・ 7月9日のブログで「教員との食事懇談会」について書いた。そのブログに引き続いたものである。先に「教員を酒席に誘うのは大変難しい」と私は述べた。ここで教員と言うのは間違っているかも知れない。そう人が多いと言った方が正確である。「比率の問題」なのだと思う
・ 前任校であった実際のケースから話しを進めていこう。私は今でも忘れられない、ある教員が言った一言がある。あの教員は今でも「あの高校に居るのかなー」。一風変わった男だった。大体変わり者が多い教員だがずば抜けて変わっていた。
・ ある時「一回食事でも行きませんか」と誘ったら、この教員は組合教員であったが即座に「2000円、3000円くらいで買収されませんよ」と言うのだ。とっさに何を言っているのか判断出来なかったが、ようやく飲み込めたのである。
・ 本質の意味の理解と同時に今までそういう「安い値段の居酒屋風の飲み屋しか行ったことがなかった」ということも分かった。しかし「買収とはなァー」と苦笑いしながら「嘆息」したものだった。次のケースも面白いものだった。
・ 別のこれは「非組」の男性教員だったが、誘ったら「1000円は出させてください」というのだ。数千円かかるが「全額ご馳走になるのは嫌」だから1000円は出して「割り勘にした」とすれば「気が楽になる」というものだろう。これにも驚いたのである。
・ 私のスタイルは企業時代からそうなのだが部下や後輩を飲食に連れて行った場合は「全額、先輩の私が面倒を見る」としてきた。私の先輩から私がそのようにされて来たからだ。先輩や上司に1000円でも出させてくださいなど言うような失礼なことはない。どやしつけられる話だ。大体「男の世界」はそうだろう。
・ 以上の二つの話題は「公立の教員が有する校長に対する思いの凝縮された部分」がよく出ている。決して組合教員は校長に誘われても飲みには行かなかった。こちらも買収しようとかそのような「ケチな根性」で誘ってはいないが、そうならと二度と誘うことはなかった。それくらい前の学校は組合色の強い学校であった。
・ 私立学校に来て「果たしてこの学校はどうなんだろう」と思って「興味津々」であった。本校も府内で有名な組合の強い学校で知られていただけに、私は最初1年間は非組合教員から「ノミニュケーション」を始めた。
・ 幸い「買収される」とか「割り勘で1000円出す」というのは誰一人もいなかったし、飲んでいて「気持ちの良い教員が多い」のに気づくことになり、「私学は公立と違う」と「一安心」したのである。
・ ところが結局大きなトラブルが起きることになった。何時だったかもう忘れてしまったが、最初の準公式方の飲み会で「ある事件」が起きたのを今でも私は忘れない。20人近い飲み会だったような気がする。「校務運営委員会のメンバーを私が招待」した時だった。
・ この席で某教員が飲みながら「こんな席に来たくはなかった」と突然言い始めたのである。これには驚いて飛び上がったのを今でも覚えている。こっちは「場所を選びに選んで」全額個人持ちで招待して「銘菓饅頭のお土産」まで用意した席だった。
・ この教員は組合教員であったが、この事件は出席者全員が「この教員に非がある」と認めてその「無礼さ」を非難し、翌朝私の部屋に謝罪に来たが私は許すことが出来なかった。6月26日のブログ「学校行事の前半終了」の時にも書いたが、新しい校長に「一発かましたれ」くらいの愚かな、少なくとも賢くない方法だったのだろうが本当に驚いた。公立高校時代にもこのような教員はいなかった。
・ 嫌なら嫌で「事前に行けません」とでも言えば良いのだ。無理に誘ったわけではない。飲み始めて「言うなって!」。普通はこのような時には「お誘いを頂き有り難うございました。しかし残念ですが事前に所用が決まっていまして、今度の機会にまたお願いします」と言うのが「大人の賢い対応」だ。
