・ 「金剛山登山、生駒山登山、卒業式、そして高校修学旅行」と大きな学校行事がほぼ終わりつつある。次の重要な学校行事は「13日の中学校卒業式」である。些か疲れを感じるが「心地よい疲労感」の中にある。
・ 私の体はまだ「修学旅行の余韻」に浸っている。それにしても「竹富島と西表島は良かったー。」校長の仕事も何時も修学旅行の付き添いだけなら「これほどおいしい仕事はないだろう」という感じである。
・ しかし仕事は待ってはくれない。3日間学校を空けただけで伝票や重要な案件の決済は当然のことながら溜まっている。校務運営と事務運営の業務は副校長と事務長がちゃんとこなしてくれているので全く問題はない。
・ しかし「金銭出納と人事」に関しては彼らには「代行権」がないので当然私の帰校を待つことになる。これは仕方がない。又「堺のグラウンドの工事」も気にかかる。一体全体今どういう状態になっているのか。
・ 今回の修学旅行で特に気が付いたこともあり、朝一番に4月から高校教頭に昇格するM教諭と新2学年の学年主任になるN教諭、ならび新1年生の学年主任になるO教諭を部屋に呼んで4月2日出発の「下見」、11月の「本番」、そして「来年の計画と担当業者」など高校修学旅行関係について指示を出したのである。
・ 「今回の修学旅行の総括」は別途3グループの主担当者にまとめて報告してもらうが総じて上手くいったと感じている。しかし「私の心配はこの秋の海外修学旅行」である。今回も集合時間に遅れた、熱が出た、忘れ物をした、夜中まで騒いでいたなどという話がなかったわけではない。
・ 日本語で対応できる日本ならいざ知らず言葉の壁のあるパリ、ドイツ、ニューヨークで「生徒が道に迷って帰って来ない」「置き引きにあってパスポートを失くした」「発熱下痢だ」などなど心配の種は尽きない。しかしこれを乗り切らないと将来とも海外など無理である。
・ 他校に出来て本校が出来ないわけがない。ただ未経験だけに「未知との遭遇」に備えておく必要がある。結局対策としては「付き添いの教員の数」なんだろうと思う。初めての海外だから我々は「ノウハウ」が全く積み上がっていない。トラブルなく、成功裏に終わらせるためにも「用意周到な準備と現地での対応対策」が必要である。
・ そしてその結果をその次の年度に活かしていかねばならない。今朝の指示でも私は言ったのである。1年生の学年主任も11月の本番に付き添いで入り、自らの知見を増やすようにと。
・ 本校はまだ「発展途中の学校」で専任教諭の数も相対的には少なく、常勤講師の先生にお手伝いをお願いしているが、常勤講師の先生でも本校のノウハウの蓄積となるようにしていかないと経費の無駄になる。
・ 基本的には「担任が修学旅行に同行するというスタイルがベスト」であることは疑いないところであるが必ずしも本校ではそのような形にはなっていないからである。一言で言えば「専任比率がまだ少ない」からこのような心状況が起きるのである。
・ 今回も実際に付き添って修学旅行に行って頂いた常勤講師の先生で何名もの先生がこの3月末でご退職される。寿退職、婚約者の転勤に伴うもの、公立の教員へと「人それぞれに事情」がある。それは仕方がないことである。
・ しかし結果として「修学旅行に付き添って行ったけれども、生徒の皆さん、バイバイ」では格好がつかないし、生徒にも申し訳が立たないところがある。しかし1年契約の常勤講師の先生には「職業選択の自由」もあって、本当に難しいのである。
・ ただ「辞め方」には社会人として一定のマナーと言うかルールもあるだろう。既に来年も継続勤務するとの契約を内定しておいて、仮に「専任になれなかったから出て行きます」は社会では通らないだろう。
・ しかしそれもこれも担任を常勤講師の先生にお願いしているからである。そういう状況下で最終的な「来年度の担任の当てはめ」を決定しなければならない。すでに新2年生は修学旅行の下見があるので「一足早く決定」して発表している。
・ 「新2年生の担任団」は慎重に副校長が検討した。結果は13クラスの内常勤講師の先生は2名と少なくしている。一人は持ち上がりで一人は初めての担任経験であるが某コース長の強い要請に応えたものである。
・ 近々発表しなければならない高校1年と3年であるが現在最終検討段階である。現在案では3年生の場合、常勤講師は2名となる。これらの先生は「担任持ち上がり」である。基本的に持ち上がってくれた先生は大切にしなければならないと考えている。
