・ 一昨日学校に来られた理事長職務代理は「大体この時期理事長は生徒募集で心配だ、心配だ、と何時も言われてますなー」と言われた。その通りで12月から来年の3月までが私が罹る通年の「心配症候群」が表に出る時である。
・ 「私は心配性」である。どちらかと言うと「気の大きい」方でないかもしれない。「成るようになるさ」と「楽天的になれない性格」だと思う。どちらかと言えば「楽天的」を忌み嫌うところがある。
・ さも「大物ぶって」「どーん」と構えていることが「格好良い」とも思わないのである。一学校を預かっていることは「一国を預かっている」ことと同じことだと言った人がいるがそれくらい学校長は、特に私立の学校長は「学校を守る為」に神経を使う。
・ 中でも「生徒募集」である。それは「生徒が来なくなったらお仕舞い」だからである。生徒が来てくれさえしておれば「学校は終わらない」。学校として経営できる適切な生徒数はあるのだろが、それが幾らなのかは一概には言えない。
・ 本校では中学で何名、高校で何名と「新経営計画」に反映された「基準生徒数」はあるが、「多ければ多いほど良い」のは当たり前である。特に「耐震強度のすぐれた新校舎建設」には「尋常ではない資金」がいる。公立ではないから全くの「私費」でやらねばならないから「生徒数は絶対的な支配要因」なのである。
・ 「多ければ多いほど良い」と言ったが必ずしもそうとはならないのが難しいところである。中学校の進路指導は徹底して「輪切り」を行い簡単に言えば「偏差値」で高校進路先を決めているからである。
・ 悔しいけど「灘高校」や「東大寺学園」を狙う生徒が「浪速高校」も選択肢として考えるということはないのである。偏差値とその範囲内にある学校を進路指導の先生は進める。そうしないと行くところがなくなって「15の春を泣かす」ことになるからである。
・ ただ最近の私立高校は今後「ウィング」を広げた生徒募集になってくるというのは事実で「少子化」の中で「このゾーンだけ」という贅沢な、ある面思い上がった選別はできなくなるのではないか。
・ 生き延びていくために「あらゆる階層から生徒を集め」、そのレベルにあった教育を展開していける私立学校こそ「強い学校」と言えるのかもしれない。もう「東大に何名、京大に何名」というような時代は廃れていくのではないかという気もする。
・ 本日は「第3回目の高校入試説明会」であり、来週中学の5回目があるがこれは規模も小さく,今日の高校が「今年最後のメインイベント」であることは間違いない。これで高校は修了する。10月以来月に一回定期的にやってきたもののファイナルである。
・ これで年明けの始業式8日から「教育相談」が始まる。この日から府内各中学校から進路担当者が本校にまさしく具体的な進路相談に来られるのである。「浪速さんを受けさせて大丈夫でしょうか?」とデータを持って校長先生が自ら来られることも多い。
・ 本校の場合、今日の3回目が今までの統計データでは最も参加数が多く、「勢いを占う」数値となるだけに極めて我々は「重要視」しているのである。そして「固唾を呑んで」この日を待つのである。
・ このため入試広報室は資料準備に余念がなく、特に私の冒頭の話の準備に今回は殊更手をかけてきた。出来ては見直し、他のデータを追加するなど「念には念」を入れて来たのである。
・ はっきり言って私は「浪速木村一座」の座長であり、私の話が全てである。私は振り付けを行い、主役を張るのである。どの組織とも同じで「誰がトップか」が今日では極めて重要なファクターとなってきている。トップが先頭に立たないと「戦に勝てる」わけがない。
・ 校長が冒頭「ご挨拶」などと言って「意味もないような話」などでは保護者は満足してくれない。「トップ自らが自分の言葉で話す」ことがまずスタートである。入試広報室は「校長ご挨拶」という言葉をようやく止めて、今日は「昨今の高校をめぐる状況と本校教育の目指すところ」とタイトルが変わった。
・ その背景は「公立高校の授業料無償化」があり、この「重要アイテム」が「私立の募集にどのような影響を与えるかということは誰も分からないからである。それも今年だけの問題ではないと思っている。それは23年度から府立高校にはマスコミで言う「超エリート養成校」が府下で10校できることの影響も考えなければならない。
・ 元々強い大阪の公立高校が知事自らの肝いりで最強の公立を作ると宣言し、あまつさえ無償となったら「進学志向の私立高校」には大きな影響が出てくるのか。若しそうなればレベル2番手校への影響はどうなるのか。そこへ持ってきて「公私比率7対3」が遂に崩れた。見えないことが余りにも大きいのである。
・ 「心配症」とはこういうことであり、逆にこれを考えないほうがおかしいのである。心配性とは悪いことではない。その分「対応策を幅広に考えていく」ことにつながる。心配性が「気力を萎えさせる」なら全く意味はないが、逆に「闘志を燃やす」ものであれば心配性を歓迎しなければならない。私は闘志を燃やす。心配性で強気である。
・ 心配性は必然的にしつこくなる。あらゆることに気を配り、目配りする癖が身についておりそれが時に「しつこく」なるのである。良い表現を使えば「徹底度が違う」ということであろうか。しつこいくらいな人間でないと重要な仕事は任せられない。
・ 「私はアッサリ人間です」という輩は「自分はアホです」と言っているのと同じだと思っているから「心配症でしつこい人間」を私は評価する。要は「仕事の徹底度と完成度」が問題なのである。
・ そういうわけで今日は「過去新記録の参加者を得た。」「良かった」と全ての教職員の顔に笑みが溢れていた。学校中のパイプ椅子を全て並べたが足りないくらいだった。今後のこともあるから買い増しをしなければならない。しかしそれでも私は「専願者は?」「併願もどりは?」と心配しているのだ。心配性なのである。
