・ 職業病と言うべきか、何処に行ってもその地方の高等学校が気にかかる。「日本列島最南端の高校」がこの石垣島にあるのである。沖縄県立八重山高校である。ここは普通科だが後八重山商工と八重山農林高校と合計3校ある。
・ 特に八重山商工は野球の強豪校で甲子園でも活躍している。ロッテの大嶺選手などを輩出している有名な高校である。その側を通って八重山ホテルに行く。引率のI教諭が遠征に慶応高校とか10校もこの石垣島に来ていますと私に耳打ちしてきた。
・ 温暖でゆっくりと体をほぐし、春に備えるキャンプ地としてはこの島は最高なのかも知れない。しかし高校野球でもキャンプとはいささか驚く。とにかく「堺市に本格的グラウンド」を持つからキャンプとは行かないが、今後は「肩身の狭い」ことは無くなるだろう。
・ もうひとつ私の趣味はこの地方から出た有名人を探ることである。この石垣島は野球、ボクシング、ゴルフなどスポーツ選手や歌手など芸能人も多く輩出しているのである。そう、あの「涙そうそう」を作り唄ったビギンと夏川りみさんもこの地の出身である。「さとうきび畑」が多くあった。
・ 夏川さんの実家はホテルの近くでお母さんがスナックを経営されているという。涙そうそうのお陰か、最近「二軒目のお店」を出したと運転手さんが言っていた。観光客が多くてリクエスト曲は勿論涙そうそうばかりと言う。
・ 又石垣島は稲作でも「2毛作、3毛作」で既に「田植えは終わっていた」のである。お米作りに適した土地柄ということは豊かなことであろう。それに「海草の消費率が日本一」ということで長寿の国かも知れない。料理には必ず「もずく」が出てくるという感じである。
・ さて今日はこの修学旅行の最初のメインメニューとも言うべき「竹富島散策」の日である。石垣島から最も近い離島で「赤レンガの家屋」「白砂の小道」「年中咲き誇る南国の花々」「八重山の古き町並み」と観光雑誌にはある。
・ 敢えて今回の企画は生徒にこのような古い町並みを感じてもらうために石垣本島を後に回して朝一番にフエリーにて石垣港から竹富島に渡った。10分である。朝は比較的ゆっくりして生徒や教職員は「野外活動」に相応しい服装で集合である。
・ とにかく天気は28度で雲一つない晴天である。蒸し暑いくらいであるが外に出ると風が極めて心地よいのである。私は日焼けをした。それにしても「素晴らしい一日」であった。「満喫した一日」とでも書こう。生徒も完全に満足していた様子であった。
・ 朝ホテルをチェックアウトする時に荷物はまとめて今日のホテルである西表島の「ニラカナイ」に直送する。ニラカナイとは「楽園」と言う意味を込めた言葉と聞いたがそれは又明日のブログで書く積りである。
・ 生徒には帽子、ウィンドブレーカーを必需品として教員が指導徹底していたが、帽子を被っているのは少なかった。最近の生徒はどうも帽子を被らないのか。竹富島では「サイクリング」で島巡りである。このサイクリングが良いのである。全周囲で9キロくらいと言うから丁度良い。
・ 観光用に「水牛車」というのがあるが「レンタサイクル」が便利である。1時間300円、一日で1500円ですでに全生徒分を予約しているそうだ。一方「水牛車」は竹富島の名物であるが私は「ウーン」という思いである。
・ ガイドが三線を爪弾きながら唄う「安里屋ユンタ」の曲が情景にマッチして最高に雰囲気を盛り上げるらしいが、水牛が可哀想で私は好きではないので本校は全員が自転車だ。自転車の方が何倍も面白い。
・ タクシーやレンタカーなどないから歩くか自転車であるがこのサイクリングを生徒は喜んでいた。「和みの塔」「星砂の浜」とか見所も多くあって風を切って自転車にはのるが心情は「ゆったり、のんびり島巡り」というところである。
・ 「昼食は石垣島で入手した弁当」であった。点呼をかねて港に呼んで一人一人に手渡すのである。生徒には好評だったみたいだ。ここでも「もずく」があった。トンカツや唐揚げなどが特に男子生徒には受け入れられたみたいで皆自転車こぎでお腹が空いたのかパクパク食べていた。食べた後又自転車で島めぐりに再出発した。