・ この新3学年には3名もの「新人専任教諭」がいるがこれらの先生はすべて常勤講師から専任に採用される予定の先生である。高校3年生というのは他の学年に比べて生徒は「落着いてくる」というか「大人に近づく」から進学の指導という重要なミッションはあるが「比較的やり易い」という面もあるから即3年生の担任を考えているのである。
・ 担任になるのは高校3年の担任に入るか高校1年から持ち上がっていくか、二つの考え方があると私は思っている。中でも本校で「難しいのは高校1年の担任当てはめ」である。大体クラス数も決まっていない段階で云々すること自体に無理があるのであるが私学としては準備をしないわけにはいかない。
・ 我々は今年の高校1年生のクラス数を14クラスとして準備に入っている。単純計算では40人X14クラス=560人というバブルみたいな数値となっているが、これはあくまで設定した数値で根拠も全くない数値である。
・ 560人となると既に専願合格者が今朝現在で361人となっているからこれから逆算すると「併願合格者からから9%の戻り率」となるが本当に9%も確保できるのかと言われたら自信はない。
・ ただ作業を進めるために仮の数値を置かねば仕方がないのである。ここが「私立高校の辛いところ」である。「生徒数が多ければ教員が足りなくなるし少なければ教員は余る」。これらは経営に直結するから「いい加減」に教員数は決められないのである。
・ 話を戻して新高校1年生の14クラスの内、原案では実に専任教諭は7人で、後の7人は常勤講師とせざるをえないのである。これ以上当て嵌めることの出来る専任教諭はいないから「約半数の先生が常勤講師」となる。
・ これは些か問題であって、もしこれらの7名の内、1年経って「23年度は契約がない」ことになれば新しい担任を探さなければ成らないのである。こうなれば海外修学旅行を控えて担任を代えることになるのである。
・ 私と副校長は今頭を絞って考えている。私が出張で不在だったから今日も「朝から5回目の打ち合わせ」でようやく案が定まったが明日になればまた考え方が変わってくるかも知れない。それくらい「担任当て嵌めは難しい」のである。
・ 今年専任に採用した常勤講師の中には「担任経験」はない先生も居るから、必ずしも担任経験が専任教諭への必要条件ではない。そうかと思えば常勤1年で専任に採用された先生も居る。
・ 要は私が「本校にとって必要な人材かどうかの判断」をするだけの話である。その「判断基準」は教科の種別、教科指導力、生徒生活指導力、部活動指導力、判断力、協調性、服装、マナー、言葉使い、礼節、等々様々な項目があるだろう。しかし全てを満足させる常勤講師などこの世の中にいるはずが無い。
・ 不適切であるが「ばくち」みたいなところがあって10年、20年、30年後のことなど分かるはずが無い。私は既に死んでこの世にはいない。それでも私は「ポテンシャル」を凝視して探しているのである。それはこの「学校の為」だからである。後世いい加減な専任教諭を採用したのは木村だと言われるは嫌だから私の出来る範囲で努力をしているのである。全ての人事の責任は私にある。
・ 一言で言えば欠点はあっても総合的な「人間力」だと思う。「人間的魅力」である。専任に成れなかったからといって「腐ったり」「反目的態度」「落ち込んだり」するような人間では私学の専任の職を得る機会は狭まるだろう。「今を一生懸命生きる」ということではないか。
・ 段々と「判断のハードルが高くなっている」のは間違いない。それは徐々に「狭き門」になっていっているからである。今専任教諭の身分にあるが昔本校の常勤から専任になった時の資質では例えば、現在では選別されないかもしれない。それ位レベルは上がっている。当然である。
・ これは時の「運、不運」もある。私は今じっと常勤講師を観察させて頂いている。私の最大かつ最重要の責任は「誰に専任になって頂くか」を判断することであるが、職員会議、種々の報告、捺印を求めて校長室に来られた時、修学旅行の結団式、生駒登山での様子、廊下での擦れ違い、修学旅行見送りでの新大阪駅での挨拶の仕方や勤務状況等々である。「それだけで十分判断できる」。
・ そして私は今「4月から新たに入ってくる常勤講師」の先生方が楽しみなのである。果たしてどのような先生方なのであろうか。4月1日採用の新しい常勤講師の先生方は明日第1回目の登校日と聞いた。明日はお会いできないが4月1日にはお会いできる。本当に楽しみである。継続して勤務して頂く先生方も「一日の長」はあるのだから「存在感」を示して頑張って頂きたいものだ。
