常勤講師のレポート
・ 最近嬉しいレポートを目にした。いずれも常勤講師の先生によるものだが、若いというのは素晴らしいことだ。まず「頭が柔軟だし、素直」だ。そこが大変良い。私などは手前味噌かもしれないが同年代の人と比べて決して「柔軟さ」では負けてはいないと自負しているが、若い人から見て「古臭い」と言われないようにしなければ。
・ 従って訓練と思い、他人のレポートや新聞記事を徹底して読み、自分の頭で考える癖をつけている。「唯我独尊に陥るのを避ける」ためだ。従ってこのような若い人のレポートは大いに勉強になる。必ず目を通している。そして副校長には常勤講師の先生を極力外部講習に出て貰うよう言っている。「本校だけの実践では危険」だ。業務を離れて時に人の話を聞かせることが若い先生には必要だ。彼らはすべてを吸収する。そこが年寄りと異なる。ベテランは「フン」と「それくらい知ってるワイ」くらいにしか受け止めない幅の狭い人間がいる。人間は加齢とともにそうなるものだ。
・ 6月6日大阪私学人権新任研修会への受講レポートであるが、テーマは「いじめに学校はどう取り組むべきか」である。本校からは常勤講師の先生方が7名も出席してくれて、グループ討議では「講師の先生が感心するような意見」も出たという。鼻が高い。
・ 中でも2人の教員のレポートは質的にレベルが高いものであると感じた。一人のレポートの中から:「いじめのサイン」でのグループセッションで「自分の経験から授業中、トイレに行く生徒に注目すべし。大体いじめにあう子どもは一人になりがちであるが、休み時間にトイレに行くとトイレで加害者の生徒にいじめられるケースがあるため、休み時間はまわりに人がいる教室に居て、授業中に安全なトイレに行くという傾向がある」とこの先生は発言したそうだ。
・ 素晴らしい。「常日頃から考え、観察」していないとこのような意見は出ないだろう。私は感心した。もう一人の先生のレポートも面白かった。先生にやたら話しかけてくる生徒を人懐こい生徒と思っていたら実は疎外されている生徒だったとの話しでこの先生も授業中トイレの話に感心していた。この先生も「感性が研ぎ澄まされている」ように思えた。「出力全開で前向きに問題を捉える」先生だ。大変良い。
・ 組織人で重要なことは「感性」である。「感性とは積み重なったもの」で一朝一夕に身に付くものではないが、「努力で身に付く」ものだ。人と議論をする、人の意見に耳を傾ける、書物を読む、新聞を読む、旅をする、とにかく「森羅万象に興味を持つ」ことから始まる。
・ ところが加齢と共に頭が固くなり、他人の言うことには耳を貸さない、自己主張に凝り固まる、勉強しなくなる、勉強しなくてもやっていけるから努力する必要がないのだ。こういう人間ばかりになるとその組織の「改革は難しくなる」。「現状維持が最も心地よい」からだ。
・ 更にもう一つの感心したレポートがある。これは特筆ものだ。河合塾主催の入試情報分析報告会に出席した常勤講師の報告者は「読み応え」があった。関関同立産近甲龍の各私大の合格者の河合塾センター試験分析を自分なりに解析し、今後の方向性を論じているもので「迫力」があった。これを「説得性」のあるレポートという。これぞ進路指導部の教師の仕事と言う気がする。
・ 「大切なことは自分の言葉でレポートをまとめることができるか」ということである。誰に観て貰うとか、提出するとかではなくて議論の時に「思いつきで発言するのではなくて」、データで勝負しながら傾向と分析から方向を導き出すという「仕事の進め方」が訓練で身についているかどうかだろう。企業では総合職社員は徹底的にこの部分が鍛えられる。
・ 私が着任して以来、このことを言い続けてきた。専任教諭は骨身に沁みて分かっているだろうが、「データ」を大変重要視する。大体教員の習性は「資料は作らない、作っても何を言っているか分からないような資料にする、配布しない、配布しても会議後は返却を求める」等を何時も感じている。背景にはとにかく「責任からの回避」だ。
・ 基本的に教員は資料の作り方は下手である。資料と言っても「成績会議」とか「進路実績」とか、「何年も形が決まっており」、そこに埋めれば済む話だ。新しいことにチャレンジする訓練が足りないから、例えば「人材評価育成システムの自己申告表」などになると途端に困ってしまうのだ。「企画書」となるとからきし駄目である。当然かも知れない。訓練されていないからだ。
・ 資料も「早く作らないと意味が無い」。「資料を生かすも殺すもタイミング」だ。一つのレポートに1週間もかけているようでは世の中を生きてはいけない。昨年某教員が私に「企業から来た人と違って、資料つくりなど慣れていない。早くせよといっても無理」と私に反論した事件があったが、それは頭の中が整理できていないからであって根本的な素養の問題ではないのか。常勤講師でも素晴らしいレポートをまとめる。大体論文などの作り方や文献検索などは「大学で学んだ筈」だ。
・ 資料は「分かり易く、読み易く」が最も重要だ。字の間違いなど大した問題ではない。何を言っているのか分からないような資料だったらかえって作らない方が良い。混乱するだけだ。読んだ後「頭に残る」、要はアレンジ、文体、語彙の選択は書いた「本人の人間性そのもの」だ。「文章には人間が現れる」。
・ 常勤講師のレポートを読んでも「通り一遍の、ただ書いただけの文章」的なものは私のように文筆で勝負に生きてきた人間にはすぐ分かる話だ。底の浅いレポートは直ぐ透けて見える。たとえ400字の原稿用紙1枚に書く短文でも「この紙1枚に勝負をかける感覚」がないと読む人に訴える「パワー溢れる文章」は生まれて来ないのではないか。