・ 扶桑社(育鵬社)の教科書広報誌に「虹」というものがある。季刊で年に4回の発行とか。B5版見開きで簡便なものであるが、「中身は濃い」。様々な人のお考えやご意見が大変に参考になるというか、勉強になるのである。
・ そのトップページに「巻頭言」の欄があるのだが短い文章の中に珠玉のものがある。この年になると徐々に「尊敬する人」など減っていくものだが、今でも私が尊敬する人物に上智大学名誉教授の「渡部昇一先生」がおられる。
・ とにかくこの先生の書かれたもの、発信されたものはすべてが「滋養」となって心と体に入ってくる。こういう先生を我々日本人は有していると思えば「まだ日本も捨てたものではない」と思うのである。
・ 単なる大学の学者ではなくて碩学、知識人、教養人などの表現は先生に失礼であろう。思想家、哲学者に近いが、それでも当て嵌まるとも考えられないがとにかく知識の膨大さを「見識」に発展させ、それを見事な語り口で分かり易く「ぶれず」に発信されるその「スマートさ」と「度胸のよさ」に私は言いようも無く「惹かれる」のである。
・ 保守的論客、右派の泰斗、右の理論派などと固めてしまうことは出来ない。とにかく私は好きだ。最近では「WILL別冊 歴史通」の10月号に「谷沢永一先生と対談」が出ていたが素晴らしいものだった。
・ 司馬遼太郎の「坂の上の雲」を紐解くものでまさに「Big対談」であった。余談になるがこの秋口以降、明治時代を描いた坂の上の雲が「一大ブーム」になるかも知れない。NHKテレビでドラマ化されるなどその「予兆」はある。「国揺るぐ今、明治時代に学べ」と言うことかも知れない。
・ この渡部先生の素晴らしい言葉に前述した「虹」の巻頭言があるのだが、それは「義務教育の歴史は虹を見せること」というのがある。私は先生のこの一文にも感銘を受けたというか目の前の「もやもや」が吹っ飛んだのである。
・ 歴史教育の役割とは少なくとも義務教育レベルの歴史では「きれいな虹が見える位置に子供たちを導く」ことが大切だと言われているのである。又「歴史的事実と歴史は区別しなければならない」とも先生はおっしゃっておられる。これらの言葉で私は目が覚め、腹が据わったのである。
・ 本校は大正12年に当時の大阪府の神社界の有志が基本財産を持ち寄って当初は「神職養成の学校」として設立された。爾来85年幾多の歴史を刻み今日では大阪を代表する私立学校として厳然として存在している。
・ 私はこの学校の理事長・校長として着任以来、「学校の勢い」を取り戻すべく、理事会ならびに教職員と一丸になって「学校改革」を推し進めてきた。それは今までの流れの中での「改善・変革の類」などではない。「新たな学校の創立」と言うほうが近い。
・ 今や半分近くの教職員が勤続3年未満の新人であるが従来より本校に勤務して呉れている教職員は「肌身に染みて」、「何がこの学校で起きたか」分かっていると思う。3年間の「改革の軌跡」は一言では語れない。
・ 私は思ったのである。「学校の形」は決めた。次は「学校の心」であり、橋下改革により大阪の私学は厳しい状況下に置かれ「公私入り乱れての学校特色競争」はますます厳しい段階を迎えているという背景もあった。
・ そういった環境条件の中でもっとも重要なことは「私立学校としてのアイデンティティの再確認」であった。「特徴を特色に変えてそれを本校の存在価値」とするために「神社神道と言う学校の原点」に立ち戻ることを決心したのである。
・ まず「学院神社」周りの環境整備を行い、「神域」として復活させた。「絵馬」までオリジナルのものを作った。そして「学校行事」を全面的に見直したり、補強を加えたり新設したのである。「新春拝賀始業式」も始めた。
