・ イヤー、「昨日は大失敗をしてしまった。」まだ心が痛む。月曜日には関係の先生と生徒に謝らないといけないなー。本当に大失敗である。最も仕事をさぼって失敗したわけではなくて、しっかりと仕事はしていたのだが、「優先順位」を考えれば間違いなく失敗であった。
・ 昨日、「堺のグラウンド」の工事現場を視察して、その足で「多聞尚学館」に激励に出かけた。グラウンドの方は当に工事の山場で私出なければ誰も決められないことが多く、多聞では「成績優秀層120名の春季セミナー」が行われており、そこにも激励に行かねばならなかったのである。
・ 学校に戻ってきたのが確か3時30分過ぎだったと思う。入試広報室のT副室長が部屋に入ってきて「にこにこ、にやにや」しながら、どちらかといえばニヤニヤに近いのだが「今、吹奏楽部の第1回定期演奏会から帰って来ました。これ写真です。」と言ってCDを渡してくれたのである。その時の私の叫び声は「アッジャー」だったと思う。
・ 前から頼まれ、生徒からも直接案内頂いていたのに「まったく、すっかり失念」していた。T先生から聞かされるまで全く自覚がなかった。「ウーン、これはまずかった」と後悔しても「時既に遅し」で、畳み掛けるようにT先生は「良かったですよ。ウフフ」と言うのである。
・ 吹奏楽部は私が着任して以来「特別強化支援クラブ」として位置づけ、3年経った。このクラブが3年目で初めて「定期演奏会」をしてくれたのである。「素晴しい」ことで私は「絶対、行くぞ!」と約束していたのに完全に忘れていたのである。
・ どうも最近このようなことが目立つようになってきた。前にもこのような場面があった。時に「ポカッ」と記憶が抜けるのである。「ぼけ始めた」のかも知れない。教職員は今後私の予定は事務のIさんにもしっかりと伝え、予定に入れて貰った方が良い。
・ 私からIさんに「予定に入れるよう」言っておくと、朝一番にIさんは「今日の予定と来客は・・・云々」と言ってくれるから確実なものになる。ところが私に直接言っても、それがIさんに伝わらないとこのような事態を招くことがある。私は手帳へも記帳していなかった。
・ それに2週間も前に言われても2週間は長く、記憶が飛んでしまうことがあるから出来れば、前日くらいに「明日は宜しく御願いします」くらいあっても良いのではないか。大体朝会で教頭などからも何の話もなかった。しかし教頭はしっかりと行っていたと聞いた。
・ 私は来週から大きなクラブの行事も朝会で連絡を求めるようにしようと決心した。何か責任転嫁みたいに聞こえるかも知れないが、とにかく「次々と予定が入り」、飛び込みで教員が入って来る。特に「併願戻り」が気になっていたし、来週の31日にある理事会・評議員会の段取りなど、脳への血流が奔流しているからこういうことになる。
・ 場所は学校から歩いて15分程度の近くの住吉区民大ホールでこれも私を責める。お客様も多かったと前述のT先生はニヤニヤしながら言っていたな。「プログラム」も立派なものが出来ており、これは恐らく生徒の手作りだろう。
・ その中には顧問団の先生方の挨拶文があった。「さて本校吹奏楽部は長年部員数1~3名程度で小アンサンブルを楽しむ程度の活動しかできておりませんでした。しかしながら平成19年に就任された木村理事長校長が学校改革を進められ、その年度より中学校も共学となったこともあり、「女生徒が部活動で活動することで学校の活性化」という方針のもと、吹奏楽部に特別な支援をして頂きました。そのお陰で部員数も格段に増え始め、学校内の行事だけでなく徐々に地域の行事にも参加・・・」と見事に言い当ててくれている。
・ そうなのである。私は徹底的に吹奏楽部を支援してきたのである。支援というのはどういうことか。ここが木村流である。「口だけ頑張ってだけなら意味はない」。トップの支援とはそういうものではない。
