2009年2月28日土曜日

2月28日(土)61回卒業式

・ 第61回卒業式が本日無事に終わった。「卒業証書授与式」とも言うが、略式が卒業式という表現だろう。もったいぶった言い方が卒業証書授与式だ。どちらでも良い。授与されたものは453名、内119名が女生徒であった。
・ 「 共学2年目」の女生徒であるが2年目で119名の大台はまあ悪くない。ちなみに今の高校2年生が130名、1年生が184名だから徐々に増えつつある。今年はまだ全く想像が出来ないのは何回も書いてきたとおりだ。
・ 男女合わせて言えば3年生が前述したように453名だが2年生は448名、1年生は610名と昨年は大幅に増えた。間違いなく「着実に伸びている」と言える。このことは中学校でも同じ傾向で浪速中学を卒業する生徒は33名、2年生が65名、1年生は105名と一クラスずつ伸びているのだ。
・ さて校長として6回目の卒業式となる。府立高校に行った時に「モーニング」を購入した。当時の感覚は「何でモーニング?」と思ったりしたが校長先生は皆モーニングを着て「式辞」を読まれますと皆さんに言われ、こういうところで「突っ張っても」仕方がないと思って買ったのである。
・ 1年に2回だけ、卒業式と入学式だけだ。浪速に着てからは中学校の卒業式が加わったから使用回数は上がった。もう完全に元は取れている。後は1年中私の部屋のロッカールームに吊られているだけだ。私が本校を去る時に体形が合えば後任の校長にプレゼントして行こうと思っている。モーニングなどもう学校以外で着るチャンスなどはない。
・ 年とともに「和服」が好きになり、こちらの方が「」である。又本校は「神社神道の学校」であるから「洋服より和服」の方が似合うと思っているのだ。従って今回の卒業式は始めて和服の礼装「黒羽二重の紋付に仙台平の袴」とした。今年の新春拝賀始業式には「紬」であったが今回は「完全正式な礼装」だ。私の着物姿はもう先生も生徒も見慣れている。
・ 本校の卒業式は式に先立って「神前奉告の儀」というのがある。これが又良いのだ。「大太鼓の鼓報」で始まりを知らせ「雅学部の演奏」の中を学院神社前に進み、「報恩感謝」の意を捧げてから体育館に入ることになる。生徒代表が私と並ぶ。
・ 生徒、来賓、教職員を始め全員が「カーネーションの花」一輪を胸に挿している。これも本校の伝統だ。何時頃始まったのか知らない。「感謝の気持ち」を表すためかなと思う。一本70円で500本と言うから35000円だ。
・ 私の式辞は「今を生きる」としてお話した。少し厳しいかなと思ったもしたが現実を知らなければならないと思ったから今日は少し「厳しいトーン」としたのである。その要旨は別途公式メッセージにアップされるだろう。一言で言えば「たくましく生き抜いていけ」と言うものだ。
・ 今回初めて名誉理事長が出席された。私から強くお願いをしたのである。実質的な経営母体は「大阪府神社庁」でありその最高責任者である名誉理事長に一言生徒になにか伝えて欲しいと思っていたからである。 その後PTA会長そして同窓会長となる。3人様の祝辞はそれぞれ特徴があって良かったのではないか。
・ 厳粛な中にも和気藹々と「極めて良い雰囲気の卒業式」となった。保護者代表で謝辞を述べて頂いたPTA副会長は和服姿で、記念品贈呈式では3年の学級委員長さんから和服姿で「目録」を頂戴した。「多聞尚学館への寄付金」だ。有り難い限りだ。
・ その後全担任に「学級委員さんから花束の贈呈」。有難いことです。式の後多くの保護者から「個別のお礼」の言葉だ、併願で公立に行った中学の友はまだ進路がきまっていないのに浪速では「素晴らしい進路指導」をしていただき「希望の大学」にいけます。だから兄を追って「妹も今度先生のところへお世話」になりますと。専願で決めたとのことであった。
・ 全てが終わった後、マイクを生徒に渡した。少しは生徒自身で何かやりたいだろうと学年主任から前もって言われていたからだ。「366日」と言う歌らしいのだがソロの生徒は感極まったのか歌にならなかった。しかしその後もう一人出てきて二人で「万才」を始めた。これが面白かったのだ。
・ 卒業式の後は職員室で「3年生の学年団の解団式」がある。学年主任が各担任を引き連れて挨拶となった。彼らは今日午後難波で「打上げ会」が予定されている。大変良くやってくれたと思う。私は「慰労と感謝」の言葉を口にしたのである。
・ これで「今年の大きな行事は終了」した、来週は年度末試験でその後「終了式」となる。そして3月24日の公立高校の合格発表を受けて「併願者の戻り」が決まってから新年度がスタートするのだ。
・ 今日の午後は「専願合格者の制服採寸日」である。卒業式が終わり生徒が学校を立ち去る2時頃に保護者に連れられてまだ子供っぽい顔をした中学3年生が正門を通っていく。新たに任命した新一年生学年団の学年主任が先頭に立って道案内をしていた。もう新年度が始まっているのである。
・ 帰った後、住居近くで行われていた3年生の学年団の「打ち上げパーティ」にちょっと顔を出した。皆さん、「良いお顔」をして飲んでいたなー。こういうのは大変結構である。皆の連帯力が高まるような感じがする。顔ぶれをみていて「派手さはないがしっかりとした学年」だったということが良く分かった。
・ 私は昔、論文などに学校は「行事消化型社会」と批判めいて表現したが学校社会に転出して7年が終わり8年目になるとこの行事消化が「些かの快感」になってきている。誰も言ってはくれないが私も「学校の人間」に成ったのだろうか。そしてそれは決して悪いことではないなと思うようになってきた。
・ 色々な場面があったが民間企業の働き蜂の企業戦士から今学校に転じて8年、生長していく生徒を毎日見ることの出来る「幸せをしみじみ」と感じているのだ。何時も卒業式になるとこのように感じる。
・ やはり教職というのは「別格の職業」だと思う。これほど素晴らしい職業はあるまい。企業出身だけにそのように思うのだ。卒業式の執行とその舞台の表も裏も知り、味あわせて貰う喜びが私の体を震わすのだ。「校長冥利」に尽きる。                

2009年2月27日金曜日

2月27日(土)多聞尚学館進捗

・ 「千早赤阪村役場」から連絡が入った。「土地の測量」が完了したとの連絡である。これで「土地面積が確定」され、「売買金額」が決定したことになる。すでに「平方メートル当たりの単価」で合意しているので後は単純な掛け算である。
・ 旧郵政省の「かんぽの宿」ではないから安くもないし高くもない金額としておこう。公明正大、あっけらかんとした取引となる。千早赤阪村はじまって以来の「高額な取引」といわれるが「まあ、大したことはない」。
・ 早速「村有財産売買契約書(案)」なるものが送付されてきた。ドラフトである。これを本校の出入りの不動産鑑定士に見せて文言などチェックする。一覧する限り問題はなさそうである。
・ 先方の心配は今までも良く聞いたが「どこかに売り払って」、その内に「アベックホテル」や「パチンコ店」などを作られることである。特に地元住民はこのことを気にされていた。全く心配はない。私は千早赤阪村と楠木正成公の惹かれてやってきたのだ。
・ 一方、「改装工事」は順調である。「槌音高く」というところであろう。静かな山里に機械の音がこだまするのは「嬉しい」と「千早地区の区長さん」が大変喜んでくれている。実は一昨日に区長さんと副区長さんの3名のお方が学校にお越し頂いたのである。
・ 「一度学校を見学されたら如何ですか」とお勧めしたら早速お受けいただいたのである。大雨の中であったが大変に良かった。話は弾み、色々と発展していった。「中学生用の栽培体」には地元住民が手助けして頂けるということになった。
・ サツマイモよりも「ジャガイモ」の方が良くできるし、校庭に大きな「栗の木」があり、これを大切にすれば「栗の実」が沢山採れるという。「栗ご飯」だ。又校庭の片隅に「桜の木」があるがそれも大切にしていくことで合意した。何もおもてなしできなかったが昼食に豪華なうなぎ弁当をお出しした。
・ 改装工事は槌音高くと書いたが「工事費」がかかるのであまり槌音はない方が良いのだが「要る物は要る」ので仕方がないと思っている。大きく分けて幼稚園内部改装、小学校内部改装、男子風呂設置、女子風呂設置、付帯工事になる。
・ 寝室の整備と教室の整備、浴場の設置がメインであるが、まさに「寮みたいな」もので贅沢は出来ないが生徒や先生方が「気持ちよく」過ごせるように私は力を入れている。財布の中を見ながらだから辛いが仕方がない。
・ 男性、女性教員の寝室と浴場も別個に作る必要があるが、男性教師は男子生徒と同じ場所で人数が多いから大型が必要だ。女性の教員用及び女生徒用は人数も少ないのでとりあえず「最新式のユニットバス」だ。
・ 「120名規模の大ホール」が出来る。壁を取り除いて大きな部屋にした。「大教室」である。ここで「オリエンテーリング」や「食堂」「研修会」などが出来る。これは大変良い部屋になろう。昨日タイルカーペットの色を決めた。
・ その真ん前に職員室があり、「40人収容可能な通常教室が5教室」もあるから同時に様々な講習が並行して可能だ。一昨日副館長の教務部長が視察に出かけてくれた。進路指導部長や理数科長も同行した。
・ その報告を昨日受けたのだが「ガスストーブから電気式のエアコンにすべき」と言う。要はあの大型のストーブでは場所を取るしその周辺の者は熱さでのぼせてしまうというのだ。それに夏場で高校生40名のクラスではクーラーがないと「暑い」という。
・ 元々この問題は頭にあったのだが、1年様子をみようと考えていたのである。千早赤阪村では夏などエアコンなどつけているところはないと皆さんは言われるからだ。平均気温が20度と言う。
・ 私は夏は「窓を開ければ涼しい風が入る」と言うのだが窓を開けたら「虫が入ってくる」という。そしたら網戸にしたらどうだというと「編戸は付いていない」と言う。色々議論があったが結局仕方がないので「エアコンを設置」することにした。副館長の希望は叶えてやりたいと思ったのだ。
・ そうこうしていたら昨日入試広報室の面々が「一度見ておこう」と10名が大挙して視察に出かけてくれた。今朝その報告を受けたのだが皆さん、「起伏を上手く使った変化に富んだ建造物であり、想像以上に素晴らしい」と感嘆の声のレポートがあった。
・ 細かい指摘などを受けた。面白いのは教務部隊も指摘していたが男女トイレの上部に仕切りがないから「これは良くない」と言うのがあった。小学校だったので背が低く上のほうはどんなにしても届かず女子トイレを覗くなど出来ないのであるが高校生ではそうも行かないから「目隠し」をすることにした。
・ その他「洗濯機」が要るとかこまごまとした要望がありすべて前向きに対応していく。私は嬉しいのだ。このようにして教職員が多聞尚学館を「自分たちのもの」にしていく様子を見るのは「心地よい」。 
・ 最初の使用は3月26日からの「春季インテンシブ合宿」である。センターの進路指導部長が「お惣菜を宅配」してくれる業者さんを見つけている。河内長野駅前の「お弁当やさん」らしい。朝、昼、晩の「おかず」を運んで呉れることになった。
・ 後は「ご飯」だ。ご飯は館内で炊けば良い、事務長補佐に指示して炊飯器5升炊き2個と3升炊き2個の入手と軽量の割れないお茶碗とスープコップをセットで「なんばの道具屋筋」にでも行って求めるように言ったのだ。
・ お米は前のPTA会長さんが駒川商店街で大きなお米屋さんをされているから「そこで手配」するように言ったのである。古米でも良いと言ったがそれでは不味いかなと思って「普通のお米」と言い直したのである。
・ 正門につける銅版の「表札」は出来た。ポールに翻る大きな「校旗」も出来た。「校章」は今作って貰っている。三菱ミニバンの「トラック」は昨日到着した。「3段ベッド」は中国から福岡港にすでに到着しており3月上旬には多聞で組み立てが始まる。
・ 「多聞尚学館特別寄付金」が予想以上に集まってきている。「有難い話」である。お願いしたわけでもないのに出入りの学校前の制服店や教科書販売会社さんからも多大の寄付金があった。「恐縮」するばかりだ。
・ 有力理事からも多額のご寄付を頂いている。3月27日の理事会・評議員会は多聞で行う。その時は生徒も春休み合宿の間さ真っ最中であり、「多聞の雰囲気」を味わって貰える。そのときを見計らって評議員に寄付をお願いする積りだ。
・ サア、明日はビッグイベントの「卒業式」だ。「式辞」も出来た。会場も下見した。「斎戒沐浴」して明日を迎えることにしよう。                         