・ 私の体はまだ「修学旅行の余韻」に浸っている。それにしても「竹富島と西表島は良かったー。」校長の仕事も何時も修学旅行の付き添いだけなら「これほどおいしい仕事はないだろう」という感じである。
・ しかし仕事は待ってはくれない。3日間学校を空けただけで伝票や重要な案件の決済は当然のことながら溜まっている。校務運営と事務運営の業務は副校長と事務長がちゃんとこなしてくれているので全く問題はない。
・ しかし「金銭出納と人事」に関しては彼らには「代行権」がないので当然私の帰校を待つことになる。これは仕方がない。又「堺のグラウンドの工事」も気にかかる。一体全体今どういう状態になっているのか。
・ 今回の修学旅行で特に気が付いたこともあり、朝一番に4月から高校教頭に昇格するM教諭と新2学年の学年主任になるN教諭、ならび新1年生の学年主任になるO教諭を部屋に呼んで4月2日出発の「下見」、11月の「本番」、そして「来年の計画と担当業者」など高校修学旅行関係について指示を出したのである。
・ 「今回の修学旅行の総括」は別途3グループの主担当者にまとめて報告してもらうが総じて上手くいったと感じている。しかし「私の心配はこの秋の海外修学旅行」である。今回も集合時間に遅れた、熱が出た、忘れ物をした、夜中まで騒いでいたなどという話がなかったわけではない。
・ 日本語で対応できる日本ならいざ知らず言葉の壁のあるパリ、ドイツ、ニューヨークで「生徒が道に迷って帰って来ない」「置き引きにあってパスポートを失くした」「発熱下痢だ」などなど心配の種は尽きない。しかしこれを乗り切らないと将来とも海外など無理である。
・ 他校に出来て本校が出来ないわけがない。ただ未経験だけに「未知との遭遇」に備えておく必要がある。結局対策としては「付き添いの教員の数」なんだろうと思う。初めての海外だから我々は「ノウハウ」が全く積み上がっていない。トラブルなく、成功裏に終わらせるためにも「用意周到な準備と現地での対応対策」が必要である。
・ そしてその結果をその次の年度に活かしていかねばならない。今朝の指示でも私は言ったのである。1年生の学年主任も11月の本番に付き添いで入り、自らの知見を増やすようにと。
・ 本校はまだ「発展途中の学校」で専任教諭の数も相対的には少なく、常勤講師の先生にお手伝いをお願いしているが、常勤講師の先生でも本校のノウハウの蓄積となるようにしていかないと経費の無駄になる。
・ 基本的には「担任が修学旅行に同行するというスタイルがベスト」であることは疑いないところであるが必ずしも本校ではそのような形にはなっていないからである。一言で言えば「専任比率がまだ少ない」からこのような心状況が起きるのである。
・ 今回も実際に付き添って修学旅行に行って頂いた常勤講師の先生で何名もの先生がこの3月末でご退職される。寿退職、婚約者の転勤に伴うもの、公立の教員へと「人それぞれに事情」がある。それは仕方がないことである。
・ しかし結果として「修学旅行に付き添って行ったけれども、生徒の皆さん、バイバイ」では格好がつかないし、生徒にも申し訳が立たないところがある。しかし1年契約の常勤講師の先生には「職業選択の自由」もあって、本当に難しいのである。
・ ただ「辞め方」には社会人として一定のマナーと言うかルールもあるだろう。既に来年も継続勤務するとの契約を内定しておいて、仮に「専任になれなかったから出て行きます」は社会では通らないだろう。
・ しかしそれもこれも担任を常勤講師の先生にお願いしているからである。そういう状況下で最終的な「来年度の担任の当てはめ」を決定しなければならない。すでに新2年生は修学旅行の下見があるので「一足早く決定」して発表している。
・ 「新2年生の担任団」は慎重に副校長が検討した。結果は13クラスの内常勤講師の先生は2名と少なくしている。一人は持ち上がりで一人は初めての担任経験であるが某コース長の強い要請に応えたものである。
・ 近々発表しなければならない高校1年と3年であるが現在最終検討段階である。現在案では3年生の場合、常勤講師は2名となる。これらの先生は「担任持ち上がり」である。基本的に持ち上がってくれた先生は大切にしなければならないと考えている。
