2009年9月12日土曜日

9月12日(土)新武道館設計コンペ




・ 今日のブログは少し長くなるかも知れないが「後世の為」に記しておかねばならない。本日は極めて「ビッグなイベント」と言うべき「新武道館に関わる建設メーカーさんによるプレゼンテーション」の日であった。「コンペ」である。去る9月7日17時締め切りで「提案図書」を受領し、本日の説明会となったのである。朝8時30分、予定通りに始まった。
・ 会社さんの数は「計6社」でいずれも有名な実績ある立派な会社である。一社当たり35分の時間を予定していたが、私は朝一番に「遅れを考慮」して「お待ち頂く場所」を事務方に指示した。すなわち失礼があってはならないので「私の部屋」を時間待ちの部屋としたのである。
・ 学校の教員は案外こういうところに気が行かない。本校ではそういう人間は居ないが廊下に待たせたりする「失礼な振る舞い」をするところもあるからである。「湯茶のご接待のやり方まで指示」してプレゼンテーションの部屋に移動した。
・ 学校法人としては「理事長の私とM理事長職務代理」にご出馬頂いた。「何が起きているのか」「何をしているのか」その目で確かめて頂くためである。学校側の出席者は「筆頭副校長始め管理職3名、それに新武道館推進チーム5名に新校舎建設チーム2名、事務局から2名」のスタッフが今日のフルメンバーである。
・ 新武道館チームのメンバーはすべて教員でそれぞれが「弓道、剣道、空手道、雅楽・茶道の顧問先生」である。それも大阪は言うに及ばず日本でも有名なその道の指導者である。例えば空手道のI先生は先の全国チャンピオンを勝ち取った指導者だし、剣道のY先生は全日本社会人大阪チームの監督だし府警における指導者でもある等々だ。
・弓道の先生はまだ若いが立命館弓道部の主将で西日本学生チャンピオンだった先生である。私はこれらの「専門の指導者の使い勝手の良いもの」を作ってやりたい。武道館は普通の教室校舎ではない特殊な建物なのである。単なる「箱物」ではないからである。

・ 話が少し横道にそれるが、かって本校は「組合色の強い私立高校」として府内では大変有名であった。“かって”と言っても遂3年前までの話であるが「貧すれば鈍する」で、何をやっても上手く行かず経営的にも「塗炭の苦しみ」を味わった学校である。
・ その辺のところはホームページ校長の「公式メッセージ」(校長日記ではない)に詳細記録されている。何より本日出席された理事長職務代理が「死ぬかもと思った」と言われるくらい「激しい荒れた学校」だったのである。今日のメンバーの中にも組合員はいる。
・ 私は着任以来「現状を脱却」するために教職員に対して徹底的に「説明責任」を果たし、「すべてを公開」して「公明正大」に「学校改革」を推進し、経営と校務運営を進めてきた。
・ そして「すべての源」である「生徒募集」に「全身全霊」であたり今日の「V字回復」を果たしてきたのである。はっきり言って体の不調をきたす位「厳しい3年間」であった。それくらい私は「仕事をした」のである。
・ 私は彼らと約束した耐震強度」に問題を抱えることを説明し「新校舎建設」までは「我慢して欲しい」ともに「歯を食いしばって頑張ろう」と訴え、そのために「給与処遇は府内私学レベルで平均以下のレベル」まで落とさせて貰うなどの「経営合理化への協力」を願ったのである。
・ 組合教員はこの要望を真正面に受け止めてくれこの2年間「組合団交」さえ要求されていない。今浪速の教職員は組合、非組教員、一枚岩となって「新しい世紀の基盤」を打ちたてようとしているのである。
・ 何を言いたいかというと「新武道館、新校舎建設のフラッグ」を立てたのは私であるが「これらを使い、21世紀に勇躍する浪速を運営していくのは若いこれらの教員である」と言うことであり、63歳になった私の仕事ではないということである。
・ 今日までは「私のリード」で来たが「これからはこの新武道館を使って教育活動を実際に展開する」彼ら教員にある程度任せるべきと考えたのである。トップが決めることは簡単なことであるが、「実際に使う教員に責任を持たせる」こととしたのである。「責任とは意思決定に参画させる」ことである。
・ 正直なところ私が来る前には様々なことがあったらしい。詳しくは書けないが「嘘か誠か」当時のトップが外部の土地購入に伴う不正への関与とか、新しい建物を立てた後、直ぐに家を新築して引っ越したとか、どれほどこの種の「汚い話」を聞かされたことか。昔から居る本校の教職員であれば誰もが知っていることなのである。新武道館、新校舎に関しては決してこの種の話は出さないと私は誓ったのである。
・ 「私がこのようなものを作る。建設会社はここだ!」ということは当然「職務権限から可能」であるが、以上書いてきた経緯からそのようなことはすべきでないと考えたのである。勿論新校舎建設もこの手法でいくとは決めてはいない。まだまだ先のことである。従って今回は「完全に新校舎建設とは分離」した事業としたのである。大体規模が違う。

