・ 今年から大阪府で始まる「私立高校就学支援制度」は画期的なものであることは間違いない。ただその「光と影」の部分の認識と対応策、そしてやはり「私立学校法」に規定されている「私立高校としての在り様」の根幹部分を外さず、「公私間公費投入の格差議論」を避けては通れないと私は強調してきた。
・ 公私間格差問題は、実は「教育が成り立つ」ための「校舎とグラウンド」の確保の問題だと論述してきた。そこに「私立高校の授業料の高さの存在」があると書いてきた。校舎グラウンドの新設維持管理をすべて税金で賄う公立高校と自力で用意しなければならない私立高校とは根本的に異なる違いだと論述してきた。
・ そして相対的に高い授業料は「教育環境と教育サービスの違い」との「等価」であって保護者と学校との間には「契約関係」が出来ていると私は議論を展開してきた。
・ 授業料が少々高くとも依然として「私学人気」が一定程度あるのはこの「私学教育の認知」そのものであって、公立学校の教員が自分の子どもを私学に通わせざるを得ない「身をもって知っている」現実から目をそむけることは出来ない。
・ 私立高校の教職員の給与の高さについても「土曜日の勤務」は公立教員と根本的に異なる部分と実際体験から強調した。決して高いとは思っていない。このような私立高校が抱える「辛さ」をシリーズで論述してきたが今日も続く。
・ 来年度にかけて知事は350万円の年収制限を680万円くらいに拡大したいとの意向を表明されているが、こうなると私立高校でも「かなりの割合の家庭が網羅される」と思う。これは「実質的な授業料の55万円への収斂」であって私学間において授業料の差は無くなることを意味する。
・ こうなってくると「その伝統と特色そして実績がもたらした私学の授業料」は意味がなくなってもはや「私学ではない」ことにならないだろうか。「授業料均一の公立的私立学校が誕生するだけ」である。
・ 今回の大阪の私学の対応は府と私学側の「連携プレー」であるが、「私学経営権の侵犯」という人も居る。形を変えた「公の私への関与の度合いを深めた」というものであろう。公費を投入しているのだから「当たり前だ」と言う論拠は再度「私立学校法の趣旨」から検証する必要があるのではないか。
・ そのうちこの推進校制度から脱退するという私立高校が現れるかも知れない。「公金は不要であり、自力で生きていく」いう理屈だが、そのようなことが実際出来るのか私は疑問に思っている。しかし大学系列の私立高校でどこか出てくるかも知れない。
・ 今後350万円の線を、一定限度以上に拡大するならまず「公私間公費投入の格差の是正」を日の当たる場所に出して議論しなければならない。大体私立学校は生徒一人当たり幾らの教育費がかかっているのか「下着の中まで見せて」あからさまにしているのに対して府立高校は一体どのようになっているのか詳細知りたいと思う府民は多いのではないか。
・ 一度府教委は全日制、定時制、普通科、特別支援学校等業態別に教育コストを精査して公開して欲しいと思う。それをまず行うことが「実のある議論」となる。批判の対象ではなくて「同一土俵で眺める」のである。
・ 公私間の教育費の差異の問題は今回の就学支援制度のスタートを考えれば、ちょうど良い「時期到来」と思うのである。「府立高校生と私立高校生、それぞれ1人に対して公費が、この10年どのように使われてきたか」、これを眺めることで全てが分かる。
・ 又知事の言うような「同一土俵」になったら「もう公立高校も私立高校もないのではないか」。管轄する部署が教育委員会と私学課というのもおかしな気がするという人が出るかもしれない。「同一土俵なら指導官や審判官は1人で良い」からである。返って2部門に分かれることはおかしなことになる。
・ 私が心配しているのは「私学に通う保護者の怒り」である。彼らは善良なる国税・府税の納税者である。「私学保護者の税二重負担の問題」である。これらの人たちの税金は府立高校の教職員給与、校舎維持管理に使われ更に高い自分の子どもの通う私立の高い授業料に対応しているのである。
