・ 連休も今日で終わりとなる。「静かな休み」でどこへ出かけるでもなく家にじっとして本を読んだりして過ごした。昔は休みになれば「どこかへすっ飛んでいく」のがパターンであったが最近は幾分「億劫」になってきた。
・ 電話も2本あっただけであった。一つは「同窓会長」からで今度の衆院選で当選した萩原仁さんが私に会いたがっているというものだった。「萩原代議士は浪速高校卒業」でかねてから「自分の今日あるはすべて浪高のおかげ」と公言している人である。
・ 民主党公認で「小沢チルドレン」の一人といわれ「一新会」のメンバーになったと言うが、卒業生に一人くらい「衆議院議員」が居ても悪い話ではなくて政界の裏話などお聞きできるかもしれないと思ってお会いすることにした。
・ もう一つの電話は21日の私のブログ「君よ憤怒の河を渉れ」について親しい友人が「実名を挙げてよいのか」と心配してくれてのものだったが「考えた上での決断」で相手は「公人」、問題にしていないと答えたのである。
・ 今朝の産経の「オピニオン」欄に「曽野綾子」先生の投稿があった。「ガムくちゃ市長」「この市長が受けた教育の貧しさ」という表題だった。過日奈良市の33歳という若い中川げん市長が議会答弁の最中に「ガムや飴をくちゃくちゃ」していたことを報じた新聞記事に関してコメントを出されているのである。
・ 先生はお書きになっている。「33歳と言う若い市長を選ぶ奈良市民の勇気にも驚く」がと書き、この市長は「何が悪いのか分かっていないのだろう」と推察している。そして「この市長が受けた教育の貧しさ」が遠因と言われているのである。
・ 「人間は決められた場所ではその目的にかなった行為をしなければならない」ということを教わって来なかった市長だというのである。つまり食べると言う行為は食べるべき場所で食べるのが人間であり、歩きながらとか、電車の中でとかはすべて大きな意味で「受けた教育の貧困」のなせる業であると言われている。
・ 奈良市の教育に関与している教員の教育の結果がこのような形で現れ、それを市民が市長に選出するという人間社会のり輪廻みたいなものに言及されているのかも知れないが一人の言論人の発言として「重み」を感じる。
・ 本校でも「生徒生活指導」の先生方は公道を歩くときの注意、すなわち「道を塞ぐように横一列で並んで歩いてはいけません」「電車の中では食べたり飲んだりしてはいけません」と口がすっぱくなるように指導をしている。
・ 高校生ですぞ。小学生や中学の低学年ではない。高校生が学校の廊下をペットボトルを手に飲みながら歩いていたりする光景を目にすることは正直ある。走って行って「注意」するらしいが「キョトン」としているらしい。小中学校や家庭で教えてもらっていないのだ。中川げん市長もこの延長線上にあるのだろう。
・ 連休最後の「読み物」は堺屋太一先生の新本である。「すごい時代」「勝負は2011年」というもので、「本格的読み物」として手ごたえがあった。堺屋先生の本は大変読みやすく、私は「大好き」なのだがこの本も頭の整理に役立ったのである。
・ 1ページ目の「はじめに」の冒頭の文が「凄い時代である」である。「1年前は大昔、2年後はまったく新しい世の中になるだろう」が2番目の文章である。2年後は2011年だから「勝負は2011年」と言うことになるのだろう。
・ 確かに今後の2年間は「勝負の年」だろうと思う。来年の参議院選挙がどうなるか、民主党の政策がどうなるか、橋下改革が今後どのように展開するか、私学行政がどう変わってくるか、本校はどのように絵を描くのか、すべてはこの先2年間ではっきりするだろう。
・ 先生は冒頭文で強調されている。「変革は機会を与える」。「凄い時代こそ面白い」。これを活かすには「5つの条件」があると先生はいわれている。第一は「気質」、変化を喜び、改革を好む気質がないとまず駄目だとまず最初に言われる。
・ 学校でもそうだが「変化が嫌い、付いて行けない人はまず駄目である」変革をネガティブに捉える教職員は進歩・生長がない。このことは明確に言える。「守旧派」ならまだ良い。彼らは守旧派ではない。守旧派というのは意見を有しているのだ。
