・ 昨日のブログで常勤講師の先生方に出来れば今日のブログを読んで欲しいと書いた。昨日は先生方の「本校での2週間の実践の感想文」を随意選んでブログに転記させて頂いた。それは私の読者に今日のブログを考える参考にして欲しかったからである。
・ 随意に選んだ13件の感想文から「何をお感じになるか?」。私は感動し感激するのである。「頼もしい」のである。一つには常勤講師の先生方が「上手く着陸してくれた」ことを大変喜んでいることと、13人の先生が、それぞれ固有の課題を感じ、目標を持って「燃えている」ことが文章の一字一句から分かったからである。
・ 確かに「初めての世界」「初めての授業」「知らない土地柄」「見知らない人々」「人間関係」全てに亘って「不安な思い」を少なからず書いてはいるが「訴えた」ものではない。自分の力量を知り、先輩達の動きに「学ぶ姿勢」がそこにはあるのである。
・ こういう「心の動き」は確かに言葉としては不安ではあるが「明るい展望のある不安」であり「立ち向かって行こうとする心の躍動感」が満ち溢れている。こういう人たちに今からこのブログに書く「心の健康」とは全く関係ないだろう。
・ 「ところがだ!!」
・ 4月9日の産経新聞の記事である。「先生6割“心の不安”」、「勤務長い、仕事多い」と中見出しがあった。時々こういう記事が出てくる。こういう場合の私の反応は「ウーン、困ったものだ」「又か?!どうせよと言うの?」「いわく言い難し」という感じになる。
・ はっきり言って産経らしくない記事である。単なる統計的事実を伝えるだけなら幾ら夕刊のトップでも意味はないではないか。考えるのは読者だと言ってもこれだけでは良く分からない。
・ 学校社会を論じるなら、「一般社会との比較論」で論考を進めて欲しいし、アンケートなら性別と小中高別に分けて貰いたい。小学校の教員と高校の教員は異業種と言って良いくらいの「デューティの差」があるのではないか。
・ 大阪府内の公立小中髙、支援学校の教員のうち「心の健康」に不安を感じている人が57.7%にのぼることが府教委のアンケートで分かったというものである。心の病を理由に「休職する教員」がこの20年で3倍に増加したことなどを受けて大規模な実態調査をしたものである。
・ 3倍になったと言っても20年経っても350人未満だから分母が50000人としても0.7%であり、これを多いと見るか、それほどでもないと見るかだが、「殊更深刻に捉える必要はない」というのが私の感想である。
・ 記事によれば府教委は「6割近くの教員が不安を抱えていたのは想像以上.勤務時間などを検証したい」とコメントしているがこのコメントには違和感が残る。「勤務時間が心の不安をもたらすものだろうか?」
・ 「心の不安」「心の健康」の「定義」は一体どのようなものか?「心配性の私」など年がら年中、四六時中、「心に不安」を抱えている。人間誰だって少なからず「心に不安」はあるものではないのか。
・ 調査は平成元年から平成20年までの20年だが20年というのは確かに短くはない。この間には日本には「実に様々な出来事があり価値観の変化」もあった。それは全ての分野に及んでいる。特に教育界においてもそうであった。
・ 見た目、政治や経済と違って教育界の変化は「じわじわ」「湿った空気」のようにして流れるものだから「学校の塀の外の人からは見えない」ものだ。学校と言うのは基本的に「閉ざされた空間」であって「塀の中で何が起きているか」外部の人には分からない。
・ この調査は大阪市と堺市の政令市を除いた教員3000人を対象にしたもので有効回答率は81.7%だったという。「年齢別では50台が一番多く61.3%」、年齢が下がることに減少はしているものの「20台でも51.6%」というから「学校の先生の半分は心の健康に不安を感じている」というものである。本当にそうか。
・ 昨日の私のブログ常勤講師の先生の年齢は20歳代である。13人のうち51.6%の先生が心の健康に不安を有しているとはとても思えない。しかし表面上は分からないと言ったら黙るしかない。20台の教員の半分に心に不安があるというのを「どう見るか」であろう。
