・ 現在本校に勤務して頂いている「常勤講師の先生は42名」である。このうち結婚や婚約者の転勤、海外留学、故郷に戻る、他に私立高校勤務などで「合計10名の先生がこの3月末で退職」される。
・ 正直この10名の中には「居て欲しいな」と思う先生が居なかったわけではない。この中で3人の講師の先生は副校長から話を聞いた時点で即刻私の部屋で面談し、「本当に辞めて良いのですか?」「後で後悔しないのですか?」などと話をしたものだった。3人とも女性の先生であった。
・ しかし人間は「一旦辞めると決意」したら、もう「魂」は体から離れて、元に戻すことは出来ないものである。今回もそれが良く分かった。「人生いろいろ」だから、赤塚日出夫さんではないが「それで良いのだ」として諦めたのである。そしてこれら以外の32名の常勤講師の先生に兼ねてから計画していた「小論文提出」をお願いした。年初であったと思う。
・ 本校ホームページにアップしている「理事長・校長の公式メッセージと校長日記」を平成21年1月分から12月分までのものから「印象に残った、意見がある等々のもの」を「20件選び」、そのうち「トップ3」について「2000字程度の小論文」の提出をお願いしたのである。
・ 勿論強制ではなくて時間が無い場合は不要とした。その結果2名の常勤講師の先生が未提出であったが、これについては「なんら問題はなく」、このことで理事長が直接この二人の教員に「理由の詮索やあれこれ」いうことはしなかった。誤解を受けていけない。
・ 時期が時期だったから「これは理事長の専任教諭採用試験ではないか」と「早合点」する向きも居たかも知れないが、そういうことではまったくない。理由は後述する。しかしこの種の「早合点は悪いことではなくて、反射神経の鋭さ」を示していると考えれば悪いことではない。現実に今度専任に採用される常勤講師の中にはレベルの高いものばかりではなかったのである。
・ 論文を提出してくれた先生でトップバッターは1月18日には提出された。この早さには驚いたのである。「教員の習性」として、生徒には提出物を急がせる割に自分たちのこのような「提出物はギリギリ最後」というのが多い。何時も事務室が「まだ出ない、遅い」などと泣いているのである。
・ これに対してこの先生は1週間後には出てきたのである。本当に深く考察して提出されたのか幾分心配になったのであるが結果的にこの先生の論文は「ちゃんと形になっていた」のである。恐らく毎日読む中でどこかに留めて考察していたのかも知れない。
・ 締め切りは2月15日の16時とした。1ヶ月後の最終日に提出した先生が10名でその前1週間を含めると相当の多さになっていた。こういうギリギリに出すというのもどういう神経なのだろうか。未だに良く分からない。
・ 「推敲して推敲して文章を作ったのか」、忘れていてギリギリになったのか、そういうことはどうでも良いが、心理として「前後左右」を見ながら「他の様子を伺う」ということもあったのかも知れない。忙しいといっても休日はあるし、夜が遅いといっても毎日毎日帰宅が遅いわけでもあるまい。
・ ブログと言っても私の「校長日記」はほぼ毎日更新で一回の分量はA4版で2枚である。目を通すといっても昨年度は1月から12月末までに「354件」ある。これを一ヶ月の間に読み通すのは楽な作業ではあるまい。毎日目を通しておれば別だが。
・ 私の校長日記は「学校を舞台にした実況生中継」である。言ってみれば「ライブ中継」なのである。又私の頭の中にあるビデオやDVDを使って「録画」しており、場面、場面が切り取られて夜に「放映」されているのである。すなわち「アップ」である。
・ 全てを録画しているから「繰り返し映像化」されるし、後日必要な時に「その場面を呼び出す」ことも出来るのである。「ブログはタイミングも重要」であり、故に「新聞記事などがブログ内容を先導」するケースも多いのである。
・ 観客の中には「放映と同時に見入る」人も居る。又放映が遅くなったり、舞台が休演となったら、時に叱られたり心配されたりする。中には夜アップした時に読み、翌朝再度読むという人もある。こういう人は「私の演出」を知っているのである。
・ 「文章がどんどん変わっていく」ことを知っているのである。中には私に対して「最初の方が面白かったです」という人もいるのである。書き進めアップしたが「少し緩めよう」とか、逆に「これでは伝わらない」と表現を強める場合もある。
・ 又これは「自分のことだ」と思い込む人の中には「褒めて頂いてありがとうございます」と翌朝礼に来るものもいるが絶対に特定できないように書いているのであり、あくまで「ネットの世界のこと」である。「公式にはバーチャルの世界の話」である。
・ そして「私的」には、他人事ではなくて「我が事として受け止める」という姿勢を期待しているのである。私のブログのメインの目的は「教職員への教唆、仕掛け、拘束力のない指示、意識変革への訴え、社会常識の伝達」などほとんど「全てが教職員向け」を念頭に書いているのである。
