2009年7月22日水曜日

7月22日(水)五十鈴川の禊







「禊」あるいは「禊祓い」とは神道や仏教で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前にまたは最中に自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めることをいうと物の本に書いてあるのだが、「万葉の昔」から「君により言の繁きを故郷の 明日香の河に禊しにいく」と詠われているように「禊には古い歴史」がある。
・ 「手水」をつかい神社仏閣で清めることも禊の一種で昨夜指導に当たっていただいた神宮司庁のお方は「お前、顔を洗って出直して来い!」というのも禊から出た言葉だと言われた。「なるほど」。
・ 「斎戒沐浴」という言葉もある。斎は酒や肉を絶ち戒は自らの過ちを正し、髪を洗って風呂に入って体を清めるということだが、これと「」との関係はどうなんだろうと考えてしまう。
・ 服装は大体白装束が原則だが男子は「ふんどし」で行うのが普通だという。本校は神道科の先生だけがふんどしで他の教員や生徒は「水泳パンツ」と決められている。私はふんどしを付けたいのだが「まだ早い」と言ったところか。
・ 神職になる女性も禊をするらしいが本校の女生徒にはさせていない。更衣の場所とか様々な課題がまだ多いからである。第一体が冷えたりしたら大変だ。最もあわびを捕ったりする海女さんは女性だが。
・ 昨夜夕食後神宮の指導者、この人を「道彦」というのだが夜9時30分過ぎまで指導をして頂いたのである。要は事前訓練である。私もフルアテンドしたが今年の1年生は「恥ずかしがらず、元気一杯」取り組んでくれていたのが嬉しかった。
・ 朝は5時30分起床で6時には神宮会館を出発した。全員が浪速高校の校章の入った「日本てぬぐい」を鉢巻にして頭に巻く。これを「かんむり」と言って代用するのだが禊の済んだ後「皇大神宮」即ち「内宮」にお参りして会館に戻るまでは外せないのである。ずっと「鉢巻をしっ放しで歩く」のである。
・ 禊の場所は「五十鈴川」である。伊勢市南部に源があり北流して伊勢市街を流れ伊勢湾に注ぐ川であるが神宮にとっては「特別な川」である。「倭姫命(やまとひめのみこと)」が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、「御裳濯川(みもすそがわ)」の異名を持つ。
・ 倭姫命は天照大神の御教えを受けて約2000年前に五十鈴川の上流である現在の地に「内宮を創建されたお方」で第11代垂仁天皇の皇女である。専門的になるが伊勢神宮を語るときに絶対に外せないお方である。したがって内宮の「別宮」として格が高いのである。
・ 伊勢神宮の定期機関紙のタイトルは「みもすそ」というからこの古事から来ているのだろう。私は伊勢神宮の「評議員」を委嘱されており、様々な企画や刊行物が送られてくるので、それらを読むだけで知識が増えて、大変勉強になる。
・ この五十鈴川に掛かる橋が「宇治橋」で今「式年遷宮」で橋の付け替え工事が行われており、仮り橋を使って内宮に赴いた。ネットで五十鈴川を検索すると本校の「伊勢修養学舎」が出ており、「この川で禊する浪速高等学校」として紹介されているから、もう本校の禊は有名な話なのである。
・ 昨夜来の雨で「水かさ」を気にしたがそれほどでもなかった。しかし一応用心して川の中ほどには行かせず川岸に近いところで「禊祓え」の正式な神事を滞りなく済ますことが出来た。
・ 川に入る前の準備が「禊次第」として30分以上かけて行われる。私はこれは「ウォームアップ」と思っている。まあ相撲でいうところの「仕切の時間」かも知れない。大きく四つに分かれており「鳥船行事」「雄健(おたけび)行事」「雄詰(おころび)行事」「気吹(いぶき)行事」となっている。「読み方も難しい」。
・ その後「身禊」となり終われば又陸の上で同じ行事が行われる。「クールダウン」だと考えてもよい。その後着装して生徒達は一言も発せず宇治橋を渡って「内宮に参拝」するのだが縦に4列で頭にはかんむりを付けて黙々と整列して行進する様子は「迫力」がある。その先頭に私は立って生徒を引率するのである。
・ 禊の後の生徒の顔は何か「締まった」感じがしてあれほどざわざわがやがや私語などしていたが誰も黙々と姿勢正しく内宮の玉砂利の上を「ギシャギシャ」と音をさせながら広い境内を一列になって我々は歩いたのである。

・ 昨日雨で順延になった本校と高津との野球の試合は電話があって「7対1で浪速高校が勝ちをおさめた」と報告があった。良かったー!」。