・ 昨日のブログにも書いたが昨日は「2学期の終業式」であり、またこの日は今年最後の「職員会議」の日であった。開始時間は2時30分でこの職員会議を楽しみにしていたのである。私はこの職員会議で全教職員に「どうしても伝えたいこと」があったのである。
・ 実は昨日の12月22日はちょうど3年前の同じ日に私が「理事長に就任した日」であった。平成18年12月22日大阪府神社庁で行われた理事会で私は学校法人大阪国学院の理事長に、そして平成19年4月からは「浪速中学校高等学校校長を兼務」することも合わせ決定された日であったのである。
・ 「あれから3年、ちょうどあれから3年である。」私の人生にとってまさに「忘れられない3年」となった。しかしよくよく考えてみると私は今まで「何時も同じようなことを言っている」ような気がする。
・ 次に与えられた「新しい仕事」が私に何時もそのように思わせるのである。私の人生はおそらく他の人々と同じであろうが、何時も「山あり谷あり」の「波瀾万丈」「波乱万丈」だ。
・ 一つの舞台が終われば又荷物をまとめて次の巡業地へと出発する「旅回り一人一座の座長」ではないかと思うこともある。脚本、主演、監督すべてをこなす「一人芝居」である。
・ 人は「豪腕木村が歩く」と言い「改革が歩く」と言われてきた。「豪腕民間人校長」「パワーの塊」などと「あることないこと」を言われ、とにかく様々に言われて来たが「浪速舞台の3年間のロングラン公演」は「現役最終章の舞台」としては忘れられないものになりそうである。
・ 3年というのは一つの節目である。政治の世界では鳩山首相の「宰相としての資質の問題」がささやかれ始めてきた。人間的には「優しい感じの目配り気配り人間」で決して嫌いなタイプではないがどうも民主党政権が「ダッチロール現象」を始めてきたように見える。
・ その原因は何かという問題であるが「決めるべき人が決めないから」である。「決められない」のかも知れないがここに根本原因がある。党には小沢一郎という豪腕政治家がいるが彼は「独裁的に全てを決めている」のである。これでは「政と党の役割分担」と言っても機能するわけがない。
・ 今朝の朝刊には注目する記事があり、「自民党の前厚生労働省大臣であった舛添要一」氏が今の自民党には「小沢一郎以上の独裁的リーダーが必要」と言っている。「調整型のトップ」ではもはや乗り切れないというのである。「全く同感」である。
・ 自民党の再生ではなくて「新生」だと言うのである。自分がトップになったら「既存の秩序を無視し、全く新しい概念を導入する」と強調していた。「全くその通り」である。舛添内閣が出来たら8人くらい民主党から抜擢するとまで言っている。選挙候補者はすべて公募で決めるという。「分かる話」である。
・ 鳩山総理は「政治主導」といっているが既存の仕組みの中で進めているから「思い切ったことが出来ない」のである。あの鳩山内閣の各大臣を見ればよく分かる。野党時代と違って既存の秩序に乗っかかっているから、何か自民党の大臣みたいに見えてならない。
・ 「橋下知事を見よ」。たった一人で「魔窟みたいな巨大な行政組織に単身乗り込み」、「好きなようにやっている」ではないか。政策には反論もあるが「組織の改革」に「調整型」では全く斬り込むことは出来ない。彼も独裁者である。
・ 人間は悲しいもので「可愛いのは自分だけ」なのである。「自分と家族が損をしなければ」其れで良いのである。そこには「高邁な理論」があっても「自分が損をする」となると「反対に回る」のである。典型的な「総論賛成、各論反対」なのである。
・ 「100人の組織の意見を一つにまとめるなど不可能である。」だから「決める人が必要」なのである。そうでなければ組織は動かない。リーダーが決めなければ全てが「現状維持」となる。人間は「現状維持が最も心地よい」のである。「改革は不安」なのである。
・ 「万機公論にて決すべし」「衆議を尽くして」などというが、組織を構成する人間はまず「頭の出来具合」「蓄積された知識と能力」「年齢と経験」「育ってきた環境と現在の家庭環境」「個人資産と稼ぎ」等々どれをとっても一つとして同じものはない。
・ そのような状況下で「喧々諤々」やっても「結論」など出てくるわけが無い。「民主的」というのはそのような「プロセスを担保」したうえで「決めるべき人が決める」ということである。