・ しかしこの竹富島は「ワンダフル」である。町並みが何とも言えず味わい深い。赤い瓦で背の低い屋根、白漆喰で瓦が固定され、赤というか黄色と言うかその瓦の色としっくいの白のコンビが「絶妙」である。
・ 屋根にはあるいは門には「魔よけ」の「シーサー」が存在感溢れて「ここにまします」と言う感じである。年代物であればあるほど格好が良いのである。「亜熱帯特有の花」が年中咲き誇っており、町並みには花が溢れている。
・ 「竹豊小学校や中学校も花で囲まれている」。このような学校で学んだ子どもたちはきっと「優しい」生徒に育つことだろう。それにもう一つ気付いたことは先人や偉人の銅像や彫像などが至るところにあるのである。
・ 苦しい時代を経験し今日の有りがたさを忘れない「島の人々の人間的良心」を示している。私は多いに感じるものがあったのである。勿論生徒たちは気付いていないが同じ日本人としてこのような離島で暮らす人々のことを忘れてはいけないと思った。この美しい「エメラルドブルーの海」を大切にしていかないとつくづくと思ったのである。
・ 竹富島を15時に終わり今日の宿泊場所である「西表島」に高速船で渡る。通常は武豊島と西表には定期航路はないため一旦石垣港に戻るところであったが今日は「チャーター」して直接西表の大浦港に入った。40分である。
・ 西表島は八重山諸島で最も個性的な島と言う。「西表島」と書いて「いりおもてじま」とは普通は読めないだろう。この島ですぐ「イリオモテヤマネコ」を思い出す人は相当な教養人であり、知識人である。私はヤマネコの入ったT-シャツを一枚買った。100匹程度生息していると聞いた。
・ 「島は90%が亜熱帯のジャングルであり、希少な野生動物の宝庫」である。とにかくこの島は「ヤマネコ」がキーワードとなる。ホテルも連泊で生徒には落ち着いて亜熱帯をエンジョイできるはずである。港からホテルまでは道は一直線で信号も一つ。約1時間かけてホテルに到着した。これ以降は明日のブログで。
・ 特に八重山商工は野球の強豪校で甲子園でも活躍している。ロッテの大嶺選手などを輩出している有名な高校である。その側を通って八重山ホテルに行く。引率のI教諭が遠征に慶応高校とか10校もこの石垣島に来ていますと私に耳打ちしてきた。
・ 温暖でゆっくりと体をほぐし、春に備えるキャンプ地としてはこの島は最高なのかも知れない。しかし高校野球でもキャンプとはいささか驚く。とにかく「堺市に本格的グラウンド」を持つからキャンプとは行かないが、今後は「肩身の狭い」ことは無くなるだろう。
・ もうひとつ私の趣味はこの地方から出た有名人を探ることである。この石垣島は野球、ボクシング、ゴルフなどスポーツ選手や歌手など芸能人も多く輩出しているのである。そう、あの「涙そうそう」を作り唄ったビギンと夏川りみさんもこの地の出身である。「さとうきび畑」が多くあった。
・ 夏川さんの実家はホテルの近くでお母さんがスナックを経営されているという。涙そうそうのお陰か、最近「二軒目のお店」を出したと運転手さんが言っていた。観光客が多くてリクエスト曲は勿論涙そうそうばかりと言う。
・ 又石垣島は稲作でも「2毛作、3毛作」で既に「田植えは終わっていた」のである。お米作りに適した土地柄ということは豊かなことであろう。それに「海草の消費率が日本一」ということで長寿の国かも知れない。料理には必ず「もずく」が出てくるという感じである。
・ さて今日はこの修学旅行の最初のメインメニューとも言うべき「竹富島散策」の日である。石垣島から最も近い離島で「赤レンガの家屋」「白砂の小道」「年中咲き誇る南国の花々」「八重山の古き町並み」と観光雑誌にはある。
・ 敢えて今回の企画は生徒にこのような古い町並みを感じてもらうために石垣本島を後に回して朝一番にフエリーにて石垣港から竹富島に渡った。10分である。朝は比較的ゆっくりして生徒や教職員は「野外活動」に相応しい服装で集合である。
