・ 朝から小雨がぱらぱら来てこれで本日予定されていた「身体計測・新体力テスト」は連休明けに順延となった。これで2回目の順延である。「雨と地頭に勝てない」。私が「いっそ、中止したらどうか」と言うと体育科は嫌な顔をする。
・ それで体力テストをしている学校を調べさせたら、興国、桃山、清明、学芸、上宮、太成、南海、四天、此花、金光など「これでもか、これでもかと列挙」してきた。仕方がない。身体計測・体力テストを継続することとしたのである。
・ 栄養に満ちた食べ物を食べ、文武両道の学校で放課後毎日部活で体を動かしている生徒が多い学校で、敢えて授業を潰してこのようなものはしなくとも生徒は立派な体を持ち、体力を有している。勉強させた方が良いと思うのだがこれだけは上手くいかない。
・ 堺校外グラウンドの担当の先生に「球場のネーミング」を考えるように頼んでいた。一回目は「堺KTスタジアウム」と一個だけ持ってきたので「これでは駄目!もっと考えて」と突き返したのである。
・ KTとは木村智彦の頭文字を持ってきたのだと思う。それだったらTKだろうが?!
理事長が土地を探してスタジアムを作ってくれるからと言って、敬意を表して気を遣ってくれたのは有り難いが、そのような「甘言」に乗るほど私は「愚か」ではない。
・ 私が全資産を投げ打って寄付し、作るならまだしも「学校のお金」であり、確かに財布の中身ゼロから、一部は借金とはいえこれらが持てるまで改革を進めてきたが、これらは「教職員との合作」だと思っており「金正日」ではあるまいし、個人名を付ける訳には行かない。
・ しかし世間にはこういう「輩」は多いものだ。「功なり名を遂げる」とその記念を身近に残しておきたいという「人間の悲しい性が現れる」もので、まず「勲章」を欲しがり、終いには「自分で自分の銅像」を立てる人もいるのだ。
・ だが、ここは「我慢のしどころ」でこの辺に「人間の品格」が現れると思って私は自制しているのである。精精「表札の字を書かして頂くだけで十分」である。これとても後世誰も一々この表札の字はあの人が書いたなど思いはしない。すべて「自己満足」である。
・ 2年前本校の学院神社の「御垣内(みかきうち)」、即ち境内の中に大きな岩石に字を彫らせた「記念碑」の類が数個あったが、私はそれらをすべて他の場所に移し、「神域の神聖を取り戻した」のである。そして神道科の主任に「未来永劫、例え木村がいなくなっても神社境内に個人の碑など立ててはならない」と厳命した。
・ たかが「雇われ校長の分際」で「少し期間が長かったからと言って自分の碑を最も神聖な場所に置かせるなど、それも公費を使ってやるなど私に言わせれば「言語道断の所業」である。
・ そういう観点から言えば公立学校には「校長室に歴代の校長の顔写真が額入りで飾っている」のだがあれも私は気に入らない。創立者でもなければ「単なるサラリーマン校長」が3年や4年の勤務で何故写真を飾るのかさっぱり理解できないのである。
・ 伝統ある学校に行くと、さも幽霊が出そうな写真が何枚も壁にかけてあるが、これらに見つめられて仕事をしている現役の校長先生の気持ちを考えると可愛そうな気がする。その点浪速にはそのような悪弊というか風習がないので素晴らしい。
・ 数年前公立校の校長時代に私はこれらの校長の写真を同窓会会館に移したのもそのような趣旨からである。そうすれば校長室が「すっきり」とした。考えて見れば誰も反対する人などいなかった。最も今はどうなっているか知らないが。
・ 大体「去るものは全ての痕跡を消し去って消えていく」のが美しい。痕跡をとどめるとしても「微か」な方が良い。「夏草や 兵どもの 夢の址」である。夏草で良いのである。「男の仕事」とはそういうものである。
