2009年6月16日火曜日

6月16日(火)ご懇篤な卒業生「楠公家訓」


・ しかし世の中には「立派な人」はおられるものだ。ましてそのお方が本校の卒業生とくるから嬉しくて、おのずと「鼻が高く」なろういうものだ。又「素晴らしい卒業生」がいることを知った。先週13日の土曜日のことであった。PTA社会見学会でのことである。
・ 「多聞尚学館」に到着すると、こちらに来ていた多聞担当の進路指導部長が私を引き寄せて応接間に連れて行くのだ。そこに「楠公家訓」と書かれた「手書きの板絵」があるではないか。
・ 事情はこうだ。先ほど「あるご夫婦」が見えられて「これを多聞尚学館に寄付したい。自分は浪高を昭和38年に卒業したもので、同窓会報に載った校長の多聞尚学館のニュースをみて妻と2人でこのように持参した」と言われたらしい。
・ ご夫婦は堺市の庭代台にお住まいの岸田さんご夫妻である。確かに卒業生名簿にお名前がある。このお方はすごいお方であり、地域では大変に有名で新聞などにも何回も記事になって紹介されているお人である。
・ なんとご夫婦で金剛山登山がすでに1300回を超え、更にお名前を高めていらっしゃるのがご懇篤なる「板絵のご寄付」である。定年退職後に絵手紙を書き始め金剛山に登り始めの頃、山道で躓いて足を痛めたお年寄りを見て、「ここに注意書きでもあればなー」と思ったのがきっかけだったと新聞記事にはある。
・ 以来、描きも描いたり今まで50枚以上奉納されている。「金剛山奉納登山」なのである。今回戴いたものも同窓会新聞を読まれて浪高の後輩にためにわざわざ持って来て頂いたものであるが、「多聞という大楠公ゆかりの施設」ということで、楠木正成公に関連した板絵として楠公家訓を考えて頂いたものだろう。
・ 素晴らしいものだ。4条に分かれており特に私は4条が気に入っている。「一生の計は幼少にあり。幼少に学ばざれば老後むなし」とまさに多聞尚学館に相応しい言葉になっているのである。
・ それを早速PTAの皆様にご披露し共に喜んだのである。3条はこうだ。「1年の計は陽春にあり。陽春に耕さざれば収穫むなし」。汗を流して働けば身に付くものは多しというものだと解釈している。
・ 書体も大変に印象深く味わい深い。書の先生についてお習いになった本格的なものである。書き上げたものに「ふくろうや仏の絵」などがほのぼのと描かれており、今回はもう一枚「ふくろうの板絵」も戴いた。ふくろうは本校の「校鳥」である。
・ それには以下のように書かれている。「ギリギリまでやったんか。もうあかんところまでやったんか。やってなかったらもう一回やってみ。人生やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。」
・ 早速私は適当な場所を選んで多聞尚学館に飾ることにした。生徒も喜んでくれるだろうと。しかし尋常に出来ることではない。頭が下がるのである。心から感謝いたさねばならない。
・ 私は岸田さんがご卒業された時代を同窓会報で少し調べてみた。昭和38年と言うと戦後復興がなされ高度経済成長時代に突入する前段階の時代だ。この年世界を震感とさせた「ケネディ大統領の暗殺事件」があった。
・ ちなみにこの時の理事長は寶來理事長、校長は平石芳太郎校長。「創立40周年記念式典」が行われている。驚くことにこの記念式典に「明治天皇第七内親王で伊勢神宮祭主であらせられた北白川房子祭主」のご名代として北白川祥子様が学校に来られている。
・ そして祭主房子様から「日の本の国に生まれし身の誉れ 励みつとめよ この学びやに」の御製が残されているのだ。本校はこのような尊いお方が出席されるような学校だったということである。
・ ところで当時は理事長や校長の任期は長くてこの「寶來正信理事長は26年の永き」にわたって務められ「今日の浪速の基礎」を固められた。本校の歴史を語る時に最初に名前を上げなければならない先生である。残ったものを調べていると「立派な理事長先生」だったことが直ぐ分かる。私の前の理事長のご祖父である。
・ 浪速の校長の在任記録を調べて見るとトップは松岡万次郎校長先生、昭和19年から37年までの19年間も校長をやられている。すごいものだ。2番手に一ノ瀬博校長の昭和56年から平成6年までの14年間、そして次が昭和47年から昭和55年までの9年間が浅田光男校長の時代だ。後は五十歩百歩で短い人で2年で普通は5年か6年である。
・ 現在のように「理事長と校長分業体制」がスタートしたのは戦後の昭和21年からでそれまでは理事長が居たり居なかったりで、実質的には学校長が運営していたのである。この辺の詳しい歴史はまたの機会に整理したい。
・ 前述の寶來理事長が「戦後の新学制」が始まっての最初の理事長ということである。その後今日まで理事長と校長の分業体制が続いた。そして私の代になって「初めて理事長・校長一人制が誕生」したのである。

・ ようやく岸田様と連絡が取れたと事務の女性が言い、電話が繋がる。なんとなんと岸田さんは「今日で1600回の登山になりました」と言われる。「いやーすごいですね」と当方が言うも「4000回を超えた方もおられます」と言われた。世の中は広い。私は丁重に今回の件でお礼を述べたのである。