・ 「校長式辞の一部から」:(前文略)さて皆さん、卒業式にあたり、最後の校長講話としての言葉を以下に伝えます。本校で学んだ「神社神道の精神」を再度強調しておきたいと思います。高校生活ではそれほど深く考えてはいなかったと思いますが、実はこれから、「浪速で学んだこと」が皆さんのこれからの人生でますます重要になって来るでしょう。
・ 在校中に幾度となく私はあらゆる機会を通じて皆さんに思いをお伝えして来ました。その要点は一言で言えば「今この時を一生懸命に生きる」ということでした。専門的に言うと「中今の思想」と言います。続日本紀の宣命8世紀頃の詔勅に4例ほど見える言葉ですが神道のものの考え方を良く言い表した「味わい深い思想」がそこに見られます。
・ この「中今という言葉の意味」は過去・現在・未来というおよそ存在し得る全ての時間の中で過去と未来の中間に位置する今の世に最高の価値を見出そうとする思想です。これは歴史の永遠の発展を肯定しながらも自己がそれに直接参加しうる現在という時をあらゆる時間の中で最も価値あるものとして受け止めるのです。
・ 「我々が直面する一刻一刻の時間を我が命と捉え」、それを力一杯充実せしめることによって自分の人生の中に生きる価値を見出すという思想です。(後文略)
・ 以上のように今日は話を絞って「パンチ」あるような話にした。終わった後で隣の副校長が「良かったですよ」と言ってくれたので一安心した。このようにまず私は人の感想を聞く。それも数人からである。それは次に繋がるからである。
・ 昨日来の雨が上がって「気持ちよく卒業式が実施」できた。私は本当に運が良い。雨の心配もあって結局「紋付袴を止めてモーニング」にした。早朝沖縄方面の地震報道があり、3月1日に出発する高校2年生の修学旅行が気にかかったがこれは旅行会社から電話で問題なく行けるということで一安心した。今のところ予定通り出発できる。
・ 雨が降れば体育館での「神前奉告」を考えていたが、公式に「学院神社の御前」にて挙行できた。「大太鼓」を打ち鳴らして式は始まる。これを「鼓報」という。静けさの中に太鼓の音が鳴り響いて「場に神妙な雰囲気」が出来上がるのである。私はこの音が大好きで何時も生徒には「長く打て、長く打て」と言っている。
・ 卒業生と学年団やご来賓には「カーネーション一輪」が配られる。どこの花屋さんかしらないがこの日500本近いカーネーションの花が本校には必要である。来年は650本を超える。これは何時頃から始めたものかは知らないが恐らく「母親への感謝」の気持ちを表すものかも知れない。
・ 神前奉告が終わればクラス単位で体育館に移動する。担任の先生が先頭である。会場には雅楽部が「神社神道の学校らしく雅楽」を演奏して生徒たちを迎えてくれるのである。
・ この学年は私が校長になって始めて入学を許可した学年で特別に感慨深いものがある。又Ⅲ類は男子だけの募集で4クラスあるのだが「男子校の名残を残す学年」で、ある面「壮観」である。来年度以降は完全な共学である。
・ 又担任の先生は12名全て男性教諭で女性教諭が一人も居ない。当時は女性の先生が4人しかいなかったからである。とにかく学校改革に着手し、激しく始めた時の生徒で「学校改革と同時並行で進んだ学年」であった。
・ 従って必ずしも改革の成果を享受できたとは限らないだけに私には内心「忸怩」たるものがあるのだが、生徒の答辞には「多聞尚学館」のことに多く触れてくれており私は嬉しかったのである。しかし学年主任以下一生懸命頑張ってくれたことは間違いない。
・ とにかく今日のハイライトは他校では当たり前だと思うが本校では初めて「全卒業生の名前を一人ずつ読み上げる」ことであった。保護者のお気持ちに応えたものである。大変良かったと思う。
・ 約30分程度式が長くかかるが、その程度の時間であれば得る効果は大きいものが確認されたから来年度以降もこのようにしたら良いと思う。ただ来年は600人を読み上げなければならない。まだ「やり方の工夫の余地」はある。
・ 全て終わった後で理事長室に帰ってこられたご来賓の方々は「興奮気味」で「感動した、素晴らしい式であった」と言って頂いたが嬉しかったのは「時間が長いとは感じなかった」と言って頂いたことである。
・ それにしても私は自分で言うのもなんだが「一応原稿は用意」するが、「アドリブ」も多くいかにも式辞と言うような形にならなくなっていくのに気づく。ますますその傾向が強くなる。
