2008年7月22日火曜日

7月22日(火)五十鈴川の禊

・ 朝5時30分に生徒は起床する。私は何時もの癖で5時には起きている。1年ぶりの「五十鈴川の禊」だ。心身が緊張する。学校で誂えている「日本手ぬぐい」がすでに生徒には手渡れされ使い方も担当の先生から昨夜説明されている。
・ 「学校の校章」と「浪速高等学校伊勢修養学舎の文字」と伊勢の山々と恐らく「五十鈴川をデザイン」したもので4つに折って校章を前面に「鉢巻」にする。「」というそうだ。全校生徒はそれをして神宮会館駐車場に集合する。既にズボンの中には水泳パンツをはいているのだ。
・ 持参するものは「パンツ」と「タオル」だけで会館から2列縦隊で禊の場所に向かう。この間しゃべってはならないことになっている。「高校生の集団が黙々と鉢巻をして歩く」さまは「迫力」はあるだろうが、朝の6時過ぎ、行き交う人は居ないし、車もまばらだ。
・ 川の傍に駐車場がありそこで全員服を脱ぐ。ちゃんとした更衣場所があるわけではない。言ってみれば道端で服を脱ぐようなものだが、男子ばかりにつき、一向に気にならない。この辺が女生徒に「禊指導」が出来ない所以である。
・ 昨夜も練習指導に来て頂いた神宮の神職の先生が2名で既に来られていた。全員河原に勢ぞろいして「禊式」が始まる。すぐに川の中に入るのではなくて準備がある。この「手順が凄い」のである。昨年生まれて初めて経験して「驚愕に近い」ものを感じたが内容についてはまだ完全に理解できていない。
・ 神宮の先生からは簡単な説明は受けているが、それくらいの時間で把握できるものではないが、「何世代にも亘って先輩から後輩へ」、「一字一句変わらず伝承された日本語」が素晴らしい、一つ一つに意味があるのだが、今は分からなくとも良いと思っている。
・ まず「鳥船行事」というのがある。まだ勉強していないので良くは分からないが禊はまずこれから始まる。3段に分かれ大きな掛け声を上げながらまさしく船を漕ぐような格好で歌を歌いながら船を進めるように体を動かす。「朝夕に神の御前にみそぎして、すめらが御代に仕えまつらむ」と「全員で大声」を上げる。これは1段の歌詞だ。
・ 「合いの手の掛け声」も「イーエッ エーイッ」が1段で、2段になると「エーイッ ホー」、3段は「エーイッ サー」となる。鳥船の後は「雄健(おたけび)行事」がくる。とにかく持てる声一杯に「生魂 足魂 玉留魂」と叫ぶ。(いくたま たるたま たまたまるたま)と発言する。腹の底から大声を上げる。
・ まだまだ行事は続く。その後「国常 立命」と「雄叫び」をあげるのだ。(くにのとこ たちのみこと)と発言する。その後「気吹行事(いぶき)」というのが来て「ようやく身漱(みそぎ)」となる。身体を漱ぐというのだ。
・ 30分も準備がありようやく入水となる。この字を書いても自殺ではない。川の深いところまで行き、首までつかる。生徒は「水の冷たさでヒャー」という声が上がるが、付き添いの教員は「声を出すな」と厳しい。しかし生徒は観念してるのか、嫌がるものはいない。
・ 大きな体、まだ子供みたいな小さい体格、色々あるが皆並んで川の中央に立ち、川上の「宇治橋」を仰ぎ見るのだ。緑に見える清流に影を落としてかかる高欄つきの和橋で遠くから見ると本当に「神々しく」見える。この橋から境内が「神域」とされており、伊勢が好きだった吉川英治は「ここはこころのふるさとか」と詠った宇治橋である。
・ 「道彦という指導員」は全員の目を閉じさせ、「祝詞」を奉唱する。生徒は「早く川から上がりたい」と思っているのだろうが、そうは行かない。結構長い時間15分くらいは入っているのではないか。私は勿論列の先頭で頑張っている。16歳の若々しい体の中に60歳を超えた「腹の突き出たおっさん」も頑張っているのだ。
・ 上がった後又最初と同じ行事をこなす。入る前は体を温め、入った後も体を温める効果はある。終わる頃には体が乾いてくるのだ。その後「着装」となり一連の行事が終わる。しかしこれからが本番で宇治橋を渡り「天照皇大御神」をお祭りする「内宮」すなわち、「皇大神宮」にお参りする。禊の済んだ後ということになる。
・ 列は4人で横一列とし200名の生徒は並んで宇治橋を渡る様は「形になっている」のだ。全員鉢巻すなわち「冠」はつけたままだ。生徒は制服で、全員が日本てぬぐいの鉢巻だから、おそらくこれを見る他人は「一種異様な集団」「右翼少年隊」みたいに見えるのではないか。先頭を歩く私などはさしずめ「右翼の巨魁」だろう。いかようにも思えば、思えだ。
・ 一同打ち揃って「二拝二拍一拝」が今日は良く揃った。何処となしに生徒は声も立てず「静粛」そのもので、聞こえるのは踏みしめる玉砂利の音だけである。帰りも黙々と歩きだけで神宮会館に到着する。時刻は7時45分頃で予定通りだ。約2時間弱の時程で生徒は「空腹」だろう。朝8時全員揃って朝食となる。「手を合わせ合唱して“頂きます”の声が食堂に木魂する」風景は大好きだ。
・ 生徒代表が前に出て「本居宣長の歌」を先導しながら「頂きます」というのは神宮会館でお世話いただく皆さんには好感を持って評価されているらしい。「先生、素晴らしい生徒さんですねー」と言われるのだ。
・ このようにして「一日目の禊」は終わった。明日の朝も2回目がある。「2回やって本当」というのが神道の精神にあるのかも知れない。もし雨が降ったりしたらの予備というが根本には「2回やる」というのがあるのかも知れない。
・ 確かに神道行事では「国歌の斉唱でも2回詠う」のが普通だ。生徒にとってはもう一生このような経験は無いと思う。貴重な機会と経験だ。「浪速高校1年生の夏に五十鈴川に禊で2回もつかった経験は決して人生で無駄にはならない」だろう。これは間違いない。
・ 気にしていたが常勤講師の先生方も一緒になって頑張っておられた。立派であるし嬉しい。一昨年はある常勤講師の先生が裸になるのは厭だと言って、結局「首になった」と聞いた。最初は水着を忘れたと言い、それでは「ふんどし」があると言ったら、「川の水アレルギー」と言ってどうしても川に入らなかったらしい。禊は本校の生命線だから、「ちゃぷちゃぷ」でも入れば良かったのに。