・ とにかく今我々が進めようとしている私立高校授業料無償化は学校現場でも大きな波乱要素を含んでいる。平均所得水準の保護者から「家の子どものために高い授業料を納めているのであって、そのうちから低所得者だけに「給付型奨学金」を出すのは納得できない」となったらどう返事するか今私は理論武装をしているのである。
・ 「決して楽ではない中で、決まった授業料は納めるが他の家庭に回す余裕があるなら授業料を下げてください」と行って来られたらどうしようか。同じ私立高校で年収349万円と家と351万円の家で一方は「ただ」でもう一方は30万から40万円の授業料となることになろうがこれもややこしい。
・ 私学保護者は今までの税の二重負担から「税の三重負担」になってくる。このことは学校を舞台にしてある家庭からから別の家庭への「所得移転」がなされることであり、私はこのことについても「不気味」に思っているのである。
・ 所得移転を受けた授業料完全無償化の家庭は「てっちり鍋」を家族で食べに行き、授業料を払ってくれている家庭では「王将の餃子」で済ますと言うことはあり得る話である。
・ 他府県の生徒を多く受け入れている高校は同じクラスで授業料が無償の生徒とかっちりと支払っている生徒が同じ机を並べて勉強している。友達に「私は授業料が只だから良いけれど貴方は授業料払っているのだからしっかりと勉強したら」などとの会話が出てくるかも知れない。
・ 今でも大阪から他府県の私学に進学している高校生が「大阪は只だから大阪に戻ろう」となるだろうか。戻って呉れれば嬉しいが話は簡単ではない。元々財政的に問題ない家庭だから他府県に進学しているのであって幾ら授業料が只だといったとて戻っては来ないだろう。
・ いずれにしても正式に決まったことである。「基本的には良い施策」であると思うから私学としては問題はあるにしても、「ごちゃごちゃ」言わずに前に進めなければならない。しかし「恐らくやりながら修正が必要」なのだろうと思う。「私学が私学の拠って立つところ」は理解して欲しいのである。
・ 今後のポイントは「事務処理」である。「これが大変である。」まず「生徒保護者への通知」「受給資格認定作業」である。まさに適切な認定作業をしないと不公平になるし、まかり間違えば「公文書詐欺偽造」「公金横領」となりかねないからこの作業は慎重に進めなければならない。
・ 公私間格差問題は、実は「教育が成り立つ」ための「校舎とグラウンド」の確保の問題だと論述してきた。そこに「私立高校の授業料の高さの存在」があると書いてきた。校舎グラウンドの新設維持管理をすべて税金で賄う公立高校と自力で用意しなければならない私立高校とは根本的に異なる違いだと論述してきた。
・ そして相対的に高い授業料は「教育環境と教育サービスの違い」との「等価」であって保護者と学校との間には「契約関係」が出来ていると私は議論を展開してきた。
・ 授業料が少々高くとも依然として「私学人気」が一定程度あるのはこの「私学教育の認知」そのものであって、公立学校の教員が自分の子どもを私学に通わせざるを得ない「身をもって知っている」現実から目をそむけることは出来ない。
・ 私立高校の教職員の給与の高さについても「土曜日の勤務」は公立教員と根本的に異なる部分と実際体験から強調した。決して高いとは思っていない。このような私立高校が抱える「辛さ」をシリーズで論述してきたが今日も続く。
・ 来年度にかけて知事は350万円の年収制限を680万円くらいに拡大したいとの意向を表明されているが、こうなると私立高校でも「かなりの割合の家庭が網羅される」と思う。これは「実質的な授業料の55万円への収斂」であって私学間において授業料の差は無くなることを意味する。
・ こうなってくると「その伝統と特色そして実績がもたらした私学の授業料」は意味がなくなってもはや「私学ではない」ことにならないだろうか。「授業料均一の公立的私立学校が誕生するだけ」である。
・ 今回の大阪の私学の対応は府と私学側の「連携プレー」であるが、「私学経営権の侵犯」という人も居る。形を変えた「公の私への関与の度合いを深めた」というものであろう。公費を投入しているのだから「当たり前だ」と言う論拠は再度「私立学校法の趣旨」から検証する必要があるのではないか。