・ 「飲み始めて来たくはなかった」はないだろう。あれ以来絶対にこの教員はプライベートでは誘わないことを決めた。このようなこともあって結局組合教員と席を同じくしてプライベートの飲み会を持つのは随分と遅くなってしまったのである。この事件が原因であった。
・ しかし私は組合教員と飲食する「機会を伺って」いたのである。「学校改革が軌道に乗り組合の協力が確認」されてきた時、副校長は「本校では組合も非組合も関係ないですよ。」「理事長がお誘いしたら来ますよ」というのでようやく遅れて実現した。
・ 言われるとおり全く関係なかった。私は安心してそれ以来組合非組合関係なく節目、節目にお誘いして半ば公的の飲み会を持っている。全般に組合教員は「大人」である。「良識派」であったのである。それを理事長職務代理に理解してもらうのに、その後も時間がかかることになる。それくらい組合に対しては「辛い思い出」をお持ちなのである。
・ たった一つしか学校が無い学校法人であるから、「上司と言えば実質のところは私しかいない」のだ。その上司が何かの節目に頑張ってくれている教員を「夕食懇談会に誘うのは私の仕事の一部」と思っている。
・ 誘ったから「どうこうして欲しい」などの「けちな根性」は持ち合わせていない。「ストレス発散」にでもなってくれればよいという程度である。だから「旨い物を腹いっぱい食べてそれでお終い!」だ。決して2次会には行かない。それではだらしなくなる。
・ 私の誘い方はルールがあって「関係性」を重要視している。「何かをやり遂げてくれたもの」「チームの打上げ」「専任教諭に採用されたお祝いの会」等々である。それに管理職はそういう場合メンバーに入れない。管理職が居ないほうが話も弾む。
・ 「誘われていくのも仕事の内」と割り切って考えたら良いのだ。「ただで今日は上手いものが食べられる」くらいに軽く内心で考えたら良いだけの話だ。行きたくなかったら前述したように丁重に他に理由をつけて断る、それで良いのである。
・ そして同席したら「楽しく飲みかつ食べる」。ごくごく普通のことが出来ないようでは「社会人とは言えない」。学校の先生は普通の社会人ということを忘れてはいけないと私は思うのである。とにかく酒席に誘うのは色々と気を使うのである。
・ 前任校であった実際のケースから話しを進めていこう。私は今でも忘れられない、ある教員が言った一言がある。あの教員は今でも「あの高校に居るのかなー」。一風変わった男だった。大体変わり者が多い教員だがずば抜けて変わっていた。
・ ある時「一回食事でも行きませんか」と誘ったら、この教員は組合教員であったが即座に「2000円、3000円くらいで買収されませんよ」と言うのだ。とっさに何を言っているのか判断出来なかったが、ようやく飲み込めたのである。
・ 本質の意味の理解と同時に今までそういう「安い値段の居酒屋風の飲み屋しか行ったことがなかった」ということも分かった。しかし「買収とはなァー」と苦笑いしながら「嘆息」したものだった。次のケースも面白いものだった。
・ 別のこれは「非組」の男性教員だったが、誘ったら「1000円は出させてください」というのだ。数千円かかるが「全額ご馳走になるのは嫌」だから1000円は出して「割り勘にした」とすれば「気が楽になる」というものだろう。これにも驚いたのである。
・ 私のスタイルは企業時代からそうなのだが部下や後輩を飲食に連れて行った場合は「全額、先輩の私が面倒を見る」としてきた。私の先輩から私がそのようにされて来たからだ。先輩や上司に1000円でも出させてくださいなど言うような失礼なことはない。どやしつけられる話だ。大体「男の世界」はそうだろう。
・ 以上の二つの話題は「公立の教員が有する校長に対する思いの凝縮された部分」がよく出ている。決して組合教員は校長に誘われても飲みには行かなかった。こちらも買収しようとかそのような「ケチな根性」で誘ってはいないが、そうならと二度と誘うことはなかった。それくらい前の学校は組合色の強い学校であった。