2009年2月26日木曜日

2月26日(木)言葉は命

・ オバマ大統領の「施政方針演説」が素晴らしい。24日夜の上下両院の合同本会議で初の施政方針を行い国民に「経済危機」への対処に向け団結を訴えた演説だ。確かに大統領は「演説の名手」である。各紙とも詳細記事にしているので目を通すのだがとにかく「分かり易い」。これを一番私は評価する。
・ 良く何を言っているのかわからないような言い方をする人がいるが指導者はそれではいけない。「漠然とどうして良いのか判断できないような言い方」なら返って混乱を与えるだけだ。私もこの点だけは気を付けている。時々判り易すぎて失敗もするが・・。
・ とにかく私は「言葉を大切」にする。言葉が大好きだ。従ってこのようなときには新聞の大統領演説の全てを、詳細読んでいく。勿論日本語だ。そして「論旨の展開」と「使う言葉(ボキャブラリー)」を勉強する。日経新聞などは全文を日本語で掲載している。
・ 難波のジュンク堂では店に入って直ぐのところに「大統領就任演説の本」が山のように並べられ「売れている」と言う。「教材」としても人気があるそうな。確かに彼の使う言葉は分かり易くて具体的で「品がある」。この品位というのも大切である。
・ 大統領の言葉でキーワードは「米国再建(rebild)」である。就任演説はこのブログにおいても書いたが幾分「トーンを抑えた」感じであったが今回の施政方針演説は「オバマ節炸裂」である。「国民を鼓舞」し元気付けたことは間違いない。
・ 通常は「こき下ろすメディア」も「好意的」で辛口で有名なニューヨークタイムスでさえ「乗り越えるべき深刻な問題を矮小化せず、再建を約束した。自信を感じさせた」と高く評価している。大統領選で争った共和党のマケイン上院議員も「米国民に強さと安心を与えた」と演説を褒め称えているのだ。
・ 勿論大切なことは「演説」ではなくて「何をやるか」であるがまず国民に「希望を与える、将来を指し示す」言葉を放つことが国家の指導者のまず最初にやることだ。特に政治家にとって言葉は重要である。「言葉は命」である。しかしオバマ大統領は「聡明」な感じがするね。「頭がシャープ」に見えてならない。
・ それに比べて日本の政治指導者の言葉の「貧弱さ」が際立つ。麻生総理と小沢代表が今最も政界でキーの政治家であるがこの2人とも「どうしようもない」感じだ。「響かない」のだ。
・ どうしてなんだろうか。元々日本という国においては「物言えば唇寒し」の文化が土壌にある。「雄弁は銀、寡黙は金」「男は黙ってサッポロビール」の国柄は分かっているが、それにしても政治家がそれでは駄目だ。政治家は言葉で国民に希望を与えていかねばならない。
・ もう一つはトップリーダーの存在を認めて来なかった歴史的経緯を観れば分かる「日本の体質」があるのではないか。歴史的必然で突然「強烈なトップリーダーが出現」するが長くは続かない。「用事が住めばハイ、それまでよ」で又「集団合議制」に戻るのである。集団合議制の指導部に「言葉は不要」である。
・ 自民党政治の終焉は「これに気付かず」何時までも各派閥の領袖が料亭で「ひそひそ」話をして決めていったことに原因がある。そういうバランスの上で就任した内閣総理大臣は何を言ってもパンチはない。それはオバマみたいに直接選ばれたのではないからだ。従って政治家の隙間を付いて「官僚が跋扈」することになる。
・ 特に戦後日本は「お上」意識が余りにも強く、それは「官僚統制」となって現代までも続いており、官僚のやりたい放題を許したのは全ては政治の責任である。「官僚の頭脳」に政治家が付いていっていないのである。彼らは「賢い」。しかも官僚には絶対に言葉は不要で「紙と鉛筆で予算を決めて日本を左右」している。
・ こういった硬直した日本の意思決定の骨組を変えるにはやはり政治しかないし、「政治家が言葉で国民に話すことから体制変革が進む」。最初にやってのけたのが小泉元首相である。そして大阪府では橋下知事だ。そして今麻生総理の言葉に国民がしらけている。
・ 東照二立命館大学教授は極めて的を得た「麻生語」と「小沢語」について論考されており1月15日の日経に記事が出ていた。「見事な分析」と私はおもう。特徴は麻生総理は「上から目線」で小沢代表は「曖昧・単調」と切って捨てていた。
・ 東教授は「フレーム理論」という考え方を軸にされ、言葉が聞くものに連想、想起させる世界を如何に魅力的で光を放つために勉強しなければならないかを強調されている。2人とも「修行が足りない」と厳しい。
・ 首相は「皮肉と居直り」で小沢氏は「言葉の力を信じていない」と言い、オバマ大統領、ケネディ、レーガン、クリントン、日本では田中角栄、小泉純一郎元首相などはフレームを聞き手の中に作り上げた「成功者」だったと分析している。
・ 教授は「物語性」というテクニックを入れると効果は瞬時に表れるとも言い、聞き手が「私のことを喋っている」と思ってもらったら演説は生きてくるといわれる。一々うなずけるものだ。
・ 結局私は思うのだが確かに「首相官邸や大統領の補佐官」の中に「ライター」が居るのだろうが、最終的には「個性が表れる」もので「文章が言葉になって口から出る」時に「大きく変態」というか「魂を吹き込まれる」のだと思う。
・ 正直なところ私は「麻生さんも小沢さんも若い頃からの蓄積」がないのではないか。分かり易く言えば「勉強していない」と思う。そのように思えてならない。私のほうが余程上手くしゃべれる自信はある。
・ 知事クラスには立派な演説の出来る人は多いがどうも国政レベルの政治家と大きく異なる。橋下知事や東国原知事などが典型的である。まず彼らの使う言葉は「口語体」である。普通の「話し言葉」を演説に使ったりするところが返って新鮮に見える。
・ 口語体だから時に橋下知事みたいに「くそったれ」「様を見ろ」「ふざけるな」「どうして首を取るか」などなどが頻繁に出てきて時に顰蹙を買う。最も私も人の事は言えなくてお互い「舌禍事件」になりやすい。でも二人の「言葉は分かり易い」。

2009年2月25日水曜日

2月25日(水)副校長の辛いお仕事

・ 人事担当の副校長の仕事は「しんどい」もので、それは常に「人事を抱えている」からである。最終的に3月末に入学人員が決まってクラス数が決定しないと教員数は最終確定しないからそれまでは「不安」を抱えたままで待たねばならない運命にある。
・ もう一つの大きな「しんどい」理由が、一旦内定した常勤、非常勤の先生が「突然、辞退を申し出てくる」ことがあるからだ。これは確かにしんどいだろう。しかしこれだって「あり得るよ」と何回も私は言ってきた。「教員の人事」とはそういうものだと私は思っている。
・ 「職業選択の自由の根本原則」から私は「致し方ない」と思っているのだが担当者としては、「あたふた」と次の人材を探す手配に入ることになるから、学校としては正直「歓迎すべからざること」には違いはない。
・ 私学は「教師こそ命」であり「良い先生が良い教育」となるからいい加減な教師は歓迎できない。見つからないからと言って「しぶしぶ手を打つ」などはあり得ない話である。しかし期末になるとそう簡単には「見つからない」のも事実で今頃良い先生が「ごろごろ」居るわけはないのである。
・ しかし世の中は上手いもので「教師派遣会社」みたいなものがあって最後はそこに頼めば何とか成るが基本的には「本校の人間になりきって頂く」ためには直接採用したいのが本音である。
・ 突然の辞退には様々な理由があるが、一つには「親の介護」とか「親の家から通いたい」とか「体調が悪くなった」とか理由は色々だが「他校の引止め工作」と「他校から常勤や専任の話を貰った」と言うのがメインではないか。あるいは「給与などの条件の違い」だろう。
・ 学校文化では非常勤講師の身分であったものが他校で常勤や専任の話があれば「堂々と出て行って良い」という不文律があり基本的には突然の辞退は許されているというが、契約書まで出来ていて2月の終わり頃に「バイバイ」と言ってくるのだから、「ウーン」と言う感じはする。しかしこちらも「引きとめ工作」はしない。「本校で働きたい」と言ってくれる人とだけやっていく。
・ 私は思う。確かに良い条件があれば、そこに行きたいと思うのは当然だが「その学校の将来性と自己実現の可能性」をよくよく考えねばならないと思う。見た目の勤労条件なども「明日の読めない時代」となってきただけに、若者が後で「後悔しないように」慎重な判断を望むだけである。
・ 「私学同士が人事面でも、もっともっと連帯」しないと公立の今の動きは凄いから負けてしまうという危機感が私には強い。しかし現実には私学は「ばらばら」である。各私学がそれぞれに採用活動をしているのだ。「連携の方法」は色々とあるのに。
・ 例えば非常勤講師のアクセスを考えてあげて2校か3校で「シェア」するのである。こうすると時間のロスがなく持ち時間にも余裕が出てくる。「お互いの学校が非常勤講師を人材バンクで共有」することが可能になるのである。
・ 又私学は入学者数で教員数が大きく変動する。そういう場合、専任教諭を「融通」するのだ。勿論人件費は当方が相手先に支払い教員の手取りは従来とまったく変わらないという「教師相互融通」システムである。
・ 生徒数が少なくなり、あるいは逆に急増することがあるのは私学においては日常茶飯事であり、「明日は我が身」と考えれば生涯保障の専任教諭の本格採用は慎重にならざるを得ないがこの「レンタル方式」だと負担は少ないし、大体「解雇」しなくて済むだろう。時期が来て「トレード」するか、本人が「FA宣言」するか方法はある。
・ しかしそうは言っても現実は難しい。学校には「それぞれの伝統とかやり方」とかがあり1年や2年の派遣など「教育効果に疑問」だとか「教師を馬鹿にしている」とかの「反論が直ぐ出てくるのも学校の特徴」だ。このような考えをするから何時までたっても私学は変わらない。
・ 着任時某女子高の理事長校長に本校は共学になって、2年、女生徒指導を高めて行きたいから一人ベテランの女性教師を1年間貸して欲しい。その代わり本校の英語のベテラン男性教師を1年間派遣しますと言ったのだが、結局この話は結ばなかった。
・ 叶わない理由は先方の理事長や校長にそういう意識が全く無いからで「夢のような話」に取られてしまうだけだった。私学における教員確保は本当に難しい。それは万が一期待以下であったら何処にも持っていくことが出来ないからである。人材バンクは「格差の解消」とはならないが軽減にはつながる。とにかく私学数校が人材バンクで「教師を連帯保有」することの本格的研究が必要であると私は考える。
・ このように私立学校はやはり公立学校と比べて「人材確保の安定さ」という意味では劣るから何時までも教員人事がダラダラと続くことになる。特に本校では専任比率が低いから余計に影響度合いが大きくなっている。早く専任比率を高めて行く必要がある。
・ しかしこの日記でも何回も触れてきたように「手順」はあって最初からと言うわけには行かない。最低でも1年以上くらいは常勤講師の経験と、出来れば「担任能力」なども観させて欲しいと副校長は主張するのだ。
・ さて今年の常勤から専任への採用はすでに5名は確定している。内3名は既に昨年10月に「期中昇格」させている。これは「6短」と言って「6ヶ月短縮」の意味であるがあくまで公式は4月である。男子英語で1名、女子英語で2名を専任にした。
・ 今年の4月採用は今のところ社会科で男子2名は既に内定しているから、期中も含めれば正式の4月昇進は男性教員3名、女性教員2名の合計5名は決定していることになる。更に如何するか今副校長や管理職が頭をひねって検討している。
・ 私は本当に本校で「一緒の船に乗ってくださる立派な先生は、引き止めるためにも専任採用」をと言っているのだが副校長は今居る常勤の先生は「素晴らしい先生が多く」、見極めには1年というのは余りにも短いと慎重姿勢を崩さない。
・ 秋田県と沖縄が「教員人事交流」をするという。「学力テストトップの県と最下位の県」の交流だ。良いことだしうらやましい限りである。私学はまだそういうところまで行っていない。しかしそれにしても公立は良い。このような府県をまたがった人事交流が出来るからだ。
・ 私学の「教員確保競争」が激しくなってきたとは思わない。「勝ち組」と「負け組」が明瞭に見えてきた。本校は決して負けてはいない。教職員が頑張ってくれて「勢い」があるからだ。私は本校で頑張ってくれている常勤講師の先生がたに「将来の夢」を差し上げたいと考えているし、本校はその「可能性が極めて高いということを認識」してもらいたいと思っている。

2009年2月24日火曜日

2月24日(火)おくりびとアカデミー賞

「米国アカデミー賞」の外国語部門賞を邦画の「おくりびと」が獲った。英語では「ディパーチャーズ(出発)」と名づけられていた。「素晴らしい快挙」である。日本人として、また一人の「映画好き」として大変喜んでいる。誇り高い。
・ 私は昨年の9月15日のブログで「映画おくりびと」と題してちゃんとこの映画のことを書いている。私はこのように世界的な賞を頂く日本映画を封切り時に観ていることを些か自慢したいのだ。そういう「先見的(?)」な面が私にはある(?)。」アカデミー賞を獲った映画だから慌てて「観に走る」というのは「私のスタイル」ではない。
・ しかしそうは言っても「行けなかった人」は居るだろうから、そういう人は今回の受賞で日本各地の映画館で「アンコール上映が計画」される筈だから是非観ておかれたらどうかと思う。50年ぶりの快挙というから、こういう機会は「外したくない」よね。
・ 誰かに聞いたか、何かで読んだか、とにかく「納棺師の仕事」には「幾らお金を積んでも惜しくない」くらい感動するらしい。「愛する人」を「黄泉の国」に送り出す「出で立ちの装い」は自分自身が「死を受け入れる」ための儀式なのかも知れない。

・ 9月15日のブログの一部を再掲する:
 “ そういうときに便利なのが「映画鑑賞」である。田舎と違って今住んでいる場所は映画館が歩いて数分の直ぐそばにあるから「良いと評判の映画」は行くのである。しかし本当に久し振りの映画館だ。
 
映画は「おくりびと」というタイトルで本木雅弘、山崎勉が主演で「納棺師」という職業を真正面から捉えた意欲作だ。海外のモントリオール世界映画祭で賞をとった作品で、監督は良く知らなかったが滝田洋二郎氏である。
確かに「素晴らしい映画」だった。私が「ここ10年で見た映画のうちで最も良かった」と自信を持って言える。テレビなどでも宣伝しているので興味があったのだが、期待を裏切らず「面白いというか感動」というか「何かが私に入ってきた」映画であった。

映画でも舞台でも唄でも美術展覧会でも見ることによって「何かの影響」を自分自身が受ける。これが大切だ。それにしても主演の本木、山崎両氏の演技は圧巻だった。巣晴らしい。特に名優といわれる人の演技の素晴らしさは「物を食う」シーンに現れるというのが私の見方で、今日の映画もそういう場面が多かった。
脇役陣も余貴美子、吉行和子、笹野崇文、峰竜太等でそれぞれが良い味を出していた。しかしとにかく山崎勉、本木雅弘両氏はこのような役では他の追随を許さないだろう。代表作となるような名演技であった。「私は感動した」。

親子の情愛を絡ませながら人間の尊厳である死での旅立ちを主題に涙あり笑いありで、昔伊丹万三作品の「お葬式」という映画があったが、それを超えるものだと感じた。家に帰ってもまだ「死体の雰囲気の微粒子」が体にまとわり付いている感じで、さすがにそのまま「夕食」というわけには行かなかった。風呂に入る。
是非多くの人に見ていただきたい作品でした。詳しくは書きませんが「きっと心に残る」映画となるでしょう。家の大きなテレビでDVDで見るのも悪くはありませんが、映画館でみる迫力と臨場感は違います。“  (以上)

・ 映画の「おくりびと」は「ディパーチャー」と訳されていたが、「出発とか、立ち去り」の意味で使われることが多いが、この際調べて見ると古語で「死death」と言う意味があることが分かった。「ハハーン」、それでデパーチャーと翻訳したのだ。
・ 些か不適切ではあるが「私がおくりびとになる卒業式」が近づいてきた。そうだ、この28日には私は男子334名、女子119名、総勢453名の大量の若者の「送り出し卒業させるおくりびと」なのである。
・ 映画では死者に「死に化粧」を施し、「旅立ちの衣装」に着替えさせ、「お棺」に安置するまでが仕事であったが、手順の内容は異なるが「一つ一つ所作」が決められているところは同じだ。ただ我々の場合は共学2年目の女生徒、119名いるが「化粧」は許されていない。
・ メインは「おくりびとたる私」から「送り状(卒業証書)」が渡され「式辞」が話されることである。映画は「天国への旅立ち」であるが我々の場合は「夢が耀く大学への送り」なのである。
・ 元気一杯、会場を飾り、音楽を流し、雅学部と管弦楽部、それにピアノ演奏と盛りだくさんで私は可愛い生徒を送り出すのだ。彼らの「門出」を祝ってやりたいのだ。そういえば「門出の英語は同じくディパーチャー」なのである。(これは落ち?)

