2008年7月24日木曜日

7月24日(木)学校は静か

・ 学校は「静か」である。極めて静かである。講習やクラブで生徒は結構登校しているのだが、校内は「静か」である。「この感じは嫌いではない」。何か「ゆとり」みたいなものがあって、生徒も先生も「良い顔」をしている。
・ 高温多湿の日本は「夏休み」という制度を作った。先人は本当に賢い。正式には「夏季休業」という。しかしこの制度は日本だけではなくて世界的に実施されているものだ。太平洋高気圧の支配下での暑熱や夏季の伝統的な慣習、例えば自営業者や農家の手伝い、薮入りの習慣の影響、教職員の研修や採用試験などの準備、教職員の休業など色々な理由はあったのだろうが、「夏休みは良い制度」であると私は考えている。
・ 大阪は暑い。大阪だけではない。日本全国今の時期、どこでも暑いこの季節だ。幾らエアコンが完備されているとはいえ、小さな教室に40名の成長盛りの若者の体温で室温はいやがおうにも上がる。設定温度28度Cなどでは、正直汗が吹き出る。
・ 私は当初、エアコンがあるのだから「授業、授業」と叫んでいたが、幾分軌道修正した。一昨年までの本校は夏季休業中しっかりと休業していたが、「お盆明けには授業を入れた。」1学期の終業式の翌日からは2泊3日の「伊勢修養学舎」が1年生には始まる。
・ 2年生の1クラスは「カナダにホームステイ」だ。「校内特別講習が7月一杯」続く。8月上旬には「選抜者強化学習合宿」が京都と大津で計画されている。「インターハイ」があり、多くのクラブは練習試合や「強化合宿」が始まる。生徒も逆に夏休みといっても忙しいのだ。
・ 休みと言っても「実際の休業はほんのわずかの期間」しかないのが実態である。しかし授業とは違った気分的には前述したように「ゆとり」みたいなものがあって「休業期間は生徒を大きく成長させる」ような気がする。それで私は「夏休みを再評価」している。
・ 夏休みが数年前、大きな問題とされたのは「生徒の為の夏休みを一部の教員が教員の夏休み」と世間に錯覚せしめるような行為が社会的に糾弾されたからである。元来この時季は「研修」をして教員としての技量を高めるとか、「授業研究」とか、日ごろ出来ない「分掌業務の整理」をするとか、あるところを「研修と言って家族旅行に出かけたり」「学校に顔を出さず、自宅で車を洗っていたり」する「不届き者」がいたのも事実である。
・ 社会の勤労者は暑い中、仕事に出かけている中を「教員も夏休み」と思われ,「先生の仕事って良いですねー。休みが多くて」などと思われてきたのだ。これでは一生懸命自分の時間を割いて生徒の部活や学校行事に集中している教員に申し訳ないことだ。
・ したがって本校は昨年から8月7日から17日まで「夏季リフレッシュ休暇」として年間労働時間を設定するときに「特別休暇」を入れた。連続10日の休みである。厚生労働省から表彰されても良いくらいだ。これは教員の正式な休業期間である。これ以外は勤務日だ。全教員、この日を楽しみに頑張ってくれている。
・ 「静かな学校」も良いものだ。何時もかつも静かなのは困るがこの暑い中、マイペースで仕事が出来るのだから教員の仕事もはかどるものと考えている。通常は「チャイムが鳴る」と学校は騒がしくなる。緊張の授業が終えて生徒は一挙に教室から飛び出し「歓声」が学校内にこだまする。短い時間でバレーボールなどするグループもいる。特に女生徒の甲高い声が良く聞こえる。
・ そして10分経ち、又「始業のチャイム」がなると汐が引くように「静粛」に急変する。「学校のこのサイクルは誠に持って心地良い」ものだ。しかしチャイムが鳴っても生徒の声一つ聞こえないのは夏休みの特徴であり、校長としては「いささか寂しい気」もする。しかしだ。1年に一回夏のこの時期にこのような静粛な時があっても良いと考えるようになった。
・ 生徒は生徒でそれぞれ、何処かの場所で「頑張っている」筈だ。家で寝ているような者はいない。とにかく事故など無くお盆明けの授業開始を待つのである。夏休みと言っても「様々なことがある」、決してゆっくりというわけではない。逆に校長は忙しい。
・ カナダからはメールが入り、ホームステイ先と合わないと言ったり、迷子になったとか、伊勢では生徒同士のいざこざがあったとか、学校では1学期で起きたことが今頃露見して先生が走り回ったり、結構大変なのであるが、「授業」がない分落ち着いて対応も出来ている。
・ ところで「ノーチャイムの学校」を研究したいという考えもある。思い切って「全校一斉のチャイムをなくする」ことで「生徒が自主的に時間管理」ができないかというわけだ。7月18日の日経は「静かに広がるノーチャイム」の見出しで取り上げていた。
・ 実際実施している学校は増えてきているらしい。教室や廊下に時計を増やし、後は生徒の腕時計で時間を管理しながら行動するというものだ。勿論教師は「ベル着」で教室に入っていかねばならない。時間が来れば授業に入るのだ。そうすれば学校から一切「チャイム」が無くなり、静かになるというより、「生徒の自主性を育てるという狙い」だろう。勿論定期考査の時にはチャイムは必要だ。
・ 元来このチャイムは明治期に現在の学制が決められた時に導入されたもので当時は「鐘を鳴らして」始業時間を知らせたのが始まりという。長い歴史があるのだ。あのメロディーも日本では殆ど一緒だ。町の通りを歩いていて遠くからあの音が聞こえてくると「ああ、この近くに学校があるね」とすぐ分かる。
・ しかし現実は厳しいものがあるらしい。ある校長が導入したが数年後校長が変わった瞬間に「元に戻る」という事例もあるらしい。又生徒の自主性などと言っても一向にそのような気配はなくて「授業に生徒が揃わない」という学校もあるだろう。
・ 本校の学校の力で「ノーチャイムの浪速」はどうなんだろうかと何時も思うのだが「まあ難しいと感じる教員は多い」と感じる。新聞記事にもあったが、中学校や小学校の柔軟授業では意味があるかも知れない。高校生にはどうなんだろう。本校みたいに50クラスもあるマンモス校で一挙に「理想論」を振りかざしても上手くはいかないと言われるだろうな。
・ まあもうしばらく様子をみよう。明日からは最後の3班の「伊勢修養学舎」だがあそこには「チャイム」はない。しかし生徒は時間通りに集まってくる。特に食事時には遅れて来ることは無い。「本校の生徒はチャイムなしでも時間管理が出来る生徒」だと私は踏んでいるのだ。