・ 私立学校に来て「果たしてこの学校はどうなんだろう」と思って「興味津々」であった。本校も府内で有名な組合の強い学校で知られていただけに、私は最初1年間は非組合教員から「ノミニュケーション」を始めた。
・ 幸い「買収される」とか「割り勘で1000円出す」というのは誰一人もいなかったし、飲んでいて「気持ちの良い教員が多い」のに気づくことになり、「私学は公立と違う」と「一安心」したのである。
・ ところが結局大きなトラブルが起きることになった。何時だったかもう忘れてしまったが、最初の準公式方の飲み会で「ある事件」が起きたのを今でも私は忘れない。20人近い飲み会だったような気がする。「校務運営委員会のメンバーを私が招待」した時だった。
・ この席で某教員が飲みながら「こんな席に来たくはなかった」と突然言い始めたのである。これには驚いて飛び上がったのを今でも覚えている。こっちは「場所を選びに選んで」全額個人持ちで招待して「銘菓饅頭のお土産」まで用意した席だった。
・ この教員は組合教員であったが、この事件は出席者全員が「この教員に非がある」と認めてその「無礼さ」を非難し、翌朝私の部屋に謝罪に来たが私は許すことが出来なかった。6月26日のブログ「学校行事の前半終了」の時にも書いたが、新しい校長に「一発かましたれ」くらいの愚かな、少なくとも賢くない方法だったのだろうが本当に驚いた。公立高校時代にもこのような教員はいなかった。
・ 嫌なら嫌で「事前に行けません」とでも言えば良いのだ。無理に誘ったわけではない。飲み始めて「言うなって!」。普通はこのような時には「お誘いを頂き有り難うございました。しかし残念ですが事前に所用が決まっていまして、今度の機会にまたお願いします」と言うのが「大人の賢い対応」だ。
・ 「飲み始めて来たくはなかった」はないだろう。あれ以来絶対にこの教員はプライベートでは誘わないことを決めた。このようなこともあって結局組合教員と席を同じくしてプライベートの飲み会を持つのは随分と遅くなってしまったのである。この事件が原因であった。
・ しかし私は組合教員と飲食する「機会を伺って」いたのである。「学校改革が軌道に乗り組合の協力が確認」されてきた時、副校長は「本校では組合も非組合も関係ないですよ。」「理事長がお誘いしたら来ますよ」というのでようやく遅れて実現した。
・ 言われるとおり全く関係なかった。私は安心してそれ以来組合非組合関係なく節目、節目にお誘いして半ば公的の飲み会を持っている。全般に組合教員は「大人」である。「良識派」であったのである。それを理事長職務代理に理解してもらうのに、その後も時間がかかることになる。それくらい組合に対しては「辛い思い出」をお持ちなのである。
・ たった一つしか学校が無い学校法人であるから、「上司と言えば実質のところは私しかいない」のだ。その上司が何かの節目に頑張ってくれている教員を「夕食懇談会に誘うのは私の仕事の一部」と思っている。
・ 誘ったから「どうこうして欲しい」などの「けちな根性」は持ち合わせていない。「ストレス発散」にでもなってくれればよいという程度である。だから「旨い物を腹いっぱい食べてそれでお終い!」だ。決して2次会には行かない。それではだらしなくなる。
・ 私の誘い方はルールがあって「関係性」を重要視している。「何かをやり遂げてくれたもの」「チームの打上げ」「専任教諭に採用されたお祝いの会」等々である。それに管理職はそういう場合メンバーに入れない。管理職が居ないほうが話も弾む。
・ 「誘われていくのも仕事の内」と割り切って考えたら良いのだ。「ただで今日は上手いものが食べられる」くらいに軽く内心で考えたら良いだけの話だ。行きたくなかったら前述したように丁重に他に理由をつけて断る、それで良いのである。
・ そして同席したら「楽しく飲みかつ食べる」。ごくごく普通のことが出来ないようでは「社会人とは言えない」。学校の先生は普通の社会人ということを忘れてはいけないと私は思うのである。とにかく酒席に誘うのは色々と気を使うのである。