・ どの新聞か忘れたが今日の夕刊に大見出しで「民主党は理系内閣」と出ていた。鳩山総理、管副総理、平野官房長官すべて理系だというのである。文系と違って「理系の頭」で内閣は運営されるのかと書いていたが、私も理系である。
・ 私は鉄鋼会社の幹部の一人であった。特に製鉄所で製鋼工場長と熱延工場長を歴任し、技術部長もやり製鉄所の副所長もやった。「装置産業といわれる鉄鋼業の現場でヘルメット」をかぶってどれほどの建屋・装置を作ってきたでろうか。数えられないくらいである。
・特に住友金属の主力製鉄所である鹿島製鉄所の正門前の小高い丘に作った「人材開発センター」は当時60億円の費用をかけて私が「日建設計と鹿島」と組み、設計から完成まで完成させた仕事で、今でも住金の戦略拠点としてその存在感をますます高めている。この建設経験は極めて大きいものがある。
・ 私は教員出身の校長ではない。言って見れば高度経済成長の時代から「設備を作って動かしてきた人間」なのである。こういう私に向かって「設備のことは分からないのだから、これだけの金でやってくれ」と「指値でゼネコンを決めたら良い」とか言ってきた関係者もいたが「丸投げ」するほど「愚か」ではないし、私の経歴に対して「失礼千万な話」なのである。
・ 教職員がこの方面は「からきっし駄目」なことは最初から分かりきっている。「子どもを教えるプロではあるが建設についてはまったくの素人」であることは最初から分かっている。それでもあえて彼らをして「チーム」を編成させ、プロジェクトに組み入れたのは前述したような「歴史的経緯」があるからである。
・ 彼らは私の知識と経験の足元にも及ばない、それでも「彼らのプロジェクト」だと私は位置づけたのである。私は「教員の意向を尊重」してやりたいと考えている。その代わり「教育効果を私は厳しく求める」。それが「校長の仕事」であると思っているからである。

・ 従って9月7日に「提案図書」を受領してから今日まで私は一切「チーム員との接触を避けた」。私の一言が彼らに予断を与えるのを恐れたのである。ただ一人「提案図書のある部屋に鍵」をかけて自分一人で読み進めたのである。
・ またこの間、今回の6社の「メーカーさんとの接触も絶った」のである。幸いどの会社さんもプロセス途中での「理事長面談要請」はなかった。あれほど自治体における「ゼネコン疑惑」で騒がれていただけにお互いに慎重に振舞ったのである。
・ 理事・評議員から「紹介」はあったが私への特定なゼネコンへの「働きかけ」はなかった。これは「大阪府神社界の品格」のなせる業である。しかし私は前述したように神社界代表として今日は最初から最後まで有力理事である職務代理に出席をお願いしたのである。「透明性」を高める目的と「歴史の証人」というと幾分大げさか。

・ しかしそれにしてもさすがに有力なゼネコンさんばかりだ。「プレゼンテーション」の準備とポイントを抑えておられるのは「パーフェクト」である。すべての会社さんが「パソコン」を持って来られ、「パッパッ」とケーブルを繋げばそれで準備完了である。
・ 時間も訓練されており時間内に「ピチッ」と終えられる。又各社さん「模型」を作って持参して頂いているから我々は理解し易いし、それを我々の後日の参考にと置いて行かれたのには頭が下がったのである。
・ プレゼンテーションの後は「当方からの質疑」となるのだが中には「ピント外れ」の質問があったりして面食らった設計士さんもいたのではないか。今日は言ってみれば「基本設計、概念設計であり詳細設計ではない」から「入り口が無いとかあるとか」「倉庫が狭いとか」などは詳細設計の話である。
・ 6社さん「各社各様」で一言で言えば大変「興奮する」ものであった。当然だがどれ一つ同じものは無い。それよりも「まったく違う」のである。似たものさえない。ここまで会社によって異なるかと言うものであった。正直私は驚いたのである。
・隣に据わっている理事長職務代理は「インナーに設計会社を持つと一つの考えしか我々は知ることが出来ないが、このようなコンペ方式であれば、色々あって面白いし参考になりますね」と申されていたが「その通り」である。

