・ 7月9日のブログで記述した「お酌しません」の長野県ではないが、ただ酒の弱い人に無理に上司が「サア、飲め、飲め」と無理強いしたり、女性職員を側にはべらせて何回も注がせたりすると、今はやりの「パワハラ」まがいに成りかねないという弊害もあるだろう。
・ 「私は飲めません」と言えば良いだけの話しだし、今頃上司が「注げ、注げ」と迫るような者も居ないだろう。「感謝の気持ちに一杯お酌を」と思う心が大切で「気構え」てするものではない。
・ それに逆に女性職員の注ぎ方が上手かったりすると私は驚くのだ。この人、教員になる前には居酒屋でアルバイトでもしていたのかと思うのだ。「上司にお酌する、しない」を長野県みたいに深く考えなくとも良いではないか。「自然体」で良いではないか。
・ しかし教員は大体「酒席のマナーを知らない」。会が始って5分もすれば「席を立って動き回る」。そしてテーブルの空いた他人の席に座る者だから、一旦離れた自分の席に戻れず、もう席は「ぐちゃぐちゃ」で、そこで飲み食いが始ったら誰のコップか皿か分からなくなる。
・ 元来はその場のホストか最上席者が動いてから自分も動くか、「今日は無礼講」との許可が出るか、食事もデザートに入って席を動くのがマナーである。お酒を注ぐ所作も間違っている。まず最初に「お流れ頂戴致します」と言うのが正しい。
・ 大体見ていると上司に「最初にお酒やビールを注ぎにくる」。これは間違っていると知らねばならない。上司が自分の杯を一旦空けて、それを手に取り、最初に上司から酒なりビールを注いで貰うのが日本のマナーだ。そして飲み干した後「ご返杯致します」と言って初めて上司に注ぐのが伝統的所作である。
・ 私などは企業時代徹底的にこれらを鍛えられた。最初は「お前はマナーが出来ていない」と先輩や上司からやられたものだ。これらの基本を知った上で「応用動作」をすれば良いのだ。
・ 1年目の歓送迎会でこれを指導したら今年は大分改善されていた。しかし「行き過ぎ」だった。少なくとも同じテーブルに据わった「新人」は理事長に「挨拶」くらいしなければならない。今日は「私どものためにご招待いただき有り難うございます」くらいは言うべきである。私ならさらに付け加える。「その上理事長と同じテーブルで光栄です」くらいはお世辞でも言ったらどうだ。
・ そもそも「歓送迎会の席の配置は大変重要なマター」であり、事務長原案を私が最終判断して決める。今年は12テーブルに分けて総勢120名規模のパーティだった。私はメインテーブルで両サイドに「送別する人」を配置するまでは良かったが、ここに「6名の新人常勤講師を配置」した。
・ 私が日頃接する機会が少なく間じかにと思って選んだ人たちだった。ところが全く持って「面白くも何ともない人たちばかり」で会話も無ければ、席も全く盛り上らない。結局最後まで一滴もお酒も注いで貰えなかった。酷いのになると、「下を向いて出てくる中華料理をただ黙って食べてばっかり」という人も居た。
・ 少しくらい「ものを言えよ」と言いたかったが、楽しい席だろうから止めた。立って動き回るのは感心しないが同じテーブルの仲間だ。上司や送られる人に「挨拶や一回くらいお酌」をしても損にはならないだろう。「蓬莱の豚マン10個入りをお土産」にまで付けたのにと思った。
・ 「 別のテーブルの歓迎された新人」も挨拶くらいはしても損にはならないだろう。とにかくマナーが全く出来ていない新人が最近は多くなった。そういう若者が「お酌は嫌い」というなら最初から来るのを遠慮せよと言いたい。「酒は楽しく飲む」ものである。
・ 「もう年も取ったからこの辺で気を使いながら飲むのもしんどくなった」。教員と飲むのは「飲んで面白い、楽しい人たちとだけ飲みたい気がする」ようになってきた。話題が豊富でお酒が強くてそれで居て「礼節をわきまえた連中と飲む酒は明日への活力」となる。
・ 最も重要なことはご招待を受けた「後の対応」である。このことが「当日の酒席よりも何倍も重要」なことである。サラリーマン時代も顧客を招待したり招待されたりすることはあったが徹底的に訓練されたのは「翌日のお礼」であった。
・ 身近な上司や先輩であったらその部屋に行って「昨日はありがとうございました。大変楽しくまた勉強になりました。また機会があれば宜しくお願いします」が通常のちゃんとした「組織人の挨拶」である。
・ また顧客や特別の対象者だったりすると「礼状」をしたためるのが一般的である。場合によっては「葉書」でも良いと私は考えているが「目上にはそれではいけない。手紙にすべき」という先輩も居た。
