも私学でも良い」とかこの政策は様々な反響を呼んでいるのが実態である。自民党は賢くて支払い方法をマニフェストには明記していない。
・ 文科省の有識者会議「児童生徒の修学支援に関する検討会議」の座長である小川放送大学教授(教育行政)は「本来は学校に対して無償化するような費用を出すのが筋、何に使っても良い現金給付だと授業料という支出目的が形骸化する恐れがある。遊びに使われない対策はもとより個人給付が国の財政支出として適切か議論する必要がある」。
・ 確かに民主党の今回の思い切った「打ち出し」は大きな反響を与えていることは評価すべきことではある。今までの自民党や文科省がこれに準じた政策を打ち出すチャンスは幾らでもあったろうに結局何もして来なかったから、こういう事態を招いている。
・ これくらい現状路線に「あぐら」を書いていると「新しい発想」は出てこないのが「人間の悲しさと限界」である。民主党の高速道路無償化などは素晴らしい政策である。しかし授業料の無償化は外堀内堀を埋めて生きた施策に衣替えする必要がある。
・ 公益法人として「私立学校は利益を出す企業ではない」。ぎりぎりのバランスで収支を見ながら学校を経営していくのは「並大抵のこと」ではない。公立学校に比べて公的支援が5倍も少ない中で新校舎建設などすべて自分で賄っていかねばならないのである。
・ 橋下知事は就任して最初にした仕事が「私学の助成削減」であった。「ある日突然」に中学で25%、高校で10%削減されたら「目の前が真っ暗」になるようなことなのである。
・ 私は保護者に「授業料の値上げ」をお願いした。苦しい選択であったが浪速の現状から仕方がなかった。論理的整合性のある私学支援のための「新たな国家レベルの私学助成のあるべき姿を確立」してもらうために今後とも機会を得ながら「意見の発信」をしていくつもりである。学校は公立だけではない。私学も有意義な存在として厳然としてあるのである。