・ 昨日は「教職員人権研修会の日」であった。年に2回ほど研修会を持つ。講師の先生は私立学校人権教育研究会のK先生だ。その昔は私学M学院の教諭であったが請われて私学中高連人権研究会に専属となった有名なお方である。過日私自身が直接お話しを伺う機会があり、中々良いお話をされたので今回本校の教職員にもとなったのである。
・ 丁度本校の図書室にこの4月から来て頂いている非常勤の先生がM学院勤務であったことを思い出したので「旧交を温めてもらうべく」べく、この先生を部屋にお呼びした。「サプライズ」を狙ってのことである。「ヒャー」と言う感じで双方が驚いていらっしゃった。目的は達成した。
・ 前の学校のときも良く他校の校長が訪ねて来られたが、その時も時間的に空いているその学校出身の教諭を呼ぶのだが、二つのタイプがある。あまり「親しくない感じ」と「大変お世話になりました」と明確に分かれる。それで人間関係が分かるのだ。
・ 一般的に言って公立は4年から7年で勤務先の学校は変わり、校長も2年から3年で移動していくから、余程の接点がない限り、「校長と教員は親しく交われない」。しかし私学は全く違う。23歳から65才まで基本的に同じ場所だから「付き合いは濃くなりそこが良い点でもあり、問題を起こし易い点」でもある。
・ 公立は「ファミリー的雰囲気」などはない。むしろそれを嫌う面が教職員組合を中心として強い。校長は「鍋蓋のつまみで敵対の対象」の考えがベースにあるからだ。まあ組合員の立場からすれば分かるような気がする。彼らには「組織の概念もファミリーの概念もない」から校長の職位は極めて難しいのである。
・ だから「校長の手で真の意味での改革などできない。」「改革といわれるものは教育委員会しか出来ない」と考えた方が良い。公立の校長が「やった、やった」と言っているのは「構造改革ではなくて改善に毛の生えた程度」だ。だから公立は「金太郎飴」みたいなもので何処の学校も切ったら断面は同じだ。ただ「学校単位で生徒の偏差値が異なる」だけの話しである。
・ 私学の場合は「売りは特徴」だから「建学の精神をベース」にして経営者を中心とする「ファミリー化」「家族化」していくのは止むを得ない部分もある。しかしこのファミリー化については気をつけなければならない。本校でも20年近く前に「市教委から大物校長が来て、実はそこから本校は坂道の下り坂」になるのだが、その校長の時代は「悪いファミリー化の典型」だと私は分析している。
・ 学校法人の経営に当たっている人間は「学校を私物化」してはいけない。いままで問題を起こした私立学校はほぼ100%「理事長の学校私物化」だ。府庁の私学課の役人に接待攻勢をかけ数千万円を使ったり、会計をごまかしたりすることは絶対に許されないことだ。
・ 理事長以下理事には一族郎党が入り、「家業」として学校を経営しているようなところは危険であるが、本校は大丈夫だ。私は「新地の雇われマダム」みたいなものだし、お金に淡白な大金持ちの財団法人大阪国学院、大阪神社庁が実質的な経営母体だから「特定の個人や社家」ではない。「浪速はラッキー」なのである。
・ 酷いのになれば九州の大きな学校法人の理事長は75歳を超えて尚現職で「エレベーターの中で女性教職員の胸やお尻を触るのが趣味」だったという。もう「病気」にかかっていたのではないか。新聞で何回も報道されたから覚えていると思う。本校にはエレベーターがないから良かった。
・ ファミリー化のもう一つの欠点は「緊張感にかける」「井の中の蛙」「皆で赤信号を渡る」ようなことだ。どちらかと言えばこちらの方が怖い。「慢性病」みたいに徐々に体を蝕んでいき、体力を損ねていく。これが悪い風土となる。まずい職場風土だ。
・ 良い風土は素晴らしい。伝統であり、校風であり、後世に伝えていかねばならないが、悪い風土にならないように気をつけねばならない。それは「緊張感のない勤務態度と男女関係、そして職場のセクハラ問題」である。問題があるというのではなくて無いようにしなければならない。
・ 今日のテーマは「今、学校現場で起きているセクシャルハラスメントについて」である。本校は共学に移行して4年目、女性教員が次第に増えてきており、今後も女性教職員の力が必要と考えており、「女性教職員がきらきら輝くような職場つくり」を目指しているために、今回このような企画にするよう主担の先生に頼んでいたものである。
・ 過日生徒が昼休みに中庭にてバレーボールを楽しんでいたが、同じクラスなのに男女別々でやっていたから、まあどうでもよかったけれど「一緒にやったらどうだ」と言ったところ、男子生徒は「セクハラと言われるのが怖いねん」に近いことを言っていた。
「ウーン」と言う感じだ。いまやこの言葉はこのようにして使われる。
・ 講演のお話しは大変良かった。「お話しの仕方」がお上手だ。しつこいくらいの独特の関西弁が活かされている。言いにくいことも「関西弁ならうまく伝わる」ような気がする。これがこの先生の持ち味なのだろう。加えて「内容が実践的だから面白い」のだ。すべて実際にあった事件をベースのお話しが展開するから、聞く人をそらさない。「事実は小説よりも奇なり」だ。
・ 特に今日のテーマではなかったが教職員の校外における「男女関係のもつれ」についても部屋で事前にお話しを伺った。社会的に尊敬を集める「教師と言う職業を意図ある使い方」によっては大きな武器となるかもしれない。何を言いたいかというと、その「身分を悪用して世の独身女性に言い寄る行為」である。
・ 最悪は「結婚話」など持ちかけ、「不適切な関係を結ぶ」ことである。子どもでもできたら大変だ。勿論お互いが独身であれば全く問題はないが、男性側が妻帯者である場合は許されない。妻も子もいる男が独身女性を好きになるのは世の中にはままあることだ。それは良い。
・ しかしその状態を維持したまま、子どもが出来たりしてややこしくなり、それでも「教師の身分を継続する」となると、これは問題となる。もしこの事実が男性の夫人に露見し、「学校を訴えてきた時」にどうするかと言う問題だ。「不倫教師を教壇に立たせるな」と仮に訴えて来た時には逃げる手がない。一回くらいとかならまだ分かるがそれが続くとなるとこれは「風土の問題」だ。見逃すわけには行かない。
・ これはセクハラなんかではなくてなんて言えば良いのだろう。世の中には男女しかいないし、特段このようなケースは珍しいものではなく日常茶飯事のことであるが、それを教師を職業としている人間に当て嵌めた場合、どのように考えるかと言う問題である。
・ 話がややこしくなった。セクハラの話しに戻そう。講師の先生のお話の中に教師がある女生徒に「最近,肥えたね」と言ったら「不登校」になったという事例を述べておられた。その親は教師を訴えたという。私の場合は大丈夫だ。PTA役員や女性教師には「先生、最近痩せました?!」としか言わないから。でも今日以降、太ろうが痩せようがそんなことは関係ないからもう言うのはやめようと決心した。