・ 今まで多くの「教育・教員に関する論文や随想や手記」などを書いてきた。この校長日記もその内の一つである。書いておけば記憶には残るし、様々な感想を戴いたりして、その「反響を知る楽しみ」もある。
・ この前の関西大学との連携調印式において学長の河田先生は生徒・保護者を前にした講演会の冒頭、「皆さんの校長先生のブログ、すごいですね。毎日更新です。この日曜日はNHKテレビの天地人について書かれていました。皆さんも読まねば駄目ですよ」とまで言ってくださった。
・ 人の書いた物を読むというのがもっとも効果的で手っ取り早い「勉強法」であると私は思う。だから書物というのは古代の昔から残っている。「古事記や日本書紀」で我々は祖先のことを知り、「源氏物語」で平安王朝に身を置く事ができる。
・ 「読書は脳を鍛える」。知らないことを知り、気付かないことを気付かされる。特に若い時に多くの書を読むことだ。河田学長先生はそれを「三良」と言われ、まずトップに「良書、良師、良友」、と生徒に「諭され」たのだ。いや大学教授だから「授けられた」のである。
・ その昔、何かに学校は「先生が先生を先生と呼ぶ不思議な社会」と書いたことがあった。結構「面白かった」などと反響があったのを覚えている。生徒も誰も居ないところでも教員は他の教員を「○○先生、XX先生・・・」などと呼称する。
・ 職員会議でも「ただいま、△△先生から説明されたとおり・・・・」などと普通の感覚で使う。学校社会に転じた8年前には「まったく異質なというか、違和感みたいなもの」を感じた。
・ それは当然自分自身に対しても同じで「木村先生」「校長先生・・・」「先生・・・」などと呼ばれたときは気恥ずかしくて困ったものだった。しかし人間というものはおかしなもので今では全く「慣れっこ」になってしまって、「平気の平左」となってしまったかというとそうでもない。今でも少し恥ずかしい。
・ そこで今日のブログのテーマである。「教師と教員そして先生」の違いと使い分けについて考えてみよう。6月16日の日経夕刊の関西版「旅の途中」に「関西大学教授の竹内教授のコラム」があった。タイトルは「教師」と「教員」である。面白かった。
・ 先生は「師」と言うものを論考され「師と弟子の関係」における教育的なものが近年急速に失われてきたのは「教師が教員と呼ばれる」ようになってからだと言われる。「教える者」も自分のことを「教員」と言い出したあたりからであると論考されている。
・ 教員の「員は人の集まりの中の一人」と言う意味で「員数の員」だと言われる。教員は教え導き手本となる師ではなくて「員」即ち教えるという「多数居る人間の一人」という「学びの単なるツールになり下がった」と書いておられるのだ。見事な論考ではないか。だから私はこの竹内先生を尊敬する。
・ 先生は続けて、思えば戦前の教師の正式名称は小学校が「訓導」、中等学校が「教諭」、専門学校や大学が「教授」だったと書いておられ、「教えられる側の発達段階」に即していると同時に「教えるものに師たる自覚を促している卓抜な職名」だったのではないかと展開でこの記事を終わられている。
・ 「教諭」は竹内先生の言われるように旧制では中等学校の正規の教員を言ったもので戦後は「教育職員免許法」による普通免許状を有すると小、中、高、幼稚園、特別支援学校の正教員のことをいう。要は「学校教育法」に定められた「職名」なのである。
・ 調べて見ると元々教諭と言うのは江戸時代、1791年(寛政3年)老中松平定信が江戸麹町に青少年の主に道徳教育を中心とした社会教育機関であった「教諭所」から出ているらしい。
・ これに対して「先生」というのはご存知のように「学ぶ人に教える人の敬称」である。敬称なのである。従って先生と呼ばれる職業はここに書けない位多くある。元来は教育者・教育職以外に「先生の敬称」を使うことに批判的な意見はあるが、政治家も医者も先生である。
・ 「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」との毒のある川柳もあるし、時代劇に出てくるやくざの用心棒や剣客なども「先生、一つお願いしやす」などのセリフも一般的である。又日本語は難しくて侮蔑の意味を含んで「センセ」「センセーイ」などと呼ばれることもある。