・ とにかく「現状が心地よい」と思う人間はまったく端にも棒にもかからない。気質として変革を受け付けないものは「金剛山の山の中」で暮らすしかあるまい。こういう人間に限って「処遇が変わる」となると顔を青ざめて口を挟んでくるものだ。「損得」だけで生きている連中だ。
・ 第二は「アイデア」だと言われる。これからは新たな「ビジネス・モデル」だと言われる。確かに私立学校として新しいビジネスとしてのモデル構築が急がれる。これが「生徒募集、学生募集」の決め手になるだろう。そこには「学校としてのアイデンティティの確立が不可欠」である。「どのような学校を目指すの?」という問いだ。
・ 第3は「先見」。成長分野をかぎつける感覚と「将来を見通す予測能力」である。これは死活の問題となるのであるが、当然「猛烈な勉強と蓄積が必要」である。一夜漬けで身につくというものではない。多分にリーダーの条件で一般の人には「リーダーの言っている意味を理解する能力」だろう。
・ 第4は「勇気」。自らを信じ打って出る勇気だと言われているのである。蛮勇ではいけない。第5は「少しばかりの好運」と先生は言われている。堺屋氏は「この本は長い時間をかけて書いた」と記しておられ「丹念に追った」とあるが確かに「凄い本」である。
・ 各論で言えば、第5章は「今こそ明治維新的改革を」として強調されている。その4項に「教育の目的を変える」がある。ページ数は少ないが一言で言えば「知価社会で生きられる日本人を」との命題である。
・ しかしもう少し範囲を広げた論考が欲しかったなというのが感想である。中身にはまったく異議はなく視点・提言として大変良く理解できるのであるが、「民主党政権の教育政策」とあいまってどのように論理的思考が必要であるのかもう少し掘り下げて先生のお考えが知りたかったのである。
・ 又堺屋太一先生が推している「橋下知事の教育改革」とこの本に書かれている先生の「教育の供給者に競争を」の論理が「不平等競争の排除」の視点を忘れることなく「私学」を巻き込んだ「教育の目的の変革」に合致するのかどうか、その点にいささかの疑問が残る。
・ 電話も2本あっただけであった。一つは「同窓会長」からで今度の衆院選で当選した萩原仁さんが私に会いたがっているというものだった。「萩原代議士は浪速高校卒業」でかねてから「自分の今日あるはすべて浪高のおかげ」と公言している人である。
・ 民主党公認で「小沢チルドレン」の一人といわれ「一新会」のメンバーになったと言うが、卒業生に一人くらい「衆議院議員」が居ても悪い話ではなくて政界の裏話などお聞きできるかもしれないと思ってお会いすることにした。
・ もう一つの電話は21日の私のブログ「君よ憤怒の河を渉れ」について親しい友人が「実名を挙げてよいのか」と心配してくれてのものだったが「考えた上での決断」で相手は「公人」、問題にしていないと答えたのである。
・ 今朝の産経の「オピニオン」欄に「曽野綾子」先生の投稿があった。「ガムくちゃ市長」「この市長が受けた教育の貧しさ」という表題だった。過日奈良市の33歳という若い中川げん市長が議会答弁の最中に「ガムや飴をくちゃくちゃ」していたことを報じた新聞記事に関してコメントを出されているのである。
・ 先生はお書きになっている。「33歳と言う若い市長を選ぶ奈良市民の勇気にも驚く」がと書き、この市長は「何が悪いのか分かっていないのだろう」と推察している。そして「この市長が受けた教育の貧しさ」が遠因と言われているのである。
・ 「人間は決められた場所ではその目的にかなった行為をしなければならない」ということを教わって来なかった市長だというのである。つまり食べると言う行為は食べるべき場所で食べるのが人間であり、歩きながらとか、電車の中でとかはすべて大きな意味で「受けた教育の貧困」のなせる業であると言われている。
・ 奈良市の教育に関与している教員の教育の結果がこのような形で現れ、それを市民が市長に選出するという人間社会のり輪廻みたいなものに言及されているのかも知れないが一人の言論人の発言として「重み」を感じる。
