・ 新聞を毎日5紙しっかりと読んでいると大体「見出し」だけで内容が読めるようになってきて最近ではすこし「ずぼら」になっている自分に気づく。とにかく新聞を読む時間が短くなっているのである。
・ 目新しい記事はじっくりと読むのだが例えば自民党の総裁選や堺市長選の結果と橋下知事、府議会、市議会、堺市議会の反応などは手に取るように見えてきて全く興味がない。例えば堺市長選などは告示の前から想像していた通りの結果と周囲の反応である。
・ 新聞記事で面白いのは下段にある「週刊誌の広告」である。時に私はこれに引き込まれることがある。週刊誌は「ゴシップ記事的」に「過激な表現」を使う点では「スポーツ新聞」に似たところがあるのだが「テーマ」を決めて特集的に扱うからその気になれば大いに勉強になる。
・ 私は週刊誌は読まないし買ったりすることは本当に少ない。ほとんどないと言って良い。やはり新聞記事の方が「信頼性」と言う意味で一歩抜きん出ていると思っているからだが、週刊誌の中では「良質のもの」もあり新聞数紙の「集大成みたいな編集」があるとその「見出しだだけでも勉強」になる。
・ 例えば今朝の産経新聞の下段には「週間朝日」の広告が大きく出ており、特集は「今こそ幕末維新に学べ」と言うものだ。“新政権に求められているのは「国の維新的改革だ」。試金石は官僚の握る政治施策を国会に「大政奉還」させることができるかどうか・・・。”とかである。
・ そしてその後が興味あるのである。歴史に造詣の深い専門家が登場する。まず堺屋太一氏が“前原国土交通省よ、新政権の大久保利通たれ”から始まる。その次は童門冬二氏の“滅び行く自民党には勝海舟がいなかった”とかだ。
・ どういうわけかこのような字句の羅列に私は弱いというか大好きである。歴史ものの書き物や映像が好きだというのはあるのだが、このような「その道のプロの先生方の論考」は「すっと頭に入ってくる」のである。
・ この中で私が興味を引いたのは東大教授の山内昌之先生の「対立恐れぬ小沢幹事長と岩倉具視の共通点」という見出しである。岩倉具視、幕末明治の公家で政治家、孝明天皇の侍従になり公武合体を唱えて和宮降嫁を推し進めた人物である。
・ 週刊誌は本日発売で勿論買うつもりはないが、この山内先生は以前にも何かに「岩倉具視と小沢幹事長論」を記事にしていた記憶がある。思いつくまま間に山内先生の評論を書けば以下のようになるのではないか。
・ 貧乏公家出身で小ざかしく立ち回るので「岩吉」と蔑称されても気にせず尊皇攘夷派の志士から付け狙われると故郷の岩倉村に隠棲し政治の表舞台から一旦は引いたに見せつけるがどっこい、ひそかに「時節の到来」を待っていた。そうである。岩倉は「待つことが出来た人物」なのである。
・ そして岩倉は「沈黙を守る忍耐力に恵まれた」と先生は書く。確かに小沢一郎氏と重なるものがある。自民党の幹事長までやり首相の地位にまで手が届きながら自ら「苦難の道」を選択し「自民党政権の打倒」「政権交代」だけを目標に時節の到来と沈黙を守ってきたのである。
・ その個性は「狷介孤高とか独立不羈」という幾分中傷めいた評言を意に介せず「一意専心」してきたのは「倒幕のシナリオライター」であった岩倉具視そのものであると言われるのである。
・ 明治日本の近代国家設計者である岩倉は自ら「岩倉使節団」を率いて欧米列国を見て周りその近代化にショックを受けて「旧弊からの脱皮」を決意し、帰国後に「大久保利通」に腕を振るわせることになる。
・ 「西郷隆盛」に対峙して震え上がった「三条実美」とは違って当時征韓論を言う西郷と対等に渡り合える人間など居ない時代に真正面にて対決して遂に西郷との政争に打ち勝ったのは岩倉だけである。岩倉の「強い気迫と信念」こそ政治家の要諦で在ると言い、イメージを小沢一郎とかぶせるのである。
・ 本校の若い先生方は知らないだろうが私の世代などは「500円札」があり、そこには岩倉具視の肖像画が刷ってあった。それくらい近代日本にとって歴史的な人物だったのであろう。勿論当時はそれほど詳しく知る由もなかったが。