・ 今年の「センター試験結果分析」を各教科から受けた。色々と行事があって昨日までかかった。各教科はそれなりに「しっかりとした分析」をしてくれていた。しかし結果は「満足できない」。まだ「伸ばしきれていない」。まだまだ「伸びるはず」だ。
・ 朝一番、副校長、教務部長、進路指導部長、「理科の教諭2名」を呼んで「来年のセンター試験対応」についてお願いをした。特に「理科の学力に不安」が拭えないからだ。1点でも2点でも点を上げるように「ベストを尽くして欲しい」とお願いした。
・ 本校は余りにも「英国数」に特化して「理科、社会が手薄」である。結局生徒は「手が廻らない」のだが、そういうことばかり言っていても前には進まない。少し「知恵と工夫を出して欲しい」と思うのだ。

・ 中学校の副校長に今の中学2年生に昨年度、一昨年度の「全国学力学習調査テスト」の「事前模試」を年度内に実施するよう指示した。その結果を全国平均、大阪平均、本校の過年度の3年生の平均と比較して対応を考えねばならない。
・ 大阪府は「陰山メソッド」で「絶対に上げてみせる」と意気込んでいる。我々は我々で「対応を考えていかねばならない。」5月に実施されるからもう直ぐだ。「心配性だから色々と考えることは尽きない」のだ。

2009年2月23日月曜日

2月23日(月)塾業界が元気

・ 「塾業界が今元気だ」。少子化の中だから経営の苦しいところもあり、大変だと思うだけに、今塾業界が元気だなどは直ぐには信じられないと、普通はそのように考えるが、実態はそうではないらしいのである。私の友人の一人である民間教育連盟の森本一会長は次のように語っている。
・ 「私塾界ほど元気な業界は今他にはない。市場の縮小にひるむことなく常に新商品開発やM&Aなど時代の潮流をすぐに受け入れ変化し続けている。ゆとり教育時代の失われた期間を支えたのは間違いなく塾。私塾会の柔軟な発想や行動力に学ぶべき点は多い。」
・ 何か何処かの電気製品を作っている会社のトップの話みたいな言い回しに聞こえるが、ポイントを付いたコメントである。常に「現状打開にチャレンジ」し、「立ち止まらない私塾界」である。もっともっと我々、「私立学校の人間が塾業界に学ぶべき点は多い」。
・ 森本会長とは私が府立高津高校に赴任した時からのお付き合いである。入学した新1年生を預かって貰い、「ウィン講座」として土曜日に英数国で特別講習を始めた時に随分とお世話になった。
・ しかし「スタートする時には本当に苦労」した。その辺の苦労話は1月9日のブログ「橋下知事による公立教育改革」の中で少し触れているが「本当に大変」だった。ところがあれから6年もすると公立の小学校や中学校や一部の高校に「塾の先生が正々堂々と正門から入って教室で講義する」時代となったのだ。「時代は変わった」ことを痛感する。
・ 「塾の市場規模」について文科省の「子どもの学習費調査」からある民間会社が算定したものを2月21日の大阪日日が報じている。それによれば「08年度総額が1兆4011億円」と言うから「巨大な市場」である。
・ 小学校が4492億円、中学校が6193億円、高校が3326億円の内訳であるが小学校、中学校の数値の大きさに驚くではないか。私の時代などでは小学校からの塾通いなどは余り聞いたことがない。中学の塾も本の一部であったが今や塾は学校に並び立つ「立派な社会の教育装置」である。
・ 要は塾は「社会的に認知」されたということではないか。一頃の文科省や学校関係者の「塾いじめ」みたいな冷たい視線を思い出す。「ハザマ産業」などと揶揄したりしてね。塾の先生の「肩身が狭かった」時代は長く続いた。
・ 金融不安に端を発し各業界が縮小方向に走っている中で「学習塾業界」は依然として前向きである。そして今塾業界に起きている風は「合併買収(M&A)」や「提携」などの「再編」であるという。そしてその「動きはますます加速」されているという。
・ 一つの特徴は「低年齢からの囲い込み」だという。特に大学受験予備校は小学生から予備校生までの一貫教育構築の動きが特徴で東進ハイスクールは中学受験の名門四谷大塚を買収した。ドン欲というかすごいエネルギーだ。
・ もう一つの大きな特徴は「学校に出来ないサービスの商品化」であるという。これも私が思っていることと一致する。塾業界はこれまでも時代の変化に合わせて指導スタイルを変えてきた。「学校ではない塾は学校ではできないサービス」が「売り」だという。その通りだ。
・ 当初の謳い文句は「学力別クラス編成」であったが、今の主流は学校で学力別が普通に成ってきたから「生徒一人ひとりに対する個別指導」が生まれてきた。日日の新聞記事によれば「指導スタイルはここ10年で大きく変化し現在は個別指導が4割までシェアを拡大」したと言う。これも分かるような気がする。その他大勢の中での指導」ではなくて「私だけ、僕だけ」の指導スタイルだ。
・ 大阪で開成教育セミナーなどを展開する成学社は時代の潮流を見て個別のシェアを拡大している。ここの太田社長も友人の一人で親しい知り合いで、中々のやり手で昨年8月には株式上場を果たしたが、今後は収益構造を集団50%、個別50%に計画していると言う。
・ 一方では「集団指導の強みにこだわる塾」もあり典型的なところは浜学園だ。神戸女学園と灘中学に全国トップの合格者を出す最強と言われる塾だ。ここの特徴は「塾生同士の競争意識をかきたてる」やり方と「復習主義」と言われる独特の指導方法である。
・ そして今注目されているのが「インターネット上の仮想学習塾」だという。パソコンのインフラが整った今、「ネットスクールへのパラダイムシフト」は現実味を帯びている。大阪のメリック教育システムでは「個別指導もそろそろ頭打ちの状況。デジタル教材の活用が今後の個別指導の行方を左右する」と予測している。
・ 又近畿圏を中心に学習塾やIT教育を展開しているウィザスは昨年直営の第一ゼミナールの「ネット版学習塾」を開設した。テレビ会議の機能を応用して会話しながらの指導システムを開発したりとお互いが「知恵比べ」の様相を示してきている。
・ その内に「自宅が塾に早や代わり」になるのも近いのではないかと報じている。このようにして考えれば私立学校も「ぼやぼや」出来ない。私は今「次の一手」を慎重に考えている。そのキーは「土曜日の使い方」だ。
・ 私立学校は考えてみれば「柔軟に発想できる」ところが特徴である。公立は「売り」を謳う事は出来ないが私立は「売り」がないとやっていけないのである。他の私立と同じようなことばかりやっていったのでは意味はない。
・ 手にした「分校」ともいうべき「多聞尚学館の活用」と「新たな視点での土曜日の使い方」が戦略である。「授業は月~金で済ませ」、土曜日をどのように活用するか。本当の意味で「生徒の為」にたったカリキュラムの検討が必要だ。
・ 本日の校務運営委員会で「土曜日活用検討チーム」の編成を指示しメンバーも決めた。短期間で答申して欲しいと思う。大々的に平成22年度の入学者から展開する。勿論在校生にも適用できるものはしていく積りだ。
・ 日本を代表する「日能研」が2009年・2月号の「日能研新聞」に本校を取り上げていただいている。物凄い大きさの記事だ。「憧れの私学へ」「関西私学大百科」に本校の「新春拝賀始業式」が写真付きで載せられている。それだけ「期待」されているという証明だ。頑張らねばならない。
・ 橋下改革は「超エリート10校」を作るという。これは公立の売りだろう。本校も「超エリートクラスを徹底的」に作って高めていかねばならない。「完全習熟度の徹底」と「演習による実践」「繰り返しの反復教育」「選択と集中」この辺がポイントになるのではないか。
・ 今までは教員の「労働負荷の平均化と持ち時間の均等化が学校文化」であったが今後は「生徒への負荷の与え方」に「教師の労働付加が左右される」ということだ。曜日によっては教える時間がないときもあれば、朝から晩まで連続して教えると言う場面もあるだろう。いずれにしても答申を期待したい。

2009年2月22日日曜日

2月22日(日)浪速中学教諭からのレポート

・ 2月9日のブログに私は「ゼロ・トレランス教育理論」をテーマに相当力を入れて書いた。この「ブログの向け先」は主として浪速中学校の教員に対してであった。その少し前に中学校で「生徒生活指導」に関して私の「些かの特別な思い」があったからである。
・ 私のブログは分かっている人には分かっていることであるが、常に「タイミング」を重要視している。関係ないときに関係ない日記内容では不自然だし、何より私の読者は教職員と保護者を主として念頭においている。芸能人ではないから「ファン」など居ないし、「意味のないブログ」など書いてもそれは「時間の無駄」だし「私の趣味の世界」に留まってしまう。そのような「不合理」なことはしない。
・ 翌10日に担当の教諭を呼び「ゼロ・トレランスに関する教育論文」を手渡し、これと昨日の校長日記「ゼロ・トレランス」を読んだ「レポート」を出すように「校長職務命令」を発したのである。「浪速中学校の教諭はどういう考えの基軸を持って生徒生活指導」を行っているのか、知りたかったからである。
・ 中学校の生徒生活指導は確かに高校生に比べて「難しい面」があることは事実である。一言で言えばまだ「子ども」だ。それに浪速中学校に「社会から与えられているポジション」を我々は考えなければならない。浪速中学校は私立学校といえども「義務教育」の課程である。ここは根本的に高校と異なる。
・ 社会から与えられているポジションとは読んで字のごとく「即ち保護者が浪速中学校に何を期待しているか」という原点である。全ての保護者が本校に「灘中学とか東大寺学園中学の持つ機能」を期待して「おなかを痛めた可愛い子ども」を高い授業料の本校に入学させたわけではあるまい。
・ 教員は教員で自分の理想とする「有るべき中学校のイメージ」を膨らませて日常の教育活動を行う。生徒生活指導において灘中学と浪速中学に違いがあってはならない。「駄目なものは駄目」である。
・ しかしだ。未だ「発展途上の浪速中学」は「上澄み」の均質な、言ってみれば「一番搾り」の部分を相手にしているわけでもあるまい。まずここを教員は抑えなければならない。「非常に生徒の幅が広い」ということは厳然たる事実である。だから「それだけ手をかけ」面倒を見なければ理屈は立たない。
・ 浪速中学を選択してくれた生徒はそれなりの育成環境、現在の家庭環境、保護者の教育観等から「公立を忌避」し、浪速中学を選択してくれた者だろう。勿論最初から「僕もお爺ちゃんの出た浪速に」というのもあるのだが、本校選択の理由はまだ「東大、京大を目指す」というばかりではない。
・ 以上のような原点確認をベースに浪速中学の生徒指導について「ゼロ・トレランス」のテーマを出して11名の先生に「小論文」を提出してもらったのである。それを昨日副校長から全員分まとめて頂戴した。それを日曜日の今日、午後自宅でゆっくりと読ませて頂いた。
・ 今私はこの方法は結果的に「極めて良い方法」だと感じているのである。その理由は間違いなくこれは「校長と教員のコミュニケーション」であり、一つのテーマに関わる「議論」であると認識した。「静かではあるが火花が散る議論」なのである。
・ お互いが忙しい身だから学校内部で放課後、あたふたと時間を取ってもそれは議論とはならない。それに議論とは「口から出まかせ、足任せ」ではない。一つのテーマについて情報を集め、「思索」し、それを深めながら最後は「考察」に至らなければ意味はない。
・ 私が「職員会議での議論」を余り買わないのは余りにも「準備がなさ過ぎる」からである。その場で初めて聞いて「良いか、悪いか」などと簡単に結論は出せないだろう。出せないから「新しいことに臆病」となり結局前に進まないのだ。
・ 特に教員は「プライドが高い」というか、それぞれが「教育観らしいもの」を有しており、それに些か「過剰」とも思える「自信」を持っているものだから、その場でテーマを出し、その場で意見といったら「まあ思いつき、感覚の類」しか口からは出て来ないのが普通だ。
・ それを10日間ほど「時間がありテーマを規定」すると、そこはさすが教師で「じっくり」と考えてくれる。特に自己を振り返る時間があるから「気付く」ことになる。この「気付きが極めて重要」で私は今回先生方のレポートを呼んでそこを確信し評価しているのだ。
・ 今回の11人の先生の提出された小論文を読んでみて「基本的に良い先生ばかり」というのを実感した。確かに経験不足、勉強不足の教員はいるが「教師としての魂」をしっかりと有していることは分かった。
・ それは全員が「自分の教育活動を回顧」し、「反省」を加え、ちゃんと「自分の意見」を吐露してくれているからだ。そこが良い。私はお一人お一人の先生のお顔を思い浮かべながら読み進めていったのである。
・ 生徒生活指導に関わるような「複雑でタッチな課題」に「正解はこれだ」などがありえる筈はない。読んでみて11人の先生がそれぞれ、ここにも又自分の生きてきた過去と教師としてのキャリアが色濃くレポートに影響されている。当然であるが誰一人同じようなものはない。
・ まとめて言えば結局、私が常々言っている「面倒を見る」ということへのまず「自らの教育活動への問いかけ」が出発点ではないか。今回の感想にはそういう「論旨の展開」が多かった。これは「私の求めていた方向と一致」する。そういう点で私は「ホッ」とすると同時に喜んでいるのである。
・ 読んでいて実は私にも大いに勉強になっているのに気付いたのである。まだ完全ではないが今私が到達しようとしている「論考」の答えに今回の中学校教諭のレポートは大いに参考になった。別途機会を改めてご披露申し上げたい。
・ 「基本的に求められる教師の資質」は何かが今私が抱えている大きなテーマなのである。公立校長4年間、私立高校2年間の経験で今私は「教員とは一体何者?」という巨大なテーマに取り組んでいるのである。それを理解するのは教科指導を観るだけでは答えは得られない。全ては「生徒生活指導力」というか「生徒生活指導の魂」に集約されるような気がしてならない。恐らく間違っていないだろう。そこに「教師の全人間力:魂:全てが投影」されるからだ。

