・ いくら反抗期と言っても「親が尊敬できない」というのは問題だ。「親は嫌いではないが余り好きになれない」というのもある。その分おじいちゃんやおばあちゃんは好きだと言う。その理由は「怒らないし、お小遣いを呉れる」からという。
・ 「どんな先生が好きか」と聞くと「優しい怒らない先生」「友達みたいな先生」という。要は「教師と友達感覚」でおられる先生が「好み」なのである。側に寄っただけで「威厳のある」ようなタイプは「息苦しい」し、一方的にしゃべる教師も「暑苦しい」のである。
・ 教師の中には「生徒と友達で良し」と思っているような者も居たりして酷いのになると「媚を売ったり」して「お母さん教師」を自ら振舞っているようなものもいる。教師がお父さんやお母さんではあってはならない。
・ 立場上「保護者の相談」はよく受けるが、生徒からの直接の相談はほとんどない。校長とはそういうものだ。生徒がどのようなことで悩んでいるのかはまず「担任」や週に2回来て頂いている「心理療養士のカウンセラーの月度報告」で詳細受けている。時に保健室の養護教諭からもの情報もある。
・ 生徒は本当に様々なことで悩んでいる。しかし大体「家庭問題や親との関係」で悩んでいるケースが目に付く。本校の生徒は酷いやんちゃな生徒もいないしほとんどが真面目な生徒である。ご家庭もしっかりしているから学校としては安心なのだがそれでも時に心配する局面はあるのである。
・ 「問題行動のある生徒」から事象を論じると時に間違いを起こす。マジョリティである圧倒的多数の生徒の「最大公約数的行動パターンというか物事の考え方を観察」していると「今日的子ども」の群像劇が見えてくる。
・ 一言で言えば「子ども丸投げ主義の失敗」であったことが分かる。教育論議風に言えば「行き過ぎた子ども中心主義」であろう。「口では子どもの為」と言ってはいるが実は「責任回避」の詭弁であり、親も学校の教師も戦後長い間この響きの良い「子どものため」という呪縛に囚われてきたのではないか。
・ 子どものためと言えば「何でも通った」のである。子どものために「私もパートで働く」「子どもの教育費を稼いで私学に通わせる」とか、何か「子ども、子ども」と言いながら、その実態はまず「親と子どもの遊離」が始まったと私は思うがどうだろうか。
・ 親と子どもの遊離による摩擦熱はすべて「学校に向かう」ことになる。「何でもかんでも」と言う感じで学校に矛先が向かう。元来どちらかと言うと「学校教育の純粋な部分」に「社会の複雑な仕組みとかは家庭教育」で行うのが普通であったが「今やすべてが学校に舞い降りてくる」のだ。今や基本的に家庭教育は存在しているのかという疑問もある。
・ 教師とは「オールマイティの力」を有しているわけではない。逆に世間の人々が言うように「教師の常識は社会の非常識、社会の常識は教師の非常識」というように「生き方が不器用」な面があってなんでもかんでも「こなせる力」があるわけではない。
・ 確かに数学や英語や社会や「専門の教科を教えるのはプロ」であるが社会の複雑な絡まった問題を大学を出て10年未満でまだ独身の若い先生が快刀乱麻で処理できると考えてはならないのである。又ベテランと言えども、「学校という塀の中」一筋できた教師にすべてを求めても無理なところはあるのである。
・ それを社会は誤解して学校の先生は「何でも出来る世の中の達人」みたいに思っているとしたら早速改めて貰わねばならない。「学校の教師が教科指導に特化」できるようになったら彼らは今まで以上に教材の研究と指導法にのめりこんでいくだろう。教師とはそういうものだ。
・ 最近教育雑誌で「学校はサービス業」などの表現が出てくるがこの言葉を使ったのは私ではないか。平成14年、今から7年前の話である。公立学校に民間人校長として着任した時に余りにも公立学校の教員の「サービス精神の欠如」に驚き、論文等で使った言葉である。
・ 基本的に「学力向上」に関した言葉である。「学校と言うのは強制力を持ってすべての科目の学力の定着を図るところ」であり、まず此処を外したら学校ではないと言うのが私の信念である。「学力向上へのサービス活動こそ学校の使命」である。
・ しかしこの「サービス」という言葉は独り歩きして、時に曲解されたりしているがサービスというのは「なんでもかんでも奉仕」と言う意味だけはなく「より良いものの提供」であり、その過程で「個別の対応の必要さ」を表したものであった。叱ることも厳しいことをいうのもサービスなのである。