・ 決して「イケメン」などのお顔ではない。どちらかというと「悪相」に近いと山内先生は言われる。世の中には見るからに「悪相」な感じの人間は居るが山内先生は小沢一郎氏も稀代の悪相だというのである。私は「そうかな?」と一挙に賛成は出来ない。信念の溢れる良いお顔だと思うのだがなー。
・ そして先生は「次の一言」で締めるのである。ある時小沢一郎氏が「政治家の顔のこことを言っちゃお仕舞いよ」と言ったというのである。政治はテレビ映りや顔でやるものではなかろうと言っているのである。これは小沢氏自信が自分の顔のことをそのように見ているからかも知れない。
・ 私は山内先生が幕末明治の変革者岩倉具視と平成の政治体制の変革者小沢一郎を評して「揃って悪相」という点に興味があるのである。「男の顔は履歴書」というが両氏のあの「笑顔のない顔」、良く言えば「独立不羈」、悪く言えば「傲岸不遜」、共通して「口下手というか口数が少なく」、「表に出ず陰でシナリオを書く」共通性にとてもとても惹かれるのである。
・ 確かに「政争を恐れず」「争いを避けず」「じっと待つことが出来」「強い気迫と信念」「悪相」の中で私は自分自身で自己評価すれば、「政争は恐れず、対立は恐れず」「争いは避けず」「強い気迫と信念」は自分にもあると思う。
・ 「じっと待つことが出来るか」となれば自信がない。「悪相」についてはこれだけは似たくないが変革者には悪相が似合うということならば悪相でも良い。しかしあの麻生前総理も悪相だったと思うが彼は全く一切何も出来なかった。
・ 従って悪相だから改革が出来るとはならないだろう。顔だけは自分では何とも言えない。人さまが感じるものだからである。しかし小沢一郎氏の笑った顔など見たことがない。側近がたまにはマスコミに笑ったところでも見せたらとでも言ったのであろうが二三度お笑いになったところを見たことがあるが「とても見られたものではなかった」。止めたほうが良い。「悪相は悪相で良い」と思う。
・ 目新しい記事はじっくりと読むのだが例えば自民党の総裁選や堺市長選の結果と橋下知事、府議会、市議会、堺市議会の反応などは手に取るように見えてきて全く興味がない。例えば堺市長選などは告示の前から想像していた通りの結果と周囲の反応である。
・ 新聞記事で面白いのは下段にある「週刊誌の広告」である。時に私はこれに引き込まれることがある。週刊誌は「ゴシップ記事的」に「過激な表現」を使う点では「スポーツ新聞」に似たところがあるのだが「テーマ」を決めて特集的に扱うからその気になれば大いに勉強になる。
・ 私は週刊誌は読まないし買ったりすることは本当に少ない。ほとんどないと言って良い。やはり新聞記事の方が「信頼性」と言う意味で一歩抜きん出ていると思っているからだが、週刊誌の中では「良質のもの」もあり新聞数紙の「集大成みたいな編集」があるとその「見出しだだけでも勉強」になる。
・ 例えば今朝の産経新聞の下段には「週間朝日」の広告が大きく出ており、特集は「今こそ幕末維新に学べ」と言うものだ。“新政権に求められているのは「国の維新的改革だ」。試金石は官僚の握る政治施策を国会に「大政奉還」させることができるかどうか・・・。”とかである。
・ そしてその後が興味あるのである。歴史に造詣の深い専門家が登場する。まず堺屋太一氏が“前原国土交通省よ、新政権の大久保利通たれ”から始まる。その次は童門冬二氏の“滅び行く自民党には勝海舟がいなかった”とかだ。
・ どういうわけかこのような字句の羅列に私は弱いというか大好きである。歴史ものの書き物や映像が好きだというのはあるのだが、このような「その道のプロの先生方の論考」は「すっと頭に入ってくる」のである。
・ この中で私が興味を引いたのは東大教授の山内昌之先生の「対立恐れぬ小沢幹事長と岩倉具視の共通点」という見出しである。岩倉具視、幕末明治の公家で政治家、孝明天皇の侍従になり公武合体を唱えて和宮降嫁を推し進めた人物である。