・ 「教師」と言うのは教諭や先生と違って「単なる言葉」であり、教える人のことを言う。ただ教育を担当する者以外に使うことはまずなくて、先生と違って敬称ではない。○○先生とは言うが○○教師とは通常は使用しない。「家庭教師」とは言うが。
・ 時々体育科などで「体育教官室」などと言っているが、教官は元々は警察官や軍人などの教育を担当する「官職の呼称」であり、例えば防衛大学校の場合は『防衛教官』という。民間が使う言葉ではない。
・ 又昔、国立大学の教職員も法人化されたので今は「教官」は使われなくなって「教員」に改められた。ところが、どういうわけか「自動車教習所の指導員が教官」と呼ばれているところもある。これは何故であろうか。
・ このように整理して考えれば面白い。本校の先生が「自分が何かを習っているわけでもない」のに同僚教員を「先生、先生」と呼ぶのは元来おかしいのであるが、何でも進化するものでこれも「日本的な呼称システム」と割り切って良いのか・・・。
・ 昔、公立高校勤務の時代にある女性教員を何かの時に「呼び捨て」に、たまたまなのだが起きてしまって、これが組合幹部に通報されたことがあった。別に私がその先生から習っているわけでもないからとか、自分の部下だからとか理屈を立てて呼び捨てにしたわけではないのだが、その時に教員の「自分が先生と呼ばれる呼称への拘り」に驚いたものだった。呼び捨てなど生まれて初めてだったのだろう。
・ あれ以来私は気をつけている。ただ一つ絶対的に気をつけていることは「生徒の前では先生」だ。これは外してはいけない。ただ二人だけとか管理職会議とかでは「呼び捨て」もある。返って「親近感の発露」でもあるのだ。生徒の前ではあくまで先生だ。
・ 私学の教員は結構しなやかで呼び捨てにされたって何か平気の顔をしている。この辺は立派である。大切なことはどのような呼ばれ方をしようと「その呼称に恥じない仕事の中身」だろう。
・ 先生でも教諭でも教師でも何でもよい。好きなような呼び方をしてあげる。ただ「自分の仕事に矜持を持って」頑張って欲しい。先生の呼称に蔑称が含まれるような先生ではいけない。「やはり教師」だろう。「教員ではなくて教師になって欲しい」と思う。本当の意味で「先生になって欲しい」のだ。
・ この前の関西大学との連携調印式において学長の河田先生は生徒・保護者を前にした講演会の冒頭、「皆さんの校長先生のブログ、すごいですね。毎日更新です。この日曜日はNHKテレビの天地人について書かれていました。皆さんも読まねば駄目ですよ」とまで言ってくださった。
・ 人の書いた物を読むというのがもっとも効果的で手っ取り早い「勉強法」であると私は思う。だから書物というのは古代の昔から残っている。「古事記や日本書紀」で我々は祖先のことを知り、「源氏物語」で平安王朝に身を置く事ができる。
・ 「読書は脳を鍛える」。知らないことを知り、気付かないことを気付かされる。特に若い時に多くの書を読むことだ。河田学長先生はそれを「三良」と言われ、まずトップに「良書、良師、良友」、と生徒に「諭され」たのだ。いや大学教授だから「授けられた」のである。
・ その昔、何かに学校は「先生が先生を先生と呼ぶ不思議な社会」と書いたことがあった。結構「面白かった」などと反響があったのを覚えている。生徒も誰も居ないところでも教員は他の教員を「○○先生、XX先生・・・」などと呼称する。
・ 職員会議でも「ただいま、△△先生から説明されたとおり・・・・」などと普通の感覚で使う。学校社会に転じた8年前には「まったく異質なというか、違和感みたいなもの」を感じた。
・ それは当然自分自身に対しても同じで「木村先生」「校長先生・・・」「先生・・・」などと呼ばれたときは気恥ずかしくて困ったものだった。しかし人間というものはおかしなもので今では全く「慣れっこ」になってしまって、「平気の平左」となってしまったかというとそうでもない。今でも少し恥ずかしい。
・ そこで今日のブログのテーマである。「教師と教員そして先生」の違いと使い分けについて考えてみよう。6月16日の日経夕刊の関西版「旅の途中」に「関西大学教授の竹内教授のコラム」があった。タイトルは「教師」と「教員」である。面白かった。