2009年2月21日土曜日

2月21日(土)日教組:西宮教組

・ ちょっと古くなるが1月30日の「産経新聞」に注目する記事があった。「コピー」を取ってそのまま放置していたが、今朝の産経に扱いは小さいが「その記事の続報」と言うべき記事があった。他紙は一切この記事には触れていない。
・ その記事と言うのは見出しが「西宮教組 教頭殆ど組合推薦」「日教組究明議連が会報で告白と指摘」とある。記事の内容というのは兵庫県西宮市教組の会報「西教組ニュース(昨年12月4日発行)」が「ここ数年は教頭任用者のほとんどは組合推薦です」と堂々と“告白”した問題である。
・ 自民党有志でつくる「日教組問題究明議連(会長・森山真弓元文相)」が明らかにしたものだ。その組合ニュースには「行政や非組合員からの教頭任用をどう減らしていくかが今の重要な課題」とまで書き、「民主的な職場、ゆとりある職場づくりのために教頭推薦を完全に集約しましょう」などとも書かれている。
・ 又兵庫県教組が公務員には認められていないストライキを計画して県教委との交渉に臨んだとの内容もある。書いたものだから「すべて事実」であろう。文科省は「あってはならないことだ」として次回会合で調査指導結果を議連に報告するとあるのが1月の記事であった。
・ 今朝の記事は「文部科学省の担当者が確かに兵庫県教育委員会に指導を行った」ことを昨日20日に開催された議連に報告したらしい。文科省の指導内容とは「教組側から教頭推薦メモを受け取らない」「一般教員にも組合推薦を受けない」である。
・ 指導を受けた県教委は「誤解を招く」として「西宮教組に抗議」すると共に「文書による釈明」を求める通達を出したと言う。この記事を読んで私は麻生総理にぶちつけた元小泉総理の「笑っちゃう」ではないが本当に笑ってしまった。「空いた口が塞がらない」とはこういうことだろう。
・ しかしこれが「現実の姿」なのである。兵庫県教委だけに話ではなかろう。全国的に日教組の組織力の強いところでは「大なり小なり」行われていると考えた方が良い。この組合ニュースを直接読みたい気がする。
・ その気になれば入手可能だが読まなくとも何が書いてあるか大体分かる。「ふざけた話」だ。「教頭がすべて組合推薦ということは校長も組合推薦」ということになる。「組合のお墨付き」を得た者だけが管理職に登用されるというのは「信じられない話」である。
・ 裏を返して考えてみれば、このようにして教育委員会と日教組は裏で「馴れ親しんで」きたのだ。「ずぶずぶの関係」ではないのかと言う人は多い。お互いが「持ちつ持たれつの関係」なのである。だから大分県のような教員採用試験にも組合関与の疑念が取りざたされる。
・ 組合推薦で管理職になったものがリーダーシップを発揮して「学校改革」を推し進める等できるはずはない。「教員の抵抗」を受けたら、それで「お終い」だからである。「シカト」などは日常茶飯事で県教委と組合とのハザマで心の病に直ぐなるのも分かるだろう。
・ だから何が起きるかといえば「妥協」だ。「ここは顔を立てて受け入れるから、この部分は駄目よ」「これだけはやってね。その代わりこれは来年に延ばすから」などの「取引」は日常茶飯事ではないか。これが「教育現場の実態」であるということにもっと社会の人は気付かないといけない。
・ 本校に昨年11月から大阪市立中学校の現役教諭だった者が、公立教員を辞めて私を頼って来ているのだが、その先生の退職の理由は「どうしようもない組合教員の態様にほとほと嫌気がさした」という。それに対して「何も言わない、やらない校長」は「学校に居るのが辛いと見えて」定時に成ったら直ぐ帰宅する人で「幻滅を感じて」公立との「おさらば」を決意したという。

・ 一方今朝の朝日新聞は7段抜きで「日教組の教研」について特大記事を掲げている。今日21日から広島で行われる日教組の教研は「防壁下の教研集会」として広島国際会議場は「フェンス」で囲まれていると言う。
・ 「右翼の街宣車の侵入を阻止」するためだろうが、教師集団の教研集会の会場をこのように防御せざるを得ないところに「我が国の教育現場の悲劇」があると私は考えている。昨年は社会問題となったが東京の「新高輪プリンスホテルが会場の貸し出しを拒否」した事件は記憶に新しい。
・ 今朝の朝日は珍しい「トーン」の記事で「日教組、闘争イメージ払拭に懸命」との見出しも付けている。日教組の副委員長も「普通の先生の集まりになっているのに、政治的な闘争をしていた団体の記憶が一部で残っている」と話している。
・ 上記のコメントが面白い。「なっているのに」とあるのは昔はそうでなかったと幹部が認めているのだ。又「普通の先生の集まり」と書いているが「普通の先生」という表現が面白い。しかし私は「本当に普通の先生か」と聞きたくもなるのだ。
・ 今回は分科会の会場は「日教組」や「教育研究全国集会」などの看板は立てないしマスコミにも講師名や会場を報道しないで欲しいと「異例の要請」があったという。実行部隊の広教組は組合員にも1週間前まで分科会会場を知らせなかったという。これではまるで「秘密会合」みたいだ。
・ 何故このように広教組は「ハレーション」を起こしているのか。それを私は想定する。実は広島県は今まで卒業式の国家国旗掲揚問題で現職の校長が2名も「首吊り自殺」をしたところで何しろ「広教組」は「名うて」の、激しいことで有名な日教組組織の一つである。「平和都市広島」の組織である。
・ あの事件後の平成11年の後「学校改革」が本格化した。そのような教員団体が主催する本家本元の場所での教研集会だから、広教組の警戒心は並大抵ではなかったろう。今回は「右翼も総力を上げてくる」と県警本部は警備を2100人体制で臨むと言うが「国民の血税」を使っての「普通の先生の集会」を防御せざるを得ないところに私は「悲しい複雑な思い」を有するのだ。

・ 2月7日の大阪日日新聞は大阪府守口市の現役教師が「国旗国歌の現状報告」で「強制反対集会」を開いたとの記事が出ている。2008年3月の「門真市立第三中学校の卒業式」でたった一人しか国家斉唱をしなかった学校で勤務し、反対闘争を繰り広げている川口精吾教諭が主催したものだ。
・ 相変わらず「国旗国歌反対、子どもを戦場に送るな」のお題目であるが、このような先生が「普通の先生」と言えるか。明らかに「イデオロギー偏重」であり、「政治闘争そのもの」ではないか。
・ そういった教員団体への参加率が少なくなったとは言え、まだ「28%台の組織率」になっているということに「戦慄を覚える」のだ。数値は小さくとも彼らの活動の影響は「日和見主義的教員」へ大きく被さっている。
・ 前述の記事で日教組の副委員長はあるところで「日教組って、非合法組織ではないのですか」と真顔で聞かれたという。しかし聞いた人の「感覚」が素晴らしい。一部には間違いなく非合法組織みたいであると言われたら反論できないのではないか。
・ 「学習指導要領」という法律に定められた卒業式の国旗掲揚国歌の斉唱を無視し、国政選挙、政治闘争のために「カンパ」を行い、今だに「ストライキ」を持ち出しては「管理職の人事権に口出す」ような、非合法な常識のない組織が日本の教育現場の大きな影になっているということに私は「我慢がならない」のだ。

2009年2月20日金曜日

2月20日(金)21年度校務分掌

・ 「来年度の校務分掌の人事」が大詰めを迎えている。毎日管理職朝会で議論している。分掌部長や学年主任は既に内定しご本人にも通知しているが「担任などの当て嵌め人事」だ。「組織についても一部見直し」をしている。
・ 「適材適所」というがこれくらい分かりにくいものはない。大体「出来る人は何をやらせても出来る」もので、出来ない人は何をやらせても出来ない。これは企業社会でも当然の話で「人事で失敗したら」その会社自体が危うくなるからとにかく「人事」には「細心の注意」を払う。
・ 払っても失敗はある。私もこの2年思い切った人事を試みたが、結果的に「失敗」はあった。高校と中学双方にだ。「良かれ」と思い、「チャンスを与えた」積りであったがその機会を生かすことの出来ない教員も正直いたのである。
・ そうかと思えば「想定以上の仕事をする先生」も居たりして、管理職の中には「変わった、変わった」という人も居るが私は変わったのではなくて、昔から「力を発揮する機会」が与えられていなかったということではないかと思っている。「人は見かけによらない」とは真実である。
・ 出来ない人は何をやらせても出来ないと言ったが「能力の問題ではなくて」「心がけの問題」なのである。「やる気がない」のである。しかしやる気がない人間を抱えておくほど本校は余裕のある学校ではない。人間のやるものだ。難しくて出来ないなど世の中にはない。
・ やっても貰わなければ困るのである。ところが「人事の妙」で、やらせたら「出来るのである。」「出来るのにしなかっただけの話しなのである。」従って「仕事をやらない人間をやらせるようにする」のが組織であり管理職の仕事だ。
・ そして「やった人間を正当に評価」する。そして「一仕事終えたら新たな次の仕事に回していく」。この「サイクルが人事」である。人事とは一言で言えば「人間を育て活用し評価し処遇する人の事」である。私は着任以来このことを徹底してきた積りである。
・ 学校はずっと同じことばかりを強制するがそうではない。進路をやったら教務をやる、次に生指をやると「次々とキャリアを重ねていく」ことが重要である。それで「人間の幅」が広がるのである。「この道一筋」はあっては良いが「様々な経験をする」ことも人生の妙味ではないか。
・ 本校では「人事センター」を筆頭管理職の副校長が務めているが、中々よく人物を観察している。最も本校勤務が30年以上だから当然と言えば当然である。管理職の最重要な仕事は「まず人を見抜き、働く場所の提供」であろう。教科ではない。教科は国家が認定している資格だからここが「不安」と言うのでは教師であるとの根拠が揺らぐ。
・ まず「担任が出来るか」「生指が出来るか」「分掌業務が出来るか」「協調性があるか」「陰日なたなく仕事をするか」「健康か」「勤務態度はどうか」「本校の風土に合致する柔軟性を有しているか」「礼節は保たれているか」「保護者と上手くやれるか」等々副校長は観察しているみたいだ。特に私学だから保護者との関係も重要視されている。
・ 副校長の原案に対して他の管理職が意見を挟み、時に議論になる。この前も副校長の観察に一人の管理職が「ウーン」という感じであったが他の3人の管理職が「異議」を唱えた。私は枠外で1対4だから勝ち目はない。
・ 私は私で「自分の情報網」で得た情報を参考にして時々意見を述べる、というか「問いかけるスタイル」だ。個人に関するお人柄や仕事ぶりを耳にして、特に学校行事などの機会を使って私も直接見させてもらっている。還暦を過ぎれば「見えてくる」ものはある。
・ それにとにかく時間があったり、何か報告を求めたい時には「直接部屋に呼んでお話を伺う」。これが最も「相手を知る」上での効果的な手段だ。加えてこれは節度がいることは承知しているが、学年主任や類長などに対して「あの先生、どう思う?」と聞く。
・ 当然「あの先生は駄目」など悪いことなど言うわけはないが、その「微妙な言い回し」の中でその人の「観察と相手の人物像」が浮かび上がってくるものだ。評価しているときには「あの先生は良い」と言葉は短くきっぱりとしている。
・ 教員というのは基本的に「同僚の悪口は言わない」ものである。お互いが「先生、先生」と呼び合う間柄で、お互いが「勝った、負けた」の世界からは程遠い世界に住んでいる。
・ 大体一人の教員の意見がまかり通るようなことはまれである。全てが「民主的」に多数決で物事を決めていく学校文化は極めて根強いものがあるのである。従って基本的に「人材が育ちにくい土壌」であると言える。
・ 「飛び出る杭は打たれる」から、前のめりや前傾姿勢は時に「攻撃の対象」となるから新しいことには極めて慎重であり、臆病となる。従って「前向きの仕事は出来ない仕組み」と考えたら良い。
・ 又、相対的に若い先生が多く、その中にベテラン教師が居て「口が達者」だったりすると「逆噴射」効果が出てくる。若い先生が「やるべし」と叫んでも、その人が「そんな案で如何するの、誰がやるの?」とでも一言言えば前向きな話は「グシャッ」とつぶれてしまうのだ。
・ 浪速においては特にこの性向が強かったように思えた。「慣例」「前例」「風土」「組合」様々なものが入り混じって世の中は21世紀というのに学校の実態は「まだ20世紀の学校のまま」と言う感覚であったのである。
・ そこには「抜擢人事」とか「特命事項」とかの「人事上の新基軸」は出来なく「これでは駄目」と判断し、まず私がしたことは「従来の管理職の一新」と「新管理職の任命」であった。次に「早期退職優遇制度」を設定して「世代交代を強制的に進めた」。
・ 校務運営委員会を「格上げ」し「校務運営経営委員会」として大きな方向を打ち出すための議論の場とした。経営委員として校務運営委員には「役職手当」を支給し「自己確認と責任」を有して貰う配慮もした。
・ 職員会議は校長の「校務運営の補助機関」として明確に規定し、「議長」などは廃止し、教頭が議事進行を担い、「議決機関」からは完全に体質を変えた。勿論時には「教職員の意向確認」のために賛否は取るが、その結果に校長は縛られない。
・ 又大きな特徴として従来の分掌に属さないテーマは「特別委員会」「特別チーム」を作って「組織横断的」に進めたのも特徴であった。「2学期制の検討」、「新校舎検討チーム」などがその例である。特に人事構成で成功したと評価しているのは「入試事務室」を「入試広報室」として格上げし「人材を投入」したことだ。
・ 又情報係を「広報情報委員会」として入試広報室に属させて「一体化」し学校の「IR作戦」を展開した。これは極めて大きな効果を生み出したと言える。典型的な「成功例」であろう。「情報発信力が格段に高まった」のである。
・ 21年度人事の目玉はまず「中学校教員体制の強化」である。「浪速中学校の戦略的ポジション」から来年度以降の極めて重要な時であり担任団は極めて重要である。最大の人事テーマである。2年間観察して大変よく分かった。
・ 次に2年間の初動の成功を受けて広報情報委員会を入試広報室から分離独立させて「教務部により接近」を図るように配慮した。しかし両組織の連携のために担当管理職は同一人物である。
・ 来年度の目玉は教育方針に「奉仕の精神」を掲げたので新たに「奉仕委員会」を組織化させた。これは今後本校の目玉活動として育てていきたいと考えている。将来的には「浪速ボースカウト」なども視野に入っている。
・ 進路指導部と生徒生活指導部に副部長格の「特命担当」を置く。「機動班」として活躍して欲しいと考えているからだ。例えば生指の特命担当は学校外の見回りなどを覆面パトロールで担当したりすることになろう。こういう人事は本校に初めての人が良い。「新たな目で観察」してもらうのだ。
・ 関大大学への進学者数の増大を目的に「インテンシブコース」を作った。特化させて関大に進学できる生徒を格段に増やしていく。更に「社会科の指導にも強化」して行く形をとった。「教科主任」も一部一新し、手当てを倍増する。教科主任に手当てを出している学校などない筈だ。教材や指導法、模擬試験、シラバス整備など「やって欲しいことは山ほど」ある。
・ メリハリをつけた「業務の提供」は確実にその人物能力と業績が浮かび上がってくる。今までの学校は「やってもやっても目立たない」、「やる人間もやらない人間も処遇が同じ」であったが今後はそうは行かない。
・ 21年度校務分掌の体制は来週23日に発表されるだろう。橋下知事は昨日の会見で「新人事制度の構築」を図り「頑張った職員を浮かび上がらせる」と述べていた。同じことである。本校でも20年度試行1年目の「人材評価育成システム」の「業績シートの提出」が間じかに迫ってきている。

