・ 「女たちの忠臣蔵」とか「女たちの太閤記」とかの表現がある。それにあやかって「女生徒たちの伊勢修養学舎」と行こう。共学に移行した時にこの伊勢学舎をどうするか当時の学校関係者は悩んだことと思う。しかし結果的に良い方向でやってくれていると言える。
・ 私は昨年初めて参加した時に、まだ訳が分からないのに「女性にも禊を」と本気で考えた。それほど「禊の印象が強烈」だったし、神職を志す女性は「禊」をしている筈だから女生徒がしてもおかしくないと考えたからである。
・ 男子生徒に比べ行事内容に「些かインパクトに欠ける」印象を持ったものだから、「何かないか、何かないか、女生徒にも禊を」と考え、学校に帰ってから担当のM教諭と相当議論をしたのである。
・ しかし結局結論は現段階では「女生徒の禊は時期尚早との結論」になったのである。加えて昨年参加して頂いた府内の神社関係の女性の宮司や禰宜さんに本校に来て頂いてご意見を伺う機会も持ち、2回ほど議論をした。色々なアイデアが出てきて、本年度の学舎となったのである。
・ 今でも「女生徒に生涯思い出になるような伊勢修養学舎を」という思いが強い。男子は問題ない。今後とも「五十鈴川の禊」を中心として伊勢修養学舎はこの混迷の時代、生徒指導に難しさを感じる時代ゆえにますます意味はある。絶対にこの行事を止めてはならない。止める時は学校を閉める時だ。
・ 本年度も参加して私は女生徒の禊は完全に諦めた。「無理と感じた」のである。男子生徒でも「大丈夫かな」と心配するような「今日的生徒」であり、更衣室があるとかないとかのとかの問題ではなくて「優先順位」として「女生徒には他に何かある」ような気がしてきたからである。それが「何であるか」はまだ掴めていない。更に突き詰めていかねばならないと思っている。しかし今回の経験で「女生徒を水の中に漬けるよりは他にまだなにかある」と、確実な答えはまだないが「少し見えてきた感じ」がする。
・ 今回の大きな特徴は全女生徒に「襦袢と白の着物、朱の袴の三点セットを用意した。「巫女」さんの装束である。70着分用意した。まず「着物の着付け」を勉強して貰った。金はかかったがそれはどうでも良いことで、着物を着るという行為と巫女と言う通常人には普通経験できないスタイルをさせることで彼女たちは「変わる」ことが分かった。着た瞬間「変化する」のである。
・ 加えて今回のもう一つの特徴は近くの「皇學館大學の祭式教室」というか講堂を借用して「舞や祭式」の勉強をして貰ったことである。とにかく会場が素晴らしい。誰しも身ずまいを正さざるを得なくなるような感じにさせる立派な会場で「神楽舞の練習」などを実際に「榊」を持ってやる様は絵になっているのだ。とにかく女生徒の目がらんらんと輝いている。たとえ3分程度の舞でも彼女たちに大きなインパクトを与える。
・ 今回の学舎第1班は男子が141名、女子が63名である。3班ともで大体このバランスとなっている。これに対して引率の教員は男性が12名、女性教員が5名であるが女生徒には外部講師の先生が5名付いている。神職の方々である。生徒一人当たりにすると圧倒的に女子の方に人員が掛かっているのである。これくらい「女生徒指導には手間隙がかかるのが実態」である。今後間違いなく女生徒の数は増えてくるだろう。これを考えただけで私は重たい気持ちになる。中身と女性教師と外部講師の先生の手配である。
・ 男子生徒は持参の水着一つで五十鈴川に禊するのも、無料であるが女生徒にはとにかくお金がかかる。今は致し方ない。それだけの教育効果が上がれば惜しくは無い。それよりも「何を提供するか」である。後メニューとしては「大祓詞」の書写がある。これは中々意味あるもので一生保持してくれれば記念になるものだ。
・ なんやかやで「女生徒たちの伊勢修養学舎」も大夫形が出来てきた。しか正直なところまだ「満足していない」。祭式教室で輝く生徒の顔を見ていて、今日感じたのは「礼儀作法教室と茶道指導」を瞬間思いついたのである。舞を踊るのにあれほど生徒は興奮していた。知らないことを教えて、たとえそれがほんの入り口部分でも「導火線」になれば良いと思ったのである。
・ 日本の母になる女生徒である。こう書けば一部の団体は「女性を母になるべきものと規定する」と騒ぎ立てるが、そんな集団のいい草などに負けるつもりはない。立派な強い母になって欲しいのだ。共学に移行して4年目の女生徒だ。「極めて本校にとって大切な女生徒」だ。しっかりと浪速の教育を展開していかねばならない。
・ 携帯電話しか興味がないのかと思わんばかりの女生徒でも「知らないことには大いに関心」を示すことが今日分かった。それならばそのようにプログラムを組んでやりたい。「小笠原式作法」とか「茶道の入り口」みたいなものも効果があるかも知れない。
・ 昨年の女生徒に比べ、今年の生徒は「良く話を聞いてくれる」と外部の先生は言ってくれたがこれは正直「稚拙」な面があると私は考えている。要は段々と「こども、こども」になっているのだ。まだ中学生みたいなところがあるのだ。幾ら「静かにしなさい」と言っても「私語が止まらない。」大声を張り上げるとようやく止まる。自分に関心があるものは興味を抱くがそれ以外は「関係なーい」と考えてしまうのだ。
・ 女生徒たちの伊勢修養学舎を今後とも追及していきたい。辛いのはこのような指導は本校の女性教員では、限界はある。当然である。従ってどうしても神職を生業としている先生とか「外部の先生方のお力が必要」だ。女性教員が少なすぎる。増やしていかねばならない。今回も初めての先生が2名来て頂いているが、「人材バンク」を用意して人材を集めておかねばならない。
・ 2班の「校長講話」を終えて今帰りの電車の中でパソコンを打っている。明日は終日学校で、25日3班に参加する。その後はカナダだ。宇治山田駅で例の「赤福」を買った。お店の方に「再開後、売り上げは如何ですか?」と余計な事をすぐ聞くのは悪い癖だ。いささか不意を突かれたみたいで「前より上がっています!」と。「本当かな?」。電車の中で食したが「旨かったなー」。やはり賞味期限内のものは新鮮で、使い回しでないのは旨い。赤福復活か?