・ 私は年間300万円で3年間継続して「楽器を揃えて」あげたのである。22年度も更に部員数の増とどうしても欲しい楽器があるとのことで今年を一応の区切りとして300万円を計上したのである。顧問団も生徒も大喜びであった。
・ 加えて入学式においてはわざわざ「ブラバンに入ってくれたら楽器を差し上げます」と誤解を招くような言い方で校長自ら加入作戦を展開したのである。それが今や「府内高校生のコンクール」に出場できるまでに成長したのである。
・ あつ、今思い出した。コンクールにもお誘いいただいていたがこれもすっかり忘れて行かなかったのである。重ね重ね申し分けないことをした。まあしかしスポンサーは余り偉そうに顔を出さないほうが生徒は緊張しなくて良いという意見もあるかもしれない。しかしこれは「下手な弁明」である。
・ この「吹奏楽部を指導してくれたのは現在中学校籍のN先生」である。人格温厚にして気配り心配りの出来る人物である。私は高く評価している。一言で言えば「心根の優しい」先生である。
・ 英語の教師であるが元々は音楽大学に進みたいと思っておられたという話をお聞きしたこともある。地域でも音楽活動をされているらしくとにかく作曲もお出来になるし、吹奏楽部の指導者としては格好の人材を私は得ていたのである。
・ 先生の将来のキャリアを考え、私はこのN先生を4月から「高校2年生の学年主任」に異動させる人事を決めてすでに公表している。N先生は4月2日からこの11月に初めて行う「海外修学旅行の責任者としてフランスに下見として旅立つ」。
・ その代わり同じ顧問団の女性の先生である「U常勤講師を専任教諭として採用」し、4月からは中学1年生の担任とした。この先生は社会科の教師であるが教師としても高い才能を有し、吹奏楽の指導には卓越した能力を有しておられるので私もN先生も安心なのである。U先生は一部のコンダクターとして見事に「指揮棒」を振られたと聞いた。お写真では実物より大きく見える。
・ 以上のように最近は「この道一筋」というよりか「複線」として「何かを極める」というのが主流に成って来ていないか。私は大変良く分かるのである。「生業(なりわい)」としての職業の専門性ともう一つ「人生を豊かに彩る複線」がこれらの先生では音楽であり吹奏楽団だったのであろう。
・ とにかく又何時かはブラスバンド部の発表会はあるだろう。そのときは必ず絶対に行かねばならない。しかし気をつけておかないと又失敗するかもしれない。吹奏楽部にはとにかく「大きく、強く、楽しく、仲良く発展して欲しい」と思う。
・ 特別教科クラブはまず吹奏楽部から始まった。次に「雅楽部」も加えた。そして今は「ボーイスカウト団」だがこれは今一つ何をして良いのか分かっていないからもう少し勉強が必要である。
・ 次は「茶道部」である。新武道館には素晴しい「お茶室」が出来る。「雅楽も専用の練習場」が武道館に出来る。特に茶道部は「創部」から始めないといけないから大変だが人材はいる。とにかく頑張って欲しい。
・ 運動部には文句は言わせない。空手、柔道、弓道、剣道には「新武道館」が完成するし、野球、サッカー、ラグビーには専用の「フル規格装備のグラウンド」が完成する。テニスには素晴しい「3面の人工芝コート」が既に出来ている。
・ これらから思えばまだまだブラスバンド部には楽器を揃えてあげても良いかなとも思う。とにかく私は「文武両道の学校つくり」を邁進する。以上はすべて私の時代に手配したものだが、各クラブの指導者は私の「心と投資」に応えて力を付けなければならない。
・ 「部活動は教育の一環」である。遊びではないのである。そして最も教育効果のあることは「試合に勝つこと」であり、「上手くなる」ことである。ここまで貴重なお金を使って成果が出ない、勝てないようでは駄目だ。
・ 教員は「本気になって部活動指導をして欲しい」と思う。そのために私は「スポーツ特待生制度」を一部改めることとした。「きれいごと」など言っておられない。本校は私学であり、「激しい生き残り競争に勝つためには部活動の活性化」は避けては通れないのである。これはこの3年間私立高校で頑張ってきた「私の結論と覚悟」である。
