2010年2月23日火曜日

2月23日(火)就業規則と職員代表











・ 「就業規則の変更の義務」が生じている。「労働基準法第89条、90条、92条」には「就業規則の作成・届出・変更」について明確に規定している。すでにこのブログでも記述しているが「平成22年の改正労働基準法」を受けて時間外労働時間が月間60時間を超え場合は割増賃金を50%とするように規則を変更しなければならない。
・ その他有給休暇の取り扱いで「時間単位」の認定など労働条件が大きく変わる事態が私立学校に起きているのである。常時10人以上の労働者を使用する事業場では「労働者の過半数で組織する労働組合がある場合はその労働組合と過半数で組織する労働組合がない場合は労働者を代表する者」の「意見書」を添えて所轄の労働基準監督署に届けなければならない。
・ ちなみに就業規則に記載すべき事項は「必ず記載しなければならない事項(絶対的必要記載事項)」と「定めをする場合」に記載すべき事項、使用者が任意に記載し得る「任意記載事項」がある。今回のものは「絶対的必要記載事項」である。すなわち、労働時間関係、賃金関係、退職関係の三つがそれに相当するがまさしくその部分である。

・ ところで「本校には労働組合分会」はあるが正直言っていまや誰が組合員なのかも把握できないような状態で組合教員の氏名も経営側が把握できないような事態である。又構成員も教職員の過半数を占めているとは理解していない。
・ 従って従来から就業規則の改定については「職員代表」を教職員から選んで貰って、代表としてその人に意見書をまとめて貰う様に私は行ってきたのである。出来ればこの職員代表は「組合員」であれば組合の意向も同時に反映できて「好都合」と考えたのである。これは私の「労働組合への尊厳の気持ち」である。
・ ところが現在の職員代表の方がこの4月から「管理職に登用」されることが内定された。今回の案件を含めて3月末までは今の職員代表で行けるがその後を考えた時には「新たな職員代表を選出する必要」がある。管理職ではまずい。
・ 就業規則の改定に伴う意見人と労働組合の団体交渉などの組合役員とは厳密に言えば全く異なるものであるが、少なくとも「労働組合の資格要件」を間接的に壊すものではいけないと考え現在の職員代表にその旨伝達したところ、その人も「次の人にバトンタッチしたい」ということになった。
・ 経営側が職員代表の人選に口を出すことは厳に慎まなければならないが、幸い「最適な後継者が人選できた」みたいで、この人が推薦した教員が次の職員代表に立候補する段取りとなったらしい。
・ 「出来レース」などとくちさがない連中は言うかも知れないから、私は複数の立候補もありうるべしと事務長と現職員代表に「立候補受付」の段取りをアドバイスしたのである。
・ その結果は所定の受付期間が過ぎても他の立候補者が出ず、一人の立候補者の「信任投票」と成ったのである。勿論私は「無記名投票」とするようにアドバイスした。過日その結果が職員会議で発表されたが、有効投票総数に対して92%の「信任率」であり、私としては今後労働条件改善を進めていく「パートナーとして大歓迎の意」をその席上において申し述べたのである。

・ 一時期、私のことを「組合嫌い」「組合つぶしの木村」とか何とか、陰口があると聞いたことはあるが、全くそのような「時代錯誤の考え」を有するほど私は愚かではない。労働組合の意義など分かっているし長い企業時代も管理職になる前、私は連合参加の「鉄鋼労連の組合員」であった。労働組合の恩恵にあずかってきた一人である。
・ ただ労働組合の威光を借りて「傍若無人」に振る舞い、なんら勉強せず「労働組合の趣旨から逸脱して政治的イデオロギー的活動」などを学校の勤務時間内や生徒の目に触れるところで行うことは断固として「許さない」というだけである。
・ 私は「見て見ぬふりをする」ことはしない。あくまで「法令順守」「法廷での判決基準」などをベースに「学校内の治安」を守るのが私の仕事と思ってやっているのである。本校は私立学校であり教育公務員ではないが、「公費支援を受けている学校」として「公教育」を担っているから経営者として法令知識は絶対的に重要である。
・ 一民間企業準拠として特に重要な3法「労働基準法」「労働組合法」「労働関係調整法」は言うに及ばず「労働安全衛生法」「労働者災害保険法」「男女雇用機会均等法」「育児介護休業法」「高齢者雇用安定法」「パートタイム労働法」などが主体である。特に「教育小六法」は大変便利であり、私の「座右の書」である。
・ これらから法律根拠を指し示し、従業員(教職員)に「今出来ることと出来ないこと」「将来ビジョン」を明確に指し示すことが経営者の責任である。この3年間私はただこのことに「全神経を注いでやってきた」つもりである。
・ その結果が「今の浪速の姿」に繋がっているのである。少なくとも「来た道」が間違っていたら現在の浪速の状況にはなっていない。間違いなくそれは「私の存在とリーダーシップ」からもたらされたものである。
・ 何時も名誉理事長や理事長職務代理が言っておられるのであるが「ぎりぎりのタイミング」で「神様や浪速の諸先輩が木村を呼んだ」と。しかし私は声を大にして「現在の浪速を勝ち得た大きな力は教職員にある」と言いたいのである。
・ 細かいことは色々とあったが労働組合も休眠状態とし、「ここは一つ木村に乗ってみよう」と判断し協力してくれたのであろう。教職員の協力でほとんどの「新しい企画が日の目を見た」のである。「結実」したのである。
・ ただ一つ「朝読書持ち時間減要望事件」を除いては。あれを認めたらその後の学校改革や教育改革、新武道館や堺の校外グラウンド、新校舎建設などあり得なかっただろう。積み重ねた改革の努力が「一瞬にして崩壊」したと思う。あそこは私にとって「勝負の時」だったのである。
・それも分別を期待したいベテラン教員が「雁首揃えて」言ってきたときにはさすがに「切れた」のである。それまで如何に私が学校の現状を説明してきたことか。それが全く分かっていなかったのである。私は腰を抜かすほど「驚いた」のである。これはまだまだ時間がかかると。「個人を責めているのではなく、状況を責めている」。
・ 人は私のことを「しつこい」というかも知れないが「あっさり」して「そうか、そうか、それで良い」などのさも大物ぶった物言いで船を沈没させる訳にはいかない。「危険性を徹底的に排除」するのが「トップの責任」である。
・ どの企業でも組織でもトップほど「しつこい人間、こだわり人間、執着人間である」というのが私の観察である。22年度から3年間、平成25年までの3年間が「21世紀の浪速を決める3年間」となろう。私は危険分子は排除して戦うつもりである。そして「新校舎建設の絵を描きたい」のである。