・ あえて私個人が気になったことを書けば以下のようになる。チームのメンバーがどのように評価しているかはまた別であるが、これは私の個人的意見である。実は「チーム員は図書の受領以来徹底して勉強」しているらしい。すでに大方は頭に入っているらしのである。従ってこのブログの意見はもはや影響を与えないものと考えている。
・当初の我々の「ビッド用の説明資料」に書かれていたからこうなったのかも知れないが、「外部への開放」に広い意味でのコスト、すなわち「設計配慮がなされ(過ぎて)ている」ということである。中には外部からの入り口が内部の生徒用よりも大きいものもあった。
・ 「苦労に苦労をして積み立てた資金の投入」であり、あくまで今「本校で学んでいる生徒が主体」であり、「学校の授業、部活動のための武道館」であって「外部開放」が先にくるプロジェクトではない。また「人目を引く」建物である必要も無い。精神性が匂ってくるような概観であれば嬉しい。
・ 「近隣への開放」といっても小学生、中学生お互い学校があるわけで「頻度」としては年間それほど多くあるわけではない。学期に一回とか二回とか文化祭とか入れても外部開放は年間数回であろう。これに対して体育の授業は年間200日を超えてあり、部活動と言ったら300日近いのではないか。当方は少しは家で勉強して欲しいと思っていてもとにかく「今日的生徒は部活動が好き」で休みだろがなんだろうが学校に来る。
・ 又1年に1回あるかどうかの「対外公式試合会場」を考慮するとか、「講堂の代わり」になるとかは有難いが「二次的なメリット」であり、それよりも神社神道の学校として「新武道館の精神性」を大切にして頂きたかったと思うのである。
・ 又確かに「多目的巨大スペース」が取れるということは有難いことであるがここは「高等学校」であり大学とか民間の施設ではないから当然限界はあるのではないか。又一校同士の学校対抗戦は可能であるが「大きな公式大会は不可能」である。
・ それは大阪南部という地理的な状況と駐車場スペース、宿舎ホテルの状況、それに観覧席、選手の控え室など考えれば「新武道館程度の大きさ」ではとても対応できないことは分かりきっているのである。現在保有している「体育館」でも「小さすぎて我々の願いは今まで無視」されてきたのが実態である。
・ 「精神性」のことを書いたが、ここは多くの会社にいささかの「不満」が残った。具体的に言えば「和室の取り扱い」にもう少し工夫が欲しかったと思う。神社神道の学校として「雅楽部」「茶道」というのは極めて大切であり、現在私は大変に力を入れている。
・ 80年間男子校で有名であった本校は4年前に「共学」とした。まだ女生徒は相対的に少ないが今後は大きく増えてくる。「雅楽・神楽舞を学び茶道を知り、行儀作法の学び」は神社神道の学校に学ぶ女生徒にとって本校の「差別化を図る切り札」と思っている。
・ 男子の剣道場、空手道場に匹敵するのが「和室道場」である。この“道場”という言葉使いを理解して頂きたいと思う。すなわち「和室は女生徒の教育道場」なのである。ご存知だと思うが神社界はすべて「表千家」の流派となっており茶道と神社界は極めて極めて近い関係にあるのである。
・ 「剣禅一如」とか「和敬静寂」が「武道の精神」「茶の心」である。そしてこれらは「神道の世界」に通じるているものである。従って「新武道館の精神性」が極めて重要であり、単に「概観とか機能とかを超越して神社神道の精神を誇る学校」としての「アイデンティティが匂い、薫る空間」が望みであった。
・ 余計なことではあるが今日のプレゼンテーションで多くの方が神道(しんとう)を「しんどう」と発言されていたのは少し残念だったと思う。1社を除いて「本校への切込みが少し足りない」と感じた。はっきり言って「対象の徹底したMRI所見」が不足している状態で「一挙に手術をした」たと言う感じがした。中には「驕りと過信」を感じさせるような勉強不足を感じさせるものもあった。「使用者目線」にたっていたのかという疑問である。
・ 「すべての情報が公式サイトの公式メッセージと校長日記に記載されている」。本当にすべてである。この日の為に書いてきたようなものである。まず設計者はサイトに公開している「木村智彦の言葉」を徹底的に頭に入れて頂き、設計に入って頂きたかったと思う。
・ 小さなことかも知れないが複数階設計の場合、剣道場が1階で空手道場を2階に持ってきているがこれも私には理解できなかった。「部員数や連続する激しい動作の衝撃性」を考えれば「振動面、音響面」から空手道場が1階だと思うがすべての会社で提案はそうではなかった。申し訳ないが「学校というものの実態への迫り方」今一つではなかったかと思う。