・ 20歳台といえば23歳で大学を卒業し、都道府県の採用試験に一発で受かるか、2年か、それよりも複数年かかるかして、公立・私立どこかの学校に職を求めて入るのであるが、言いたいことはまだ教師としての経験もない段階で心の不安を抱えると言うのが良く分からないのである。
・ 50歳台の61.3%というのは何か分かるような気がする。もうこの世代の教員は学校そのものに「ついて行けない」のではないか。生徒も変わり、その保護者も変わり、「組合組織率もダウン」し組合も頼りにならず、高度なIT技術を要求され、聞きなれない「学校改革」という言葉が氾濫している塀の中には「落ちついて据わることの出来る自分の席」がなくなってきたのが心の不安に繋がっているのではないかと考えれば理解できそうである。
・ 不安の原因を尋ねたところ「勤務時間が長く仕事量が多い」が36.3%でついで「職場の人間関係や雰囲気」がくる。次は「保護者との人間関係」「児童生徒との人間関係」と続いているそうだ。これには「失笑」する人は多いのでないか。
・ 大体勤務時間が長く仕事量が多いというがそうでもなかろう。私に言わせれば社会にはもっともっと忙しくしている人は多いし、勤務時間など本校ではITで管理しているがそれほど長いとは言えない。大体「一般社会では19時や20時を遅いとは言わない」。
・ それに全ての人の勤務時間が長いわけでもなかろう。加えて私はいうが大体忙しい人とか長時間拘束されている人は心の不安を感じているような暇はない。「ボーッ」として「何をやって良いのか分からない人」が得てしてそのようにならないだろうか。
・ 「職場の雰囲気や人間関係」についても言える。私の観察では学校における人間関係は確かに「好きか嫌いか」がまかり通る未成熟の面がたぶんにあるが、それでも売り上げや利益を追いかける民間企業の激しさ厳しさに比べれば「天国」みたいなものである。「教員は基本的に優しいし親切」である。
・ 「生徒・保護者との人間関係」がいやだったらもう教師を辞めるしかないだろう。生徒との人間関係に悩むというのは社会一般の人は驚くだろうが実は現実に存在するのである。ここは重要ポイントでそれくらい教員は「弱く、華奢」で「脆い」面があるのである。
・ 府教委に対して意見を求める欄には「相談できる教員OBをおいて欲しい」とか「しんどい先生がしんどいといえる温かい職場作り」と言った記述があったという。何故OBでなければならないのか。先輩もいれば教頭先生も居る。何故OBなのか。現役には相談に行きたくないのである。
・ しんどい先生がしんどいといえる温かい職場作りというが、どうやったら出来るのか。「ハーイ、皆さん、今日のご機嫌は如何ですか?」「辛い時は辛いと言いましょう」と朝の朝礼にでも声を掛け合うのだろうか。まさに組合的発想である。
・ そして最後の方には何時もこの種の記事に対してコメントする大学教授の話が来るのである。この教授、何時もそうなのであるが「6割の教師が心に不安を抱えているのは重大な問題だ。勤務時間の長さなどの問題は直ぐにでも対策が取れる。手を打つならい今だ」と過激にコメントしているのを読んで私は笑ってしまった。昨年もその前も同じようなことを言っているのではないか。
・ 何時ものことだがこのような記事を読むと私の気持ちはふさぐ。記事が正しいとすれば現実に大阪府の公立の先生の6割が心の不安を抱えているのである。「このような学校に府民は子どもを通わせているのである」。心の不安を抱えている先生に教わっている生徒は果たしてどのような影響を受けるのであろうか。同じように心の不安を抱えるのであろうか。
・ 「大なり小なり社会人は組織人はこの種の不安」はあるもので、有していることが普通ではないのかということである。「人は不安があればこそ立ち向かう気概と努力」をする。「不安があればこそ謙虚になり慎ましくなる。」
・ 心の病で休職した先生と心の健康に不安を感じていることとを一緒に論じてはならないのではないか。「艱難辛苦、汝を玉にす」「我に七難八苦を与えたまえ」と不安苦労は人間を強くし大人にするものであると言えば批判を受けそうだが「大なり小なり人は不安を抱えて生きているのである。」 その2に続く