・ 「神道科の教科書」も我々の手で作らんと2年の歳月をかけて全面更新しようとしている。そして「後醍醐天皇の建武の中興」の立役者、楠正成公生誕の地にある千早赤阪村の廃校となった小学校を買収し「多聞尚学館」として校外学習合宿施設として再出発させ「学院神社の分社」も設立した。
・ そしてその私が最後に目指したものが新たな「中学校歴史教科書の採択問題」であった。神社神道を建学の精神にいささかなりとも近づくためにあらゆる視点で検討を進めようやく結論を得た。「本校のアイデンティティ」を再確認し心を充実させていくためにどうしても「我が国の歴史を大切にする教科書」が必要であったのである。
・ 「日本文明・文化のこころとかたち」は間違いなく古事記、日本書紀の「神社神道の精神」から「国つくり」がなされてきた。神道の脈拍に仏教を受容し、「和魂、大和こころ」を形成してきた我々は大化の改心、明治維新と改革の潜在的能力を有している国民である。
・ 「五穀豊穣」を祈り、「自然と共生」してきた日本人はまさしく今日的エコロジーの世界を古代史から面々と繋いできた国民である。「山川草木悉皆成仏」こそ日本文化の核心である。
・ 現存する国家の中で最古の国は我が国であり世界最古の王朝が万世一系、一度も途切れることなく続いている日本の中で、数少ない神社神道の学校として「原点に立ち戻る」ための社会科の教科書は「扶桑社版の歴史・公民教科書」であった。
・ この道程については本日アップした公式サイトにある公式メッセージの「扶桑社版中学校歴史教科書採択への道」に詳述している。是非こちらを読んでいただけると有難いと思っている。
・ この私に対して扶桑社は「虹の巻頭言」を書けと水を向けられたのである。並み居る立派な方々に並んで私のごとき「浅学菲才」のものが「おこがましい」と思い、逡巡し躊躇したがこれも「改革の足跡の一つ」として覚悟を決めて書いたのである。
・ そのタイトルは「虹」巻頭言:「私立学校とアイデンティティ」とした。駄文であるが私の思いが詰まっている。近日中にその短い全文を公式メッセージにアップすることになろう。
・ そのトップページに「巻頭言」の欄があるのだが短い文章の中に珠玉のものがある。この年になると徐々に「尊敬する人」など減っていくものだが、今でも私が尊敬する人物に上智大学名誉教授の「渡部昇一先生」がおられる。
・ とにかくこの先生の書かれたもの、発信されたものはすべてが「滋養」となって心と体に入ってくる。こういう先生を我々日本人は有していると思えば「まだ日本も捨てたものではない」と思うのである。
・ 単なる大学の学者ではなくて碩学、知識人、教養人などの表現は先生に失礼であろう。思想家、哲学者に近いが、それでも当て嵌まるとも考えられないがとにかく知識の膨大さを「見識」に発展させ、それを見事な語り口で分かり易く「ぶれず」に発信されるその「スマートさ」と「度胸のよさ」に私は言いようも無く「惹かれる」のである。
・ 保守的論客、右派の泰斗、右の理論派などと固めてしまうことは出来ない。とにかく私は好きだ。最近では「WILL別冊 歴史通」の10月号に「谷沢永一先生と対談」が出ていたが素晴らしいものだった。
・ 司馬遼太郎の「坂の上の雲」を紐解くものでまさに「Big対談」であった。余談になるがこの秋口以降、明治時代を描いた坂の上の雲が「一大ブーム」になるかも知れない。NHKテレビでドラマ化されるなどその「予兆」はある。「国揺るぐ今、明治時代に学べ」と言うことかも知れない。
・ この渡部先生の素晴らしい言葉に前述した「虹」の巻頭言があるのだが、それは「義務教育の歴史は虹を見せること」というのがある。私は先生のこの一文にも感銘を受けたというか目の前の「もやもや」が吹っ飛んだのである。
