・ 私は新聞が大好きであるが「スポーツ新聞」は読まない。読まないと言うより手にする機会がないだけで別に嫌っているわけではない。何時も行く「床屋さん」では進んで読むようにしている。スポーツ新聞の「幾分過激な表現方法」など勉強になるからである。しかしどうして床屋さんにはスポーツ紙が多いのであろうか。
・ そういうわけで最近その床屋で「本校OBの俳優赤井英和」さんが「50歳になった」と言う記事を目にした。「へー、もうそんなお年か」と言う感じである。万年青年と言った風情なのにと思ったのである。
・ 「浪速のロッキー」として名を馳せ、いまや好感度ナンバーワンの俳優であることは間違いない。私も今まで2回ほどあったが礼儀正しい「挨拶の出来る人」であった。浪速高校時代は本人も言っているように「幾分やんちゃ」な面もあったらしい。
・ 本校に着任した当初は「赤井は私の教え子です」と言う教員の言葉を良く耳にしたが、本当にそうであろうか。興味があった。そういう教員が複数名いたからである。しかし考えてみたら赤井さんをして「私の教え子」と簡単に言えるのであろうか。その辺を少し論考してみたい。
・ 「教科を教えた生徒」がすべて「教え子」だったら生徒にとって自分のことを「教え子」と呼ぶ先生は幼稚園から大学まで何百人になるかも知れない。塾なども入れたら大変な数になるだろうから、これはもう「教え子」とは言わないのではないか。
・ 「アララギ派」の歌人で教職生活の長かった「土屋文明」は「教え子という言い方」を激しく嫌っていたと7月8日の産経新聞に教えられた。土屋文明先生は明治23年群馬県に生まれ一髙から東京帝国大学哲学科を卒業し長野県の諏訪高等女学校、松本高等女学校などの「校長」を勤めた後法政や明治大学で教鞭とりアララギの編集に携わった歌人の第一人者で1986年には「文化勲章」を受章するなど老大家であるが、この先生が「教え子」という言い方を激しく嫌っていたというのも興味深い。
・ 巷間伝えられているところでは「思想運動」に身を投じ若くして「獄死」した伊藤千代子という教え子があり、若い人たちの「ひたむきな生き方」に触れた文明にとって「教え子」と言うのは教師の「尊大な物言い」「高慢な気風」を感じたのかもしれないと記事にはあった。
・ 教え子と言うのはあくまで「教師の側にたった言い方」で「僕はXX先生の教え子です」とは言わない。「誤用」とある。「フーン」。確かに誰からも「教え子」ですと言われても教師の側からすれば「そんな風に教えた覚えはない」などと言われたら「実も蓋もない」からだ。
・ 「仰げば尊し、わが師の恩・・・」。日本では卒業したら「恩師」と呼ぶのが一般的であったがそれは戦前の話で現代で「恩師」と呼ばれるような先生は一体いるのかと厳しい声が聞こえるが、私は「恩師と教え子」の関係で初めて双方の言葉が生きてくると思うのだ。
・ そういう意味から赤井英和さん、「あなたにとって恩師と呼ぶような先生は誰ですか」と聞いてみたい気がする。その人だけが「赤井は私の教え子」と言えるのではないか。
・ 例の「中央大学教授殺害事件」の犯人は「元教え子」だったと新聞やテレビでは「教え子」の連発であったがこれは「おかしい」と思う。恨みを持って残忍な犯行に及んだ犯人を「教え子」と表現するのはおかしい。
・ 新聞記事は「元教え子」と言う表現が間違っていたと書いてはいたが「教え子に元も今もあるまい」。教え子は教え子である。ただ亡くなった教授がこの犯人を教え子だと思っていたとは想像できないしこの犯人も「恩師」と思っていた筈はない。
・ 「 校長たる職位にあるものには教え子は一体どうなるのであろうか」。教科は教えるわけではないから、日常の接触は教師に比べて格段に少ない。生徒からは「校長先生、・・」と呼ばれたりするが彼らは私のことを「恩師」とは思っていないだろう。したがって彼らは校長の「教え子」とはならないのか。