・ 「話し言葉」になったり、「語り口調」になったりである。それに「間が自然と取れる」ようにもなっている。「無言の時間」が入るのである。そしてその後は一気に話を続けていったりとか「変幻自在」な式辞となっていく。このようにして私にとって7回目の式辞が終わった。
・ 今日も多くの保護者に参列していただいた。これらの「保護者が最大の浪速の応援団」になってくれる方々なのである。中学の後輩やご近所、親戚などに「浪速にし、浪速ええ学校やで」と言っていただいたら何万倍の効果がある。最高の広報なのである。
・ とにかく私は「大きいものが好き」「多いほうが好き」である。生徒は多ければ多いほど幸せである。千早赤阪村の松本村長は「生徒数の多さ」に感動していた。村はおじいちゃん、おばあちゃんばかりで若い人が少なく、村立の小学校の卒業式に比べたらその規模の違いに驚かれたという。
・ 式が終了したらPTA役員から「寄贈の目録、謝辞」、そして私を入れて全担任に大きな「花束」が贈られたのである。そしてブラスバンド部の生演奏で生徒は「花道」を通って最後のホームルームに向かう。全員で拍手、拍手である。
・ 余程嬉しかったのかPTA役員が揃って校長室に来られ名前読み上げの感謝をされた。恐縮したのと、ここまで喜ばれるのであれば、もっと早くしておけば良かったと少し反省したのである。
・ 校庭ではあちこちで歓声が上がり、生徒同士で記念写真などを撮っている。野球部の生徒数名が校長室に来て「ツーショット」を要望された。そのときに「校長、今日の話は良かった」と言ってくれたのである。「今を大切に」「今を生きろ」としつこいくらいに言ったことが「生徒に届いた」と思えば大変に嬉しくなったのである。
・ 全てが終わった時分に「全教職員が職員室に集合」し、3年生の学年団が前に勢ぞろいして「3年間の総括を学年主任が行う」のも本校の慣わしである。そして私が慰労と感謝の言葉を述べ「全員で拍手」をして今日一日の作業が終わったのである。
・ 実に淡々として、実に心のこもった、実に華やかな卒業式であった。しかしこれで学校は終わりとはならない。「来週は2年生の修学旅行」、そして1年生の期末試験、その後終業式と続く。
・ そして3月23日の公立高校の合格発表を受けて「新年度の具体的な準備作業」と私立高校は休む暇もなく「次から次へと仕事がエンドレスに続く」。しかしこれは日本全国全ての私立高校とて同じことである。「好きでなければ出来ない仕事」であろう。全教職員と共に頑張っていかねばならない。
・ 在校中に幾度となく私はあらゆる機会を通じて皆さんに思いをお伝えして来ました。その要点は一言で言えば「今この時を一生懸命に生きる」ということでした。専門的に言うと「中今の思想」と言います。続日本紀の宣命8世紀頃の詔勅に4例ほど見える言葉ですが神道のものの考え方を良く言い表した「味わい深い思想」がそこに見られます。
・ この「中今という言葉の意味」は過去・現在・未来というおよそ存在し得る全ての時間の中で過去と未来の中間に位置する今の世に最高の価値を見出そうとする思想です。これは歴史の永遠の発展を肯定しながらも自己がそれに直接参加しうる現在という時をあらゆる時間の中で最も価値あるものとして受け止めるのです。
・ 「我々が直面する一刻一刻の時間を我が命と捉え」、それを力一杯充実せしめることによって自分の人生の中に生きる価値を見出すという思想です。(後文略)
・ 以上のように今日は話を絞って「パンチ」あるような話にした。終わった後で隣の副校長が「良かったですよ」と言ってくれたので一安心した。このようにまず私は人の感想を聞く。それも数人からである。それは次に繋がるからである。
・ 昨日来の雨が上がって「気持ちよく卒業式が実施」できた。私は本当に運が良い。雨の心配もあって結局「紋付袴を止めてモーニング」にした。早朝沖縄方面の地震報道があり、3月1日に出発する高校2年生の修学旅行が気にかかったがこれは旅行会社から電話で問題なく行けるということで一安心した。今のところ予定通り出発できる。
・ 雨が降れば体育館での「神前奉告」を考えていたが、公式に「学院神社の御前」にて挙行できた。「大太鼓」を打ち鳴らして式は始まる。これを「鼓報」という。静けさの中に太鼓の音が鳴り響いて「場に神妙な雰囲気」が出来上がるのである。私はこの音が大好きで何時も生徒には「長く打て、長く打て」と言っている。
・ 卒業生と学年団やご来賓には「カーネーション一輪」が配られる。どこの花屋さんかしらないがこの日500本近いカーネーションの花が本校には必要である。来年は650本を超える。これは何時頃から始めたものかは知らないが恐らく「母親への感謝」の気持ちを表すものかも知れない。
