・ 朝会で多聞尚学館館長から報告があった。館長とは筆頭副校長である。何と何と開館以来「1年間で利用した生徒数が3685名」という。内中学生が354名、高校生が3331名である。教員数が200名で内中学教員は20名である。
・ この3685名というのは凄い数値で述べ宿泊日数まで先生は計算されていた。多聞の宿泊は代表的な「週末スペシャル」で2泊3日、「長期休業中」は4泊5日、それに「短期」の1泊2日がある。3パターンなのである。
・ これらを当て嵌めて述べ宿泊日数を計算したら「延べ6617泊」となると言うのである。私はこれらの数値に驚愕すると同時に歓喜した。思い出してみると最初は昨年の丁度今の3月26日から3月30日にかけて4泊5日の春季セミナーが皮切りであった。30日には理事会を多聞で行って内覧会とした。
・ あれから1年経って今丁度このときに114名の生徒が5名の教員と4泊5日で「トップセミナー」をやってくれている。丁度1年間で3685名である。このように立ち上げ1年間で「これほど有効利用されている施設」が身近にあっただろうか。
・ 又この1年、「事故は一切無く」「インフルエンザも発生せず」「食中毒もなく」「地元からの苦情も無く」パーフェクトに来ることが出来た。これは「引率の教員の指導や生徒の自覚」もあったと思うが紛うことなく「この施設の素晴らしさ」を証明しているのだと思う。
・ それくらい多聞尚学館は本校の生徒と教員に「衝撃的メリット」をもたらしたものである。それは「何時でも好きなように使える施設」という「有難味」ではないか。「我々はこのような施設がある」という「誇り」ではないのか。
・ 私は今更ながらこの施設に導いて頂いた「目に見え無き、大いなるもの」に感謝せざるを得ないのである。これは間違いなく「学院神社の神様のお導き」以外にはあるまいと考えるのである。
・ 多聞は単に外部宿泊機関に支払う金銭の合理化が目的ではない。確かに1泊で3食付けば民間の宿泊設備では最低でも1.2万円程度は必要だから、「この1年で8000万円の外部流失を抑えることが出来た」。これは極めて大きな効果である。
・ しかしメリットは金銭ではなくて「多聞で真剣に学習するという意識」が生徒に植えついたことである。芽生えたことである。これが「財産」となった。「多聞では学習するんだ」という意識が生徒に根付いたことが大きいし嬉しい。
・ 遠足や仲間との旅行感覚ではなくて多聞では「朝早くから夜遅くまで勉強する」という「浪速文化」が出来上がったことが大きい。このことを私は1年の目的としたが見事に完成したと思う。
・ これはまず「引率の先生方の意識と頑張り」がある。私はこれらの先生方に「多聞特別加算」として手厚い講師料を支給した。「兼職兼業を多聞に関しては許す」とした考えからである。これは相当なものだと自負している。私にすれば「あそこまで頑張ってくれている先生方への当然の報酬」である。
・ 又私は基本的に毎回多聞に「トンボ帰りでも激励に行き」、生徒と先生に「檄を飛ばしてきた」。これらもいささかなりとも「文化の醸成に寄与」していると自負している。造っただけでは駄目でここに「魂を入れる」のはトップの仕事である。学校と多聞をどれくらい往復したことか。
・ そして多聞の「もう一つの成功のポイントはその食事」にある。この1年間河内長野市の「中谷」さんという給食会社が食事の段取りを見事にして頂いたことが大きい。「多聞の食事の評判が良い」ことは生徒のアンケートを見れば一目瞭然である。
・ 「 120名の生徒の朝、昼、晩の3食を温かいもので用意」するのは口で言うほど簡単ではない。朝などは5時過ぎに多聞に来て準備を始めるのである。頭が下がる思いである。今では生徒も顔なじみになったりして片付けなどを手伝っている。
・ 丁度1年の節目であり、前から依頼していた「多聞尚学館への道のり」の由緒書銘版が完成したというのでその取り付けたものを見に行った。平成20年10月16日に私と南坊城理事長職務代理がこの施設を発見したからの経緯を事細かく、記したものである。
・ 今後15年間は多聞尚学館は他に売却できない契約となっている。これをどこかに売却するようではもう浪速もお仕舞いである。後世の浪速の教職員はこの銘板に記した歴史を知らねばならない。そして「何時までも有効に役立てて欲しい」と思って私は作ったのである。
・ 丁度春季セミナーで来ていたN先生は最初からの「多聞尚学館のクリエーター」である。本当に良くやってくれた。もう一人クリエーターがいる。それは今度中学校に移動する英語科のI先生も最初からのメンバーである。
・ この二人は1年前の3月23日に初めてここに二人だけで宿泊し、気温の変化を調べ、風呂に入って3日後に始まるセミナーの事前チェックをしてくれた。あれから1年である。このI先生は本年度から「中学生をウィークデイに多聞に連れてきて学習合宿」をすることを企画してくれている。
・ その他多くの先生が多聞で夜遅くまで又週末を犠牲にして生徒のために頑張ってくれた。又「事務室の職員の功績も大きい」。一人ひとりの生徒の出欠と食事の回数などの会計処理や寝具の手配など見事に対応してくれたからこそ今日があるのである。
・ 「多聞尚学館専属の講師バンクに登録された先生方は大きな名誉」である。多聞で生徒と「真剣勝負」をしたいと思う先生は大歓迎である。ここでは教材の選択と自分の指導法とその効果が一発で分かる。
・ 私は多くのことを浪速高校に残してきたが間違いなくこの「多聞尚学館は特別なものに位置」する。今日も来て思ったことは本校の新校舎が完成した後に「多聞の宿泊棟」を新設しなければならないなということである。何時かはしなければならない。しかしこの歳になると1年は短い。
