・ しかし本校の生徒は「良い生徒」ばかりである。枚岡駅から難波までの近鉄電車の中で据わっている生徒は皆「賢そう」で「品」がある。隣の席の副校長先生は「先生、本当に良い生徒ばかりですね」としみじみと言われる。
・ まったくその通りだと思う。仕事柄電車の中などで他校の制服を着た高校生を見かけ、観察するが「贔屓目」ではなくていわゆる「本校の生徒は良い生徒」だと実感するのである。勿論いささかやんちゃな男子や、「ウーン」と思わないでもない女子生徒が居ないわけではないがそれでも基本的には「良い子」という感じがする。
・ 今日もずっと生徒の後を付いてきた最後尾の教員が、「通り道に空のペットボトル一本落ちていませんでした」と喜んで言われていた。勿論今日の生徒は私服であったが、高校生は「姿かたち」だけでは判断できないのである。
・ 自衛隊の穿くような「迷彩服のズボン」を穿いた生徒が教員から「学校では目立たないに今日は目立つな、山の中に入ってみろ」と言ったらその生徒は本当に林の中に入って言ったのである。
・ 「分からん、見えんようになった、お前、防衛大学に行け」と先生が叫んでいたがその生徒は林の中で「ポーズ」を取って「乗っている」のである。面白い光景であった。そうかと思えば女生徒に取り囲まれている人気抜群の常勤講師の先生がいたのである。
・ 余りにも声援があるので「そんなにあの先生良いの?」と私が聞くと「教え方は上手いし、優しいし、面白いし、それでいて言うときは言われる」と120%の回答が帰って来たのである。「少し出来すぎ?」という感じだったが、「生徒が一番教員を観察」していることは間違いない。これは言える。
・ 最近のブログで「高校3年生の授業料の滞納や未納がない」と書いたが、この辺にも家庭の教育というか「保護者の姿勢」みたいなものが感じられるのである。家庭が几帳面でしっかりとしていたら生徒は良いか、良くなる。「家庭教育は学校教育以上に重要」であることは間違いない。
・ それだけに私は「責任を痛感」するのだ。いい加減な教育展開であったら積極的に授業料を払おうかという気にはならないだろう。「教員に厳しい」といくら言われても私は教員のために学校を経営しているのではない。「すべて生徒と保護者のため」である。
・ 授業料を払ってくれている保護者の期待に応えて頑張っておるのであり、教職員にはその中から私が「給与を支払っている」のである。この3年間、この真に持って基本的な、原則的な、「普遍の真理」を「否というほど教員は理解」したのではないか。
・ 着任当初、私はこの私立学校の教員は何か「誤解」されているのではないかと私は思ったものだった。「学校は自分たちのもの」であり、「自分たちで好きなようにやる」ことがまかり通っており、「規則やルール」」などはあっても全く意味を成さず「知って得する権利」とかの資料が堂々と職員室で新任教員に回って来たりしていた。「やらねばならない義務と責任」とかの文言は全く関係ない状態であった。
・ それが3年で徐々に変わって来たと思う。本当に変わったのかと聞かれれば自信は無いが、旧世代や抵抗勢力、守旧派と称される人々は「退職金を上積み」して退場してもらった。そして大学新卒か間もない若い先生の多い集団になりつつあるのである。
・ 本校に奉職してくれている若い先生方は概して「優秀」である。人事担当の副校長が自信を持ってそのように断定される。それは今大阪府はもとより日本全国で本校ほど「専任教諭になれる確率の高い」私立学校はないからだと強調される。
・ 私も全くそのように思う。30名以上の常勤講師の先生が現実に居るわけだからこの先生方は専任教諭になれる確率は高いだろうと思う。そして副校長先生はこの4月に入って来られる常勤講師の先生方も「立派なキャリア」ですよと顔をほころばせて言われるのである。競争は当然厳しい。
・ 「良い学校とは良い教員がいる」ところである。「良い校長とは良い教員を育てる、集めることが仕事である」と言っても間違いはない。現在の浪速は良い教員集団になりつつあることは間違いない。この点では私は手綱を緩めることはしない。
・ それにしてもこういう行事において「お母さんが子どもに持たせる弁当を見ることで全てが分かる」ような気がする。私は生徒の弁当を見るたびに「生徒を預かっている責任」を感じるのである。お母さんの愛情120%の弁当なのである。
・ 今朝も早く起きて私は弁当を作った。心に余裕があると「作ろうかな」と思うのである。金剛山の時の弁当も自分で作ったが「山だからあれで十分」とか「もう少し何とか」と様々な感想を頂いたのである。
・ それで今朝は少し「凝った弁当」にチャレンジしたのである。おにぎりは3種とし「おかか、梅干、たらこ」の中身である。それに「青のり、たらこほぐし、ふりかけ磯ごま」を表面に振りかけたのである。
・ おにぎりには白子のりで帯状に巻いて「のりの風味」を期待した。前回は動物蛋白が無かったので今日は脂分の少ない「鶏肉をしょうゆとお砂糖で炒めた」ものを入れた。そして例によって「ゆで卵」2個である。
・ 卵は溶いて卵焼きにする時間がなくなったから手っ取り早くゆで卵にしたのであるが「半熟」であった。それに沢庵3切れと秘書のお姉さんから頂いた「ラッキョウ数個」である。ラッキョウは疲れた体に良いと思ったのである。青のりは国産で香りと口解けが大変良かった。
・ 焼き海苔はお徳用パック30枚入り、おにぎりお餅用で白子のり製である。四万十川のり入りふりかけ磯ごまは「観心寺ご住職」にこの節分で頂いたものである。たらこほぐしはニッスイ製の瓶詰めで、珍味である。梅干はご存知、紀州南高梅ものである。私は生徒の弁当と見比べながら「決して負けていない」と自信を持ったのである。