・ 神前奉告が終わればクラス単位で体育館に移動する。担任の先生が先頭である。会場には雅楽部が「神社神道の学校らしく雅楽」を演奏して生徒たちを迎えてくれるのである。
・ この学年は私が校長になって始めて入学を許可した学年で特別に感慨深いものがある。又Ⅲ類は男子だけの募集で4クラスあるのだが「男子校の名残を残す学年」で、ある面「壮観」である。来年度以降は完全な共学である。
・ 又担任の先生は12名全て男性教諭で女性教諭が一人も居ない。当時は女性の先生が4人しかいなかったからである。とにかく学校改革に着手し、激しく始めた時の生徒で「学校改革と同時並行で進んだ学年」であった。
・ 従って必ずしも改革の成果を享受できたとは限らないだけに私には内心「忸怩」たるものがあるのだが、生徒の答辞には「多聞尚学館」のことに多く触れてくれており私は嬉しかったのである。しかし学年主任以下一生懸命頑張ってくれたことは間違いない。
・ とにかく今日のハイライトは他校では当たり前だと思うが本校では初めて「全卒業生の名前を一人ずつ読み上げる」ことであった。保護者のお気持ちに応えたものである。大変良かったと思う。
・ 約30分程度式が長くかかるが、その程度の時間であれば得る効果は大きいものが確認されたから来年度以降もこのようにしたら良いと思う。ただ来年は600人を読み上げなければならない。まだ「やり方の工夫の余地」はある。
・ 全て終わった後で理事長室に帰ってこられたご来賓の方々は「興奮気味」で「感動した、素晴らしい式であった」と言って頂いたが嬉しかったのは「時間が長いとは感じなかった」と言って頂いたことである。
・ それにしても私は自分で言うのもなんだが「一応原稿は用意」するが、「アドリブ」も多くいかにも式辞と言うような形にならなくなっていくのに気づく。ますますその傾向が強くなる。
・ 「話し言葉」になったり、「語り口調」になったりである。それに「間が自然と取れる」ようにもなっている。「無言の時間」が入るのである。そしてその後は一気に話を続けていったりとか「変幻自在」な式辞となっていく。このようにして私にとって7回目の式辞が終わった。
・ 今日も多くの保護者に参列していただいた。これらの「保護者が最大の浪速の応援団」になってくれる方々なのである。中学の後輩やご近所、親戚などに「浪速にし、浪速ええ学校やで」と言っていただいたら何万倍の効果がある。最高の広報なのである。
・ とにかく私は「大きいものが好き」「多いほうが好き」である。生徒は多ければ多いほど幸せである。千早赤阪村の松本村長は「生徒数の多さ」に感動していた。村はおじいちゃん、おばあちゃんばかりで若い人が少なく、村立の小学校の卒業式に比べたらその規模の違いに驚かれたという。
・ 式が終了したらPTA役員から「寄贈の目録、謝辞」、そして私を入れて全担任に大きな「花束」が贈られたのである。そしてブラスバンド部の生演奏で生徒は「花道」を通って最後のホームルームに向かう。全員で拍手、拍手である。
・ 余程嬉しかったのかPTA役員が揃って校長室に来られ名前読み上げの感謝をされた。恐縮したのと、ここまで喜ばれるのであれば、もっと早くしておけば良かったと少し反省したのである。
・ 校庭ではあちこちで歓声が上がり、生徒同士で記念写真などを撮っている。野球部の生徒数名が校長室に来て「ツーショット」を要望された。そのときに「校長、今日の話は良かった」と言ってくれたのである。「今を大切に」「今を生きろ」としつこいくらいに言ったことが「生徒に届いた」と思えば大変に嬉しくなったのである。
・ 全てが終わった時分に「全教職員が職員室に集合」し、3年生の学年団が前に勢ぞろいして「3年間の総括を学年主任が行う」のも本校の慣わしである。そして私が慰労と感謝の言葉を述べ「全員で拍手」をして今日一日の作業が終わったのである。
・ 実に淡々として、実に心のこもった、実に華やかな卒業式であった。しかしこれで学校は終わりとはならない。「来週は2年生の修学旅行」、そして1年生の期末試験、その後終業式と続く。
・ そして3月23日の公立高校の合格発表を受けて「新年度の具体的な準備作業」と私立高校は休む暇もなく「次から次へと仕事がエンドレスに続く」。しかしこれは日本全国全ての私立高校とて同じことである。「好きでなければ出来ない仕事」であろう。全教職員と共に頑張っていかねばならない。