・ さてI教諭が持参したグラウンドのネーミングであるが「厳選して5個持ってきました」という。「浪速ボールKTスタジアウム」「浪速KT総合ボールスタジアム」「浪速SAKAI総合グランド」「浪速オウルスタジアム」「浪速総合スポーツスタジアム」の5個である。どれも「しっくり」しない。
・ あれからしばらく私は考えた。そして「回路が繋がる」ように「ピリピリッ」と来たのである。4番目のオウルとは「ふくろう」のことで瞬間「ふくろう」が脳の中に入ってきたのである。オウルなど誰もその意味は分かりはしない。こんなものは使えないが「ふくろう」なら誰でも分かるし「本校の校鳥(スクールバード)」ではないか。
・ 実は私は教員の提案に期待はしていなかったので内心は「浪速浄明スタジアウム」と決めていた。浄明とは本校の校是「浄明正直」から取ったもので神道の位階を示しているのだが「清く明るく」を祈って考えたのである。
・ しかし一般的には「浄明」は分かりにくいと考えていたところにオウルが来たのである。やはり色々な人間の話を聞くと役に立つものである。「決めた!!」。堺市の校外グラウンドのネーミングは「浪速ふくろうスタジアウム」とする。
・ 副題に「多目的総合球技場」そして幾分大きな字で「浪速ふくろうスタジアム」と看板を付けることとしたのである。そして「ふく丸クン」のデザインを銅版に彫っておけば「ゆとりと遊び心」もあって良いのではないかと思うのだ。
・ 生徒も「今日はふくろうに!」と言って「嬉々」として堺の方に行くのではないか。ふくろうは本校の「守護鳥」であり、携帯ストラップなど本校独自の記念品も多い。しかし私はどうして「ふくろう」に気が付かなかったのだろうか。
・ 私は早速事務室の担当を呼んで6月19日の完成披露式までの表札看板を完成させるよう指示したのである。表札の横には本校のイメージキャラクター「ふく丸」のエッチング絵画の銅版もつけるのである。
・ そうしていたら門塀には「多聞尚学館」と同じように石製の「ふくろう像」を両サイドの載せたらどうだとのアイデアも出てきて早速このアイデアにも飛びついたのである。「3人寄れば文殊の知恵」というがその通りである。
・ 堺のグラウンドは正門のタイル張り工事が始まり、今週からクラブハウスの工事が始まる。恐らく周辺を驚かすような素晴らしいスタジアウムが完成するだろう。「私は嬉しくてならない。」小躍りして喜んでいるのである。
・ 一方武道館も遂に「プールの解体工事」が始まった。着々と「学校改革の実り」が結びつつある。こういう時に私が取るべき態度は「謙虚に、謙虚に」である。厳しく亡くなった母に教えられたものだ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」である。
・ それで体力テストをしている学校を調べさせたら、興国、桃山、清明、学芸、上宮、太成、南海、四天、此花、金光など「これでもか、これでもかと列挙」してきた。仕方がない。身体計測・体力テストを継続することとしたのである。
・ 栄養に満ちた食べ物を食べ、文武両道の学校で放課後毎日部活で体を動かしている生徒が多い学校で、敢えて授業を潰してこのようなものはしなくとも生徒は立派な体を持ち、体力を有している。勉強させた方が良いと思うのだがこれだけは上手くいかない。
・ 堺校外グラウンドの担当の先生に「球場のネーミング」を考えるように頼んでいた。一回目は「堺KTスタジアウム」と一個だけ持ってきたので「これでは駄目!もっと考えて」と突き返したのである。
・ KTとは木村智彦の頭文字を持ってきたのだと思う。それだったらTKだろうが?!
