2009年7月2日木曜日

7月2日(木)共学にして5年目


・ 本校は「平成17年男子校から共学校」に移行した。今「つらつら」思うに「良くぞ、共学に踏み切ってくれたものだ」と当時の理事会に感謝する。「絶妙のタイミング」であった。おそらくこの時期を逃していたら今日の「浪速の発展は無かったか相当遅れた」と私は思う。「ギリギリのタイミング」とはこういうことを言うのだろう。
・ 当時の資料を読み返してみると当然様々な意見があった様子が分かる。特に「共学反対」の声を大にしていたのは卒業生の中の一部であったみたいだが、反対した人々の論理はただ「自分の卒業した学校が変質する」というだけの「感情論」で「一番始末に終えない」ものだ。
・ 確かに「男子校」あるいは「女子校」の伝統を守るという意見があって当然だが、そこには「確固たる実績と今後の展望」が無ければなるまい。ただ「母校が無くなる」とだけでは「先行きに無責任」のししりは免れまい。本校は男子校の星光学院や灘高校とは違うのだ。
・ 大事なことは過去ではなくて将来である。単に「ノスタルジー」であれこれ言われても困るだけである。「学校改革」において一番困るのはこの手の外野の連中で「責任がないから何でも言える。」それよりも共学にならないようにそれまでに支援したかどうかが問題だ。
・ 私の仕事は「共学化した浪速のポジションを高める仕事」であったと言い換えることも出来る。その後の大阪府で起きつつある現象を見ると「あの時、あの時」でと言うことが分かる。「必然的に木村が着任」して「必然的に学校改革」を推し進め「結果として今日の浪速」があると言い切れる。名誉理事長と職務代理は何時もこのことを言われる。
・ 大阪府で起きつつある現象とは「少子化」「橋下知事の誕生と府政改革」「私学助成の削減」「公立校改革」「公立回帰現象」である。その結果は府内の私立学校で歴然と「勝ち組」と「負け組」の色合いが明確になりつつあり、正直言い方がはばかられるが一部の男子校、女子校を除いて「共学校」が「優位を保っている」と言えるのではないか。
・ その「逆現象」として勿論全部ではないが「男子校」「女子校」が「苦戦を強いられている」ということが表面的な数値で見えてくる。例えば男子校であった本校と一昨年共学に踏み切った「大阪高校」を例に上げて考えてみると分かり易い。
・ 浪速も大阪高校も「生徒を集めている学校」である。特に共学に移行してその傾向は顕著である。このことは、「集まった女生徒がいる学校」と「集まらなかった女生徒がいる学」に分かれるのである。巷間言われていることは「女子校が厳しい」ことであり、このことは女子校から、あるいは他の共学校から女生徒が浪速や大阪高校に来ていると見て良い。
・ 例えば本校を例にして女生徒の入学者数を見てみると「平成17年67名、順次120名、129名、184名、平成21年4月入学者数が169名」となっている。順調に伸びているのである。
・ 絶対数値ではなくて全入学者数に占める女生徒比率を上げれば「初年度が16%、26%、26%、30%、33%」であるから徐々に「女生徒比率が伸びている」ことが分かるのだ。
・ 「共学にしなかったら男子で同じ数だけ充足出来るか」と言えば「出来ない」と私は答える。そんな甘いモノではない。通常言われることは制度を変えて「3年目が重要」という。制度を変えて2年経ち3年目に低下傾向となると、その後は「危ない」と言われる。
・ 確かに本校も3年目は比率としては前年度と同じで「これは??」と心配したが、4年目に26%から30%に上がって「一安心」したことを覚えている。そして今年の33%である。ようやく「共学が評価され認知」されつつあると考えて良いと思う。
・ 元々「男子校のイメージ」が強かっただけに私は着任以来「浪速男女共学校のイメージアップ」のために相当気を使ったのである。例えば女子トイレの増設、女子更衣室の増設、特に「女子の制服」についても私は見直しを進めた。幸い「基本デザインは大変評判が良かった」ので一部の改良にとどめたがそれでも女生徒に直接ヒヤリングして変更を進めた。
・ 例えばボタンホールに「虹のような七色の糸のくぐり」などがあって「校長先生、これ何とかしてください。恥ずかしい」などの直訴があったりし、調べてみたら訳の分からないことで決められており、これはすぐ変更した。
・ 気を使ったのは「女子クラブ活動」であった。ここが充実しないと「女生徒人気校」とはならない。そのためにまず「ブラスバンド部」を特別強化クラブとして位置づけこの3年間で「定価では1200万円を超える楽器を購入」した。
・ 入学式における校長式辞では特に「女生徒歓迎」を声に出し、具体的に「ブラスバンド部に入ってくれれば楽器を進呈」などと言って「笑い」を取ったものだ。同じような支援は「雅楽部」「弓道部」にも行い、運動クラブには例えば女子バスケットボールクラブには「ユニフォーム」をプレゼントしたりして女子のクラブの支援をした。
・ そして「第二グラウンド」を急いで作ったのである。ここで「人工芝テニスコートを3」作り、女生徒のテニス人気に応えたのである。又「中学の共学は私の時代」に始まり、「運動会」を再開し、「ダンス競技」を入れるために「女性の体育の教員」を増やしたりした。このテニスコートとダンスは大層評判が良かったのである。
・ 特に「伊勢修養学舎」には気を使った。女生徒に「禊」などさせることは出来ない。これは神道科の先生が頑張ってくれ徐々に「女生徒のためのカリキュラム」が充実してきて好評となってきているみたいだ。「巫女衣装による礼儀作法」とか「雅楽舞いの基本練習」など「皇學館大學」のご支援を戴いて高いレベルとなったのである。
・ 「この分野はまさに教職員が頑張ってくれた」からここまで来たと評価している。特に「生徒生活指導」に関して「良い滑り出し」をしたのではないかと思っている。正直当初は「男子校の本校に来てくれる女生徒」の中にはいささか問題を抱えているような生徒もいたが「優しく時に厳しく」対応してくれたから女生徒を送り込む「保護者の信頼」も得たと考えている。
・ 正直男子生徒しか指導経験のない本校教員にとって「女生徒の扱い」は全く未知の分野であったが「我が娘の扱い」とも考えれば「その難しさ」は体験済みであり、女性教員を増やす施策ともあいまって「5年目でようやく安定域」に入ったともいえる。
・ しかし私は「今後の数年が勝負」と思っている。増えたといえっても33%でありこれをせめて「45%くらいまでに高めなければならない」。「女生徒は頑張る。頑張る女生徒を見て男子は引っ張られるものだ」。「相乗効果」となってよい学校に高められる。
・ 確かに男子部活動への影響などを心配する向きもあるが「男女は半々でバランスが取れる」ものだ。「私は女生徒を今後とも大切にしていきたい」と考えている。肝心の進学実績についてであるが別途記述するが「素晴らしい実績」を打ち立てつつある。私は最近特に「共学しておいて良かった」とつくづくと思うのだ。これを決定した先輩に「しみじみ」と感謝するのである。