・ まあしかし「大きな意味」で本校を卒業していった生徒は「私の教え子」だと私は思うようにしている。「個人的な思い」で深い意味はない。教職員を通じて本校の教育を展開しているのは私であるし「学校教育の一切の責任は校長」にあるからである。
・ 従って私は生徒から恩師と呼ばれる素晴らしい先生の奥にいるから「奥の院恩師」だとも考えることが出来る。同じように教え子は「又教え子」か「間接教え子」となる。まあ、そんなことはどっちでもよい・・・。
・ 言いたいことは、「生徒から恩師と呼ばれる先生になって欲しい」ということである。それが私の願いだ。そういう先生が多くなれば本校の力と名声はまだまだ上がる。そして胸を張って「あれは私の教え子です」と言えるような生徒を沢山作って欲しいのだ。
・ 「恩師と教え子と言う関係」が極めて「希薄」になってきているのではないかと心配している。公立学校は卒業した生徒が学校訪問をしたら「そんな先生、とっくの昔によその学校に転勤したよ」となるだろうが私学は違う。
・ 何時母校に行ってもお世話になった先生はいるのだ。それだけに私は私学の教員と生徒の関係はもっともっと「濃密」なものを期待している。「サラッ」とした関係をまず言うような教師では生徒から「恩師」とは呼ばれないだろう。
・ 「生徒個人」のために「自分の時間を犠牲」にして対応する先生こそが「恩師となりうる資格」を有するというのが私の考えだ。クラス全員を対象に最大公約数的対応しかしない教員は「アッサリ派の教員」でまあ単なる「給料取り教員」であって「教師ましてや恩師とはならない」だろう。
・ 教科指導というより人生の生き方などで「その後を決めた一言」を発した教師が恩師となりうるのではないか。「自分が今あるのはあの時の先生の指導のお陰でした」と言って貰えるのは教師だけである。サラリーマンにはそのようなことは無い。「仰げば尊し、我が師の恩・・・」。「教師冥利」に尽きる言葉だ。
・ そういうわけで最近その床屋で「本校OBの俳優赤井英和」さんが「50歳になった」と言う記事を目にした。「へー、もうそんなお年か」と言う感じである。万年青年と言った風情なのにと思ったのである。
・ 「浪速のロッキー」として名を馳せ、いまや好感度ナンバーワンの俳優であることは間違いない。私も今まで2回ほどあったが礼儀正しい「挨拶の出来る人」であった。浪速高校時代は本人も言っているように「幾分やんちゃ」な面もあったらしい。
・ 本校に着任した当初は「赤井は私の教え子です」と言う教員の言葉を良く耳にしたが、本当にそうであろうか。興味があった。そういう教員が複数名いたからである。しかし考えてみたら赤井さんをして「私の教え子」と簡単に言えるのであろうか。その辺を少し論考してみたい。
・ 「教科を教えた生徒」がすべて「教え子」だったら生徒にとって自分のことを「教え子」と呼ぶ先生は幼稚園から大学まで何百人になるかも知れない。塾なども入れたら大変な数になるだろうから、これはもう「教え子」とは言わないのではないか。
・ 「アララギ派」の歌人で教職生活の長かった「土屋文明」は「教え子という言い方」を激しく嫌っていたと7月8日の産経新聞に教えられた。土屋文明先生は明治23年群馬県に生まれ一髙から東京帝国大学哲学科を卒業し長野県の諏訪高等女学校、松本高等女学校などの「校長」を勤めた後法政や明治大学で教鞭とりアララギの編集に携わった歌人の第一人者で1986年には「文化勲章」を受章するなど老大家であるが、この先生が「教え子」という言い方を激しく嫌っていたというのも興味深い。