・ 先生は「師」と言うものを論考され「師と弟子の関係」における教育的なものが近年急速に失われてきたのは「教師が教員と呼ばれる」ようになってからだと言われる。「教える者」も自分のことを「教員」と言い出したあたりからであると論考されている。
・ 教員の「員は人の集まりの中の一人」と言う意味で「員数の員」だと言われる。教員は教え導き手本となる師ではなくて「員」即ち教えるという「多数居る人間の一人」という「学びの単なるツールになり下がった」と書いておられるのだ。見事な論考ではないか。だから私はこの竹内先生を尊敬する。
・ 先生は続けて、思えば戦前の教師の正式名称は小学校が「訓導」、中等学校が「教諭」、専門学校や大学が「教授」だったと書いておられ、「教えられる側の発達段階」に即していると同時に「教えるものに師たる自覚を促している卓抜な職名」だったのではないかと展開でこの記事を終わられている。
・ 「教諭」は竹内先生の言われるように旧制では中等学校の正規の教員を言ったもので戦後は「教育職員免許法」による普通免許状を有すると小、中、高、幼稚園、特別支援学校の正教員のことをいう。要は「学校教育法」に定められた「職名」なのである。
・ 調べて見ると元々教諭と言うのは江戸時代、1791年(寛政3年)老中松平定信が江戸麹町に青少年の主に道徳教育を中心とした社会教育機関であった「教諭所」から出ているらしい。
・ これに対して「先生」というのはご存知のように「学ぶ人に教える人の敬称」である。敬称なのである。従って先生と呼ばれる職業はここに書けない位多くある。元来は教育者・教育職以外に「先生の敬称」を使うことに批判的な意見はあるが、政治家も医者も先生である。
・ 「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」との毒のある川柳もあるし、時代劇に出てくるやくざの用心棒や剣客なども「先生、一つお願いしやす」などのセリフも一般的である。又日本語は難しくて侮蔑の意味を含んで「センセ」「センセーイ」などと呼ばれることもある。
・ 「教師」と言うのは教諭や先生と違って「単なる言葉」であり、教える人のことを言う。ただ教育を担当する者以外に使うことはまずなくて、先生と違って敬称ではない。○○先生とは言うが○○教師とは通常は使用しない。「家庭教師」とは言うが。
・ 時々体育科などで「体育教官室」などと言っているが、教官は元々は警察官や軍人などの教育を担当する「官職の呼称」であり、例えば防衛大学校の場合は『防衛教官』という。民間が使う言葉ではない。
・ 又昔、国立大学の教職員も法人化されたので今は「教官」は使われなくなって「教員」に改められた。ところが、どういうわけか「自動車教習所の指導員が教官」と呼ばれているところもある。これは何故であろうか。
・ このように整理して考えれば面白い。本校の先生が「自分が何かを習っているわけでもない」のに同僚教員を「先生、先生」と呼ぶのは元来おかしいのであるが、何でも進化するものでこれも「日本的な呼称システム」と割り切って良いのか・・・。
・ 昔、公立高校勤務の時代にある女性教員を何かの時に「呼び捨て」に、たまたまなのだが起きてしまって、これが組合幹部に通報されたことがあった。別に私がその先生から習っているわけでもないからとか、自分の部下だからとか理屈を立てて呼び捨てにしたわけではないのだが、その時に教員の「自分が先生と呼ばれる呼称への拘り」に驚いたものだった。呼び捨てなど生まれて初めてだったのだろう。
・ あれ以来私は気をつけている。ただ一つ絶対的に気をつけていることは「生徒の前では先生」だ。これは外してはいけない。ただ二人だけとか管理職会議とかでは「呼び捨て」もある。返って「親近感の発露」でもあるのだ。生徒の前ではあくまで先生だ。
・ 私学の教員は結構しなやかで呼び捨てにされたって何か平気の顔をしている。この辺は立派である。大切なことはどのような呼ばれ方をしようと「その呼称に恥じない仕事の中身」だろう。
・ 先生でも教諭でも教師でも何でもよい。好きなような呼び方をしてあげる。ただ「自分の仕事に矜持を持って」頑張って欲しい。先生の呼称に蔑称が含まれるような先生ではいけない。「やはり教師」だろう。「教員ではなくて教師になって欲しい」と思う。本当の意味で「先生になって欲しい」のだ。