理事長が土地を探してスタジアムを作ってくれるからと言って、敬意を表して気を遣ってくれたのは有り難いが、そのような「甘言」に乗るほど私は「愚か」ではない。
・ 私が全資産を投げ打って寄付し、作るならまだしも「学校のお金」であり、確かに財布の中身ゼロから、一部は借金とはいえこれらが持てるまで改革を進めてきたが、これらは「教職員との合作」だと思っており「金正日」ではあるまいし、個人名を付ける訳には行かない。
・ しかし世間にはこういう「輩」は多いものだ。「功なり名を遂げる」とその記念を身近に残しておきたいという「人間の悲しい性が現れる」もので、まず「勲章」を欲しがり、終いには「自分で自分の銅像」を立てる人もいるのだ。
・ だが、ここは「我慢のしどころ」でこの辺に「人間の品格」が現れると思って私は自制しているのである。精精「表札の字を書かして頂くだけで十分」である。これとても後世誰も一々この表札の字はあの人が書いたなど思いはしない。すべて「自己満足」である。
・ 2年前本校の学院神社の「御垣内(みかきうち)」、即ち境内の中に大きな岩石に字を彫らせた「記念碑」の類が数個あったが、私はそれらをすべて他の場所に移し、「神域の神聖を取り戻した」のである。そして神道科の主任に「未来永劫、例え木村がいなくなっても神社境内に個人の碑など立ててはならない」と厳命した。
・ たかが「雇われ校長の分際」で「少し期間が長かったからと言って自分の碑を最も神聖な場所に置かせるなど、それも公費を使ってやるなど私に言わせれば「言語道断の所業」である。
・ そういう観点から言えば公立学校には「校長室に歴代の校長の顔写真が額入りで飾っている」のだがあれも私は気に入らない。創立者でもなければ「単なるサラリーマン校長」が3年や4年の勤務で何故写真を飾るのかさっぱり理解できないのである。
・ 伝統ある学校に行くと、さも幽霊が出そうな写真が何枚も壁にかけてあるが、これらに見つめられて仕事をしている現役の校長先生の気持ちを考えると可愛そうな気がする。その点浪速にはそのような悪弊というか風習がないので素晴らしい。
・ 数年前公立校の校長時代に私はこれらの校長の写真を同窓会会館に移したのもそのような趣旨からである。そうすれば校長室が「すっきり」とした。考えて見れば誰も反対する人などいなかった。最も今はどうなっているか知らないが。
・ 大体「去るものは全ての痕跡を消し去って消えていく」のが美しい。痕跡をとどめるとしても「微か」な方が良い。「夏草や 兵どもの 夢の址」である。夏草で良いのである。「男の仕事」とはそういうものである。
・ さてI教諭が持参したグラウンドのネーミングであるが「厳選して5個持ってきました」という。「浪速ボールKTスタジアウム」「浪速KT総合ボールスタジアム」「浪速SAKAI総合グランド」「浪速オウルスタジアム」「浪速総合スポーツスタジアム」の5個である。どれも「しっくり」しない。
・ あれからしばらく私は考えた。そして「回路が繋がる」ように「ピリピリッ」と来たのである。4番目のオウルとは「ふくろう」のことで瞬間「ふくろう」が脳の中に入ってきたのである。オウルなど誰もその意味は分かりはしない。こんなものは使えないが「ふくろう」なら誰でも分かるし「本校の校鳥(スクールバード)」ではないか。
・ 実は私は教員の提案に期待はしていなかったので内心は「浪速浄明スタジアウム」と決めていた。浄明とは本校の校是「浄明正直」から取ったもので神道の位階を示しているのだが「清く明るく」を祈って考えたのである。
・ しかし一般的には「浄明」は分かりにくいと考えていたところにオウルが来たのである。やはり色々な人間の話を聞くと役に立つものである。「決めた!!」。堺市の校外グラウンドのネーミングは「浪速ふくろうスタジアウム」とする。
・ 副題に「多目的総合球技場」そして幾分大きな字で「浪速ふくろうスタジアム」と看板を付けることとしたのである。そして「ふく丸クン」のデザインを銅版に彫っておけば「ゆとりと遊び心」もあって良いのではないかと思うのだ。
・ 生徒も「今日はふくろうに!」と言って「嬉々」として堺の方に行くのではないか。ふくろうは本校の「守護鳥」であり、携帯ストラップなど本校独自の記念品も多い。しかし私はどうして「ふくろう」に気が付かなかったのだろうか。
・ 私は早速事務室の担当を呼んで6月19日の完成披露式までの表札看板を完成させるよう指示したのである。表札の横には本校のイメージキャラクター「ふく丸」のエッチング絵画の銅版もつけるのである。
・ そうしていたら門塀には「多聞尚学館」と同じように石製の「ふくろう像」を両サイドの載せたらどうだとのアイデアも出てきて早速このアイデアにも飛びついたのである。「3人寄れば文殊の知恵」というがその通りである。
・ 堺のグラウンドは正門のタイル張り工事が始まり、今週からクラブハウスの工事が始まる。恐らく周辺を驚かすような素晴らしいスタジアウムが完成するだろう。「私は嬉しくてならない。」小躍りして喜んでいるのである。
・ 一方武道館も遂に「プールの解体工事」が始まった。着々と「学校改革の実り」が結びつつある。こういう時に私が取るべき態度は「謙虚に、謙虚に」である。厳しく亡くなった母に教えられたものだ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」である。