・ この3685名というのは凄い数値で述べ宿泊日数まで先生は計算されていた。多聞の宿泊は代表的な「週末スペシャル」で2泊3日、「長期休業中」は4泊5日、それに「短期」の1泊2日がある。3パターンなのである。
・ これらを当て嵌めて述べ宿泊日数を計算したら「延べ6617泊」となると言うのである。私はこれらの数値に驚愕すると同時に歓喜した。思い出してみると最初は昨年の丁度今の3月26日から3月30日にかけて4泊5日の春季セミナーが皮切りであった。30日には理事会を多聞で行って内覧会とした。
・ あれから1年経って今丁度このときに114名の生徒が5名の教員と4泊5日で「トップセミナー」をやってくれている。丁度1年間で3685名である。このように立ち上げ1年間で「これほど有効利用されている施設」が身近にあっただろうか。
・ 又この1年、「事故は一切無く」「インフルエンザも発生せず」「食中毒もなく」「地元からの苦情も無く」パーフェクトに来ることが出来た。これは「引率の教員の指導や生徒の自覚」もあったと思うが紛うことなく「この施設の素晴らしさ」を証明しているのだと思う。
・ それくらい多聞尚学館は本校の生徒と教員に「衝撃的メリット」をもたらしたものである。それは「何時でも好きなように使える施設」という「有難味」ではないか。「我々はこのような施設がある」という「誇り」ではないのか。
・ 私は今更ながらこの施設に導いて頂いた「目に見え無き、大いなるもの」に感謝せざるを得ないのである。これは間違いなく「学院神社の神様のお導き」以外にはあるまいと考えるのである。
・ 多聞は単に外部宿泊機関に支払う金銭の合理化が目的ではない。確かに1泊で3食付けば民間の宿泊設備では最低でも1.2万円程度は必要だから、「この1年で8000万円の外部流失を抑えることが出来た」。これは極めて大きな効果である。
・ しかしメリットは金銭ではなくて「多聞で真剣に学習するという意識」が生徒に植えついたことである。芽生えたことである。これが「財産」となった。「多聞では学習するんだ」という意識が生徒に根付いたことが大きいし嬉しい。
・ 遠足や仲間との旅行感覚ではなくて多聞では「朝早くから夜遅くまで勉強する」という「浪速文化」が出来上がったことが大きい。このことを私は1年の目的としたが見事に完成したと思う。
・ これはまず「引率の先生方の意識と頑張り」がある。私はこれらの先生方に「多聞特別加算」として手厚い講師料を支給した。「兼職兼業を多聞に関しては許す」とした考えからである。これは相当なものだと自負している。私にすれば「あそこまで頑張ってくれている先生方への当然の報酬」である。
・ 又私は基本的に毎回多聞に「トンボ帰りでも激励に行き」、生徒と先生に「檄を飛ばしてきた」。これらもいささかなりとも「文化の醸成に寄与」していると自負している。造っただけでは駄目でここに「魂を入れる」のはトップの仕事である。学校と多聞をどれくらい往復したことか。
・ そして多聞の「もう一つの成功のポイントはその食事」にある。この1年間河内長野市の「中谷」さんという給食会社が食事の段取りを見事にして頂いたことが大きい。「多聞の食事の評判が良い」ことは生徒のアンケートを見れば一目瞭然である。
・ 「 120名の生徒の朝、昼、晩の3食を温かいもので用意」するのは口で言うほど簡単ではない。朝などは5時過ぎに多聞に来て準備を始めるのである。頭が下がる思いである。今では生徒も顔なじみになったりして片付けなどを手伝っている。
・ 丁度1年の節目であり、前から依頼していた「多聞尚学館への道のり」の由緒書銘版が完成したというのでその取り付けたものを見に行った。平成20年10月16日に私と南坊城理事長職務代理がこの施設を発見したからの経緯を事細かく、記したものである。
・ 今後15年間は多聞尚学館は他に売却できない契約となっている。これをどこかに売却するようではもう浪速もお仕舞いである。後世の浪速の教職員はこの銘板に記した歴史を知らねばならない。そして「何時までも有効に役立てて欲しい」と思って私は作ったのである。
・ 丁度春季セミナーで来ていたN先生は最初からの「多聞尚学館のクリエーター」である。本当に良くやってくれた。もう一人クリエーターがいる。それは今度中学校に移動する英語科のI先生も最初からのメンバーである。
・ この二人は1年前の3月23日に初めてここに二人だけで宿泊し、気温の変化を調べ、風呂に入って3日後に始まるセミナーの事前チェックをしてくれた。あれから1年である。このI先生は本年度から「中学生をウィークデイに多聞に連れてきて学習合宿」をすることを企画してくれている。
・ その他多くの先生が多聞で夜遅くまで又週末を犠牲にして生徒のために頑張ってくれた。又「事務室の職員の功績も大きい」。一人ひとりの生徒の出欠と食事の回数などの会計処理や寝具の手配など見事に対応してくれたからこそ今日があるのである。
・ 「多聞尚学館専属の講師バンクに登録された先生方は大きな名誉」である。多聞で生徒と「真剣勝負」をしたいと思う先生は大歓迎である。ここでは教材の選択と自分の指導法とその効果が一発で分かる。
・ 私は多くのことを浪速高校に残してきたが間違いなくこの「多聞尚学館は特別なものに位置」する。今日も来て思ったことは本校の新校舎が完成した後に「多聞の宿泊棟」を新設しなければならないなということである。何時かはしなければならない。しかしこの歳になると1年は短い。