・ この新3学年には3名もの「新人専任教諭」がいるがこれらの先生はすべて常勤講師から専任に採用される予定の先生である。高校3年生というのは他の学年に比べて生徒は「落着いてくる」というか「大人に近づく」から進学の指導という重要なミッションはあるが「比較的やり易い」という面もあるから即3年生の担任を考えているのである。
・ 担任になるのは高校3年の担任に入るか高校1年から持ち上がっていくか、二つの考え方があると私は思っている。中でも本校で「難しいのは高校1年の担任当てはめ」である。大体クラス数も決まっていない段階で云々すること自体に無理があるのであるが私学としては準備をしないわけにはいかない。
・ 我々は今年の高校1年生のクラス数を14クラスとして準備に入っている。単純計算では40人X14クラス=560人というバブルみたいな数値となっているが、これはあくまで設定した数値で根拠も全くない数値である。
・ 560人となると既に専願合格者が今朝現在で361人となっているからこれから逆算すると「併願合格者からから9%の戻り率」となるが本当に9%も確保できるのかと言われたら自信はない。
・ ただ作業を進めるために仮の数値を置かねば仕方がないのである。ここが「私立高校の辛いところ」である。「生徒数が多ければ教員が足りなくなるし少なければ教員は余る」。これらは経営に直結するから「いい加減」に教員数は決められないのである。
・ 話を戻して新高校1年生の14クラスの内、原案では実に専任教諭は7人で、後の7人は常勤講師とせざるをえないのである。これ以上当て嵌めることの出来る専任教諭はいないから「約半数の先生が常勤講師」となる。
・ これは些か問題であって、もしこれらの7名の内、1年経って「23年度は契約がない」ことになれば新しい担任を探さなければ成らないのである。こうなれば海外修学旅行を控えて担任を代えることになるのである。
・ 私と副校長は今頭を絞って考えている。私が出張で不在だったから今日も「朝から5回目の打ち合わせ」でようやく案が定まったが明日になればまた考え方が変わってくるかも知れない。それくらい「担任当て嵌めは難しい」のである。
・ 今年専任に採用した常勤講師の中には「担任経験」はない先生も居るから、必ずしも担任経験が専任教諭への必要条件ではない。そうかと思えば常勤1年で専任に採用された先生も居る。
・ 要は私が「本校にとって必要な人材かどうかの判断」をするだけの話である。その「判断基準」は教科の種別、教科指導力、生徒生活指導力、部活動指導力、判断力、協調性、服装、マナー、言葉使い、礼節、等々様々な項目があるだろう。しかし全てを満足させる常勤講師などこの世の中にいるはずが無い。
・ 不適切であるが「ばくち」みたいなところがあって10年、20年、30年後のことなど分かるはずが無い。私は既に死んでこの世にはいない。それでも私は「ポテンシャル」を凝視して探しているのである。それはこの「学校の為」だからである。後世いい加減な専任教諭を採用したのは木村だと言われるは嫌だから私の出来る範囲で努力をしているのである。全ての人事の責任は私にある。
・ 一言で言えば欠点はあっても総合的な「人間力」だと思う。「人間的魅力」である。専任に成れなかったからといって「腐ったり」「反目的態度」「落ち込んだり」するような人間では私学の専任の職を得る機会は狭まるだろう。「今を一生懸命生きる」ということではないか。
・ 段々と「判断のハードルが高くなっている」のは間違いない。それは徐々に「狭き門」になっていっているからである。今専任教諭の身分にあるが昔本校の常勤から専任になった時の資質では例えば、現在では選別されないかもしれない。それ位レベルは上がっている。当然である。
・ これは時の「運、不運」もある。私は今じっと常勤講師を観察させて頂いている。私の最大かつ最重要の責任は「誰に専任になって頂くか」を判断することであるが、職員会議、種々の報告、捺印を求めて校長室に来られた時、修学旅行の結団式、生駒登山での様子、廊下での擦れ違い、修学旅行見送りでの新大阪駅での挨拶の仕方や勤務状況等々である。「それだけで十分判断できる」。
・ そして私は今「4月から新たに入ってくる常勤講師」の先生方が楽しみなのである。果たしてどのような先生方なのであろうか。4月1日採用の新しい常勤講師の先生方は明日第1回目の登校日と聞いた。明日はお会いできないが4月1日にはお会いできる。本当に楽しみである。継続して勤務して頂く先生方も「一日の長」はあるのだから「存在感」を示して頑張って頂きたいものだ。