・ 巷間伝えられているところでは「思想運動」に身を投じ若くして「獄死」した伊藤千代子という教え子があり、若い人たちの「ひたむきな生き方」に触れた文明にとって「教え子」と言うのは教師の「尊大な物言い」「高慢な気風」を感じたのかもしれないと記事にはあった。
・ 教え子と言うのはあくまで「教師の側にたった言い方」で「僕はXX先生の教え子です」とは言わない。「誤用」とある。「フーン」。確かに誰からも「教え子」ですと言われても教師の側からすれば「そんな風に教えた覚えはない」などと言われたら「実も蓋もない」からだ。
・ 「仰げば尊し、わが師の恩・・・」。日本では卒業したら「恩師」と呼ぶのが一般的であったがそれは戦前の話で現代で「恩師」と呼ばれるような先生は一体いるのかと厳しい声が聞こえるが、私は「恩師と教え子」の関係で初めて双方の言葉が生きてくると思うのだ。
・ そういう意味から赤井英和さん、「あなたにとって恩師と呼ぶような先生は誰ですか」と聞いてみたい気がする。その人だけが「赤井は私の教え子」と言えるのではないか。
・ 例の「中央大学教授殺害事件」の犯人は「元教え子」だったと新聞やテレビでは「教え子」の連発であったがこれは「おかしい」と思う。恨みを持って残忍な犯行に及んだ犯人を「教え子」と表現するのはおかしい。
・ 新聞記事は「元教え子」と言う表現が間違っていたと書いてはいたが「教え子に元も今もあるまい」。教え子は教え子である。ただ亡くなった教授がこの犯人を教え子だと思っていたとは想像できないしこの犯人も「恩師」と思っていた筈はない。
・ 「 校長たる職位にあるものには教え子は一体どうなるのであろうか」。教科は教えるわけではないから、日常の接触は教師に比べて格段に少ない。生徒からは「校長先生、・・」と呼ばれたりするが彼らは私のことを「恩師」とは思っていないだろう。したがって彼らは校長の「教え子」とはならないのか。
・ まあしかし「大きな意味」で本校を卒業していった生徒は「私の教え子」だと私は思うようにしている。「個人的な思い」で深い意味はない。教職員を通じて本校の教育を展開しているのは私であるし「学校教育の一切の責任は校長」にあるからである。
・ 従って私は生徒から恩師と呼ばれる素晴らしい先生の奥にいるから「奥の院恩師」だとも考えることが出来る。同じように教え子は「又教え子」か「間接教え子」となる。まあ、そんなことはどっちでもよい・・・。
・ 言いたいことは、「生徒から恩師と呼ばれる先生になって欲しい」ということである。それが私の願いだ。そういう先生が多くなれば本校の力と名声はまだまだ上がる。そして胸を張って「あれは私の教え子です」と言えるような生徒を沢山作って欲しいのだ。
・ 「恩師と教え子と言う関係」が極めて「希薄」になってきているのではないかと心配している。公立学校は卒業した生徒が学校訪問をしたら「そんな先生、とっくの昔によその学校に転勤したよ」となるだろうが私学は違う。
・ 何時母校に行ってもお世話になった先生はいるのだ。それだけに私は私学の教員と生徒の関係はもっともっと「濃密」なものを期待している。「サラッ」とした関係をまず言うような教師では生徒から「恩師」とは呼ばれないだろう。
・ 「生徒個人」のために「自分の時間を犠牲」にして対応する先生こそが「恩師となりうる資格」を有するというのが私の考えだ。クラス全員を対象に最大公約数的対応しかしない教員は「アッサリ派の教員」でまあ単なる「給料取り教員」であって「教師ましてや恩師とはならない」だろう。
・ 教科指導というより人生の生き方などで「その後を決めた一言」を発した教師が恩師となりうるのではないか。「自分が今あるのはあの時の先生の指導のお陰でした」と言って貰えるのは教師だけである。サラリーマンにはそのようなことは無い。「仰げば尊し、我が師の恩・・・」。「教師冥利」に尽きる言葉だ。