・ 「私は心配性」である。どちらかと言うと「気の大きい」方でないかもしれない。「成るようになるさ」と「楽天的になれない性格」だと思う。どちらかと言えば「楽天的」を忌み嫌うところがある。
・ さも「大物ぶって」「どーん」と構えていることが「格好良い」とも思わないのである。一学校を預かっていることは「一国を預かっている」ことと同じことだと言った人がいるがそれくらい学校長は、特に私立の学校長は「学校を守る為」に神経を使う。
・ 中でも「生徒募集」である。それは「生徒が来なくなったらお仕舞い」だからである。生徒が来てくれさえしておれば「学校は終わらない」。学校として経営できる適切な生徒数はあるのだろが、それが幾らなのかは一概には言えない。
・ 本校では中学で何名、高校で何名と「新経営計画」に反映された「基準生徒数」はあるが、「多ければ多いほど良い」のは当たり前である。特に「耐震強度のすぐれた新校舎建設」には「尋常ではない資金」がいる。公立ではないから全くの「私費」でやらねばならないから「生徒数は絶対的な支配要因」なのである。
・ 「多ければ多いほど良い」と言ったが必ずしもそうとはならないのが難しいところである。中学校の進路指導は徹底して「輪切り」を行い簡単に言えば「偏差値」で高校進路先を決めているからである。
・ 悔しいけど「灘高校」や「東大寺学園」を狙う生徒が「浪速高校」も選択肢として考えるということはないのである。偏差値とその範囲内にある学校を進路指導の先生は進める。そうしないと行くところがなくなって「15の春を泣かす」ことになるからである。
・ ただ最近の私立高校は今後「ウィング」を広げた生徒募集になってくるというのは事実で「少子化」の中で「このゾーンだけ」という贅沢な、ある面思い上がった選別はできなくなるのではないか。
・ 生き延びていくために「あらゆる階層から生徒を集め」、そのレベルにあった教育を展開していける私立学校こそ「強い学校」と言えるのかもしれない。もう「東大に何名、京大に何名」というような時代は廃れていくのではないかという気もする。
・ 本日は「第3回目の高校入試説明会」であり、来週中学の5回目があるがこれは規模も小さく,今日の高校が「今年最後のメインイベント」であることは間違いない。これで高校は修了する。10月以来月に一回定期的にやってきたもののファイナルである。
・ これで年明けの始業式8日から「教育相談」が始まる。この日から府内各中学校から進路担当者が本校にまさしく具体的な進路相談に来られるのである。「浪速さんを受けさせて大丈夫でしょうか?」とデータを持って校長先生が自ら来られることも多い。
・ 本校の場合、今日の3回目が今までの統計データでは最も参加数が多く、「勢いを占う」数値となるだけに極めて我々は「重要視」しているのである。そして「固唾を呑んで」この日を待つのである。
・ このため入試広報室は資料準備に余念がなく、特に私の冒頭の話の準備に今回は殊更手をかけてきた。出来ては見直し、他のデータを追加するなど「念には念」を入れて来たのである。
・ はっきり言って私は「浪速木村一座」の座長であり、私の話が全てである。私は振り付けを行い、主役を張るのである。どの組織とも同じで「誰がトップか」が今日では極めて重要なファクターとなってきている。トップが先頭に立たないと「戦に勝てる」わけがない。
・ 校長が冒頭「ご挨拶」などと言って「意味もないような話」などでは保護者は満足してくれない。「トップ自らが自分の言葉で話す」ことがまずスタートである。入試広報室は「校長ご挨拶」という言葉をようやく止めて、今日は「昨今の高校をめぐる状況と本校教育の目指すところ」とタイトルが変わった。
・ その背景は「公立高校の授業料無償化」があり、この「重要アイテム」が「私立の募集にどのような影響を与えるかということは誰も分からないからである。それも今年だけの問題ではないと思っている。それは23年度から府立高校にはマスコミで言う「超エリート養成校」が府下で10校できることの影響も考えなければならない。
・ 元々強い大阪の公立高校が知事自らの肝いりで最強の公立を作ると宣言し、あまつさえ無償となったら「進学志向の私立高校」には大きな影響が出てくるのか。若しそうなればレベル2番手校への影響はどうなるのか。そこへ持ってきて「公私比率7対3」が遂に崩れた。見えないことが余りにも大きいのである。
・ 「心配症」とはこういうことであり、逆にこれを考えないほうがおかしいのである。心配性とは悪いことではない。その分「対応策を幅広に考えていく」ことにつながる。心配性が「気力を萎えさせる」なら全く意味はないが、逆に「闘志を燃やす」ものであれば心配性を歓迎しなければならない。私は闘志を燃やす。心配性で強気である。
・ 心配性は必然的にしつこくなる。あらゆることに気を配り、目配りする癖が身についておりそれが時に「しつこく」なるのである。良い表現を使えば「徹底度が違う」ということであろうか。しつこいくらいな人間でないと重要な仕事は任せられない。
・ 「私はアッサリ人間です」という輩は「自分はアホです」と言っているのと同じだと思っているから「心配症でしつこい人間」を私は評価する。要は「仕事の徹底度と完成度」が問題なのである。
・ そういうわけで今日は「過去新記録の参加者を得た。」「良かった」と全ての教職員の顔に笑みが溢れていた。学校中のパイプ椅子を全て並べたが足りないくらいだった。今後のこともあるから買い増しをしなければならない。しかしそれでも私は「専願者は?」「併願もどりは?」と心配しているのだ。心配性なのである。