・ 週刊誌は本日発売で勿論買うつもりはないが、この山内先生は以前にも何かに「岩倉具視と小沢幹事長論」を記事にしていた記憶がある。思いつくまま間に山内先生の評論を書けば以下のようになるのではないか。
・ 貧乏公家出身で小ざかしく立ち回るので「岩吉」と蔑称されても気にせず尊皇攘夷派の志士から付け狙われると故郷の岩倉村に隠棲し政治の表舞台から一旦は引いたに見せつけるがどっこい、ひそかに「時節の到来」を待っていた。そうである。岩倉は「待つことが出来た人物」なのである。
・ そして岩倉は「沈黙を守る忍耐力に恵まれた」と先生は書く。確かに小沢一郎氏と重なるものがある。自民党の幹事長までやり首相の地位にまで手が届きながら自ら「苦難の道」を選択し「自民党政権の打倒」「政権交代」だけを目標に時節の到来と沈黙を守ってきたのである。
・ その個性は「狷介孤高とか独立不羈」という幾分中傷めいた評言を意に介せず「一意専心」してきたのは「倒幕のシナリオライター」であった岩倉具視そのものであると言われるのである。
・ 明治日本の近代国家設計者である岩倉は自ら「岩倉使節団」を率いて欧米列国を見て周りその近代化にショックを受けて「旧弊からの脱皮」を決意し、帰国後に「大久保利通」に腕を振るわせることになる。
・ 「西郷隆盛」に対峙して震え上がった「三条実美」とは違って当時征韓論を言う西郷と対等に渡り合える人間など居ない時代に真正面にて対決して遂に西郷との政争に打ち勝ったのは岩倉だけである。岩倉の「強い気迫と信念」こそ政治家の要諦で在ると言い、イメージを小沢一郎とかぶせるのである。
・ 本校の若い先生方は知らないだろうが私の世代などは「500円札」があり、そこには岩倉具視の肖像画が刷ってあった。それくらい近代日本にとって歴史的な人物だったのであろう。勿論当時はそれほど詳しく知る由もなかったが。
・ 決して「イケメン」などのお顔ではない。どちらかというと「悪相」に近いと山内先生は言われる。世の中には見るからに「悪相」な感じの人間は居るが山内先生は小沢一郎氏も稀代の悪相だというのである。私は「そうかな?」と一挙に賛成は出来ない。信念の溢れる良いお顔だと思うのだがなー。
・ そして先生は「次の一言」で締めるのである。ある時小沢一郎氏が「政治家の顔のこことを言っちゃお仕舞いよ」と言ったというのである。政治はテレビ映りや顔でやるものではなかろうと言っているのである。これは小沢氏自信が自分の顔のことをそのように見ているからかも知れない。
・ 私は山内先生が幕末明治の変革者岩倉具視と平成の政治体制の変革者小沢一郎を評して「揃って悪相」という点に興味があるのである。「男の顔は履歴書」というが両氏のあの「笑顔のない顔」、良く言えば「独立不羈」、悪く言えば「傲岸不遜」、共通して「口下手というか口数が少なく」、「表に出ず陰でシナリオを書く」共通性にとてもとても惹かれるのである。
・ 確かに「政争を恐れず」「争いを避けず」「じっと待つことが出来」「強い気迫と信念」「悪相」の中で私は自分自身で自己評価すれば、「政争は恐れず、対立は恐れず」「争いは避けず」「強い気迫と信念」は自分にもあると思う。
・ 「じっと待つことが出来るか」となれば自信がない。「悪相」についてはこれだけは似たくないが変革者には悪相が似合うということならば悪相でも良い。しかしあの麻生前総理も悪相だったと思うが彼は全く一切何も出来なかった。
・ 従って悪相だから改革が出来るとはならないだろう。顔だけは自分では何とも言えない。人さまが感じるものだからである。しかし小沢一郎氏の笑った顔など見たことがない。側近がたまにはマスコミに笑ったところでも見せたらとでも言ったのであろうが二三度お笑いになったところを見たことがあるが「とても見られたものではなかった」。止めたほうが良い。「悪相は悪相で良い」と思う。