・ 久しぶりの「県外出張」である。県外といっても三重県の「伊勢神宮」だから「ちょっとした遠出」の感覚に近い。どうしてもある調整事があって「神宮司廳」に出向かねばならなかった。司庁と書かない、司廳だ。こんな漢字書けない。どうしてと思うが「やはり重々しくしている」のだろう。
・ 神宮司廳は伊勢神宮の祭儀にかかわることや事務が執り行われているところである。全国88000社の神社神道の頂点に立つ伊勢神宮の「アドミニストレーション」を仕切っている「頭脳」といっても良い。仏教で言う「総本山の総務、宗務」である。
・ 用件の趣は7月に予定されている高校1年生のための「伊勢修養学舎」についてである。特に「禊指導」について「お願いの筋」これあって、理事長直接の出馬である。元来は神道科の教諭か教頭で良いのだが、神宮司廳のトップと直々の調整はやはり彼らには荷が重い。
・ 経緯があって急遽昨日出張を決めたのであるが、朝早く到着しようと思って7時8分初の「上六からの近鉄特急」に飛び乗った。宇治山田駅まで行く。時間は2時間弱だ。神宮に赴くのなら五十鈴川駅が最も近いのだがそこはタクシーなどいないから大体山田まで行く。
・ 司廳は「お陰横丁」を突っ切って、赤福本店の横の車道を抜け橋を渡ると一挙に神宮の森になる。森閑とした中に建物はあった。完全に「域内」である。まさに「内宮のお社」を髣髴とさせる天井高さのある建物であった。
・ 神宮司廳は神宮祭主の次に大宮司、小宮司、禰宜10名、権禰宜20名、宮掌(くじょう)、楽長・楽司22名、出仕25名、とにかく一般社会には理解できないような名前の役職者などが総勢600名近い人々が「大神様にお仕え」している。今日お会いしたのは禰宜の席次が3番目相当のお方というから相当な役職のお方であった。
・ 会談は2時間に及び11時29分発の上本町行き特急に飛び乗る。昼食をとる間もなく「大阪天満宮に直行」して宮司に結果を報告して今後の方向を確認した。行くときは雨で帰ったら蒸し暑かった。
・ 電車の中では行きも帰りも人はほとんどいなくて貸しきり状態であった。とんぼ返りだったから「赤福も伊勢うどん」も食べられなくて残念だった。しかしお陰横丁も人は居なくて伊勢神宮も週末以外はこのような閑散とした状態なのだろう。
・ 「7月21日から始まる伊勢修養学舎」には「校長講和」もあり私も1年に一度は五十鈴川にて「禊」をするのだ。2泊3日で生徒は何かを掴んで帰っていく。重要な本当に「本校が誇れる大切な学校行事」である。もう56回目である。「56年目だから半端ではない」。
・ 電車の中ではいつも新聞を買ってこれを読むのが楽しみであったが今日はある記事に目が止まり「腹が立ってきた」のである。橋下知事は「私学は贅沢しすぎ。高校生にふさわしくない修学旅行の質やレベルがある」と批判したというのだ。
・ 昨日大阪府は一般会計で「908億円の2009年度第4次補正予算案を発表」したが府私学課の要求した「私立の小中高11校の修学旅行キャンセル料として6600万円余り」の計上を見送ったというのだ。
・ その代わり「府立高校などにパソコン56400台を計上」したという。事業費は37億円である。現在府内の児童生徒向け配備率は8.8人に1台であるが国の目標水準3.6人に一台を目指すという。
・ 完全に「知事の心底」が見えた。ここまで私学をいたぶるか。「オーストラリア修学旅行のどこが贅沢だというのか」「府立高校にも海外修学旅行はあるではないか」「大阪を支える公立私立の生徒の学習環境にそれほどあからさまな差違をつける理屈はなにか」。
・ もともと政府の15兆円の補正予算の交付金が原資であり、それには私学の保護者の税金も入っているのだ。公立学校にのみ「使え」と政府は言っているのではない。確かに一般財源だから「使いみちは知事の意向」があるとしても府内で30%の生徒が私学で現実に学びその保護者は善良な「納税者タックスペイヤー」ではないのか。
・ 私は帰りの電車の中で「うーん、これは今後さらに厳しい事態が予想される」と痛感した。ここまで知事は「私学を狙い撃ち」している。私は思ったのである。「浪速」を守らねばならない。公私入り乱れての生徒獲得競争になる。知事の頭には完全に公立しかない。
・ 「浪速を武装し浪速を守る」ことが出来るのは、思い上がったようだが「私だけ」だと思った。「風雨を避け、浪速を路頭に迷わさないため」には今私以外に「誰が浪速丸の舵がきれる」というのか。
・ 「神宮司廳での会談は成功裏」に終わったがむしろ帰りの電車では「悲壮感」が沸いてきたのである。橋下知事と互角に渡り合いながら「浪速の生きる道を進めて」行かねばならない。
・ 私以外に誰がいるというのか。そのように思って来たのである。「私学は贅沢ではない。私学の拠って立つところは建学の精神を大した特色ある教育」なのである。知事は贅沢と特色を混同している。伊勢修養学舎も知事に言わせれば2泊3日の贅沢旅行となるのだろうが、そうではない。「浪速の教育そのもの」なのである。
