・ 「硬式野球大会」が9時からあった。相手は大阪学芸高校である。あらゆる面で「ライバル校」の一つであり、朝から私は「気合」が入っていたのである。結果は「5対0で勝利」。しかし良い試合だった。これで5回戦に進む。気分が良い。
・ そして今日は「天満の天神さん」のお祭りである。京都の祇園祭り、東京の神田祭りと日本3大祭りの一つとして「浪速の夏の風物詩」である。勇壮な陸渡御、華麗な船渡御と伝統神事に彩られ5000発の花火が大川上空に大輪の花を咲かせる。
・ 「天神祭」は「大阪天満宮」が建立された2年後の「天暦5年(951年)」から始まったとされているから「1050年」を軽く超えている。ここまで来るともう「長い伝統」とか言うものではなくて「歴史そのもの」と言うものであろう。
・ 100年を超えれば何事も「文化になる」というからその10倍と言うのは歴史以外に表現の方法がない。今から1000年前に天満宮の横を流れる「大川」から「神鉾」を流し流れ着いた浜に設けた斎場で「禊払い」が行われ、その際に神領民や崇敬者が多くの船を用意して「神様を奉迎」したことが「天神祭の由来」と名誉理事長から教えられたことがある。
・ 名誉理事長とは大阪天満宮宮司で本校の学校法人理事で名誉理事長である寺井種伯氏である。大阪府神社庁長でもある。代々寺井家が宮司を勤め寺井家は必ず名前に「種の字」が入る。
・ 昨日の24日が「宵宮」でテレビでも放映されていたが「鉾流し神事」が行われ、お祭りがスタートするのである。そして夕刻に「催太鼓」が打ち鳴らされて宵宮が終わり今日の「本宮」となる。
・ まず「陸渡御」と言うのがあり約4キロの道のりを3000人近い人々が行列を組んで練り歩くのである。「山車」「神輿」などとともに豪華な時代衣装をまとった大巡行は「栄華を極めた時代の天神祭を髣髴」とさせる。
・ そして祭りのハイライトは夕方6時過ぎから始まった「船渡御」である。陸渡御を終えた集団が天神橋北詰めから順次乗船し、「かがり火」をともした「約100隻の船団」が大川を行き交うのである。
・ 実は知人から切符を3枚頂いて「神鉾講御供船」というのに乗船したのである。後の二人は常日頃お世話になっている事務室の女性のIさんとOさんとした。お聞きするとまだ「船渡御」のお船に乗ったことはないという。ちょうど良い機会と思ったのである。
・ ただ条件は一つ「出来れば浴衣を着て欲しい」と私は言った。自分も浴衣を着るからである。これに対してはお二人とも大賛成でこういう機会でもなければ浴衣など着る機会はないのだろう。
・ ただ女性は準備が大変らしくて今日は朝の10時過ぎには早引けで帰宅して「美容院に行き着付けをしてもらう」という。自分で帯がつけられないと言う。「ウーン」という感じだ。余計なお金を使わせることになって申し訳ないことをした。
・ 2年前には名誉理事長から特別招待を受けて先頭から2船目のお船に乗って「宮司の奥様のそば」でビールを飲みながら花火を見学したものだが、有名な人が多くて気を使って余りビールも飲めなかった。
・ だが今日は一般の御供船だ。「庶民的」で気楽に行けた。まず「ご神霊」を乗せた「御奉輦」「奉安船」、「供奉船」などに続いて協賛団体や市民船といった「奉拝船」など様々な船が行き帰りしてすれ違うたびに「大阪締め」という手打ちの挨拶をする。
・ 「打ちまーしょ。ちょ、ちょん。もうひとつせー。ちょん、ちょん。」といった具合だ。お互いエールを送っているのだろう。最大の盛り上がりは「5000発の奉納花火」である。
・ この天神祭には約100名の本校生徒が輦や神輿などに担ぎ手や付き人として「神社奉仕」で参加している。衣装を替えて出ているからよく分からないが御神霊の乗られる御奉輦を担っているのはすべて本校「ラグビー部」の生徒である。
・ 他の重要な役回りのも本校の生徒がついており、教諭もAグループに3名、Bグループに2名も当てて「浪高総出で奉仕」させて頂いているのも「誇り高い」のである。私は重々事故のないように教員に注意をしたのである。
・ また今年の天神祭には裏話があって23日に40年ぶりに復活した「夜の北新地」陸渡御が行われたがこのときの神輿を「本校の神輿ではどうか」ということで宮司以下「講」の役員の方々が学校の神輿を見にみえられたのである。
・ ただ神輿の屋根に「本校の校章」がよく見える形でレリーフされていることからいかにも「ウーン」と言うお顔をされていたがまさか校章を削り取るわけにも行かず結局取りやめになった経緯があった。使ってもらえれば本校のPRになるものをと惜しんだものだった。
・ お連れした女性陣は「キャーキャー」とは行かないが大変喜んで頂いた。大阪に住んでいても100船数で100人乗ったとしても乗船できるのは10000人と言われており、延べ200万人以上の人が出るお祭りの中では「ラッキー」なことなのである。
・ 人生で一度でも船渡御に参加できれば「幸せ」と言うことだと思う。9時前には陸に上がり気持ちよく天神祭を楽しんだ。昼過ぎ突如にわかに掻き曇り、一時は一体どうなるのかと心配したが夕刻には雨も上がり絶好の花火日和となった。