2009年2月19日木曜日

2月19日(木)定期昇給

・ 昨日の朝、進路指導の部長、副部長が顔色を変えて報告に来て呉れた。なんと「防衛大学に4名合格」したと。これは「初めての快挙」であり、「ビッグニュース」である。例年は1名程度であった。又「関西大学」へは対昨年度「倍増」である。「進路実績」も延びてきた。何とかという芸人ではないが「キターッ!」と言う感じだ。
・ それにしても「国の防衛の要である幹部候補養成の士官学校」である防衛大に今年のように4名同時と言うのは「凄いッ」。防衛大の入学式に高校の校長くらい「招待しろ」って言うんだ。30年後40年後の航空幕僚長などが出てくれれば嬉しいがー。
・ 今日は「高校1.5次の入試」である。志願者は少ないから「大きな作業」とはならないが手間隙は同じの「重要な仕事」であることには間違いはない。16時から判定の会議を行った。しかし面白いのは既に本校に合格しているのにも関わらず「類を上げて再チャレンジ」したいという生徒が含まれている。その「心意気や素晴らしい」。
・ 今日で公式業務が最後になるK教頭が「本年度の生指活動のまとめ」を説明してくれた。「これは耀く実績」というか「大きな業績」である。本当によくやってくれた。大学に転出しても頑張って欲しいと念願するが彼ならやるだろう。この2年間じっくり見てきたが「出来る男」だし、私の元で2年間、「組織の運用」について肌身で勉強してきた筈だ。福知山に単身赴任だ。体に留意してとにかく頑張って欲しいと思う。
・ 「金剛山登山」も終えて本年度の行事も来週は最大のイベントである「卒業式」となる。教務部長と3年生の学年主任が進行のスケジュールをほぼ決めてくれた。今年は初めて「名誉理事長が出席」してくれることになっている。卒業生のために「大いに盛り上げてやりたい」と考えている。
・ 昨日の金剛山登山のセンターであるI教諭が脚につけろと何やら「白い塗り薬」を持ってきてくれた。ふくらはぎにつけろと言う。「そんなものつけなくとも良いのになー」と思ったが折角なので貰っておいた。その後も体育科の教諭が入れ替わり立ち代わり部屋に入ってくる。要は私の足の状態を観察に来ているのだ。わざと平気を装ってやった。
・ 朝一番にPTA会長にお礼の電話をした。大変よくやっていただいた。トン汁や鍋や炊飯器までPTAの寄贈だ。これも嬉しい限りだ。来年は会長となられる副会長も多聞尚学館が完成したら「PTA研修を多聞でやりたい」と早速言っておられるそうだ。
・ 他の私学の経営者が昨日副校長にある用件で電話があったそうだ。「浪速さんは塾の話では“公立からの戻り”は高いともっぱらの評判ですよ」と。副校長曰く、「リップサービスですよね」と言っていた。最近、この経営者の希望にかなう良いことを本校がしたから、このように言ってくれているのかも知れない。

・ 初の「中学校体育大会の成功」、「びっくりするような志願者の数と入試事務の順調さ」「多聞尚学館の買収」そして今回の「金剛山登山」と全てが「パーフェクトに遂行」されてきた。今私はこの「順風満帆」に一抹の不安を抱くのだ。こんなに「上手く言って良いのか」と。
・ こういう時に若い頃に読んだ「菜根譚」の一節を思い出す。「人間得意の時、即ち失意の悲しみを生ず」と言うものだ。人間は愚かなもので、得意絶頂の時には気付いていないが失敗や低下転落の芽は既に絶頂の時に出ているのだという意味である。
・ この菜根譚は本当によく読んだ。若い自分だから今考えてもおかしい気がする。「爺さんの読む代物」みたいな感じがするからだ。それにしても一節までも覚えている自分に驚く。「若い頃の読書はこれくらい頭に入る」のだろう。
・ とにかく、「謙虚」と言うことに尽きないか。「調子」にのってはいけないのだ。「脚下照顧」だ。足元をしっかりと固めて一歩一歩進めていくことが肝要である。これは教職員だけに言っているのではない。「自分自身への戒めの言葉」だ。

・ それにしても政治も経済も「空恐ろしい」ことになってきた。「アメリカは壊れた」と言って良いのではないか。自動車産業のビッグ3への救済策は「際限がなく」、遂に9兆円という。これは完全に「破産企業」だ。
・ 更にオバマ大統領は最大900万所帯への救済対策として公的資金を7兆円つぎ込むと日経の記事にある。もう「形振り構わず」といった様相だ。この影響を受けて「日本経済も最悪」となってきた。
・ 与謝野大臣は「戦後最大の経済危機」と表現していたが、その実感は私には大変良く分かる。それは一般の人には感覚として分からないだろうが「粗鋼生産」が「過去最大の落ち込み」となったことである。各紙とも経済面にある。
・ 1月度の「生産量が37%減で40年ぶりの低水準」という。大体高炉メーカーでは一月の生産量が1000万トンというのが日本の規模であり、「産業の米」といわれる粗鋼生産を見ておけば大体経済動向が分かるのだが600万トンという、この数値は「衝撃的」だ。鉄鋼業で働いていたからよく分かる。各社とも稼動高炉を調節しているが、大変なことになったと感じる。
・ そういった中で「春季労使交渉」が始まった。いわゆる「春闘」である。恐らく「賃上げどころの話ではない」だろう。「雇用維持」が焦点になるのは間違いない。日産や東芝は本格的に「ワークシェア」が議論されると思う。
・ 私が注目しているのは各社が「社員の兼職兼業」を認め始めたことだ。「給料が減少」するので、「外で稼いでも構わないですよ」というものだ。今回の経済危機で今までの「日本型雇用形態が変化していく」のではないか、そのように感じて成らない。
・ 一方摂津市や吹田市など数名の市役所職員の募集に全国から数百名の応募者が殺到しているという。「民間はもう嫌、安定したリストラのない公務員が良い」と骨身に感じているのであろう。勿論「教職」への憧れは多いだろうが、これは簡単にはいかない。国家資格が必要だからである。
・ 言いたいことは「安定の職業」に「ただ乗り」してはいけないと言うことである。「教師と言う職業を選択した幸せ」を感じるのは良い。良いが同時に「社会の厳しさ」を感じて貰わないといけない。相対的に恵まれた者への視線は厳しくなるものだ。
・ 今日の職員会議で私は今、平成21年度の「定期昇給」については「実施する方向」で検討していると表明した。生徒数が確保出来そうな見通しを得たからである。しかし今世の中で「定期昇給をしている会社や私立学校」は段々と少なくなっているという「現実」に気付いてもらわないといけない。1年経ったら皆同じように給料が上がるという今までの常識は最早ありえないということである。

2009年2月18日水曜日

2月18日(水)耐寒行事金剛山登山

・ ほぼ予定通りに進行した。「素晴らしい計画」であった。最も事前に「試し登山」を行い、昨日は教諭でアルピニストの専門家とも言える教諭が「前日登山調査」をしてくれている。このようにして万全に準備しての本日であったから結果は自ずと分かる。
・ 一人の生徒が小さな捻挫をしたが一人で歩ける程度で他はすべて問題なく登山し下山した。全員が「多聞尚学館の体育館に到着」し保護者有志による「豚汁」のサービスを受けたのである。「具沢山」で本当に「旨い豚汁」であった。
・ 学校前を8時10分過ぎに6台の大型バスに分譲して出発し予定通り金剛山ロープウェイ登山口に10時前に到着。3年生から2年生、1年生と出発する。今日は「高校3年生の学年団もお手伝い」で参加してくれた。
・ これ以上はない「天気に恵まれ雪もなかった」が、購入した「アイゼン」はたとえ今回は用にならなかったけれどもそういうことは問題ではない。晴れ間が見える「無風」の格別の「登山日和」であった。それでも山頂付近では「樹氷」を観察することができた。
・ しかし金剛山登山とは初めての経験であったが「良い山」で霊峰というに相応しい「気品」を感じる山であった。この話の最初の頃は生徒は登山を嫌がっている様子であったが今日の実態はそうではなく「歓声」がこだまする「楽しい思い出の登山」になったのではないか。
・ 昼食はピクニック広場付近で少し早めであったが生徒は「屋外でお弁当」を広げていた。それくらい「暖かい天気」だったのだ。ここに来るまでがいささか急な坂道であるが正直「大したことはない」というのが私の感想だ。
・ 教職員は「理事長は絶対にばてるぞ!」と思っていたらしく一人のベテラン教諭が「付き添い」でエスコートしてくれていたが、確かに足は遅いがしっかりと登っていくし、今足も痛くはない。皆は基本的に私が「健脚」ということを知らない。
・ 中学校の副校長は昨年屋久島での様子を知っているからそのようには思っていないが最近の私を知る先生は確かにそう思うのであろう。腰痛や足のしびれなど大変だった。2年前までには私はその健脚を自慢したが確かにこの2年間弱ってしまった。しかし「昔取った杵柄」とはこういうことを言うのであろうか。平気だった。
・ 昼食を終えて3年生は12時30分に出発し、「葛木神社,転法輪寺」をお参りして山頂付近を終えるが、これからが登山下り道としては良くない。すべて「人工階段状」になっていてこれは「ひざに来る」感じだ。これが下まであるので上りと下りは取り替えた方が良いと思ったが実はこの道を下ったところが「多聞尚学館」なのである。
・ 山を下りたら目の前に「多聞尚学館が眼前に広がる」と言うのは嬉しいものだ。千早神社の横を抜ければ学校でこの辺りが「千早城址」である。私は最後の方で歩いていたのだが尚学館に近づくにつれて生徒の歓声が聞こえる。
・ 先に下りた3年生がグラウンドで三角ベースの野球をして楽しんでいるのだ。その光景はとても良かった。そして「ガーガー」という工事の音である。そう、今「改装の真っ最中」なのである。
・ 「校長先生が帰って来られましたよ!」と保護者の叫ぶ声に迎えられて体育館に到着だ。生徒は暖かくした暖房の体育館で「ふーふう」言いながら「豚肉だらけの豚汁」を汗を流しながら食べていた。旨そうに食べていたな。やはり体は冷えていたのか。
・ なんと「千早地区の区長」さんが出迎えてくれている。とにかくこの区長さんが我々を大歓迎してくれているのだ。時々校庭の雑草など刈ってくれているらしい。来週副区長さんらと本校に来られる。「誠意を持ってご対応」しなければならない。
・ 全生徒を集め、校長から「一言」述べて例の「金剛山登山記念の携帯ストラップ」のプレゼントである「校鳥:スクールバードのふくろう」の説明を加え、記念品を手渡した。。そして「PTA会長からのご挨拶」だ。良いお話をして頂いた。
・ その後私から一人ひとりの保護者に感謝のお礼を述べながらストラップをプレゼントした。「保護者もこのような企画と学校行事への参加」を喜んでいただいている様子であった。実はこれが目的でもあったのだ。
・ 私はその後「工事の進捗チェックだ。」学校から事務長補佐、特別施設担当、それに千早赤阪村の現地業者が勢ぞろいして現場を歩いて指示しなければならない。工事状況を観察して「大変良い学習場所」となるだろうと私は確信した。
・ 応接室、職員室、120名規模の大教室、40人教室が3教室、男女それぞれの三段ベッドの寝室、多目的使用のじゅうたん部屋が男女別、それに浴場、シャワー室、加えて旧幼稚園にこれまた寝室だ。保健室もある。全くいうことはない。素晴らしい「豪華版」だ。生徒や教員が喜ぶ顔が早く見たい。
・ 学習で疲れたら体育館やグラウンドで運動も可能だし春夏秋にはここを拠点に「里山をウォーキング」する息抜きも可能だ。ここは本校の生徒、教職員、PTA、神社庁、同窓会、ご関係の塾関係者など基本的に使用は自由とする。皆で使えば良い。
・ まず進路指導部長と副部長に炊飯と汁物、それにケイタリングの「おかず宅配」について「調査研究」するように指示した。まず彼らは3月末に第一回目の宿泊合宿を計画している。私は丁度この時にぶつけて「理事会・評議員会」を多聞で開催することを決めている。「面白いことになるぞ。」
・ 金剛山登山は出来れば浪速中学校の「耐寒行事」として「根付くことを念願」している。それはすべて「教員の熱意」にかかっていると思う。本日も体育科の教諭が表、裏とリードして頑張ってくれていた。
・ 主担のI先生と補佐役のこれまたI先生、これにH先生やA先生などが裏方で頑張ってくれている。頭の下がる思いだ。彼らの力がないと「学校行事」はうまく行かない。「中学校の運動会」もそうだった。中学校の先生は目を光らせて生徒の動向を注視していた。だから問題なく遂行できたのだろうと思う。
・ 多聞尚学館の本部待機教員と登山組とはトランシーバーで連絡を取り合い、緊急用にタクシーを待たせ、担架を用意し、「事前チェックを徹底」すればこその成果だと思う。「先生方、有難う。」心から感謝と敬意を表したい。
・ 今日は上り下り、大体写真館の社長さんと一緒に歩いたのであるが「間違いなく脚は私の方が強い」ことが分かっただけでも嬉しい。最も私の方が○歳も若いのだから当たり前だ。「理事長先生、後10年頑張ってくださるそうで嬉しいです。私も後10年頑張ります。」と言われた。この前私のブログに書いてあったことを言っている。
・ このやり取りを聞いていた体育科のK先生は「そうそう、あれは話題になりました」と。「新校舎建設までではないのか、後10年というと、その後もやられるのか・・・。」とちょっとした「」になったというのだ。
・ 「私は笑ってしまった」。教員はあと5年我慢すれば私は居なくなると思っていたところへ私が「後10年はやる」と書いたものだから「フーッ」と「ため息」でも出たのではないかと、私は想像する。今のところ「後10年やることを歓迎」してくれているのは理事会と写真館の社長さんだけだ。社長を大切にしよう。