・ まったくその通りだと思う。仕事柄電車の中などで他校の制服を着た高校生を見かけ、観察するが「贔屓目」ではなくていわゆる「本校の生徒は良い生徒」だと実感するのである。勿論いささかやんちゃな男子や、「ウーン」と思わないでもない女子生徒が居ないわけではないがそれでも基本的には「良い子」という感じがする。
・ 今日もずっと生徒の後を付いてきた最後尾の教員が、「通り道に空のペットボトル一本落ちていませんでした」と喜んで言われていた。勿論今日の生徒は私服であったが、高校生は「姿かたち」だけでは判断できないのである。
・ 自衛隊の穿くような「迷彩服のズボン」を穿いた生徒が教員から「学校では目立たないに今日は目立つな、山の中に入ってみろ」と言ったらその生徒は本当に林の中に入って言ったのである。
・ 「分からん、見えんようになった、お前、防衛大学に行け」と先生が叫んでいたがその生徒は林の中で「ポーズ」を取って「乗っている」のである。面白い光景であった。そうかと思えば女生徒に取り囲まれている人気抜群の常勤講師の先生がいたのである。
・ 余りにも声援があるので「そんなにあの先生良いの?」と私が聞くと「教え方は上手いし、優しいし、面白いし、それでいて言うときは言われる」と120%の回答が帰って来たのである。「少し出来すぎ?」という感じだったが、「生徒が一番教員を観察」していることは間違いない。これは言える。
・ 最近のブログで「高校3年生の授業料の滞納や未納がない」と書いたが、この辺にも家庭の教育というか「保護者の姿勢」みたいなものが感じられるのである。家庭が几帳面でしっかりとしていたら生徒は良いか、良くなる。「家庭教育は学校教育以上に重要」であることは間違いない。
・ それだけに私は「責任を痛感」するのだ。いい加減な教育展開であったら積極的に授業料を払おうかという気にはならないだろう。「教員に厳しい」といくら言われても私は教員のために学校を経営しているのではない。「すべて生徒と保護者のため」である。
・ 授業料を払ってくれている保護者の期待に応えて頑張っておるのであり、教職員にはその中から私が「給与を支払っている」のである。この3年間、この真に持って基本的な、原則的な、「普遍の真理」を「否というほど教員は理解」したのではないか。
・ 着任当初、私はこの私立学校の教員は何か「誤解」されているのではないかと私は思ったものだった。「学校は自分たちのもの」であり、「自分たちで好きなようにやる」ことがまかり通っており、「規則やルール」」などはあっても全く意味を成さず「知って得する権利」とかの資料が堂々と職員室で新任教員に回って来たりしていた。「やらねばならない義務と責任」とかの文言は全く関係ない状態であった。
・ それが3年で徐々に変わって来たと思う。本当に変わったのかと聞かれれば自信は無いが、旧世代や抵抗勢力、守旧派と称される人々は「退職金を上積み」して退場してもらった。そして大学新卒か間もない若い先生の多い集団になりつつあるのである。
・ 本校に奉職してくれている若い先生方は概して「優秀」である。人事担当の副校長が自信を持ってそのように断定される。それは今大阪府はもとより日本全国で本校ほど「専任教諭になれる確率の高い」私立学校はないからだと強調される。
・ 私も全くそのように思う。30名以上の常勤講師の先生が現実に居るわけだからこの先生方は専任教諭になれる確率は高いだろうと思う。そして副校長先生はこの4月に入って来られる常勤講師の先生方も「立派なキャリア」ですよと顔をほころばせて言われるのである。競争は当然厳しい。
・ 「良い学校とは良い教員がいる」ところである。「良い校長とは良い教員を育てる、集めることが仕事である」と言っても間違いはない。現在の浪速は良い教員集団になりつつあることは間違いない。この点では私は手綱を緩めることはしない。
・ それにしてもこういう行事において「お母さんが子どもに持たせる弁当を見ることで全てが分かる」ような気がする。私は生徒の弁当を見るたびに「生徒を預かっている責任」を感じるのである。お母さんの愛情120%の弁当なのである。
・ 今朝も早く起きて私は弁当を作った。心に余裕があると「作ろうかな」と思うのである。金剛山の時の弁当も自分で作ったが「山だからあれで十分」とか「もう少し何とか」と様々な感想を頂いたのである。
・ それで今朝は少し「凝った弁当」にチャレンジしたのである。おにぎりは3種とし「おかか、梅干、たらこ」の中身である。それに「青のり、たらこほぐし、ふりかけ磯ごま」を表面に振りかけたのである。
・ おにぎりには白子のりで帯状に巻いて「のりの風味」を期待した。前回は動物蛋白が無かったので今日は脂分の少ない「鶏肉をしょうゆとお砂糖で炒めた」ものを入れた。そして例によって「ゆで卵」2個である。
・ 卵は溶いて卵焼きにする時間がなくなったから手っ取り早くゆで卵にしたのであるが「半熟」であった。それに沢庵3切れと秘書のお姉さんから頂いた「ラッキョウ数個」である。ラッキョウは疲れた体に良いと思ったのである。青のりは国産で香りと口解けが大変良かった。
・ 焼き海苔はお徳用パック30枚入り、おにぎりお餅用で白子のり製である。四万十川のり入りふりかけ磯ごまは「観心寺ご住職」にこの節分で頂いたものである。たらこほぐしはニッスイ製の瓶詰めで、珍味である。梅干はご存知、紀州南高梅ものである。私は生徒の弁当と見比べながら「決して負けていない」と自信を持ったのである。