・ 神宮司廳は伊勢神宮の祭儀にかかわることや事務が執り行われているところである。全国88000社の神社神道の頂点に立つ伊勢神宮の「アドミニストレーション」を仕切っている「頭脳」といっても良い。仏教で言う「総本山の総務、宗務」である。
・ 用件の趣は7月に予定されている高校1年生のための「伊勢修養学舎」についてである。特に「禊指導」について「お願いの筋」これあって、理事長直接の出馬である。元来は神道科の教諭か教頭で良いのだが、神宮司廳のトップと直々の調整はやはり彼らには荷が重い。
・ 経緯があって急遽昨日出張を決めたのであるが、朝早く到着しようと思って7時8分初の「上六からの近鉄特急」に飛び乗った。宇治山田駅まで行く。時間は2時間弱だ。神宮に赴くのなら五十鈴川駅が最も近いのだがそこはタクシーなどいないから大体山田まで行く。
・ 司廳は「お陰横丁」を突っ切って、赤福本店の横の車道を抜け橋を渡ると一挙に神宮の森になる。森閑とした中に建物はあった。完全に「域内」である。まさに「内宮のお社」を髣髴とさせる天井高さのある建物であった。
・ 神宮司廳は神宮祭主の次に大宮司、小宮司、禰宜10名、権禰宜20名、宮掌(くじょう)、楽長・楽司22名、出仕25名、とにかく一般社会には理解できないような名前の役職者などが総勢600名近い人々が「大神様にお仕え」している。今日お会いしたのは禰宜の席次が3番目相当のお方というから相当な役職のお方であった。
・ 会談は2時間に及び11時29分発の上本町行き特急に飛び乗る。昼食をとる間もなく「大阪天満宮に直行」して宮司に結果を報告して今後の方向を確認した。行くときは雨で帰ったら蒸し暑かった。
・ 電車の中では行きも帰りも人はほとんどいなくて貸しきり状態であった。とんぼ返りだったから「赤福も伊勢うどん」も食べられなくて残念だった。しかしお陰横丁も人は居なくて伊勢神宮も週末以外はこのような閑散とした状態なのだろう。
・ 「7月21日から始まる伊勢修養学舎」には「校長講和」もあり私も1年に一度は五十鈴川にて「禊」をするのだ。2泊3日で生徒は何かを掴んで帰っていく。重要な本当に「本校が誇れる大切な学校行事」である。もう56回目である。「56年目だから半端ではない」。
・ 電車の中ではいつも新聞を買ってこれを読むのが楽しみであったが今日はある記事に目が止まり「腹が立ってきた」のである。橋下知事は「私学は贅沢しすぎ。高校生にふさわしくない修学旅行の質やレベルがある」と批判したというのだ。
・ 昨日大阪府は一般会計で「908億円の2009年度第4次補正予算案を発表」したが府私学課の要求した「私立の小中高11校の修学旅行キャンセル料として6600万円余り」の計上を見送ったというのだ。
・ その代わり「府立高校などにパソコン56400台を計上」したという。事業費は37億円である。現在府内の児童生徒向け配備率は8.8人に1台であるが国の目標水準3.6人に一台を目指すという。
・ 完全に「知事の心底」が見えた。ここまで私学をいたぶるか。「オーストラリア修学旅行のどこが贅沢だというのか」「府立高校にも海外修学旅行はあるではないか」「大阪を支える公立私立の生徒の学習環境にそれほどあからさまな差違をつける理屈はなにか」。
・ もともと政府の15兆円の補正予算の交付金が原資であり、それには私学の保護者の税金も入っているのだ。公立学校にのみ「使え」と政府は言っているのではない。確かに一般財源だから「使いみちは知事の意向」があるとしても府内で30%の生徒が私学で現実に学びその保護者は善良な「納税者タックスペイヤー」ではないのか。
・ 私は帰りの電車の中で「うーん、これは今後さらに厳しい事態が予想される」と痛感した。ここまで知事は「私学を狙い撃ち」している。私は思ったのである。「浪速」を守らねばならない。公私入り乱れての生徒獲得競争になる。知事の頭には完全に公立しかない。
・ 「浪速を武装し浪速を守る」ことが出来るのは、思い上がったようだが「私だけ」だと思った。「風雨を避け、浪速を路頭に迷わさないため」には今私以外に「誰が浪速丸の舵がきれる」というのか。
・ 「神宮司廳での会談は成功裏」に終わったがむしろ帰りの電車では「悲壮感」が沸いてきたのである。橋下知事と互角に渡り合いながら「浪速の生きる道を進めて」行かねばならない。
・ 私以外に誰がいるというのか。そのように思って来たのである。「私学は贅沢ではない。私学の拠って立つところは建学の精神を大した特色ある教育」なのである。知事は贅沢と特色を混同している。伊勢修養学舎も知事に言わせれば2泊3日の贅沢旅行となるのだろうが、そうではない。「浪速の教育そのもの」なのである。