・ とにかく大切なことは「酔いが醒めたしらふの翌日に昨日のお礼」を「述べると言う行為」が極めて重要なことなのである。翌日と言うのが重要である。これが「済んで」「一件の落着」となるのだ。ところが「これがまったく分からない人間が教員に多い」。昨夜別れるときに「お礼を言ってバイバイ」したので「あれで済んだ」と思っているのだろうがそうではない。「あれはお礼の言葉ではない。」
・ 最近続いて大阪の某団体の幹部を「本校の運動部が大変お世話になっている」から夕食懇談会にご招待したのだが数日後「見事な封書で礼状」が来た。やはりこう言う人たちは「一般的な社会常識」を有しているのである。
・ このことはこの3年間のブログで触れてはきているが圧倒的に教員は適切な対応をしてくれている。しかし中にはまったく「駄目な教員」がまだ居るのである。7月9日のケースがそうであった。
・ 4人を招待したのであるがうち2名は何の反応もない。「楽しかったのか、そうでなかったのか」感想も含めて顔を出すべきである。私は「道は遠い」と嘆息したのである。「酒席そのものよりも招待されたその後がより重要」であるということを分からねばならない。
・ 酒席における「お酒のお酌問題、酒席の途中での立ち振る舞い、翌日以降の対応」について徹底的に頭に入れておかねばならない。別に難しい話ではない。「普通の常識」である。基本的な常識をわきまえた上で「応用動作」をすれば良いのだ。
・ 基本を知らずして対応するのは「無知から来る無礼、失礼」になるだろう。私はそのように思う。他の人は他の人でお考えがあるがこれは私の譲れない考えである。
・ 結局「挨拶がちゃんとできるか、どうか」だろう。生徒には「ちゃんとした挨拶の出来る人間になろう」と教えておいて教員がそれができないと言うのは無いだろう。もう一度書いておこう。社会人になれば「招待を受ける」と言う行為も「公式儀礼」と考えたほうが良い。「儀礼の有るべき形は勉強」しなければならない。
・ そんなに難しいことをいうのなら「そんな席には行かない」と言うのでればそれで結構であるから「丁重に事前に」何かの理由をつけて「お断り」するのが良い。それが2回も続けばその後は招待は無くなるだろう。それで「人間関係はキープ」される。下手に行って失敗するよりその方が良かろうと思う。
・ 「私は飲めません」と言えば良いだけの話しだし、今頃上司が「注げ、注げ」と迫るような者も居ないだろう。「感謝の気持ちに一杯お酌を」と思う心が大切で「気構え」てするものではない。
・ それに逆に女性職員の注ぎ方が上手かったりすると私は驚くのだ。この人、教員になる前には居酒屋でアルバイトでもしていたのかと思うのだ。「上司にお酌する、しない」を長野県みたいに深く考えなくとも良いではないか。「自然体」で良いではないか。
・ しかし教員は大体「酒席のマナーを知らない」。会が始って5分もすれば「席を立って動き回る」。そしてテーブルの空いた他人の席に座る者だから、一旦離れた自分の席に戻れず、もう席は「ぐちゃぐちゃ」で、そこで飲み食いが始ったら誰のコップか皿か分からなくなる。
・ 元来はその場のホストか最上席者が動いてから自分も動くか、「今日は無礼講」との許可が出るか、食事もデザートに入って席を動くのがマナーである。お酒を注ぐ所作も間違っている。まず最初に「お流れ頂戴致します」と言うのが正しい。
・ 大体見ていると上司に「最初にお酒やビールを注ぎにくる」。これは間違っていると知らねばならない。上司が自分の杯を一旦空けて、それを手に取り、最初に上司から酒なりビールを注いで貰うのが日本のマナーだ。そして飲み干した後「ご返杯致します」と言って初めて上司に注ぐのが伝統的所作である。
・ 私などは企業時代徹底的にこれらを鍛えられた。最初は「お前はマナーが出来ていない」と先輩や上司からやられたものだ。これらの基本を知った上で「応用動作」をすれば良いのだ。
・ 1年目の歓送迎会でこれを指導したら今年は大分改善されていた。しかし「行き過ぎ」だった。少なくとも同じテーブルに据わった「新人」は理事長に「挨拶」くらいしなければならない。今日は「私どものためにご招待いただき有り難うございます」くらいは言うべきである。私ならさらに付け加える。「その上理事長と同じテーブルで光栄です」くらいはお世辞でも言ったらどうだ。
