2010年4月15日木曜日

4月15日(木)職員会議での百面相






















・ 教員社会が有する「病理」というか欠点の一つに「横の展開がない」ということである。お互い間で「情報を共有するということが基本的に出来ない集団」と言って良いかも。又「伝承する」ということも苦手である。
・ それは「教員と言う職業が有する宿命的なものが作用」しているのかも知れない。まず「自信過剰の固まり」みたいな人たちで「世間の荒波」にもまれているとは言いがたく、極めて狭い社会で生きてきた人たちである。
・ 特に高校などになってくると「教科専門性」が高くて、又一人ひとりの教員は「会社の社長」みたいなものだから、基本的に「わが道を行く(ゴーイング・マイウェイ)人」ばかりなのである。そしてそれぞれが自分のことを教育者と思って「独自の教育観」を有しているから尚更複雑となる。
・ 今日的学校社会の問題は「まさにこの点」であり、私が公立の校長時代も今の私立の校長の立場としても言い続けてきたのが「組織で仕事をする」ということなのである。確かに何か行事のある時にはお互いが「役割分担」して見事にやってのけるのであるが私が強調しているのはこのことではない。
・ 10人の教員がいれば10人の仕事が出来るのは「当たり前」であって、むしろ学校社会の病弊は10人いても10人とはならず8人とか9人とか「居てもいなくても同じ」というような人間がいることである。逆に足を引っ張る教員が居たりして。
・ とにかく10人居て10人分の力は「単なる足し算」であってそれを組織の力とは言わない。10人の教員が一枚岩になれば20人にも30人にもの力となる。それが「組織の力・・・総合力」なのである。
・ そしてもう一つの問題は「報・連・相」が基本的に出来ない。「報告・連絡・相談」のことであるが、以上のような習性だから「そういうことに気がつかない」のである。本校は私の時代に成って徹底的にこれを求めてきたからようやく「形が出来てきた」と思っている。
・ とにかくこれらの事を私は3年間言い続けてきたがまだまだである。特に「人事異動」で分掌長が変わったりするとその欠点がてき面に現れてくる。まあどの組織でも同じことであるが「人が変わった時は要注意」である。元に戻るのである。誰かが学校は「のこぎりに刃」だと言っていたが上手い表現である。
・ 過日久方振りに「雷を落とした」。進路指導部の話だが「引継ぎ」も出来ていないし、同じグループ内でも意思の疎通が出来ていなかったのである。「生の個人の考え」を公式会議に出してきたことと「基本となるデータの整理」も出来ていなかったのである。1週間前に私が指示していたことであった。
・ こういう行為は特に「アイデア先行の教員」に目立つ。私はこういうタイプは嫌いではない。どちらかというと教員は「黙って上目使いに人の考えを探り、自分の考えを先には出さない」習性がある。これに比べたらアイデアを表に出すことは評価されて良い。
・ ところがそのアイデアが「生煮え」で「ニッチモサッチモ」行かないとなるとこれは問題である。基本的にアイデアとは「開放型頭脳」から出てくる。ところが何時までも開放型であれば「収斂していかない」。これを「アイデア倒れ」という。格好よく言えば「理念は良いが実践は難しい」となるのである。
・ 昔公立高校の時代、多くの校長先生ともお知り合いになったが、それはそれは「理念を語ると極めてお上手」であるが「実践論」となると極めて弱いお人が多くいた。教員を続け、優秀な人材として校長になるような人でも「ハハーン,こうなのか」と思ったものだった。民間会社だったら「出来もしないことを言うだけだったらアホ呼ばわり」されるだけである。
・ こういう教員の習性が必然的に生み出したものが職員会議ではないのかと私は思っている。「職員会議で皆で決めれば誰も言いだしっぺ」はいなくなる。「皆で決めたのだから」そこには「責任を取る人はいなくなる」のである。だから学校社会の教員は「職員会議を大切にする」のである。
・ 「教員間の教育観はバラバラ」でも職員会議で一応の「意思統一を図る」ために職員会議は機能してきたのである。職員会議の機能として「校長の意思決定の補助機関」として存在するとの感覚はなくてただ「皆で決めたと多数決を優先」させてきたのである。
・ 校長は「鍋蓋のつまみ」で「教員の担ぐみこし」に乗っておれば、それでも良い時代には「これで済んだ」のであるが、今日のようなスピーディな世の中の変化に対応していくためには従来のような「個人勝負の教員社会の構図」ではそれこそ勝負できなくなってきたのである。
・ 大体分掌の長が一人で考え、揉まれもせず咀嚼もされず、それが突然皆の前に出てくるようでは話にならない。何のための「分掌組織」があるのかということである。とにかく「横展開が弱い」。これでは何時まで経っても「一人相撲の域」を出ない。私は一つのことを指示する時も関係の教員を全て呼んで「同じ日に同じ場所で同時に話す」ようにしている。これは私の「生活の知恵」である。
・ 今朝も次のようなことがあった。多聞尚学館で「化学特別講義」を計画したのは良いのだが生徒・保護者に配る資料が全く従来とは異なるような形式だったからもう何も言わずに「N副館長に見てもらって」と付き返したのである。そうしたら案の定訂正されて持ってきた。
・ 保護者に出す文書は以前の失敗や教訓を踏まえて何回も書き直されて来たものである。言って見れば「ノウハウの蓄積」であって、それが「担当者が変わったとたんにフォームが変わる」ようではいけない。
・ とにかく「失敗から学んだものが蓄積されていかない」から教員社会は「人が変わるたびに同じ失敗を繰り返していく」ことになる。毎日毎日そのような点をチェックする私の身にもなってと言いたいのである。
・ 今日も小さなトラブルがあった。高校1年生を対象に「ニュージーランドの語学研修の説明会」を6限目に持ってきたのであるが、前から頼まれていて冒頭の挨拶のために会場に行くと全く準備が出来ていないのである。私は「驚き桃の木山椒の木」であった。
・ 生徒は揃い、企画会社さんにも来て頂いているというのに「事務室や他の学年の主任までが顔色を変えて駆けつけて応援」していたがこれは組織の病理ではなくてあくまで「個人の問題」だろう。従来から何かと「ボーッ」としている生活感の全くない仙人みたいなことで有名な教員だった。今でも私は理解できないのだ。どうして準備をしなかったのだろうか。
・ 顔色を青ざめていた学年主任は盛んに「準備は大丈夫か」と聞いたらしい。「大丈夫というのでチェックをしなかった自分の責任」と詫びていたが「組織の長の仕事の唯一絶対なことはチェックを入れること」ことである。「管理が甘い」と言わざるを得ない。しかし何も準備が出来ていない会場を見て主任も驚いたことだろう。
・ 今日は「職員会議の日」であった。進路指導部から昨年度の進路実績と本年度の目標と戦略が説明された。私は「進路指導のあり方」で色々と話をした。何を話したかは書けないが「百面相の私」を写真でご覧頂きたい。疲れる職員会議であった。しかし諦めてはいけない。職員会議後関係する4名の教員を読んで今年の方針を徹底させたのである。