・ 「浅田真央選手が銀メダル」を取った。「おめでとう」と言いたい。大阪府神社庁に出張して心斎橋を歩いて帰る途中に高島屋の前でスポニチの「号外」が配られていた。この浅田、のっぺりした顔だが「なかなかやる」という感じで私はファンになった。
・ 「ライバル物語」とかいうが浅田とキム・ヨナほど格好のライバルというのも近頃では珍しいのではないか。年が19才で同じ、身長も体重もほぼ同じ、「違うのは日本人と韓国人」というだけだ。今日の両国は「熱狂」であったと思う。
・ 私はこの二人を前からテレビで追いかけていたが「絶対に目をあわそうとしない」し、擦れ違っただけでテレビ画面から「ぱちぱち」と火花が散っているのが見えるのだ。今やお互いに「国家を背中にしょっている」感じで尚更面白いのである。
・ 号外の写真を見てみると「やったぞ」という気迫があふれているではないか。「決めたトリプルアクセル2発」との見出しであった。浅田は感情を前面に出してくる。今朝の産経は1面に昨日の練習での浅田の顔を出しているがこちらのほうも顔は「やってやる」という感じで私は注目したのである。
・ 案の定、銀メダルであった。キムとの差は23点の大差(?)で敗れたが「実力はキムの方が勝っていた」と私は思う。キムは「鉄面皮」のようで浅田みたいに感情を表に出さないが表彰台では涙を流していた。人間的な面を見せてこれも良い印象を持った。
・ しかし浅田は良くやった。期待されて「大勝負に臨み」優勝こそ逃したがこの銀メダルは立派である。金を狙いに狙って銀にこそなったがそこには「勝負にかけた女の意地」みたいなものが感じられて、私は嬉しくなった。浅田もキムも大人の女だな。
・ 夕方のテレビで浅田は涙を流し「悔しい」といっていたが悔しいだろう。しかしそれをばねにして4年後に金を取れと言いたい。その為には「日本を離れたほうが良いのでは」と思う。
・ マスコミを中心に帰国後は「ちやほや」され、最早「アスリートと言うよりタレント」になってしまう。高橋尚子もそうだった。2006年トリノの荒川静香は金を取った後本当にタレントになってしまった。
・ 高橋大輔選手などは最初から最後まで「故障から見事に復帰」とか「復活涙物語」とかでもう物語の主役になりつつある。織田信成選手などは靴の紐が切れて「ワーワー」泣いていたが、余り見たくはなかったな。
・ 「朝ズバッ」のみのもんたを始め、日本は報道番組というかテレビやマスコミがスポーツ選手を駄目にしていないか。ボクシングの亀田事件などもそうだった。朝青龍を引退に追いやったのもマスコミだ。
・ そう思っていたら朝日に面白い記事を見つけた。本当に「東京都の石原慎太郎知事は面白い」。久しぶりに「一発ぶっ放した」感じだ。朝日だけが記事にして他紙は一切ない。朝日らしい。こういうところは見逃さない。見出しは「銅を取って狂喜 こんな馬鹿な国はない」というものである。
・ 25日知事は報道陣に「銅メダルを取って狂喜する、こんな馬鹿な国は無いよ」とバンクーバー五輪の日本選手の活躍に対する国内の反応について述べたとある。同日あった東京マラソンの関連式典の挨拶でも五輪に触れ「国家という重いものを背負わない人間が早く走れるわけが無い、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけが無い」とも述べたとある。
・ 銅メダル云々には笑ってしまった。フィギアスケート男子の高橋大輔選手のことを言っているのか。銅メダルは彼とスピードスケート男子500の加藤条治選手しかいないから。恐らく高橋選手のことを念頭においているのだろう。
・ しかし私には石原知事の言うことも分かるのである。銅メダルなど意味はないとは言わないが、大騒ぎするほどのことでないだろう。3位ではないか。「金、1位、優勝が絶対的」である。これに肉薄した銀、2位、準優勝までが意味あるのではないか。
・ 2位が意味あるのは次は金だからである。3位と2位は「雲泥の差」があるのである。浅田がもし「銅メダル」などだったら日本列島を暗くしただろう。銀だからこそ次への展望で国民は元気になるのである。
・ 「何事も二番手までに付けておかないといけない」というのが私の考えだ。私学間競争でもそうである。3番手や4位入賞とか6位入賞とか全く嬉しくない。本校は二番手に付けているか。それが問題だ。何を基準にして二番手とか三番手とかいうか。それは「総合力」である。スポーツと違って難しいのがこの点である。