・ 伊勢修養学舎も無事に終わり硬式野球は勝ったし、本当にリラックスできる週末土曜日をこのようにして私はエンジョイしたのである。
・ そして今日は「天満の天神さん」のお祭りである。京都の祇園祭り、東京の神田祭りと日本3大祭りの一つとして「浪速の夏の風物詩」である。勇壮な陸渡御、華麗な船渡御と伝統神事に彩られ5000発の花火が大川上空に大輪の花を咲かせる。
・ 「天神祭」は「大阪天満宮」が建立された2年後の「天暦5年(951年)」から始まったとされているから「1050年」を軽く超えている。ここまで来るともう「長い伝統」とか言うものではなくて「歴史そのもの」と言うものであろう。
・ 100年を超えれば何事も「文化になる」というからその10倍と言うのは歴史以外に表現の方法がない。今から1000年前に天満宮の横を流れる「大川」から「神鉾」を流し流れ着いた浜に設けた斎場で「禊払い」が行われ、その際に神領民や崇敬者が多くの船を用意して「神様を奉迎」したことが「天神祭の由来」と名誉理事長から教えられたことがある。
・ 名誉理事長とは大阪天満宮宮司で本校の学校法人理事で名誉理事長である寺井種伯氏である。大阪府神社庁長でもある。代々寺井家が宮司を勤め寺井家は必ず名前に「種の字」が入る。
・ 昨日の24日が「宵宮」でテレビでも放映されていたが「鉾流し神事」が行われ、お祭りがスタートするのである。そして夕刻に「催太鼓」が打ち鳴らされて宵宮が終わり今日の「本宮」となる。
・ まず「陸渡御」と言うのがあり約4キロの道のりを3000人近い人々が行列を組んで練り歩くのである。「山車」「神輿」などとともに豪華な時代衣装をまとった大巡行は「栄華を極めた時代の天神祭を髣髴」とさせる。
・ そして祭りのハイライトは夕方6時過ぎから始まった「船渡御」である。陸渡御を終えた集団が天神橋北詰めから順次乗船し、「かがり火」をともした「約100隻の船団」が大川を行き交うのである。
・ 実は知人から切符を3枚頂いて「神鉾講御供船」というのに乗船したのである。後の二人は常日頃お世話になっている事務室の女性のIさんとOさんとした。お聞きするとまだ「船渡御」のお船に乗ったことはないという。ちょうど良い機会と思ったのである。
・ ただ条件は一つ「出来れば浴衣を着て欲しい」と私は言った。自分も浴衣を着るからである。これに対してはお二人とも大賛成でこういう機会でもなければ浴衣など着る機会はないのだろう。
・ ただ女性は準備が大変らしくて今日は朝の10時過ぎには早引けで帰宅して「美容院に行き着付けをしてもらう」という。自分で帯がつけられないと言う。「ウーン」という感じだ。余計なお金を使わせることになって申し訳ないことをした。
・ 2年前には名誉理事長から特別招待を受けて先頭から2船目のお船に乗って「宮司の奥様のそば」でビールを飲みながら花火を見学したものだが、有名な人が多くて気を使って余りビールも飲めなかった。
・ だが今日は一般の御供船だ。「庶民的」で気楽に行けた。まず「ご神霊」を乗せた「御奉輦」「奉安船」、「供奉船」などに続いて協賛団体や市民船といった「奉拝船」など様々な船が行き帰りしてすれ違うたびに「大阪締め」という手打ちの挨拶をする。
・ 「打ちまーしょ。ちょ、ちょん。もうひとつせー。ちょん、ちょん。」といった具合だ。お互いエールを送っているのだろう。最大の盛り上がりは「5000発の奉納花火」である。
・ この天神祭には約100名の本校生徒が輦や神輿などに担ぎ手や付き人として「神社奉仕」で参加している。衣装を替えて出ているからよく分からないが御神霊の乗られる御奉輦を担っているのはすべて本校「ラグビー部」の生徒である。
・ 他の重要な役回りのも本校の生徒がついており、教諭もAグループに3名、Bグループに2名も当てて「浪高総出で奉仕」させて頂いているのも「誇り高い」のである。私は重々事故のないように教員に注意をしたのである。
・ また今年の天神祭には裏話があって23日に40年ぶりに復活した「夜の北新地」陸渡御が行われたがこのときの神輿を「本校の神輿ではどうか」ということで宮司以下「講」の役員の方々が学校の神輿を見にみえられたのである。
・ ただ神輿の屋根に「本校の校章」がよく見える形でレリーフされていることからいかにも「ウーン」と言うお顔をされていたがまさか校章を削り取るわけにも行かず結局取りやめになった経緯があった。使ってもらえれば本校のPRになるものをと惜しんだものだった。
・ お連れした女性陣は「キャーキャー」とは行かないが大変喜んで頂いた。大阪に住んでいても100船数で100人乗ったとしても乗船できるのは10000人と言われており、延べ200万人以上の人が出るお祭りの中では「ラッキー」なことなのである。
・ 人生で一度でも船渡御に参加できれば「幸せ」と言うことだと思う。9時前には陸に上がり気持ちよく天神祭を楽しんだ。昼過ぎ突如にわかに掻き曇り、一時は一体どうなるのかと心配したが夕刻には雨も上がり絶好の花火日和となった。
・ 伊勢修養学舎も無事に終わり硬式野球は勝ったし、本当にリラックスできる週末土曜日をこのようにして私はエンジョイしたのである。