・ とにかく子ども中心主義がどうも教育全体に「大きく重たい霧を降り注いでいる」と私は感じてならないのである。このような傾向は何時から始まったのであろうか。少なくとも私たちの親の時代では全く異なるものであった。まず「親の存在」が最初に来たと思う。「孝養はすべての源」であったはずだ。
・ 1989年バブル景気真っ最中に「国連が採択」し1994年平成6年に日本も批准した「児童の権利条約」の都合の良い解釈もあるだろう。この憲章は元々勉強したくとも勉強できない発展途上国の子ども達の権利を護るために作られたものであるが、時に教職員団体はこれを持ち出してきて自分たちを正当化する。
・ 一部の公民教科書では「子どもの権利条約」と言って原文とは似ても似つかない解釈をしている。又これを受けて全国の自治体では子どもの「自己決定権なる子どもの権利条約」が制定されている。
・ 酷いのになると「ありのままの自分でいる権利」が保障されているが子どもがありのいままでいられるなら教育やしつけは成り立つものではなかろう。「今日は学校に行きたくないから家でゲームをする」というのを認めざるをえないだろう。
・ 昔は朝起きて学校に行かなければ親は「追い出して」学校に行かせたものだ。私の母なども厳しかった。要は「サボり」は許されなかったのである。又「遊ぶ権利」とか「自分のことは自分で決める権利」というようなものもあるのが実態なのである。
・ 元来「子どもと言うのは何も知らない」という原点に立ち返らないといけない。何も知らない純真無垢から「生きていく自律の芽」が芽生えるわけがない。芽生えてもそれは到底社会に受け入れられない、間違った、短兵急の、独りよがりのものになる可能性が高い。
・ 「これは良い」「これは駄目」「駄目なものは駄目」といってやる「他律の動きが必要」になる。この他律こそ親であり学校の教師である。「正しい自立への自律を養うために他律としての教育が存在する」と言うことではないだろうか。
・ そして学校の他律とは「教科書を通じた教師の指導」なのである。指導とは「指し示して導くことである。」「強制力を有した教え」なのである。「教え育む」ことが教育なのである。そこにおける生徒と教師の関係においては生徒への権利条約など全く関係ない話なのである。
・ 「どんな先生が好きか」と聞くと「優しい怒らない先生」「友達みたいな先生」という。要は「教師と友達感覚」でおられる先生が「好み」なのである。側に寄っただけで「威厳のある」ようなタイプは「息苦しい」し、一方的にしゃべる教師も「暑苦しい」のである。
・ 教師の中には「生徒と友達で良し」と思っているような者も居たりして酷いのになると「媚を売ったり」して「お母さん教師」を自ら振舞っているようなものもいる。教師がお父さんやお母さんではあってはならない。
・ 立場上「保護者の相談」はよく受けるが、生徒からの直接の相談はほとんどない。校長とはそういうものだ。生徒がどのようなことで悩んでいるのかはまず「担任」や週に2回来て頂いている「心理療養士のカウンセラーの月度報告」で詳細受けている。時に保健室の養護教諭からもの情報もある。
・ 生徒は本当に様々なことで悩んでいる。しかし大体「家庭問題や親との関係」で悩んでいるケースが目に付く。本校の生徒は酷いやんちゃな生徒もいないしほとんどが真面目な生徒である。ご家庭もしっかりしているから学校としては安心なのだがそれでも時に心配する局面はあるのである。
・ 「問題行動のある生徒」から事象を論じると時に間違いを起こす。マジョリティである圧倒的多数の生徒の「最大公約数的行動パターンというか物事の考え方を観察」していると「今日的子ども」の群像劇が見えてくる。
・ 一言で言えば「子ども丸投げ主義の失敗」であったことが分かる。教育論議風に言えば「行き過ぎた子ども中心主義」であろう。「口では子どもの為」と言ってはいるが実は「責任回避」の詭弁であり、親も学校の教師も戦後長い間この響きの良い「子どものため」という呪縛に囚われてきたのではないか。
・ 子どものためと言えば「何でも通った」のである。子どものために「私もパートで働く」「子どもの教育費を稼いで私学に通わせる」とか、何か「子ども、子ども」と言いながら、その実態はまず「親と子どもの遊離」が始まったと私は思うがどうだろうか。
