癒しということ
・ 大体何時ごろから「癒しブーム」となったのであろうか。「これは自分へのご褒美」という言葉も登場してきた。私の世代や多くの苦労人は「癒し」などの言葉は知らなかった。自分へのご褒美などの概念さえ無かった。
・ 頑張ったら母親が何かを作ってくれたり、大きなものは父親が「買って与えてくれた。」近所の叔父さん叔母さんが「良くやったね」と言って褒めてくれるのがことさら嬉しかったものだ。
・ ご褒美とは自分以外の他が認めてくれるもので、自分以外だからそれだけ「認めて貰った」と嬉しさ倍増であった筈だった。自分で自分を褒めるなどは「自己満足」と言って笑われたものだが最近はどうも様子が違ってきた。
・ 苦労に直面したり「挫折」したときに「これも修養や」「勉強した」「勉強になった」「えらく高いもんについた」「授業料や」などと自分をポジティブに考え進んでいったのである。
・ 「苦労人物語」には「自分も頑張ったら何時かあのようになれる」という「希望」があった。苦労や刻苦、修養には将来の希望があった。しかし「癒し」にはそのようなものは感じられないのだ。
・ 本校の「伊勢修養学舎」にはこのような入り口部分を生徒に伝えることが大切である。高校3年の間に一度くらい学業を離れて「しっかりと自己を見つめ、心を鍛える」ようか機会があって良い。
・ 言うは易く行いは難しであるが、出来ないことではない。教職員全員がその気になれば可能だ。私は諦めない。大阪府下は及ばず全国に「浪速の伊勢修養学舎」が知られるくらいに内容と効果を高めなければならない。
・ 今日は「夕方の便でカナダに飛ぶ」。2時過ぎ関空に向かう。しかし今日も暑い。異常なくらい暑い。現地スタッフへのお土産を求めに昼前心斎橋に出たが歩けるものではなかった。
・ 求める物が見当たらなく高島屋、大丸、そごうと3つのデパートをはしごしたがこの暑さの中でも人は一杯である。特にデパートの商戦は真っ盛りというところであるが、商品がどんどん出ている感じではなかったなー。
・ しかしそごうは大変だ。客の入りが極めて悪い。11階などは人は数えるほどで店員さんの方が明らかに多い。一度は破綻して再起をかけてオープンしたが人が行ったのは最初のうちだけではっきりいって「じりひん」ではないか。
・ 大体あの店構えは大阪人には似つかわない。余りにも脱大阪過ぎる。近鉄、高島屋、大丸とそれなりに「ベチャーッとした」たたずまいが大阪の人には好まれる。そごうは東京でもなければ大阪でもない。あれは「失敗作」だ。
・ 中堅幹部の社員が一生懸命客寄せしていたが何か可哀想な気がした。何か買ってあげようと思うのだが買うものがないのだ。商品も少なくなっている。結局高島屋にした。
・ 関空から海外に飛び立つのは初めてではないか。国際線に入る。しかし成田に比べ「小さいし狭い。」関空だけを見ても関西の地盤沈下が容易に分かる。更に大手の国内便が減少するという。
・ 市内からこのように離れた場所でなおかつ伊丹、神戸と近隣に3空港もあるのでは仕方がないわなー。まったくもって経済不合理性の典型だ。それでもカナダ便は多くの人が搭乗手続きで並んでおられた。府民も2極化してきているのか。
・ 「フライトは17時25分オンタイムでエアカナダAC36便、バンクーバー直行便で乗り次いでカルガリーに飛ぶ」。カルガリーは25年ぶりに降り立つ地だ。アライアンスでANAのラウンジが使える。ここでこのブログを書いている。