・ しかしそれにしても世の中の男子は「草食系男子」といわれ、女性は「戦国武将好き」で「ホルモン焼肉大好き女性」が増えているという。日本も完全に「根性ある女性の時代」が来ているのか。面白い世の中になってきた。
・ 「ライバル物語」とかいうが浅田とキム・ヨナほど格好のライバルというのも近頃では珍しいのではないか。年が19才で同じ、身長も体重もほぼ同じ、「違うのは日本人と韓国人」というだけだ。今日の両国は「熱狂」であったと思う。
・ 私はこの二人を前からテレビで追いかけていたが「絶対に目をあわそうとしない」し、擦れ違っただけでテレビ画面から「ぱちぱち」と火花が散っているのが見えるのだ。今やお互いに「国家を背中にしょっている」感じで尚更面白いのである。
・ 号外の写真を見てみると「やったぞ」という気迫があふれているではないか。「決めたトリプルアクセル2発」との見出しであった。浅田は感情を前面に出してくる。今朝の産経は1面に昨日の練習での浅田の顔を出しているがこちらのほうも顔は「やってやる」という感じで私は注目したのである。
・ 案の定、銀メダルであった。キムとの差は23点の大差(?)で敗れたが「実力はキムの方が勝っていた」と私は思う。キムは「鉄面皮」のようで浅田みたいに感情を表に出さないが表彰台では涙を流していた。人間的な面を見せてこれも良い印象を持った。
・ しかし浅田は良くやった。期待されて「大勝負に臨み」優勝こそ逃したがこの銀メダルは立派である。金を狙いに狙って銀にこそなったがそこには「勝負にかけた女の意地」みたいなものが感じられて、私は嬉しくなった。浅田もキムも大人の女だな。
・ 夕方のテレビで浅田は涙を流し「悔しい」といっていたが悔しいだろう。しかしそれをばねにして4年後に金を取れと言いたい。その為には「日本を離れたほうが良いのでは」と思う。
・ マスコミを中心に帰国後は「ちやほや」され、最早「アスリートと言うよりタレント」になってしまう。高橋尚子もそうだった。2006年トリノの荒川静香は金を取った後本当にタレントになってしまった。
・ 高橋大輔選手などは最初から最後まで「故障から見事に復帰」とか「復活涙物語」とかでもう物語の主役になりつつある。織田信成選手などは靴の紐が切れて「ワーワー」泣いていたが、余り見たくはなかったな。
・ 「朝ズバッ」のみのもんたを始め、日本は報道番組というかテレビやマスコミがスポーツ選手を駄目にしていないか。ボクシングの亀田事件などもそうだった。朝青龍を引退に追いやったのもマスコミだ。
・ そう思っていたら朝日に面白い記事を見つけた。本当に「東京都の石原慎太郎知事は面白い」。久しぶりに「一発ぶっ放した」感じだ。朝日だけが記事にして他紙は一切ない。朝日らしい。こういうところは見逃さない。見出しは「銅を取って狂喜 こんな馬鹿な国はない」というものである。
・ 25日知事は報道陣に「銅メダルを取って狂喜する、こんな馬鹿な国は無いよ」とバンクーバー五輪の日本選手の活躍に対する国内の反応について述べたとある。同日あった東京マラソンの関連式典の挨拶でも五輪に触れ「国家という重いものを背負わない人間が早く走れるわけが無い、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけが無い」とも述べたとある。
・ 銅メダル云々には笑ってしまった。フィギアスケート男子の高橋大輔選手のことを言っているのか。銅メダルは彼とスピードスケート男子500の加藤条治選手しかいないから。恐らく高橋選手のことを念頭においているのだろう。
・ しかし私には石原知事の言うことも分かるのである。銅メダルなど意味はないとは言わないが、大騒ぎするほどのことでないだろう。3位ではないか。「金、1位、優勝が絶対的」である。これに肉薄した銀、2位、準優勝までが意味あるのではないか。
・ 2位が意味あるのは次は金だからである。3位と2位は「雲泥の差」があるのである。浅田がもし「銅メダル」などだったら日本列島を暗くしただろう。銀だからこそ次への展望で国民は元気になるのである。
・ 「何事も二番手までに付けておかないといけない」というのが私の考えだ。私学間競争でもそうである。3番手や4位入賞とか6位入賞とか全く嬉しくない。本校は二番手に付けているか。それが問題だ。何を基準にして二番手とか三番手とかいうか。それは「総合力」である。スポーツと違って難しいのがこの点である。
・ しかしそれにしても世の中の男子は「草食系男子」といわれ、女性は「戦国武将好き」で「ホルモン焼肉大好き女性」が増えているという。日本も完全に「根性ある女性の時代」が来ているのか。面白い世の中になってきた。