・ さて、いずれにしても「賽は投げられた」のである。問題は今後の作業である。チームは「評価表」と言うものを作って作業しており、まず「デザイン・機能性評価」「施設」「工事計画」「プレゼンテーション」の4分類の合計を100点満点で数値化出来るようにしている。そして今日プレゼンテーションの評価が下された。
・ それらに「良い、普通、不足」の3区分で評価点を出す仕組みである。「感情論ではなくて数値化」したいというチームの考えであろう。私は関知していない。あくまで参考でありそれ以外に「会社力」「本校との過去の関連性」なども当然「大人社会」であるから考慮すべきであると私は考えている。
・問題は「見積もり金額」であり、各社各様に仕様と範囲が異なるからそれらを考慮して判断しなければならない。しかし「思った以上に各社間で差違はない」。経験豊富なゼネコンさんであるから結局そのようになるのであろう。
・ 以上を総括して「最後は私が判断」するしかない。 「トップの仕事は決める」ことであるからだ。余り遅くなっては失礼になるから極力早めたいがチームは各人の意見を持ち寄って「徹底した議論」をするという。この評価結果と見積もり額の査定を待って遅くとも月末前には各社さんに「コンペの結果」をお伝えすることになろう。
・ とにかく「変にかんぐられるような仕事の進め方」になってはいけないし、「私学助成費という名目で相当な公金」が入っている学校だけに「万全の慎重さと配慮が必要」である。特に1昨年に近隣の私立学校で起きた学校法人の会計処理事件から以降大阪府私学課の指導は厳しい。どうしてそこに決まったか「合理的な理由」が明確で無ければならない。

・ 6社目が終わったのが12時50分、私は13時から「浪速中学校の体験入学会」でご挨拶しなければならない。職務代理には勿論私のポケットから650円の豪華な中華弁当をご馳走(?)している間に私は別の仕事が待っているのである。
・ 今日は大変に「重たい一日」となった。「新武道館建設以上に重要なイベント」がこの「関西大学連携浪速中学校」となった初めての体験入学会である。“以上に重要”というのは、これがあってすべてが始まるのである。「生徒が入学してくれて初めて新武道館の建設資金が出来るから」である。
・ しかし10分前まで新武道館のプレゼンテーションを聞いていた私は「興奮未だ覚めやらず」といったところであったが、そこは「スイッチの切り替え」である。慣れたものであるといったら不遜になるが、毎日毎日がこのような日であり、「今が浪速の正念場」と思っている。
・ 予想以上に参加者があって私は「小躍りして嬉しくなった」のである。この模様は又別途書かねばならない。挨拶の後退室した私のところへすべてが終わった後、入試広報室の室長や中学の副校長などが「上気した」をして報告に来るくらいの「質問攻めの盛り上がり」であったらしい。
・ 私は冒頭の「ご挨拶」で申し上げたのである。皆様のお子様が来年4月に本校に入学して呉れたら、その年に「素晴らしい武道館が完成していますよ!」「たった今までゼネコンさんのお話を聞いていたのですよ!」と。
・ 勿論私は先の素晴らしい成績を上げた「全国学力調査結果」と自慢したい「多聞尚学館」のことを「高揚」してお話しするのも忘れはしない。私の思いは間違いなく保護者に伝わった筈である。「ビッグなイベント」が二つもあって正直くたくたになった一日であったと言えば同情を買えるかもしれないが、「まだまだ行ける」。