・ 歴史教育の役割とは少なくとも義務教育レベルの歴史では「きれいな虹が見える位置に子供たちを導く」ことが大切だと言われているのである。又「歴史的事実と歴史は区別しなければならない」とも先生はおっしゃっておられる。これらの言葉で私は目が覚め、腹が据わったのである。
・ 本校は大正12年に当時の大阪府の神社界の有志が基本財産を持ち寄って当初は「神職養成の学校」として設立された。爾来85年幾多の歴史を刻み今日では大阪を代表する私立学校として厳然として存在している。
・ 私はこの学校の理事長・校長として着任以来、「学校の勢い」を取り戻すべく、理事会ならびに教職員と一丸になって「学校改革」を推し進めてきた。それは今までの流れの中での「改善・変革の類」などではない。「新たな学校の創立」と言うほうが近い。
・ 今や半分近くの教職員が勤続3年未満の新人であるが従来より本校に勤務して呉れている教職員は「肌身に染みて」、「何がこの学校で起きたか」分かっていると思う。3年間の「改革の軌跡」は一言では語れない。
・ 私は思ったのである。「学校の形」は決めた。次は「学校の心」であり、橋下改革により大阪の私学は厳しい状況下に置かれ「公私入り乱れての学校特色競争」はますます厳しい段階を迎えているという背景もあった。
・ そういった環境条件の中でもっとも重要なことは「私立学校としてのアイデンティティの再確認」であった。「特徴を特色に変えてそれを本校の存在価値」とするために「神社神道と言う学校の原点」に立ち戻ることを決心したのである。
・ まず「学院神社」周りの環境整備を行い、「神域」として復活させた。「絵馬」までオリジナルのものを作った。そして「学校行事」を全面的に見直したり、補強を加えたり新設したのである。「新春拝賀始業式」も始めた。
・ 「神道科の教科書」も我々の手で作らんと2年の歳月をかけて全面更新しようとしている。そして「後醍醐天皇の建武の中興」の立役者、楠正成公生誕の地にある千早赤阪村の廃校となった小学校を買収し「多聞尚学館」として校外学習合宿施設として再出発させ「学院神社の分社」も設立した。
・ そしてその私が最後に目指したものが新たな「中学校歴史教科書の採択問題」であった。神社神道を建学の精神にいささかなりとも近づくためにあらゆる視点で検討を進めようやく結論を得た。「本校のアイデンティティ」を再確認し心を充実させていくためにどうしても「我が国の歴史を大切にする教科書」が必要であったのである。
・ 「日本文明・文化のこころとかたち」は間違いなく古事記、日本書紀の「神社神道の精神」から「国つくり」がなされてきた。神道の脈拍に仏教を受容し、「和魂、大和こころ」を形成してきた我々は大化の改心、明治維新と改革の潜在的能力を有している国民である。
・ 「五穀豊穣」を祈り、「自然と共生」してきた日本人はまさしく今日的エコロジーの世界を古代史から面々と繋いできた国民である。「山川草木悉皆成仏」こそ日本文化の核心である。
・ 現存する国家の中で最古の国は我が国であり世界最古の王朝が万世一系、一度も途切れることなく続いている日本の中で、数少ない神社神道の学校として「原点に立ち戻る」ための社会科の教科書は「扶桑社版の歴史・公民教科書」であった。
・ この道程については本日アップした公式サイトにある公式メッセージの「扶桑社版中学校歴史教科書採択への道」に詳述している。是非こちらを読んでいただけると有難いと思っている。
・ この私に対して扶桑社は「虹の巻頭言」を書けと水を向けられたのである。並み居る立派な方々に並んで私のごとき「浅学菲才」のものが「おこがましい」と思い、逡巡し躊躇したがこれも「改革の足跡の一つ」として覚悟を決めて書いたのである。
・ そのタイトルは「虹」巻頭言:「私立学校とアイデンティティ」とした。駄文であるが私の思いが詰まっている。近日中にその短い全文を公式メッセージにアップすることになろう。