・ 次いで本校の理事・評議員、保護者、塾関係者、中学校関係者、一般の本校に関心をお持ちの府民の皆様という順番であろう。生徒については決して積極的ではないしその意思もない。ただ生徒の中には「校長のブログにはまっている」という声を聞かないわけではない。余りこういう声は聞きたくはない。生徒は国語や社会や英語の教科書を読んでおいて欲しい。
・ ところで常勤講師にお願いした小論文は、ほぼ毎日目を通し、気なるものはチェックでもしておかないと1ヶ月間程度では幾らなんでも無理がある。「セレクト20件」と「トップ3」はそういう観点からお願いしたものである。
・ 私みたいに「自分の言葉で自分の考えを書いて、書いて、書きまくる」人間には、逆に私の日記にボールを投げ返してくる人間の「読みきり力とその心象風景」が手に取るように分かるのである。「ぱらぱら」とタイトルだけ目で追ってかすかな記憶をたどって小論文を書き上げた人はすぐ分かる。
・ 上位3件について「意見を述べよ」だから取り合えず三つを選んでその論評をまとめれば形は出来るのである。しかしこういう手練手管はすぐ分かるのである。例えばある常勤講師の先生をお部屋に呼んで「貴方の選んだセレクト20の内17番めについて論評して欲しい」と私は来た時に見事に答えられるかどうかだろう。
・ 354件のうち20件だから5.6%程度だ。だから出来ない話ではないはずである。常勤講師には最新鋭(?)の「ノートブックパソコンを個人保持として貸与」している。ツールはお渡ししている。まあ一日5分程度時間を取って読めない話ではないだろうと思うのである。
・ 今年4月に専任教諭に採用されることが内定している9人の先生の履歴書と論文を理事長職務代理にお渡しして昨日この論文を元に「面接」があった。このように論文は何回も活用されていく。
・ 「4月から本校に来て頂く常勤講師」の先生の小論文を読ませて頂いた。正直言って今いる先生よりも論文のレベルは高い人が多い。「読みきる力と考察力、そして自分の表現力」がある。一言で言えば「発信力」だろう。このことは副校長と全く同意見であった。
・ 恐らく自分の職場への期待とまだ顔さえ知らぬ理事長・校長が書くブログが「新鮮」なのだと思う。逆に言えば、何時までも「新鮮さを保つことは難しい」ということを示しているのではないか。「常勤講師のまま古く」なっていっては仕方があるまい。
・ 良い悪いを超越してこれほどの「学習、研究、勉強、自覚、覚悟に値する教師としての教材」はあるまいに。そう思って書いている。私は「趣味」で書いているのではない。本校で働く以上は理事長校長の考えを本校の「教職員は知る権利」があると思って「分かり易く、親切に」、毎日毎日書いているのである。これは「道楽ではない」のである。形を変えた「説明責任」と考えている。
・ 正直この10名の中には「居て欲しいな」と思う先生が居なかったわけではない。この中で3人の講師の先生は副校長から話を聞いた時点で即刻私の部屋で面談し、「本当に辞めて良いのですか?」「後で後悔しないのですか?」などと話をしたものだった。3人とも女性の先生であった。
・ しかし人間は「一旦辞めると決意」したら、もう「魂」は体から離れて、元に戻すことは出来ないものである。今回もそれが良く分かった。「人生いろいろ」だから、赤塚日出夫さんではないが「それで良いのだ」として諦めたのである。そしてこれら以外の32名の常勤講師の先生に兼ねてから計画していた「小論文提出」をお願いした。年初であったと思う。
・ 本校ホームページにアップしている「理事長・校長の公式メッセージと校長日記」を平成21年1月分から12月分までのものから「印象に残った、意見がある等々のもの」を「20件選び」、そのうち「トップ3」について「2000字程度の小論文」の提出をお願いしたのである。
・ 勿論強制ではなくて時間が無い場合は不要とした。その結果2名の常勤講師の先生が未提出であったが、これについては「なんら問題はなく」、このことで理事長が直接この二人の教員に「理由の詮索やあれこれ」いうことはしなかった。誤解を受けていけない。
・ 時期が時期だったから「これは理事長の専任教諭採用試験ではないか」と「早合点」する向きも居たかも知れないが、そういうことではまったくない。理由は後述する。しかしこの種の「早合点は悪いことではなくて、反射神経の鋭さ」を示していると考えれば悪いことではない。現実に今度専任に採用される常勤講師の中にはレベルの高いものばかりではなかったのである。
・ 論文を提出してくれた先生でトップバッターは1月18日には提出された。この早さには驚いたのである。「教員の習性」として、生徒には提出物を急がせる割に自分たちのこのような「提出物はギリギリ最後」というのが多い。何時も事務室が「まだ出ない、遅い」などと泣いているのである。
・ これに対してこの先生は1週間後には出てきたのである。本当に深く考察して提出されたのか幾分心配になったのであるが結果的にこの先生の論文は「ちゃんと形になっていた」のである。恐らく毎日読む中でどこかに留めて考察していたのかも知れない。
・ 締め切りは2月15日の16時とした。1ヶ月後の最終日に提出した先生が10名でその前1週間を含めると相当の多さになっていた。こういうギリギリに出すというのもどういう神経なのだろうか。未だに良く分からない。