・ 随意に選んだ13件の感想文から「何をお感じになるか?」。私は感動し感激するのである。「頼もしい」のである。一つには常勤講師の先生方が「上手く着陸してくれた」ことを大変喜んでいることと、13人の先生が、それぞれ固有の課題を感じ、目標を持って「燃えている」ことが文章の一字一句から分かったからである。
・ 確かに「初めての世界」「初めての授業」「知らない土地柄」「見知らない人々」「人間関係」全てに亘って「不安な思い」を少なからず書いてはいるが「訴えた」ものではない。自分の力量を知り、先輩達の動きに「学ぶ姿勢」がそこにはあるのである。
・ こういう「心の動き」は確かに言葉としては不安ではあるが「明るい展望のある不安」であり「立ち向かって行こうとする心の躍動感」が満ち溢れている。こういう人たちに今からこのブログに書く「心の健康」とは全く関係ないだろう。
・ 「ところがだ!!」
・ 4月9日の産経新聞の記事である。「先生6割“心の不安”」、「勤務長い、仕事多い」と中見出しがあった。時々こういう記事が出てくる。こういう場合の私の反応は「ウーン、困ったものだ」「又か?!どうせよと言うの?」「いわく言い難し」という感じになる。
・ はっきり言って産経らしくない記事である。単なる統計的事実を伝えるだけなら幾ら夕刊のトップでも意味はないではないか。考えるのは読者だと言ってもこれだけでは良く分からない。
・ 学校社会を論じるなら、「一般社会との比較論」で論考を進めて欲しいし、アンケートなら性別と小中高別に分けて貰いたい。小学校の教員と高校の教員は異業種と言って良いくらいの「デューティの差」があるのではないか。
・ 大阪府内の公立小中髙、支援学校の教員のうち「心の健康」に不安を感じている人が57.7%にのぼることが府教委のアンケートで分かったというものである。心の病を理由に「休職する教員」がこの20年で3倍に増加したことなどを受けて大規模な実態調査をしたものである。
・ 3倍になったと言っても20年経っても350人未満だから分母が50000人としても0.7%であり、これを多いと見るか、それほどでもないと見るかだが、「殊更深刻に捉える必要はない」というのが私の感想である。
・ 記事によれば府教委は「6割近くの教員が不安を抱えていたのは想像以上.勤務時間などを検証したい」とコメントしているがこのコメントには違和感が残る。「勤務時間が心の不安をもたらすものだろうか?」
・ 「心の不安」「心の健康」の「定義」は一体どのようなものか?「心配性の私」など年がら年中、四六時中、「心に不安」を抱えている。人間誰だって少なからず「心に不安」はあるものではないのか。
・ 調査は平成元年から平成20年までの20年だが20年というのは確かに短くはない。この間には日本には「実に様々な出来事があり価値観の変化」もあった。それは全ての分野に及んでいる。特に教育界においてもそうであった。
・ 見た目、政治や経済と違って教育界の変化は「じわじわ」「湿った空気」のようにして流れるものだから「学校の塀の外の人からは見えない」ものだ。学校と言うのは基本的に「閉ざされた空間」であって「塀の中で何が起きているか」外部の人には分からない。
・ この調査は大阪市と堺市の政令市を除いた教員3000人を対象にしたもので有効回答率は81.7%だったという。「年齢別では50台が一番多く61.3%」、年齢が下がることに減少はしているものの「20台でも51.6%」というから「学校の先生の半分は心の健康に不安を感じている」というものである。本当にそうか。
・ 昨日の私のブログ常勤講師の先生の年齢は20歳代である。13人のうち51.6%の先生が心の健康に不安を有しているとはとても思えない。しかし表面上は分からないと言ったら黙るしかない。20台の教員の半分に心に不安があるというのを「どう見るか」であろう。