・ 本校でも「生徒生活指導」の先生方は公道を歩くときの注意、すなわち「道を塞ぐように横一列で並んで歩いてはいけません」「電車の中では食べたり飲んだりしてはいけません」と口がすっぱくなるように指導をしている。
・ 高校生ですぞ。小学生や中学の低学年ではない。高校生が学校の廊下をペットボトルを手に飲みながら歩いていたりする光景を目にすることは正直ある。走って行って「注意」するらしいが「キョトン」としているらしい。小中学校や家庭で教えてもらっていないのだ。中川げん市長もこの延長線上にあるのだろう。
・ 連休最後の「読み物」は堺屋太一先生の新本である。「すごい時代」「勝負は2011年」というもので、「本格的読み物」として手ごたえがあった。堺屋先生の本は大変読みやすく、私は「大好き」なのだがこの本も頭の整理に役立ったのである。
・ 1ページ目の「はじめに」の冒頭の文が「凄い時代である」である。「1年前は大昔、2年後はまったく新しい世の中になるだろう」が2番目の文章である。2年後は2011年だから「勝負は2011年」と言うことになるのだろう。
・ 確かに今後の2年間は「勝負の年」だろうと思う。来年の参議院選挙がどうなるか、民主党の政策がどうなるか、橋下改革が今後どのように展開するか、私学行政がどう変わってくるか、本校はどのように絵を描くのか、すべてはこの先2年間ではっきりするだろう。
・ 先生は冒頭文で強調されている。「変革は機会を与える」。「凄い時代こそ面白い」。これを活かすには「5つの条件」があると先生はいわれている。第一は「気質」、変化を喜び、改革を好む気質がないとまず駄目だとまず最初に言われる。
・ 学校でもそうだが「変化が嫌い、付いて行けない人はまず駄目である」変革をネガティブに捉える教職員は進歩・生長がない。このことは明確に言える。「守旧派」ならまだ良い。彼らは守旧派ではない。守旧派というのは意見を有しているのだ。
・ とにかく「現状が心地よい」と思う人間はまったく端にも棒にもかからない。気質として変革を受け付けないものは「金剛山の山の中」で暮らすしかあるまい。こういう人間に限って「処遇が変わる」となると顔を青ざめて口を挟んでくるものだ。「損得」だけで生きている連中だ。
・ 第二は「アイデア」だと言われる。これからは新たな「ビジネス・モデル」だと言われる。確かに私立学校として新しいビジネスとしてのモデル構築が急がれる。これが「生徒募集、学生募集」の決め手になるだろう。そこには「学校としてのアイデンティティの確立が不可欠」である。「どのような学校を目指すの?」という問いだ。
・ 第3は「先見」。成長分野をかぎつける感覚と「将来を見通す予測能力」である。これは死活の問題となるのであるが、当然「猛烈な勉強と蓄積が必要」である。一夜漬けで身につくというものではない。多分にリーダーの条件で一般の人には「リーダーの言っている意味を理解する能力」だろう。
・ 第4は「勇気」。自らを信じ打って出る勇気だと言われているのである。蛮勇ではいけない。第5は「少しばかりの好運」と先生は言われている。堺屋氏は「この本は長い時間をかけて書いた」と記しておられ「丹念に追った」とあるが確かに「凄い本」である。
・ 各論で言えば、第5章は「今こそ明治維新的改革を」として強調されている。その4項に「教育の目的を変える」がある。ページ数は少ないが一言で言えば「知価社会で生きられる日本人を」との命題である。
・ しかしもう少し範囲を広げた論考が欲しかったなというのが感想である。中身にはまったく異議はなく視点・提言として大変良く理解できるのであるが、「民主党政権の教育政策」とあいまってどのように論理的思考が必要であるのかもう少し掘り下げて先生のお考えが知りたかったのである。
・ 又堺屋太一先生が推している「橋下知事の教育改革」とこの本に書かれている先生の「教育の供給者に競争を」の論理が「不平等競争の排除」の視点を忘れることなく「私学」を巻き込んだ「教育の目的の変革」に合致するのかどうか、その点にいささかの疑問が残る。