・ そのうちこの推進校制度から脱退するという私立高校が現れるかも知れない。「公金は不要であり、自力で生きていく」いう理屈だが、そのようなことが実際出来るのか私は疑問に思っている。しかし大学系列の私立高校でどこか出てくるかも知れない。
・ 今後350万円の線を、一定限度以上に拡大するならまず「公私間公費投入の格差の是正」を日の当たる場所に出して議論しなければならない。大体私立学校は生徒一人当たり幾らの教育費がかかっているのか「下着の中まで見せて」あからさまにしているのに対して府立高校は一体どのようになっているのか詳細知りたいと思う府民は多いのではないか。
・ 一度府教委は全日制、定時制、普通科、特別支援学校等業態別に教育コストを精査して公開して欲しいと思う。それをまず行うことが「実のある議論」となる。批判の対象ではなくて「同一土俵で眺める」のである。
・ 公私間の教育費の差異の問題は今回の就学支援制度のスタートを考えれば、ちょうど良い「時期到来」と思うのである。「府立高校生と私立高校生、それぞれ1人に対して公費が、この10年どのように使われてきたか」、これを眺めることで全てが分かる。
・ 又知事の言うような「同一土俵」になったら「もう公立高校も私立高校もないのではないか」。管轄する部署が教育委員会と私学課というのもおかしな気がするという人が出るかもしれない。「同一土俵なら指導官や審判官は1人で良い」からである。返って2部門に分かれることはおかしなことになる。
・ 私が心配しているのは「私学に通う保護者の怒り」である。彼らは善良なる国税・府税の納税者である。「私学保護者の税二重負担の問題」である。これらの人たちの税金は府立高校の教職員給与、校舎維持管理に使われ更に高い自分の子どもの通う私立の高い授業料に対応しているのである。
・ とにかく今我々が進めようとしている私立高校授業料無償化は学校現場でも大きな波乱要素を含んでいる。平均所得水準の保護者から「家の子どものために高い授業料を納めているのであって、そのうちから低所得者だけに「給付型奨学金」を出すのは納得できない」となったらどう返事するか今私は理論武装をしているのである。
・ 「決して楽ではない中で、決まった授業料は納めるが他の家庭に回す余裕があるなら授業料を下げてください」と行って来られたらどうしようか。同じ私立高校で年収349万円と家と351万円の家で一方は「ただ」でもう一方は30万から40万円の授業料となることになろうがこれもややこしい。
・ 私学保護者は今までの税の二重負担から「税の三重負担」になってくる。このことは学校を舞台にしてある家庭からから別の家庭への「所得移転」がなされることであり、私はこのことについても「不気味」に思っているのである。
・ 所得移転を受けた授業料完全無償化の家庭は「てっちり鍋」を家族で食べに行き、授業料を払ってくれている家庭では「王将の餃子」で済ますと言うことはあり得る話である。
・ 他府県の生徒を多く受け入れている高校は同じクラスで授業料が無償の生徒とかっちりと支払っている生徒が同じ机を並べて勉強している。友達に「私は授業料が只だから良いけれど貴方は授業料払っているのだからしっかりと勉強したら」などとの会話が出てくるかも知れない。
・ 今でも大阪から他府県の私学に進学している高校生が「大阪は只だから大阪に戻ろう」となるだろうか。戻って呉れれば嬉しいが話は簡単ではない。元々財政的に問題ない家庭だから他府県に進学しているのであって幾ら授業料が只だといったとて戻っては来ないだろう。
・ いずれにしても正式に決まったことである。「基本的には良い施策」であると思うから私学としては問題はあるにしても、「ごちゃごちゃ」言わずに前に進めなければならない。しかし「恐らくやりながら修正が必要」なのだろうと思う。「私学が私学の拠って立つところ」は理解して欲しいのである。
・ 今後のポイントは「事務処理」である。「これが大変である。」まず「生徒保護者への通知」「受給資格認定作業」である。まさに適切な認定作業をしないと不公平になるし、まかり間違えば「公文書詐欺偽造」「公金横領」となりかねないからこの作業は慎重に進めなければならない。