・ 20歳台といえば23歳で大学を卒業し、都道府県の採用試験に一発で受かるか、2年か、それよりも複数年かかるかして、公立・私立どこかの学校に職を求めて入るのであるが、言いたいことはまだ教師としての経験もない段階で心の不安を抱えると言うのが良く分からないのである。
・ 50歳台の61.3%というのは何か分かるような気がする。もうこの世代の教員は学校そのものに「ついて行けない」のではないか。生徒も変わり、その保護者も変わり、「組合組織率もダウン」し組合も頼りにならず、高度なIT技術を要求され、聞きなれない「学校改革」という言葉が氾濫している塀の中には「落ちついて据わることの出来る自分の席」がなくなってきたのが心の不安に繋がっているのではないかと考えれば理解できそうである。
・ 不安の原因を尋ねたところ「勤務時間が長く仕事量が多い」が36.3%でついで「職場の人間関係や雰囲気」がくる。次は「保護者との人間関係」「児童生徒との人間関係」と続いているそうだ。これには「失笑」する人は多いのでないか。
・ 大体勤務時間が長く仕事量が多いというがそうでもなかろう。私に言わせれば社会にはもっともっと忙しくしている人は多いし、勤務時間など本校ではITで管理しているがそれほど長いとは言えない。大体「一般社会では19時や20時を遅いとは言わない」。
・ それに全ての人の勤務時間が長いわけでもなかろう。加えて私はいうが大体忙しい人とか長時間拘束されている人は心の不安を感じているような暇はない。「ボーッ」として「何をやって良いのか分からない人」が得てしてそのようにならないだろうか。
・ 「職場の雰囲気や人間関係」についても言える。私の観察では学校における人間関係は確かに「好きか嫌いか」がまかり通る未成熟の面がたぶんにあるが、それでも売り上げや利益を追いかける民間企業の激しさ厳しさに比べれば「天国」みたいなものである。「教員は基本的に優しいし親切」である。
・ 「生徒・保護者との人間関係」がいやだったらもう教師を辞めるしかないだろう。生徒との人間関係に悩むというのは社会一般の人は驚くだろうが実は現実に存在するのである。ここは重要ポイントでそれくらい教員は「弱く、華奢」で「脆い」面があるのである。
・ 府教委に対して意見を求める欄には「相談できる教員OBをおいて欲しい」とか「しんどい先生がしんどいといえる温かい職場作り」と言った記述があったという。何故OBでなければならないのか。先輩もいれば教頭先生も居る。何故OBなのか。現役には相談に行きたくないのである。
・ しんどい先生がしんどいといえる温かい職場作りというが、どうやったら出来るのか。「ハーイ、皆さん、今日のご機嫌は如何ですか?」「辛い時は辛いと言いましょう」と朝の朝礼にでも声を掛け合うのだろうか。まさに組合的発想である。
・ そして最後の方には何時もこの種の記事に対してコメントする大学教授の話が来るのである。この教授、何時もそうなのであるが「6割の教師が心に不安を抱えているのは重大な問題だ。勤務時間の長さなどの問題は直ぐにでも対策が取れる。手を打つならい今だ」と過激にコメントしているのを読んで私は笑ってしまった。昨年もその前も同じようなことを言っているのではないか。
・ 何時ものことだがこのような記事を読むと私の気持ちはふさぐ。記事が正しいとすれば現実に大阪府の公立の先生の6割が心の不安を抱えているのである。「このような学校に府民は子どもを通わせているのである」。心の不安を抱えている先生に教わっている生徒は果たしてどのような影響を受けるのであろうか。同じように心の不安を抱えるのであろうか。
・ 「大なり小なり社会人は組織人はこの種の不安」はあるもので、有していることが普通ではないのかということである。「人は不安があればこそ立ち向かう気概と努力」をする。「不安があればこそ謙虚になり慎ましくなる。」
・ 心の病で休職した先生と心の健康に不安を感じていることとを一緒に論じてはならないのではないか。「艱難辛苦、汝を玉にす」「我に七難八苦を与えたまえ」と不安苦労は人間を強くし大人にするものであると言えば批判を受けそうだが「大なり小なり人は不安を抱えて生きているのである。」 その2に続く