2009年2月17日火曜日

2月17日(火)借家手当という理解し難いもの

・ 「橋下改革」の効果で09年度黒字予算が組めるように劇的に財政状態は好転したと言う。しかし私は思うのだ。大阪府はその組織体が大きいから「少し削っても効果は大きく出てくるのだなー。」と驚く。浪速など「ちりも積もッても」でしかない。
・ 例えば昨年大阪府は職員の「住居手当を削減」した。大体公務員の諸手当は数が多くて、期末手当関連と退職手当を除いても「19種類」もあるそうな。分かりにくい。分かりにくくしているのが「公務員の給料」とも言える。
・ 大阪府の場合、住居手当は「自宅を購入した」職員に毎月支払っており、その額は「毎月4600円を定年まで」支払っていたが、橋下チームで昨年これが大きな問題となった。完全な「お手盛り」である。どこに4600円を毎月定年まで支給する根拠があるのか。「コストは58億円」もかかっていたという。58億円だよ。
・ 厳しい府の財政状態の中で府の公務員が「税金を使って」定年まで4600円頂くと言うのは「おかしい」と知事は早速判断し、即刻「国家公務員準拠で一律2500円を5年間に渡って支給する」と言う風に改めたのである。公立の教員も同じである。
・ 大体「住居手当」なるものの「今日的意義」をもう一度考えてみなければならない。今民間では「住居手当や扶養手当の廃止」が決定され続けているという。確かに統計によれば全国的に廃止する企業が増えており労働組合も大きな争点にしてはいない。
・ 日本の企業の賃金体系を歴史的に見ればすぐ判る。「過去の徒弟制度的、終身雇用で低賃金の時代」は給与が少なく、住宅手当、通勤手当、子どもの養育手当、盆や正月用の餅代としての賞与など「労働賃金は低く抑えて福利厚生的な手当で従業員を囲う」経営手法が日本的経営とされてきた。
・ しかし近代経営は極力「手当ての考えは薄くして本給計算に組み入れた平等化の賃金」に充当する考えが今や主流と成ってきている。手当て制度がすべて悪いと言うことではないが近代的な「職務に応じて給与が決まる」と言う考え方と「不公平の是正」がより強く出て来たということだろう。
・ 確かに結婚していようが独身であろうが、子どもがいようがいまいが、給与には関係ないというのである。あくまでその企業体に勤めている本人の「職務職能で労働対価が支払われるべき」という考え方は極めて分かり易いしその限りにおいては「不公平感」はない。
・ 特に「住宅手当」と「扶養手当の問題」は複雑で前述したように大阪府でも昨年一定の筋を通した改革を行っている。本校では私の頭に問題としてはあったのだが、「先に片付けることが多く」て、今日まで先延ばししてきたが今ようやく結論を出そうとしている。まず住居手当について考えてみよう。
・ 本校は現在「住宅手当」と言うものを他の私学にならって支払っている。これは公立学校の教員にはない「私学独特のもの」であるが、本校だけ「廃止」と言うわけには行かないとは思っている。20年度で言えば本校は私学平均に対して約1000円高く専任教職員にのみ支給している。
・ 常勤講師には「常勤手当て」の中に入れているという考え方である。昨年常勤講師処遇を重点的に検討した時に確かに入れてあるから安心して欲しい。1年契約の常勤講師に住居手当というのはどうもなじめないのだ。
・ この住居手当は何処に住もうがローンがあろうがお構いなしに「全員一律に支給」しているものである。専任教職員60名について言えば現在「持ち家」の人は43人、貸し家の人は17人となっている。
・ 持ち家43人の人でもすでに「ローンを支払い終わっている人」は19人居るがそれでも住居手当は支払っている。ローンは終わっているのに「住居手当」とは一体どういう意味なのかという疑問もあろう。家のメンテナンス代まで学校が払う気はない。
・ また「現在一生懸命ローンを支払っている人」は19名おり、例外はあるが当然若い世代ということになる。例外とは2回目のローンと言うことで家は2軒目ということである。2軒目にも住居手当は支払わねばならないのかという疑問も出てこよう。
・ 加えて本校で「ややこしい問題」は上記の「住宅手当」と別個には「借家手当」と言うものがあることである。「借家手当」というのは「住居手当」に加えて「賃貸し住宅(即ち持ち家以外の全てのマンション、アパート、公団などの住宅)」に住んでいる人を対象にして支給しているもので「府下私学では実施例は殆どない」のである。
・ 私学の3/4にはそういう制度はないが調査して見ると現在支給している本校以外の10校では厳然とした条件があり「基本的に扶養家族が居る」と言う条件が付与されている。その金額も扶養家族数で異なる。即ち「住宅手当か借家手当のどちらか」なのであるがそういうことに関係なく本校では専任、常勤でとにかく借家住まいであれば例外なく支給されている。
・ どういう現象が起きるかと言うとそれが面白いのである。最近「珍現象」が発生した。若い先生が結婚して1年間は賃貸しマンションで生活したが一念発起でマンションを購入した。給料はまだ安いのに「持ち家にした瞬間、借家手当はカットされ住居手当」だけになったという。
・ ところが専任教諭50歳代で相当給与が高くとも「家を持つ気などなくて」、独身で借家住まいであれば一律の「住居手当」の上にこの「借家手当」が「ズーッと定年まで加算」して支払われていくことになる。一方、努力してローンを組み「持ち家」を手にした人には「住居手当」しか支払われていない。この差異をどう考えるのかということである。
・ 一方常勤講師の先生の中には本校には借家手当があるから独身生活をエンジョイし「マンション一人住まい」しているが、「親の家に同居」していると借家手当は支給されていない。「親の家に借家している」という考えはないのである。
・ 又重要な視点として「住居」と言うのは「通勤手当」に直接影響してくるもので「遠隔地の借家」に済み、長い距離を通勤してくる為に相当な実費である「交通費」は事業者負担となっているものもある。
・ 同じ借家住まいでも「自転車で学校に通えるマンション」と月額何万円もかかる通勤費負担の先生の借家手当ては全く同じで、それならば事業者としては交通費の差額分くらい借家手当を見るべきという考えもあろう。
・ 長い間住み慣れた場所を動くのは「おっくう」だから北摂の遠いところから高い通勤費で通っているのだが、本校に勤めた瞬間から借家手当をいただけるようになり、ますます「居心地が良くなる」という寸法である。
・ とにかく私は今「浪速旧弊の総決算」をしている。分かり易く、見え易く、均等部分と公平部分とに分けて「手当処遇を見直している」のだ。公平とは「働きに応じた分配」ということである。この借家手当などは「どう説明しても橋下知事には分かってもらえそうもない」。
・ 助成を受けている身として、説明できないものは見直すしかない。4月から「見直しを図る」方向で最後の検討をしている。恐らく該当者には個別対応してお話をきくことになろう。教職員にはすでに詳細説明しているが・・・。

2009年2月16日月曜日

2月16日(月)私学教員の人件費

・ 橋下改革で大阪府は08年度は黒字となる見込みであることは過日のブログで既に触れた。「09年度当初予算でも黒字予算」が組めそうと新聞記事にはある。最も減債基金からの借入などの「禁じ手」は封じたがまだ一部の借金を収入勘定に入れるからで見た目は良いが、不景気の影響で税収も変動するだろうから今後は油断は出来ない。この点は知事も十分認識されている。
・ 従って「09年度の人件費削減はない」と報道にはあった。これは「嬉しいニュース」で私はこれを聞いて「ホッ」とした。「私学の教員にも影響」がある話であるからだ。もし09年度も公立教員の人件費を下げるなら「本校も下げざるを得なかった」がとりあえずこれは「回避できそう」である。このように考えなければならない。
・ 「我々は私学だ、公立とは関係ない。わが道を行く」というなら「私学助成を辞退」しなければならない。公的助成金を1銭も貰っていないなら「府の介入など関係ない話」で教員人件費などは「自由に設定可能」だが、公的助成を受けながら公立教員と大きく給与処遇に乖離があるのは「望ましいことではない」というのが私の基本的考えである。
・ 知事の考えはすべてここに行き着くのだ。「いやだったら、公立に来れば良い。」「公私比率を見直そう」「あれは経営者のカルテルだ」などと「私学いじめ」と言われかねない発想で私学に迫ってくる。
・ それでも最近は「教育バウチャー」制度とか幾分事情がお分かりになって来られたと思うがいずれにしても「公立第一主義」であることは間違いない。「超エリート校10校」を作るなど典型的である。手厚い公的支援で公立学校ばかりに支援したらその内私学関係者は「むしろ旗」で府庁を取り囲むかも知れないという人はいる。
・ 従って私学は何処を突かれても「堂々」としておかねばならない。府民の税金と言ってもその執行は行政の長たる知事に委任されているのが「政治の仕組み」だからだ。「選挙で選ばれた首長」だけにその存在の根拠は明白である。府庁の役人はサラーリーマンで税の執行権限はない。あくまで知事だ。
・ 「私学の中には公的助成など不要」というところも東京ではあるみたいである。「財政支援は同窓会」などがやるという。うらやましい限りだ。本校は「絶対に頂く,頂かないとやっていけない」。それは本校の保護者を含めて「私学の保護者は国税も地方税もしっかりと支払っている国民」だから、本校はそれを「受け取る権利」はあると考えているからだ。
・ 私の本音は地方行政の知事から「助成金をやるの、やらないの」と言われる筋合いはないと考えている。元々は国民や府民のお金だ。しかし麻生総理ではないが「それを言っちゃおしまいよ」となりかねないので口をつぐんでいるのだ。
・ しかしこれ以上公私間格差がひどくなってきたら「私学公教育の破壊」で訴訟問題に発展する。一度法廷で論争があっても良いかも知れない。その場合、「参考人」で呼ばれたら堂々と私は「論陣」を張る。橋下知事は弁護士出身であるが、こちらも「負けてはいない」。私学助成が日本全国トップなら分かるが47都道府県で最低レベルで何を言うかとも言いたいが、今はそれを我慢しているのだ。
・ 私立学校は「土曜日が勤務日」であり、土曜、日曜と連休で休む公立教員とは違う。世の中が連休であるときに私学の教員は働いているのだ。正直「私学の教員は良く働く」。この分は「労働対価として公立教員よりは優遇されて然るべき」と私は考えている。それ以外は基本的に同じだ。
・ 府の黒字化は昨年の「1100億円の歳出削減」が大きく効いたことは間違いない。「収入の範囲内で予算を組む」「将来世代に借金のツケを回さない」という命題が一応路線にのったことは「橋下改革初動の成果」であり、「私学助成の削減と言う辛い局面」はあったがもし「これで終結ならば」、むしろ私は喜ぶべきことと考えている。
・ 私立の教員が公立教員よりも高い、高い給料を取っておいて、「公費の公私間格差が大きい、私学の授業料保護者負担になっている」と叫んでも、それは「パンチある声」とはならないだろう。「給料下げなさいよ」と、そこを突かれたらどうするというのがあるから私は対応してきた。
・ 公立教員の給与を100とした「人件費比率ラスパイレス指数」が120,125%という私立もあるやに聞くが、何時までもそのような「わが世の春」が続くわけはないだろう。大阪府私学課はそこを今睨んでいる。
・ 「人件費比率」について学校会計基準では「帰属収入に対する比率」を言うが「帰属収入とは生徒からの納付金と私学助成金の合計数値」を言う。学校の収入はそれ以外には寄付金とか事業収入があるが、事業収入とは学校がホテルなど経営して入ってくる外部収入であるが本校では全くないからこれはゼロ円でとにかく「本校の場合は帰属収入が学校収入すべて」となる。
・ ここに直近の興味あるデータがある。20年度の私学人件費比率であるが「全国平均は68.5%である。東京都は63.7%で大阪府は77.3%」である。本校は東京都と大阪府の中間に位置する。「浪速改革の効果」でここまで落ち着いてきたのである。
・ 学校改革の前は「惨憺たる様相」で特に浪速中学校の人件費比率が高く、「どうしようもない状態」であったがそれは一連の改革でようやく脱却した。高校に関して言えば今は「申し分のない状態」にある。
・ 人件費比率を下げるのは二つの方法がある。一つは教職員の「給料そのものを下げる」というやり方であるがこれは当然限界はある。もう一つは「生徒数を増やす」と言う方法である。即ち「分子を小さくするか、分母を膨らます」のだ。
・ 勿論両方やれればこれに超したことはないのであるが生徒数の増など「言うは安く行うは難し」である。しかし今の浪速はこれを実践できているのである。とにかく人件費比率を見る時はこの二つの要因を見なければならない。結局は「人件費の絶対値」が問題となる。
・ 世の中には経済の低迷の中で「雇用不安」が広がり現実の問題として「派遣切り」とか最近では「正規社員のリストラ」が遂に出てきている。これから本格的に「ワークシェアリング」が俎上に上ってくるだろう。これは「給与水準の低下」の意味である。
・ 私は大阪の私立学校の一つとしてこの大阪の風土、土壌の中で公立学校と他の私立学校との「対比」で本校の教職員が「惨めな寂しい誇りを持てない」ような処遇には絶対にしたくないと決意している。
・ 今大阪の私学で「ラスパイレスが100未満」と言うのは8校ある。96.8.95.7、95.7、94.1、94.1、88.6、87.6、69.1%である。このように約30%も給与が少ない私学の教員は大阪に現実にいるのだ。つくづく本校でなくて良かったと思うのである。しかし「明日は我が身」と謙虚にならなければならない。