・ 「推敲して推敲して文章を作ったのか」、忘れていてギリギリになったのか、そういうことはどうでも良いが、心理として「前後左右」を見ながら「他の様子を伺う」ということもあったのかも知れない。忙しいといっても休日はあるし、夜が遅いといっても毎日毎日帰宅が遅いわけでもあるまい。
・ ブログと言っても私の「校長日記」はほぼ毎日更新で一回の分量はA4版で2枚である。目を通すといっても昨年度は1月から12月末までに「354件」ある。これを一ヶ月の間に読み通すのは楽な作業ではあるまい。毎日目を通しておれば別だが。
・ 私の校長日記は「学校を舞台にした実況生中継」である。言ってみれば「ライブ中継」なのである。又私の頭の中にあるビデオやDVDを使って「録画」しており、場面、場面が切り取られて夜に「放映」されているのである。すなわち「アップ」である。
・ 全てを録画しているから「繰り返し映像化」されるし、後日必要な時に「その場面を呼び出す」ことも出来るのである。「ブログはタイミングも重要」であり、故に「新聞記事などがブログ内容を先導」するケースも多いのである。
・ 観客の中には「放映と同時に見入る」人も居る。又放映が遅くなったり、舞台が休演となったら、時に叱られたり心配されたりする。中には夜アップした時に読み、翌朝再度読むという人もある。こういう人は「私の演出」を知っているのである。
・ 「文章がどんどん変わっていく」ことを知っているのである。中には私に対して「最初の方が面白かったです」という人もいるのである。書き進めアップしたが「少し緩めよう」とか、逆に「これでは伝わらない」と表現を強める場合もある。
・ 又これは「自分のことだ」と思い込む人の中には「褒めて頂いてありがとうございます」と翌朝礼に来るものもいるが絶対に特定できないように書いているのであり、あくまで「ネットの世界のこと」である。「公式にはバーチャルの世界の話」である。
・ そして「私的」には、他人事ではなくて「我が事として受け止める」という姿勢を期待しているのである。私のブログのメインの目的は「教職員への教唆、仕掛け、拘束力のない指示、意識変革への訴え、社会常識の伝達」などほとんど「全てが教職員向け」を念頭に書いているのである。
・ 次いで本校の理事・評議員、保護者、塾関係者、中学校関係者、一般の本校に関心をお持ちの府民の皆様という順番であろう。生徒については決して積極的ではないしその意思もない。ただ生徒の中には「校長のブログにはまっている」という声を聞かないわけではない。余りこういう声は聞きたくはない。生徒は国語や社会や英語の教科書を読んでおいて欲しい。
・ ところで常勤講師にお願いした小論文は、ほぼ毎日目を通し、気なるものはチェックでもしておかないと1ヶ月間程度では幾らなんでも無理がある。「セレクト20件」と「トップ3」はそういう観点からお願いしたものである。
・ 私みたいに「自分の言葉で自分の考えを書いて、書いて、書きまくる」人間には、逆に私の日記にボールを投げ返してくる人間の「読みきり力とその心象風景」が手に取るように分かるのである。「ぱらぱら」とタイトルだけ目で追ってかすかな記憶をたどって小論文を書き上げた人はすぐ分かる。
・ 上位3件について「意見を述べよ」だから取り合えず三つを選んでその論評をまとめれば形は出来るのである。しかしこういう手練手管はすぐ分かるのである。例えばある常勤講師の先生をお部屋に呼んで「貴方の選んだセレクト20の内17番めについて論評して欲しい」と私は来た時に見事に答えられるかどうかだろう。
・ 354件のうち20件だから5.6%程度だ。だから出来ない話ではないはずである。常勤講師には最新鋭(?)の「ノートブックパソコンを個人保持として貸与」している。ツールはお渡ししている。まあ一日5分程度時間を取って読めない話ではないだろうと思うのである。
・ 今年4月に専任教諭に採用されることが内定している9人の先生の履歴書と論文を理事長職務代理にお渡しして昨日この論文を元に「面接」があった。このように論文は何回も活用されていく。
・ 「4月から本校に来て頂く常勤講師」の先生の小論文を読ませて頂いた。正直言って今いる先生よりも論文のレベルは高い人が多い。「読みきる力と考察力、そして自分の表現力」がある。一言で言えば「発信力」だろう。このことは副校長と全く同意見であった。
・ 恐らく自分の職場への期待とまだ顔さえ知らぬ理事長・校長が書くブログが「新鮮」なのだと思う。逆に言えば、何時までも「新鮮さを保つことは難しい」ということを示しているのではないか。「常勤講師のまま古く」なっていっては仕方があるまい。
・ 良い悪いを超越してこれほどの「学習、研究、勉強、自覚、覚悟に値する教師としての教材」はあるまいに。そう思って書いている。私は「趣味」で書いているのではない。本校で働く以上は理事長校長の考えを本校の「教職員は知る権利」があると思って「分かり易く、親切に」、毎日毎日書いているのである。これは「道楽ではない」のである。形を変えた「説明責任」と考えている。