・ 昨日、「堺のグラウンド」の工事現場を視察して、その足で「多聞尚学館」に激励に出かけた。グラウンドの方は当に工事の山場で私出なければ誰も決められないことが多く、多聞では「成績優秀層120名の春季セミナー」が行われており、そこにも激励に行かねばならなかったのである。
・ 学校に戻ってきたのが確か3時30分過ぎだったと思う。入試広報室のT副室長が部屋に入ってきて「にこにこ、にやにや」しながら、どちらかといえばニヤニヤに近いのだが「今、吹奏楽部の第1回定期演奏会から帰って来ました。これ写真です。」と言ってCDを渡してくれたのである。その時の私の叫び声は「アッジャー」だったと思う。
・ 前から頼まれ、生徒からも直接案内頂いていたのに「まったく、すっかり失念」していた。T先生から聞かされるまで全く自覚がなかった。「ウーン、これはまずかった」と後悔しても「時既に遅し」で、畳み掛けるようにT先生は「良かったですよ。ウフフ」と言うのである。
・ 吹奏楽部は私が着任して以来「特別強化支援クラブ」として位置づけ、3年経った。このクラブが3年目で初めて「定期演奏会」をしてくれたのである。「素晴しい」ことで私は「絶対、行くぞ!」と約束していたのに完全に忘れていたのである。
・ どうも最近このようなことが目立つようになってきた。前にもこのような場面があった。時に「ポカッ」と記憶が抜けるのである。「ぼけ始めた」のかも知れない。教職員は今後私の予定は事務のIさんにもしっかりと伝え、予定に入れて貰った方が良い。
・ 私からIさんに「予定に入れるよう」言っておくと、朝一番にIさんは「今日の予定と来客は・・・云々」と言ってくれるから確実なものになる。ところが私に直接言っても、それがIさんに伝わらないとこのような事態を招くことがある。私は手帳へも記帳していなかった。
・ それに2週間も前に言われても2週間は長く、記憶が飛んでしまうことがあるから出来れば、前日くらいに「明日は宜しく御願いします」くらいあっても良いのではないか。大体朝会で教頭などからも何の話もなかった。しかし教頭はしっかりと行っていたと聞いた。
・ 私は来週から大きなクラブの行事も朝会で連絡を求めるようにしようと決心した。何か責任転嫁みたいに聞こえるかも知れないが、とにかく「次々と予定が入り」、飛び込みで教員が入って来る。特に「併願戻り」が気になっていたし、来週の31日にある理事会・評議員会の段取りなど、脳への血流が奔流しているからこういうことになる。
・ 場所は学校から歩いて15分程度の近くの住吉区民大ホールでこれも私を責める。お客様も多かったと前述のT先生はニヤニヤしながら言っていたな。「プログラム」も立派なものが出来ており、これは恐らく生徒の手作りだろう。
・ その中には顧問団の先生方の挨拶文があった。「さて本校吹奏楽部は長年部員数1~3名程度で小アンサンブルを楽しむ程度の活動しかできておりませんでした。しかしながら平成19年に就任された木村理事長校長が学校改革を進められ、その年度より中学校も共学となったこともあり、「女生徒が部活動で活動することで学校の活性化」という方針のもと、吹奏楽部に特別な支援をして頂きました。そのお陰で部員数も格段に増え始め、学校内の行事だけでなく徐々に地域の行事にも参加・・・」と見事に言い当ててくれている。
・ そうなのである。私は徹底的に吹奏楽部を支援してきたのである。支援というのはどういうことか。ここが木村流である。「口だけ頑張ってだけなら意味はない」。トップの支援とはそういうものではない。
・ 私は年間300万円で3年間継続して「楽器を揃えて」あげたのである。22年度も更に部員数の増とどうしても欲しい楽器があるとのことで今年を一応の区切りとして300万円を計上したのである。顧問団も生徒も大喜びであった。