・ とにかく天気は28度で雲一つない晴天である。蒸し暑いくらいであるが外に出ると風が極めて心地よいのである。私は日焼けをした。それにしても「素晴らしい一日」であった。「満喫した一日」とでも書こう。生徒も完全に満足していた様子であった。
・ 朝ホテルをチェックアウトする時に荷物はまとめて今日のホテルである西表島の「ニラカナイ」に直送する。ニラカナイとは「楽園」と言う意味を込めた言葉と聞いたがそれは又明日のブログで書く積りである。
・ 生徒には帽子、ウィンドブレーカーを必需品として教員が指導徹底していたが、帽子を被っているのは少なかった。最近の生徒はどうも帽子を被らないのか。竹富島では「サイクリング」で島巡りである。このサイクリングが良いのである。全周囲で9キロくらいと言うから丁度良い。
・ 観光用に「水牛車」というのがあるが「レンタサイクル」が便利である。1時間300円、一日で1500円ですでに全生徒分を予約しているそうだ。一方「水牛車」は竹富島の名物であるが私は「ウーン」という思いである。
・ ガイドが三線を爪弾きながら唄う「安里屋ユンタ」の曲が情景にマッチして最高に雰囲気を盛り上げるらしいが、水牛が可哀想で私は好きではないので本校は全員が自転車だ。自転車の方が何倍も面白い。
・ タクシーやレンタカーなどないから歩くか自転車であるがこのサイクリングを生徒は喜んでいた。「和みの塔」「星砂の浜」とか見所も多くあって風を切って自転車にはのるが心情は「ゆったり、のんびり島巡り」というところである。
・ 「昼食は石垣島で入手した弁当」であった。点呼をかねて港に呼んで一人一人に手渡すのである。生徒には好評だったみたいだ。ここでも「もずく」があった。トンカツや唐揚げなどが特に男子生徒には受け入れられたみたいで皆自転車こぎでお腹が空いたのかパクパク食べていた。食べた後又自転車で島めぐりに再出発した。
・ しかしこの竹富島は「ワンダフル」である。町並みが何とも言えず味わい深い。赤い瓦で背の低い屋根、白漆喰で瓦が固定され、赤というか黄色と言うかその瓦の色としっくいの白のコンビが「絶妙」である。
・ 屋根にはあるいは門には「魔よけ」の「シーサー」が存在感溢れて「ここにまします」と言う感じである。年代物であればあるほど格好が良いのである。「亜熱帯特有の花」が年中咲き誇っており、町並みには花が溢れている。
・ 「竹豊小学校や中学校も花で囲まれている」。このような学校で学んだ子どもたちはきっと「優しい」生徒に育つことだろう。それにもう一つ気付いたことは先人や偉人の銅像や彫像などが至るところにあるのである。
・ 苦しい時代を経験し今日の有りがたさを忘れない「島の人々の人間的良心」を示している。私は多いに感じるものがあったのである。勿論生徒たちは気付いていないが同じ日本人としてこのような離島で暮らす人々のことを忘れてはいけないと思った。この美しい「エメラルドブルーの海」を大切にしていかないとつくづくと思ったのである。
・ 竹富島を15時に終わり今日の宿泊場所である「西表島」に高速船で渡る。通常は武豊島と西表には定期航路はないため一旦石垣港に戻るところであったが今日は「チャーター」して直接西表の大浦港に入った。40分である。
・ 西表島は八重山諸島で最も個性的な島と言う。「西表島」と書いて「いりおもてじま」とは普通は読めないだろう。この島ですぐ「イリオモテヤマネコ」を思い出す人は相当な教養人であり、知識人である。私はヤマネコの入ったT-シャツを一枚買った。100匹程度生息していると聞いた。
・ 「島は90%が亜熱帯のジャングルであり、希少な野生動物の宝庫」である。とにかくこの島は「ヤマネコ」がキーワードとなる。ホテルも連泊で生徒には落ち着いて亜熱帯をエンジョイできるはずである。港からホテルまでは道は一直線で信号も一つ。約1時間かけてホテルに到着した。これ以降は明日のブログで。