2009年2月15日日曜日

2月15日(日)減価償却

・ 「予定もない静かな日曜日」となった。この2週間忙しかったし何より緊張の日々だから疲労の蓄積はどんよりと体全体を襲う。しかし「何もハプニングがない」というのは嬉しい話で贅沢は言えない。部屋の掃除をする。網戸を洗い窓を拭いた。真っ黒であった。
・ 高校入試も2次試験は残っているが大筋、「本年度の業務も終わった」。1昨日のネット合否発表も最終的には30000件のアクセスがあったという。30000件と言っても一人の生徒が何回もアクセスするからこのような数値になる。しかし本当に「面白い試み」であった。「来年」に繋げていきたい。
・ 昨日はある中学校から「ネットで助かりました」とお礼の電話があったそうだ。14日の土曜日に「1.5次試験を行っている私立高校」は多い。浪速を不合格になった生徒は昨日の朝10時の発表で「急いで受験校を決めて」、今日その学校の1.5次試験に臨むことになる。郵便配達なら午前中の10時過ぎになるのだから間に合わないのだ。

・ しかしそれにしても私は「心配症」だ。自分でも分かっている。見た目はそのようには見えないと思っている人は多いのではと想像しているが私は心配症である。学校でも私の身近にいる管理職などはそのことを「骨身に沁みて知っている筈だ。」
・ 「そこまで心配しなくとも」と時々彼らの顔に書いてあるのだが私は最終責任者として「後で後悔しないように」、「念には念を入れる」ことが通常だ。これが時々「しつこい」ということになる。言う事を聞いて「結果が異なり、だから私の言うようにやっておれば」という局面が何時もではないが、ない訳ではない。
・ 基本的に「仕事の経験の数」がもうこれは彼らと「天と地」くらい異なる。教師出身の管理職はこの学校のこと以外には基本的に知らない。事務長は民間出身であるがもう本校に来て長く又民間に居た時は若い時分でそれも銀行だから修羅場の経験はない。
・ 私は同じ会社であるが「産業の米」と言われる鉄鋼業で32年間、大体2.5年ピッチで右から左180度まで、又日本の西東、海外勤務ととにかく「動いて、動いて」来たのである。
・ 仕事の内容も「工場生産業務」「生産管理部門」「製造技術行政」「人材開発人事」「営業」「関係会社の役員」、役職も「副長、課長、部長、製鉄所副所長、役員」等々様々に経験してきた。「辞令の紙一枚」で日本中、世界中を飛んで動いてきた。
・ 色々な局面で「成功と失敗」の歴史を踏んできているから、この年になると「読めてくると言うか、見えてくるというか」、学校とて人間社会の営みであるから「予測、想定、想像、予知」的なものが若い頃よりも「感度」が研ぎ澄まされてきていることは自分でも分かる。勿論裏返しとして「油断」もあるのだが・・・。
・ それに元々「神経質」で「几帳面」である。それに自分でいうのもおこがましいがこの年になっても「勉強」をものすごくする。本もよく読む。人とよく会い、話を良く聞く。私の得意技は「パクリ」だ。良いと思うことはどんどん取り入れる。「柔軟性」などという言葉ではなくて私は「軟体動物」であると思っている。
・ だから余計に心配症になっている。しかし私は弁解として管理職に言うのだ。これが「トップが脳天気でアチャラカチャン」だったらどうするのかと。幾分へ理屈っぽく言うのだがトップが「楽観主義、悲観主義」よりは「悲観主義ではない楽観的心配症」くらいの方が良いのではと。
・ 今私の心配の種はやはり「建物の震災強度」である。不吉であるが若し明日の朝,震度7以上の直下型地震が起きたとして「建物に被害」が出たときにどのように「処置し対応していくか」を考えるとのどかに安閑とはしておれないのだ。
・ 勿論ベストを尽くして「その時はその時であらゆる方策を取る」がそれでも単独の私学だからそう簡単な話ではない。これが公立学校だったら小学校、中学校、高等学校など「融通して使える」が本校の場合行けるのか。
・ 生徒は現実にいるわけだから「授業は継続させないと進級も卒業もさせられない」。「他校に預けるわけにもいかない」などと考えてしまうのだ。とにかく「生徒が学ぶ教室」だけは「不安のない状態」にしたいと考える所以なのである。職員室などはどうにでもなる。
・ 「そんな!それは心配し過ぎですよ、そんなことを考えてたら生きていけませんよ」とほとんどの人は言うが私もそのように思っている。思ってはいるが、でも「頭の片隅には何時もこの問題」を置いておくことが「トップの責任」だと思うのだ。
・ 中国四川省の地震、宮城三陸地震などの例もある。「備えあれば憂いなし」と言うでなないか。私の今の気分を些かでも緩やかにしているのは「同じような学校はまだ多い」ということである。しかしこのことで「免責」されるわけではない。
・ その学校の建物の老朽化の指標に「減価償却比率」というのがある。「減価償却とは対象とする資産の取得金額を使用可能期間に費用として配分する手続き」をいうが、消費支出に対する比率が低いと言うことは「老朽化を意味」する。
・ こういう基本的な数値は「学校会計基準の公開性」からすべて分かっていることで「全国平均は9.6%」である。「東京都は10.8%で大阪府は8.0%」である。この意味は大阪の学校の建物は東京はもとより全国平均よりも「古い」ということを示しているのである。リフレッシュされていないと言うこと、お金が投入されていないと言うことなのである。
・ これは何時か私もブログで触れたが「校舎の耐震補強工事の遅れ」にも直接関係している。東京はお金持ちで校舎が次々と新しいか補修などして資産価値を高めているということを意味している。さて「浪速はいくらか」であるが、「4.5%」なのである。「驚くような低さ」なのである。もうこれは限界に近い低さである。
・ この意味はもう「建物の残存価値はない」くらいに古く、新たな「投資」をしていないということを意味する。「投資をすればお金は出るが資産は残る」訳であるが4.5%と言う数値は新規投資もしていないということなのである。
・ 例えて言えば、貧乏していたから古くなった家にお金を入れることができず雨は漏る屋根で我慢し、畳、ふすまは破れ、水洗便所にも変更できず、ただ「食うためだけの稼ぎ」しかなかったのか、「将来のことを誰も考えず」、「入るお金をすべて家族で分配」して内部留保もせず「その日暮らし」の毎日であったといいうのが実態だろう。
・ 辛いが後者に近いと思う。入ってきた金をすべて分配し、給料を上げ続け、公立や他の私学でさえしていないような「諸手当」を制度として温存してきた「つけ」が今回きているのが、今の浪速の真実の姿であろう。
・ 歴代の理事会、管理職の責任である。しかし今指針を示し、組織をまとめて、引っ張って行く男が2年前に出現した。この男は極めて「心配症」であるが「共通ルール」として「説明責任」を果たし「刀狩り」を行い、「検知」を行い、「水道」を起こし、「武家諸法度」を定め、「楽市楽座」で人を集め、「難攻不落の浪速城」を作ろうと頑張っているのである。
・ しかし今私は思う。「教職員は立派」だった。しっかりと付いて来てくれた。この2年間黙って付いてきてくれた。「教職員がいとおしい」と思う。それだけに責任は重大だ。今「手を緩めることは出来る」。しかしそれでは今まで苦労してきた甲斐がなくなる。
・ 「」さえあれば人間は生きていける。食べ物などどうでもなる。しかし夜露をしのぎ、倒れない家、即ち「校舎は学校の生命線」である。全教職員が一丸となって「新校舎を作る」という気概を持ちしばらくの間は「艱難辛苦」に耐えていかねばならないのだ。
・ 「俺はもういいわ、あと6年で定年だ。後のことなど知るか」という人には強く反撃する。「先に自分だけ旨いものを食っておいて、あとの後輩にはまずいものを食えってか!」と。ふざけるな、20台、30台の先生方はあと30年本校が「生活の基盤」となるのだ。

2009年2月13日金曜日

2月13日(金)合否のネット発表

・ 今日は入試面接のために11日を出勤日とした「振り替え休日」である。しかし初めての「合否判定のネット発表の日」であり、「少し気になるから」、幾分朝はゆっくりして9時過ぎに学校に顔を出す。事務室、入試広報室、広報情報委員会のメンバーが出勤して「新しい試み」に対応してくれている。
・ まず入試広報担当教頭から様子を聞く。中学校や塾などから「矢面」にたっている管理職で堅実、誠実そのものの先生である。塾業界からも信頼抜群であるが、どちらかと言うと「新しいことに慎重」である。しかし私は逆にそこを評価している。これが私みたいに「それゆけ、ドンドン派」であったら、バランスはとれない。
・ 実は昨日から中学校あたりから今回の実践に「軽いクレーム」がついているのだ。それは中学生が浮き足だって「先生、明日は学校のパソコン貸してね。浪速の発表があるから・・・」とか、携帯電話で「コソコソ」していて、生徒が「落ち着かない」と言って来ていると言うのだ。
・ 確かに広報情報委員会によれば昨日だけで本校のホームページの「トップページへのアクセス件数は6000件」を超えたと言う。受験生が今日13日のネット発表に備えて浪速のHPを閲覧して「事前準備訓練」をしていることは間違いない。
・ 朝10時過ぎ、委員会の若手メンバーT教諭に事情を聴くとテレビ番組「ビートたけしの家庭の医学」ではないが2階では「大変なことになっていますよ」と言われてしまった。「10時にアップした瞬間、アクセス数は1000件を超えた」らしい。
・ 元来は10時から11時30分までが中学校と塾関係、受験者には15時30分から16時30分と時間差にしたのだが「生徒は待てない」で朝から「そわそわ」していたに違いない。これは「分かる。」
・ 問題は「電話が鳴りっぱなし」で事務室、入試広報室、職員室の三つの外線電話が「留まる事なしに鳴りっぱなし」なのである。中学校や保護者からの問い合わせが主体という。「どうやったら見られるんでしょうか」とか、中には「「ログインIDナンバーというのは一体全体、何なんですか」とか、こちらがびっくりするような質問など色々あるのだ。
・ 保護者の方には「ああ、お母さんですか、子どもさんにIDナンバーとアクセスナンバーを紙に書いたもので渡していますから子どもさんに聞いてください」とかなんとか毎回毎回返答するので手一杯という。子どもは親に何にも言っていないのだ。
・ 広報情報委員会の女性のY先生は「まさかまだ中学生が学校に携帯を持ち込んでいるとは思わなかった。橋下知事の方針で大阪の小中は携帯持込はないと思っていました」、中学校も「携帯に気がとられるというなら持込禁止を徹底して欲しい」と幾分憤慨気味で言っていたな。相当疲れたお顔をされていた。相当な電話だったんだろう。私は「まあ、まあ、まあ」と慰めるのに大変だった。
・ 今回は「受験者用」「中学校用」「塾用」と三つに分けて表示するように設計している。受験者には本人しか合否が分からない。中学校にはその学校の受験者全ての結果が分かるように設計している。又携帯電話からも「覗きにいける」ようになっているのだが、生徒には面接試験が終わった段階で資料を渡し、「それぞれにログインIDナンバーとパスワード」を個人別に渡している。「中学校には又個別にお知らせ」している。「万全の準備をした」と当方は思っていたのだが・・・。
・ 今回は初めてのトライと言うことで広報情報委員会がセンターとなってこのシステムを作ってくれた。この委員長が私と同じく「新らしもの好き」で「入試事務の成績処理システム」も作ってくれた。「仕事の出来る男」だ。民間出身である。
・ 昨年もやろうとしたがまだ準備と言うか「機運」になっていないということで「諦めた経緯」があったが今年は踏み切った。私は画期的なことだと評価している。ただ「ネットへの開示の時間帯が中学校がまだ授業中の午前10時」にしたのは「不味かった」と思っている。これは「反省」しなければならない。いずれも「放課後」で良かったのだ。
・ 実は今年から面接試験を入れたから、合否作業が「一日順延」されたのが元々の要因で中学校サイドからすれば「土曜日よりも前に合否を知りたい」との「強い要望」が一昨日辺りから寄せられたため、こちらは親切心で無理をして一日繰り上げ急遽本日金曜日の10時に早めたのが背景にある。しかし「様々なことが分かって大変良かった」と私は思っている。
・ 確かに中学校は「生徒が落ち着かなくて困る」というのは分かるから、先の教頭は「平謝り」だった。4月以降中学校訪問では「まずお詫びだ」と思っている。来年からは「放課後」だ。早く知りたいという受験生に一日遅れで「郵便受けにくる合格通知書」を待つよりは「携帯電話で一発で分かるネット開示」の方が今日的ではないか。この考えに間違いはなかろう。
・ 「不合格」を知った生徒は「1.5次試験」に走ることになる。合格した生徒は「これでOK」と胸をなでおろす。専願者は「わが世の春」を謳歌してこの週末は難波あたりでおじいちゃん主催のお祝い会などがあるかも知れない。
・ 併願合格者は「これで公立の滑り止めが出来た」と余裕を持って公立試験にラストスパートするのであろう。ここで「もう公立は止めた。お母さん、僕は浪速に行きたい」となったら「併願から専願に切り替える」ことも可能である。
・ 専願合格者は16日、17日に学校の窓口に郵便局に振り込んだ「入学金の振込用紙」を持参して提出してくれれば「すべて完結」となる。その後は28日に「専願合格者の制服採寸」となっていくのである。
・ 本校の1.5次試験は2月19日(木)に「理数科SSと普通科Ⅰ類で若干名の募集」をします。他の私学からは「あれだけ集めておいて、まだ募集するのか」とクレームを入試広報室は受けているみたいだが私の考えは「やります」ということだ。
・ 最後の最後まで受験生には「門戸を広げておく」ことは大切な考えである。他の私立進学校を運悪く落とした場合に「浪速で頑張りたい」と思う生徒を「受け入る」体制は重要だ。
・ 本当を言えば数名の受験生でも「手間隙」は同じようにかかるがそれは「私学の責務」と考えている。19日は「金剛山登山の翌日」であるが、通常の授業をしながら高校入試1.5次入試の事務がるのである。合格発表はよく20日校内掲示板である。
・ 10時にオープンにして11時には「今アクセス数が10000件を超えました」と報告が入る。鳴りっぱなしだった電話も11時過ぎには少し落ち着き、アクセス数が順調に伸びていると言うことは大分落ち着いてきたということだろう。
・ 11時郵便局から「合否郵便物の入った封筒」を引き取りにくる。2500個近い封筒だから段ボール箱5個だ。これが「翌日10時便」となって間違いなく明日の10時過ぎに中学校と受験生に届くことになる。「翌日10時便」というものがあるなど私は知らなかった。「速達」だから結構高いものについている。これは保護者負担であるからネットならなくなる。
・ しかし「学校ホームページ上へ合否結果を開示するのは面白い」。今後は一挙に「合格者の受験番号を開示」する方法もある。こうすればいちいちログインとかパスワードとか不要でホームページを見ればすぐ判るのである。
・ 実はこの方法の方が簡単で委員会も考えていたのであるが、今年は「個人情報の保護」の観点から取りやめた。それは中学校単位で大体出願に来るから受験番号はその学校内では「個人が特定できる」と考えたからである。
・ しかし「新しいことにはチャレンジ」だ。今、日本の私立高校でここまで「学校ホームページ上に合否をアップ」することをこのような形で踏み切ったのは日本全国「本校のみ」ではないか。大学合否ではすべて常識となりつつあるのである。私はこの「チャレンジ精神」を買っているのだ。
・ 広報情報委員会の関係者は「理事長特別表彰」ものだと褒めてやりたい。しかし「反省すべき点は多々」ある。これを来年に生かしていかねばならない。しかし一部の関係者にご迷惑をおかけした。「学校を代表して謝罪」しなければならない。「ご迷惑をおかけしました」。
・ 追伸: 夜メールにてT教諭から報告あり。最終的なアクセス数は29000件、結果アクセスは7000件。まだ増え続けているという。ということは大体問題なく「行けた」ということか。19年9月の熱中症事件の時は4700件だったから全然違う、大きな数値だ。「大きな宣伝になったわ」。