・ そもそも「歓送迎会の席の配置は大変重要なマター」であり、事務長原案を私が最終判断して決める。今年は12テーブルに分けて総勢120名規模のパーティだった。私はメインテーブルで両サイドに「送別する人」を配置するまでは良かったが、ここに「6名の新人常勤講師を配置」した。
・ 私が日頃接する機会が少なく間じかにと思って選んだ人たちだった。ところが全く持って「面白くも何ともない人たちばかり」で会話も無ければ、席も全く盛り上らない。結局最後まで一滴もお酒も注いで貰えなかった。酷いのになると、「下を向いて出てくる中華料理をただ黙って食べてばっかり」という人も居た。
・ 少しくらい「ものを言えよ」と言いたかったが、楽しい席だろうから止めた。立って動き回るのは感心しないが同じテーブルの仲間だ。上司や送られる人に「挨拶や一回くらいお酌」をしても損にはならないだろう。「蓬莱の豚マン10個入りをお土産」にまで付けたのにと思った。
・ 「 別のテーブルの歓迎された新人」も挨拶くらいはしても損にはならないだろう。とにかくマナーが全く出来ていない新人が最近は多くなった。そういう若者が「お酌は嫌い」というなら最初から来るのを遠慮せよと言いたい。「酒は楽しく飲む」ものである。
・ 「もう年も取ったからこの辺で気を使いながら飲むのもしんどくなった」。教員と飲むのは「飲んで面白い、楽しい人たちとだけ飲みたい気がする」ようになってきた。話題が豊富でお酒が強くてそれで居て「礼節をわきまえた連中と飲む酒は明日への活力」となる。
・ 最も重要なことはご招待を受けた「後の対応」である。このことが「当日の酒席よりも何倍も重要」なことである。サラリーマン時代も顧客を招待したり招待されたりすることはあったが徹底的に訓練されたのは「翌日のお礼」であった。
・ 身近な上司や先輩であったらその部屋に行って「昨日はありがとうございました。大変楽しくまた勉強になりました。また機会があれば宜しくお願いします」が通常のちゃんとした「組織人の挨拶」である。
・ また顧客や特別の対象者だったりすると「礼状」をしたためるのが一般的である。場合によっては「葉書」でも良いと私は考えているが「目上にはそれではいけない。手紙にすべき」という先輩も居た。
・ とにかく大切なことは「酔いが醒めたしらふの翌日に昨日のお礼」を「述べると言う行為」が極めて重要なことなのである。翌日と言うのが重要である。これが「済んで」「一件の落着」となるのだ。ところが「これがまったく分からない人間が教員に多い」。昨夜別れるときに「お礼を言ってバイバイ」したので「あれで済んだ」と思っているのだろうがそうではない。「あれはお礼の言葉ではない。」
・ 最近続いて大阪の某団体の幹部を「本校の運動部が大変お世話になっている」から夕食懇談会にご招待したのだが数日後「見事な封書で礼状」が来た。やはりこう言う人たちは「一般的な社会常識」を有しているのである。
・ このことはこの3年間のブログで触れてはきているが圧倒的に教員は適切な対応をしてくれている。しかし中にはまったく「駄目な教員」がまだ居るのである。7月9日のケースがそうであった。
・ 4人を招待したのであるがうち2名は何の反応もない。「楽しかったのか、そうでなかったのか」感想も含めて顔を出すべきである。私は「道は遠い」と嘆息したのである。「酒席そのものよりも招待されたその後がより重要」であるということを分からねばならない。
・ 酒席における「お酒のお酌問題、酒席の途中での立ち振る舞い、翌日以降の対応」について徹底的に頭に入れておかねばならない。別に難しい話ではない。「普通の常識」である。基本的な常識をわきまえた上で「応用動作」をすれば良いのだ。
・ 基本を知らずして対応するのは「無知から来る無礼、失礼」になるだろう。私はそのように思う。他の人は他の人でお考えがあるがこれは私の譲れない考えである。
・ 結局「挨拶がちゃんとできるか、どうか」だろう。生徒には「ちゃんとした挨拶の出来る人間になろう」と教えておいて教員がそれができないと言うのは無いだろう。もう一度書いておこう。社会人になれば「招待を受ける」と言う行為も「公式儀礼」と考えたほうが良い。「儀礼の有るべき形は勉強」しなければならない。
・ そんなに難しいことをいうのなら「そんな席には行かない」と言うのでればそれで結構であるから「丁重に事前に」何かの理由をつけて「お断り」するのが良い。それが2回も続けばその後は招待は無くなるだろう。それで「人間関係はキープ」される。下手に行って失敗するよりその方が良かろうと思う。