・ 親と子どもの遊離による摩擦熱はすべて「学校に向かう」ことになる。「何でもかんでも」と言う感じで学校に矛先が向かう。元来どちらかと言うと「学校教育の純粋な部分」に「社会の複雑な仕組みとかは家庭教育」で行うのが普通であったが「今やすべてが学校に舞い降りてくる」のだ。今や基本的に家庭教育は存在しているのかという疑問もある。
・ 教師とは「オールマイティの力」を有しているわけではない。逆に世間の人々が言うように「教師の常識は社会の非常識、社会の常識は教師の非常識」というように「生き方が不器用」な面があってなんでもかんでも「こなせる力」があるわけではない。
・ 確かに数学や英語や社会や「専門の教科を教えるのはプロ」であるが社会の複雑な絡まった問題を大学を出て10年未満でまだ独身の若い先生が快刀乱麻で処理できると考えてはならないのである。又ベテランと言えども、「学校という塀の中」一筋できた教師にすべてを求めても無理なところはあるのである。
・ それを社会は誤解して学校の先生は「何でも出来る世の中の達人」みたいに思っているとしたら早速改めて貰わねばならない。「学校の教師が教科指導に特化」できるようになったら彼らは今まで以上に教材の研究と指導法にのめりこんでいくだろう。教師とはそういうものだ。
・ 最近教育雑誌で「学校はサービス業」などの表現が出てくるがこの言葉を使ったのは私ではないか。平成14年、今から7年前の話である。公立学校に民間人校長として着任した時に余りにも公立学校の教員の「サービス精神の欠如」に驚き、論文等で使った言葉である。
・ 基本的に「学力向上」に関した言葉である。「学校と言うのは強制力を持ってすべての科目の学力の定着を図るところ」であり、まず此処を外したら学校ではないと言うのが私の信念である。「学力向上へのサービス活動こそ学校の使命」である。
・ しかしこの「サービス」という言葉は独り歩きして、時に曲解されたりしているがサービスというのは「なんでもかんでも奉仕」と言う意味だけはなく「より良いものの提供」であり、その過程で「個別の対応の必要さ」を表したものであった。叱ることも厳しいことをいうのもサービスなのである。
・ とにかく子ども中心主義がどうも教育全体に「大きく重たい霧を降り注いでいる」と私は感じてならないのである。このような傾向は何時から始まったのであろうか。少なくとも私たちの親の時代では全く異なるものであった。まず「親の存在」が最初に来たと思う。「孝養はすべての源」であったはずだ。
・ 1989年バブル景気真っ最中に「国連が採択」し1994年平成6年に日本も批准した「児童の権利条約」の都合の良い解釈もあるだろう。この憲章は元々勉強したくとも勉強できない発展途上国の子ども達の権利を護るために作られたものであるが、時に教職員団体はこれを持ち出してきて自分たちを正当化する。
・ 一部の公民教科書では「子どもの権利条約」と言って原文とは似ても似つかない解釈をしている。又これを受けて全国の自治体では子どもの「自己決定権なる子どもの権利条約」が制定されている。
・ 酷いのになると「ありのままの自分でいる権利」が保障されているが子どもがありのいままでいられるなら教育やしつけは成り立つものではなかろう。「今日は学校に行きたくないから家でゲームをする」というのを認めざるをえないだろう。
・ 昔は朝起きて学校に行かなければ親は「追い出して」学校に行かせたものだ。私の母なども厳しかった。要は「サボり」は許されなかったのである。又「遊ぶ権利」とか「自分のことは自分で決める権利」というようなものもあるのが実態なのである。
・ 元来「子どもと言うのは何も知らない」という原点に立ち返らないといけない。何も知らない純真無垢から「生きていく自律の芽」が芽生えるわけがない。芽生えてもそれは到底社会に受け入れられない、間違った、短兵急の、独りよがりのものになる可能性が高い。
・ 「これは良い」「これは駄目」「駄目なものは駄目」といってやる「他律の動きが必要」になる。この他律こそ親であり学校の教師である。「正しい自立への自律を養うために他律としての教育が存在する」と言うことではないだろうか。
・ そして学校の他律とは「教科書を通じた教師の指導」なのである。指導とは「指し示して導くことである。」「強制力を有した教え」なのである。「教え育む」ことが教育なのである。そこにおける生徒と教師の関係においては生徒への権利条約など全く関係ない話なのである。