・ 加えて入学式においてはわざわざ「ブラバンに入ってくれたら楽器を差し上げます」と誤解を招くような言い方で校長自ら加入作戦を展開したのである。それが今や「府内高校生のコンクール」に出場できるまでに成長したのである。
・ あつ、今思い出した。コンクールにもお誘いいただいていたがこれもすっかり忘れて行かなかったのである。重ね重ね申し分けないことをした。まあしかしスポンサーは余り偉そうに顔を出さないほうが生徒は緊張しなくて良いという意見もあるかもしれない。しかしこれは「下手な弁明」である。
・ この「吹奏楽部を指導してくれたのは現在中学校籍のN先生」である。人格温厚にして気配り心配りの出来る人物である。私は高く評価している。一言で言えば「心根の優しい」先生である。
・ 英語の教師であるが元々は音楽大学に進みたいと思っておられたという話をお聞きしたこともある。地域でも音楽活動をされているらしくとにかく作曲もお出来になるし、吹奏楽部の指導者としては格好の人材を私は得ていたのである。
・ 先生の将来のキャリアを考え、私はこのN先生を4月から「高校2年生の学年主任」に異動させる人事を決めてすでに公表している。N先生は4月2日からこの11月に初めて行う「海外修学旅行の責任者としてフランスに下見として旅立つ」。
・ その代わり同じ顧問団の女性の先生である「U常勤講師を専任教諭として採用」し、4月からは中学1年生の担任とした。この先生は社会科の教師であるが教師としても高い才能を有し、吹奏楽の指導には卓越した能力を有しておられるので私もN先生も安心なのである。U先生は一部のコンダクターとして見事に「指揮棒」を振られたと聞いた。お写真では実物より大きく見える。
・ 以上のように最近は「この道一筋」というよりか「複線」として「何かを極める」というのが主流に成って来ていないか。私は大変良く分かるのである。「生業(なりわい)」としての職業の専門性ともう一つ「人生を豊かに彩る複線」がこれらの先生では音楽であり吹奏楽団だったのであろう。
・ とにかく又何時かはブラスバンド部の発表会はあるだろう。そのときは必ず絶対に行かねばならない。しかし気をつけておかないと又失敗するかもしれない。吹奏楽部にはとにかく「大きく、強く、楽しく、仲良く発展して欲しい」と思う。
・ 特別教科クラブはまず吹奏楽部から始まった。次に「雅楽部」も加えた。そして今は「ボーイスカウト団」だがこれは今一つ何をして良いのか分かっていないからもう少し勉強が必要である。
・ 次は「茶道部」である。新武道館には素晴しい「お茶室」が出来る。「雅楽も専用の練習場」が武道館に出来る。特に茶道部は「創部」から始めないといけないから大変だが人材はいる。とにかく頑張って欲しい。
・ 運動部には文句は言わせない。空手、柔道、弓道、剣道には「新武道館」が完成するし、野球、サッカー、ラグビーには専用の「フル規格装備のグラウンド」が完成する。テニスには素晴しい「3面の人工芝コート」が既に出来ている。
・ これらから思えばまだまだブラスバンド部には楽器を揃えてあげても良いかなとも思う。とにかく私は「文武両道の学校つくり」を邁進する。以上はすべて私の時代に手配したものだが、各クラブの指導者は私の「心と投資」に応えて力を付けなければならない。
・ 「部活動は教育の一環」である。遊びではないのである。そして最も教育効果のあることは「試合に勝つこと」であり、「上手くなる」ことである。ここまで貴重なお金を使って成果が出ない、勝てないようでは駄目だ。
・ 教員は「本気になって部活動指導をして欲しい」と思う。そのために私は「スポーツ特待生制度」を一部改めることとした。「きれいごと」など言っておられない。本校は私学であり、「激しい生き残り競争に勝つためには部活動の活性化」は避けては通れないのである。これはこの3年間私立高校で頑張ってきた「私の結論と覚悟」である。