平成20年度同窓会総会
・ 朝から雨だった。何時もなら日曜日だからゆっくりして「四天王寺の市」に出かけるところだがそれもやめて学校に行く。日曜日の午前中9時過ぎに学校に行くのも久し振りだ。今日は13時から本年度の「同窓会総会」、場所はカフェテラスだ。理事長校長が出るのだからといって管理職は野球の試合で遠征する教頭を除いて全員出席である。形の上では私は「同窓会名誉会長」である。
・ 定刻どおり始まる。形通りに事業報告と会計報告が粛々となされ、「私の話」となる。あらかじめ時間を取って欲しいとお願いしていたので今日は30分ほど頂いた。「皆様何時も有難うございます・・・。」と型どおりの挨拶なんかでは出席した意味はない。
・ 「着任以来の経緯と実行したこと」、「残る課題」を分かり易くお話しすることが重要だ。「心に訴える」ものでなければならない。教頭が準備していたパワーポイントを使って締めをする。「手を変え、品を変えて迫る」のだ。こういう「真正面に向き合う姿勢」が重要である。「いい加減の準備ではいい加減の話」しかできない。
・ 話す内容はあえて語る必要はない。「力を込めてお話しする」だけだ。原稿などない。すべて頭に入っている。原稿の必要な人はまだ「真打」と言い難い。加えて「何事も事実・真実が重要」だ。「希望や願望や理念など幾らしゃべっても意味はない。」特に校長といわれる人は理念は上手く話せるが実践となると途端にパンチはなくなる。「結果だ。結果だ。すべては結果だ。」
・ 結果があればこそしゃべれる。結果がない時に何をしゃべろうというのか。私には出来ない。「結果があればこそお話できるのだ」。世の中には結果も出てないのに、時間をかけてしゃべる人がいるが私には信じられない。結果は必ずしも「成功の結果」とは限らない。「失敗の結果」も対象だ。ただ失敗の結果をしゃべるには勇気がいるが、私はむしろそのほうが得意だ。しゃべる内容も同じ対象者だからといって同じとは限らない、そのときの雰囲気で変えていかねばならない。だから私は原稿は作らない。
・ 自分でいうのもおかしいが,他のことは出来ないがこのような領域、即ち、資料つくりとプレゼンテーションは木村流が完成されていると考えている。これも経験と訓練と気概だ。しゃべる以上は聴衆を惹きつけ、分かって頂き、出来るなら「心を動かして」もらわねばならない。「今日のトップの資質の一つ」だろう。何を言いたいのか分からないような演説ならしないほうが良い。橋下知事の言い方も相手に強く届くから支持率は高い。平松さんとは全然違う。この人の話は他人事みたいだ。
・ 今日は理事長校長の話が「大ギリ」で決まっていた話だ。「何だ、今度の校長はあの程度か」では同窓会諸氏に落胆を与える。それでは来ていただいた意味はない。一生懸命にお話した。しわぶきひとつせず、皆さんじっくりと聞いて頂いた。チクリと痛いことも言わねばならない。おべんちゃらだけ同窓会に言っても仕方がない。「強い同窓会」を期待したいと思って言いたいこともお話ししたのである。
・ 総会の後、2次会。「持込の宴席」となる。宴席といってもつまみとビールだけだが、盛り上がった。今日は旧制浪速中学から本年卒業した女生徒が4名も参加してくれ、盛り上がる。総勢80名くらいであった。案の定各席で同窓の皆様から「校長の話は良かったー」との声を頂いた。「感銘」「感動」「分かり易い」という声ばかりであった。
・ それにしても「母校というのはそんなに良いものか」と思わんばかりに皆さん、浪速を愛しておられる。前の学校でも同じことであったが齢60前後になると残る記憶は高校生時代になるのか。「浪速大好き人間の集まり」であった。18歳から80歳までのワイドな年令帯であったが、「浪速を愛する」気持ちは皆さんそれぞれであった。
・ 中には私のブログの読者もおられ、わざわざ席にまで来られ「先生、あれは良い。感動する。続けて欲しい。」とか、「家族中で読んでいます」とか「女房にも鼻が高い」とかいうのもあれば、旧職員で「木村浪速改革の動向」をブログから探っている人など色々耳に入ってきた。特に旧職員は浪速改革の動向は「複雑」なものなのだろうと思う。
・ 分かるような気もするがこちらも複雑だ。私は理事長で最高経営執行者だ。あなた方のファン投票で呼ばれたのではない。決定機関が正規の手続きで招聘されたものだ。昔の教職員とは現役教員の為に縁を切っておきたいと考えている。 その方が良いだろう。
・ 大体旧職員の匂いは「あの木村という男は何をしようとしているのか、我々の時代と比べ私の勤務した浪速で何を変えようとするのか、変えてはならないものはあるのだ。」と何とか「浪速のオーナーみたいな感覚で私を見ているのではないか」。それが分かるだけに「貴方は浪速に何を残しましたか、貴方は今浪速の今日に責任は感じませんか。」と言いたい気もするのだ。
・ 多くの教職員は少なくとも先輩といわれる旧職員をあがめ奉っているとは言いがたい。それよりか「一言言いたい」と顔に書いてあるのだ。給料をがっぽり貰って退職金をたっぷり貰って、その結果の現状に少しは後輩の苦労を分かれと彼らは言っているのだろう。 橋下さんが府庁の先輩に少しくらい寄附してなどという感覚と同じなのだろうと思う。
・ 2次会は定刻に3時過ぎに終了。私の為に「3次会」があるという。「名目は歓迎会」という。1年半も経っての歓迎会も珍しいが、お言葉に甘えてお誘いを受けた。場所か天下茶屋の割烹料理店である。出席者は同窓会長以下それでも20人近くが参加されてお店は貸切だから遠慮は要らない。座は大いに盛り上がる。
・ 久し振りに随分と飲みました。料理の味が大変良いのだ。聞けば新地で修行した料理人という。滅多に食べないが今日の「お造り」は良かった。それに最後の「茶蕎麦」もいけた。
・ 飲めば大きい声がますます大きくなる。それは余程機嫌の良いときだ。皆さん、本当に気持ちのよい方ばかりで、気持ちよくほろ酔いだ。6時車を呼んで貰って帰宅とあいなった。気持ちの良い日曜日となった。夕食はスキップとなる。今体重管理をしているのでこれ以上は駄目だ。