・ 決めるべき人間が一人で決めないと「時間がかかるばかり」で「結局何も変わらない」ということになる。自民党政治もそうだったし今の鳩山総理も同じ構図である。「学校とて全く同じ」である。教員が賛否を問うて多数決で決めて改革など出来るわけが無い。
・ 「しんどいことはいやだ」「これ以上仕事が増えたら困る」「誰がやるの」「責任は誰が取るの」「手当ては出るの」などなど出てくるから前に進めないのである。「だから学校は変わらなかった。本校も「地獄の一歩手前」まで来ていたのである。
・ 私はこの3年間「決め続けてきた。」「全てを決めてきた。」「浪速の再生ではなくて新生」として何でもかんでも独りで決めてきた。「創業」という言葉を使った。既存の延長線上に現在の浪速は無い。「新しい浪速を創る」ためにたった一人で決めてきた。
・ 昨日の職員会議でこの3年を振り返り、「改革の結果が現在の浪速であり展望」であると私は述べた。「改革をして何も見た目が変わらないのはそれは改革ではない」と私は強調した。「現状を見よ。変わったではないか」と私は具体例を挙げて話した。
・ 多くの生徒を集め、あらゆる施設設備をリフレッシュしてきた。進学実績も上がってきた。これが「改革の成果」であり、これを成し遂げたのは「トップの描く海図」に乗っ取って全教職員が「持ち場、持ち場で仕事をした結果」に他ならないと強調したのである。
・ 「理事長・校長と一般の教職員との仕事は質も量も全く異なる。視点は別の次元の話である。」とも私は述べた。管理職とは一般の教職員と違う仕事をしてこそ価値があるのであると言った。「教職員に経営の仕事はお願いしていない」とも言った。「自分の持ち場でベストの仕事をせよ」と言ったのである。
・ そして3年前に私が着任した時に「白けた」「一発かました」「無礼千万な振る舞い」をした教職員は「反省せよ」と言ったのである。「人間の品格の問題」でもあると言ったのである。
・ そして最後に私は「新校舎を建設」し大変動の真っ只中にある大阪の私学の中で「浪速に勤めている誇り」を今まで以上に持てるように「舵取り」を誤らないようにしたいと述べ、「皆さんの力があれば出来る」と申し述べたのである。
・ 楽な仕事などどこに行ってもあるわけが無い。苦しいがそれが仕事である。楽をしたければ金剛山の山上にでも「庵」を結んで行けばよいと私は言ったのである。社会人、プロの仕事人とは「仕事に立ち向かって行き、結果を出す」ことであると強調したのである。
・ 実は昨日の12月22日はちょうど3年前の同じ日に私が「理事長に就任した日」であった。平成18年12月22日大阪府神社庁で行われた理事会で私は学校法人大阪国学院の理事長に、そして平成19年4月からは「浪速中学校高等学校校長を兼務」することも合わせ決定された日であったのである。
・ 「あれから3年、ちょうどあれから3年である。」私の人生にとってまさに「忘れられない3年」となった。しかしよくよく考えてみると私は今まで「何時も同じようなことを言っている」ような気がする。
・ 次に与えられた「新しい仕事」が私に何時もそのように思わせるのである。私の人生はおそらく他の人々と同じであろうが、何時も「山あり谷あり」の「波瀾万丈」「波乱万丈」だ。
・ 一つの舞台が終われば又荷物をまとめて次の巡業地へと出発する「旅回り一人一座の座長」ではないかと思うこともある。脚本、主演、監督すべてをこなす「一人芝居」である。
・ 人は「豪腕木村が歩く」と言い「改革が歩く」と言われてきた。「豪腕民間人校長」「パワーの塊」などと「あることないこと」を言われ、とにかく様々に言われて来たが「浪速舞台の3年間のロングラン公演」は「現役最終章の舞台」としては忘れられないものになりそうである。
・ 3年というのは一つの節目である。政治の世界では鳩山首相の「宰相としての資質の問題」がささやかれ始めてきた。人間的には「優しい感じの目配り気配り人間」で決して嫌いなタイプではないがどうも民主党政権が「ダッチロール現象」を始めてきたように見える。
・ その原因は何かという問題であるが「決めるべき人が決めないから」である。「決められない」のかも知れないがここに根本原因がある。党には小沢一郎という豪腕政治家がいるが彼は「独裁的に全てを決めている」のである。これでは「政と党の役割分担」と言っても機能するわけがない。
・ 今朝の朝刊には注目する記事があり、「自民党の前厚生労働省大臣であった舛添要一」氏が今の自民党には「小沢一郎以上の独裁的リーダーが必要」と言っている。「調整型のトップ」ではもはや乗り切れないというのである。「全く同感」である。
