2009年12月21日月曜日

12月21日(月)教育雑誌







・ 仕事柄、「教育に関する書物」はよく読むが分厚いものは段々と敬遠するようになってきた。「集中力」が続かなくなるからである。面倒くさくなるのである。一種の「堕落」である。その点、冊子風の週刊誌や月刊誌は読みやすくて大いに助かるのである。
・ 意識して「自己を管理」しなければならない。「唯我独尊」に陥っては危険であると自戒しているが、「人間とは愚か」で頭では分かっていても実際となると「実態は違う」という場面は多い。
・ 教職員が「理事長、それはちょっと疑問・・・?」と言ってくれれば良いが、彼らにしてみたら、理事長・校長に対してそれほど「簡単な話」ではなかろうと思う。管理職はこの点、朝会が主体であるが、「議論」というものがあり、トップの意見に意見をぶつけてくる。これが大変私には助かっている。
・ 管理職は「教職員の声」を私に届けなければならない。同時に「私の思い」を教職員に伝えることが仕事である。「天の声」など学校にあってはならないと思っている。特に私が気を付けているのがこの点である。
・ 従って私にとって本を読むのは「外部の声に耳を貸す」という意味がある。その一つの方法に小冊子があるのである。現在本校は「週間教育プロ」という週刊誌と「教育再生」「私学経営」「選択」という月刊誌を定期購読している。
・ この4冊で十分であり、あと必要な場合は「正論」「WILL」などの月刊雑誌を特集記事を新聞広告などから知って興味が湧けば書店で購入する。常に「頭をやわらかく」するために「教育の専門家の実践論や視点」などは経営や校務運営に大きな「滋養」を与えてくれていると思っている。
・ 「教育再生」12月号は特別インタビュー記事として「京都大学経済研究所所長の西村和雄先生」が登場しており「モラルの高い子供は学力も高い」と題して大変に興味ある内容となっていた。
・ ご存知、西村先生は教育界を超えて大変有名な先生で、今や日本の「オピニオンリーダー」であり、私は「信奉者」の一人である。例の「分数ができない大学生」という衝撃的なタイトルで1999年に一冊の本を発刊され、社会の普通の人々にも分かる形で「ゆとり教育の弊害」を浮き彫りにされたお方である。
・ 「西村史観」とも言うべき論理的な教育問題の歴史的考察を分かりやすく紐解いておられる。「ゆとり教育の失われた30年」「教科統合という魔物」「偏差値一掃と相対評価から絶対評価へ」「浸透する左翼の教育観」「モラルの高い子は学力も高い」との順番でご意見を披露されているのである。
・ そして最後が「四つの教え、一貫性を持って子供に接する」と結論を導いておられるのだがこの四つの教えに大変関心がわく。「人に親切にする」「嘘をつかない」「法を犯さない」「勉強する」と一見当たり前のようであるがよくよく考えてみると全くそのとおりだと思うのである。
・ 西村先生といえば大変有名なお言葉として「学習指導要領は国家の耐震基準のようなものであり、鉄筋の太さや数と似ている」との名言をはかれた先生であるが、インタビュアーの石井昌浩先生も「ゆとり教育の影響でちょっとした地震に遭遇するとすぐに倒壊する子供たち」と断じておられる。
・ 石井昌浩先生とは東京都の教育行政に長年携わり、国立市の教育長を勤められ、国立市の「偏向教育」を改革されたことで知られた実践派の教育者である。特に扶桑者から出された「丸投げされる学校」は戦後の学習指導要領を分析されており、日本教育界の「失われた30年」はインパクトがある。
・ 西村先生のご発言の中で私は「我が意を得たり」という特筆の部分は「まず人間の知識習得過程の基本は「真似て覚える」ことが原則であると言われる。これが「極めて単純な教育の常識」という考えを持つことであると。
・ 難しいことではない。まず「真似て覚えさせよ」といわれているのである。「考えて学ぶ」などは赤ん坊が言葉を覚えるのと違って幼少期にはあり得ない話で経験させて考えるということは教育の根本原則から外れていると言われるのである。
・ 確かに戦後の教育で「教えるのではなくて経験させて」という「経験主義教育」がはびこったが結果的には失敗した。これは人間というものが「学んで成長して行く」というプロセスを無視しているからだと言われているのである。
・ そして先生は日本は長い間「価値観の押し付け」と「徳育教育」をないがしろにしてきた「付け」が現在の姿だと言われる。これでは「モラルの高い子は育たない」。「やってはいけないこと、やらなければならないこと」を明確にしてしっかりと言わねばならないと教えられているのである。
・ まだ私の頭には「モラルが高いから学力が上がってくるのか、学力が高いからモラルも必然的についてくる」のか整理されていないが、8年の校長経験で間違いなく言えることは「学力とモラルは深い相関関係」があるということだ。
・ このようなことを一息ついて考えさせるところに「読書の効果」がある。硬直化していく脳内の酸化物を溶かし再生していく効果がある。ただ重要なことは一方で「信念」が必要である。
・ 軸がぶれてあちこち振り回されては周囲が迷惑を蒙る話である。根はしっかりとし、幹と小枝は「ゆらゆら」としても良いが、「しなやかさ」を失わないようにしていきたいと何時も思っているのである。
・ ところで教員も勉強をし続けなければなるまい。ところが実態はそのようになっているか。「教員の常識は社会の非常識」という飛語の類があるが「凝り固まった概念」にとらわれて「カチカチ頭」の教員を目にするがこれなど自らが「人間の幅」を広げる努力が求められる。
・ 確かに教員は「授業という定常業務に加えて非定常な仕事が突発的」にあったりで忙しいのは分かっているが、そのために「教師という職業への社会の尊敬のまなざしと処遇」を与えられているはずである。
・ 教職員も勉強し続け、管理職や経営者はその数倍も勉強しなければなるまい。「生涯学習」は学校社会のためにあるような言葉だと最近ではつくづくと思っているのである。「研究会」に入ったり本を読んだり、特に「他校の先生とお付き合い」する機会は教員にとって極めて効果ある学習の機会である。「井の中の蛙」となってはならない。