・ 自民党の再生ではなくて「新生」だと言うのである。自分がトップになったら「既存の秩序を無視し、全く新しい概念を導入する」と強調していた。「全くその通り」である。舛添内閣が出来たら8人くらい民主党から抜擢するとまで言っている。選挙候補者はすべて公募で決めるという。「分かる話」である。
・ 鳩山総理は「政治主導」といっているが既存の仕組みの中で進めているから「思い切ったことが出来ない」のである。あの鳩山内閣の各大臣を見ればよく分かる。野党時代と違って既存の秩序に乗っかかっているから、何か自民党の大臣みたいに見えてならない。
・ 「橋下知事を見よ」。たった一人で「魔窟みたいな巨大な行政組織に単身乗り込み」、「好きなようにやっている」ではないか。政策には反論もあるが「組織の改革」に「調整型」では全く斬り込むことは出来ない。彼も独裁者である。
・ 人間は悲しいもので「可愛いのは自分だけ」なのである。「自分と家族が損をしなければ」其れで良いのである。そこには「高邁な理論」があっても「自分が損をする」となると「反対に回る」のである。典型的な「総論賛成、各論反対」なのである。
・ 「100人の組織の意見を一つにまとめるなど不可能である。」だから「決める人が必要」なのである。そうでなければ組織は動かない。リーダーが決めなければ全てが「現状維持」となる。人間は「現状維持が最も心地よい」のである。「改革は不安」なのである。
・ 「万機公論にて決すべし」「衆議を尽くして」などというが、組織を構成する人間はまず「頭の出来具合」「蓄積された知識と能力」「年齢と経験」「育ってきた環境と現在の家庭環境」「個人資産と稼ぎ」等々どれをとっても一つとして同じものはない。
・ そのような状況下で「喧々諤々」やっても「結論」など出てくるわけが無い。「民主的」というのはそのような「プロセスを担保」したうえで「決めるべき人が決める」ということである。
・ 決めるべき人間が一人で決めないと「時間がかかるばかり」で「結局何も変わらない」ということになる。自民党政治もそうだったし今の鳩山総理も同じ構図である。「学校とて全く同じ」である。教員が賛否を問うて多数決で決めて改革など出来るわけが無い。
・ 「しんどいことはいやだ」「これ以上仕事が増えたら困る」「誰がやるの」「責任は誰が取るの」「手当ては出るの」などなど出てくるから前に進めないのである。「だから学校は変わらなかった。本校も「地獄の一歩手前」まで来ていたのである。
・ 私はこの3年間「決め続けてきた。」「全てを決めてきた。」「浪速の再生ではなくて新生」として何でもかんでも独りで決めてきた。「創業」という言葉を使った。既存の延長線上に現在の浪速は無い。「新しい浪速を創る」ためにたった一人で決めてきた。
・ 昨日の職員会議でこの3年を振り返り、「改革の結果が現在の浪速であり展望」であると私は述べた。「改革をして何も見た目が変わらないのはそれは改革ではない」と私は強調した。「現状を見よ。変わったではないか」と私は具体例を挙げて話した。
・ 多くの生徒を集め、あらゆる施設設備をリフレッシュしてきた。進学実績も上がってきた。これが「改革の成果」であり、これを成し遂げたのは「トップの描く海図」に乗っ取って全教職員が「持ち場、持ち場で仕事をした結果」に他ならないと強調したのである。
・ 「理事長・校長と一般の教職員との仕事は質も量も全く異なる。視点は別の次元の話である。」とも私は述べた。管理職とは一般の教職員と違う仕事をしてこそ価値があるのであると言った。「教職員に経営の仕事はお願いしていない」とも言った。「自分の持ち場でベストの仕事をせよ」と言ったのである。
・ そして3年前に私が着任した時に「白けた」「一発かました」「無礼千万な振る舞い」をした教職員は「反省せよ」と言ったのである。「人間の品格の問題」でもあると言ったのである。
・ そして最後に私は「新校舎を建設」し大変動の真っ只中にある大阪の私学の中で「浪速に勤めている誇り」を今まで以上に持てるように「舵取り」を誤らないようにしたいと述べ、「皆さんの力があれば出来る」と申し述べたのである。
・ 楽な仕事などどこに行ってもあるわけが無い。苦しいがそれが仕事である。楽をしたければ金剛山の山上にでも「庵」を結んで行けばよいと私は言ったのである。社会人、プロの仕事人とは「仕事に立ち向かって行き、結果を出す」ことであると強調したのである。