2009年2月12日木曜日

2月12日(木)多聞特別寄付金

・ 「入試事務すべて順調に終了」。夕方「合否判定会議」を経て合格通知書の袋詰め、明日最終確認のうえ発送の手続きとなる。同時に本年度から「公式ホームページ上にてネット合否通知」を行う。全ては終わった。さて今度は「多聞尚学館」だ。改装工事がスタートした。

・ 「多聞特別寄付金」への入金が始まっている。事務より報告があった。私とPTA会長連名の依頼文が2月4日にご自宅に届いているのだろう。最初の日は2月5日に3名の保護者からご寄付があった。「嬉しい。」「心から感謝申し上げます。」
・ その文章は以下のようなものである。
 平成21年2月吉日
保護者の皆様
                         浪速中学校高等学校理事長・校長
                         木 村 智 彦
                         浪速中学校高等学校PTA会長
                          寺 田 嘉 文

          『多聞尚学館特別寄付金』のお願い

 寒冷の候、保護者の皆様には、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。平素より、本校の教育推進に温かいご理解、ご協力を賜り、厚くお礼申し上げます。
 さて、皆様方にご報告して参りました本校念願の校外学習合宿施設「浪速中学校高等学校多聞尚学館」を金剛山の麓に位置する千早赤阪村に保有することが出来ました。南北朝の武将「楠木正成」生誕の地で知られた村落の旧多聞小学校を有姿で購入し、現在、改造工事の設計・計画中であります。
 この「多聞尚学館」は、無限の可能性を持ち、「週末スペシャル」などの教科指導、部活動指導、心身の鍛錬など、週末・長期休業中の多岐に渡る有効活用により「他の私学との差別化を図る」有効な手段であると考えます。学習合宿のみならず教職員、PTA研修場所など幅広く活用できるように門戸を広げる所存です。
 「多聞尚学館」の将来的充実を考えますと、改造・補修・保守管理に必要な経費、補習・講習の諸費用などの安定確保のため「多聞尚学館基金」を設立し、「多聞尚学館」を「授業では対応できない生徒の様々な活動」の拠点と致したく思います。この思いは、PTA会長寺田様にも通じ、PTAとして全面的な支援を快諾していただきました。 
 ご寄付頂いた浄財は、学校全体の活性化につながり、浪速の生徒達の学力アップ・進路目標実現になることをお約束いたします。出費ご多端の折柄、誠に恐縮に存じますが主旨をお汲み取り頂きご賛同頂けますよう、宜しくお願い申し上げます。
                        記
同封の「ゆうちょ銀行振込用紙」に、口数・金額・学年クラス・生徒名保護者名など必要事項を記入して頂き、ゆうちょ銀行に寄付金を添えて提出してください。

 名 義 :学校法人大阪国学院浪速中学校高等学校
       多聞尚学館特別寄付金
口座番号 :00960-4-169507
同封のゆうちょ銀行振込用紙をご使用下さい。
(振り込み料は学校負担となっています。)
依 頼 額 : 1口 10,000円 (1口以上)

・ 既に第一号は1000円札で365枚ご寄付頂いたお方、第二号が関西大学の副学長、第三号が派遣事務員、第四号が出入りの施行業者である。そして「本格的に保護者からの振込み」となってきた。
・ 高校3年生には多聞を使用する機会もないのでお願いしていないが卒業していく高校3年生の学年委員長から「卒業記念品」の代わりに「多聞で必要なものを手配してください」と「金一封」を頂くことになっている。卒業生お一人1000円で合計453千円にもなる。心から感謝申し上げたい。
・ 「新入生には4月以降」新ためてお願いすることになる。このファンドは「多聞尚学館関係に限定」して継続していく積りである。全ては「生徒の為に還元」する。私は民間出身であるから「意味のないところへお金は使わない」。「生きたお金の使い方」には自信があるのだ。
・ 有力理事からもご寄付をして頂けるそうだ。「寺井名誉理事長、南坊城理事長職務代理、岡市理事のご三人で○○万円を寄付する」と理事長職務代理から今日お電話があった。毎回、毎回申し訳けない気持ちであるが「戴けるものは戴くのが木村流」である。
・ ただ私も校長の立場ではない「法人理事長の立場」があるから寄付をしなければならない。私を含めて4名の理事で「合計△△万円」をファンドに寄付することとした。お願いした保護者にもこれでご理解頂けるだろう。
・ 尚今回は「教職員には寄付は求めない」。教職員への「頑張り代」だからおかしい話になる。ただ本校には子弟を学校に通わせている教師が2人いるが、彼らは保護者でもあるから寄付してもらわねばならない。
・ 今回の「寄付金目標金額は1000万円」としている。これに「学校法人会計から1000万円資金移動」させる会計処理をして合計2000万円あれば「基本ファンド」は十分だと考えている。
・ 初年度は「受益者負担は軽く、軽く」してやりたいと考えているからだ。利益を出す為の施設ではない。「生徒の学力を付ける」ためだ。このようにすれば「格安の宿泊合宿」が可能だろう。京都や今津など遠隔地で高い宿泊料を支払っていたことを思えば生徒は喜んでくれる筈だ。
・ 「学校の授業」と「多聞の宿泊特別講習」の「複線」で進む。多聞で頑張ってくれる教員には「兼職兼業を認める」として「特別講習」で「金、土、日」と頑張って呉れれば「塾や予備校の時間講師以上の手当て」にはなるだろう。
・ 公立学校が始めた塾講師を呼んでの放課後講習「夜スペシャル」どころではない「週末スペシャル」だ。どうせ家にいても落ち着く居場所はない先生なら「生徒の為に多聞で頑張って欲しい」。
・ 教職員に再度強調しておきたい。「多聞は教室の延長なら意味はない」。まったく別物であると考えて欲しい。河合塾、駿台予備学校、代ゼミに相当する「浪速多聞予備校」と考えてくれても良い。「一つの科目に集中して全体の枠組み体系を教え、次に単元に入る」進め方が重要だ。
・ 「教材が重要」であることは勿論である。徹底して「教材研究」をして欲しい。多聞での学習は「単位認定」とする。そうすれば高校3年になれば学校では「演習」ばかりで「実践の力」が付く筈だ。
・ 「多聞尚学館に閑古鳥」が啼いているようではいけない。「熊野詣で」ではないが「多聞詣で」と生徒から言われるようになって欲しい。今初代館長と副館長がスケジュールを組んでくれている。昨日から「改装工事」が始まっている。楽しみだ。
・ 又介護施設「デーホーム」ではないが「一日コース」というのも考えて欲しい。宿泊をしない一日コースだ。例えば「中学校数学復習講座」とか「「英文法一日早分かり講座」「物理の基本中の基本」「漢文会得のコツ」「古文をモノにする講座」等々、朝から晩までそればかり教えるのだ。美しい静かな山里で集中すると頭に入るぞ。
・ 1年やってみて結果を来年検証すれば良い。「多聞を浪速の売り」とするのだ。「他の私学との差別化」だ。徹底してやってみたい。入試広報も作戦を立てなければならない。平成21年度は「多聞尚学館に魂を吹き込む年度」である。

2009年2月11日水曜日

2月11日(水)入試二日目面接試験

・ 「金剛山積雪情報」: 2月11日7時 積雪12センチ、霧氷あり、アイゼン必要。
良かった」。しかし週末にかけて気温が上がるというから「溶けるだろうな」。今朝の新聞に「大谷学園の金剛山登山記事」が出ていた。50回目の記念登山と言う。女子校なのに素晴らしいことだ。

・ 「案の定だ」。朝一番に副校長と事務長が入ってきた。若い先生が「あの弁当では足りない」と。「それ見てみろ」と私は言ったのだ。要は「カップめん」を付けると副校長と事務長が判断したらしい。「食い物の恨みは恐ろしいぞ」と私は言ったのである。その席で事務長は言う。昨日のあの校長ブログは間違いで値段は1200円ではなくて1300円ですと。ますます悪いではないか。

・ 大阪府が「11年ぶりに黒字」という。08年度も少し残って黒字になるかもしれないというからこれは立派だと。09年度は当初予算で黒字予算が組めるというから「橋下知事に敬意」を表したい。とにかく「仕事は結果がすべて」である。
・ 知事は昨日からテレビなどで「府民の皆様のお陰です」などと殊勝なことを言っていたが顔は「勝ち誇り、高揚感に満ち溢れて」いた感じだった。あれは完全に「裁判に勝った弁護士の顔」だったね。
・ こういう段になってもテレビのコメンテーターなんて奴は「数字が黒になっただけで府民に幸せ感を与えないと」などという奴が居るが、こういう連中は「組織運営の経験」など全くなくて「言いたい放題」の「口先だけの輩」である。
・ この黒字化で一番辛いのは2期知事を務めた太田さんと府庁の役人、そして府議会議員ではないか。自公の与党はそれでも橋下さんを担ぎ出さしたのだからまだ「救える」が8年も知事をやり、それに帰趨していた行政職の役人は「出す顔がない」というところだろう。
・ 役人も偉そうに言っても結局はトップ次第で、単なる「奉公人」と言うことが分かるのだ。それでも府庁の役人はまだ賢い。中央省庁の官僚と来たらもう始末に終えない。総理や大臣の言うことなど彼らは聴く耳を持っていない。心の中で「馬鹿にしている」からだ。
・ 太田さんは知事を辞めた後テレビのバラエティ番組に出演したりして、あのテリー伊藤なんとかに「頭をポカリと」叩かれたりして、私は「酷い、見たくないものを見てしまった」と感じたものだが、この番組の後、ブラウン管から一切お顔が消えた。
・ 太田さんを支えた府民や支持者から「頼むからテレビに出るのは止めて」と言われたに違いない。本人も自覚したのだろう。「恥をさらすな」と。まだ若いし今後も「出番」はある筈だ。僕の母校、広島県呉二河中学校の後輩だから私は応援を惜しまない。
・ それにしても「トップの重要性」を大阪府民も社会もメディアも痛感したのではないか。トップ次第で「急展開」し「激変」するのだ。就任1年で11年ぶりの黒字化というが私は本校で12年ぶりに1年で黒字化を果たした。全く良く似ている。
・ 知事が最初にやったのが「皆さんは破産会社の従業員」と檄を飛ばし、府庁で購入していた「新聞購入」をケチって5000万円浮かしたというがそれも全く同じやり方だ。私も着任時小さい組織なのに新聞を26部も取っていたからそれを6部に1週間で切り替えた。要は「意識改革」の問題である。
・ これで「府庁のWTCへの移転は進む」のではないか。誰も反対は出来なくなるだろう。「知事は思うように好きなようにやれば良い」。議会が反対なら「議会の解散」だ。小泉さんのような「郵政解散」を打てば分かり易い。「府庁移転解散」だ。府民の意思が全てを決める。
・ 時あたかも「府立大学の交付金の廃止を検討」の記事が出て来た。知事の頭には約100億円の費用がかかっている府大を「大阪市立大と統合」させて合理化しその金を医療や福祉分野に回すことを考えているみたいだ。
・ 恐らく有能な「ブレーン」がバックに居るとしても知事に「柔軟な発想」がなければこういう「大学統合」などの話は出てこない。今進められている「水道事業の統合」などもトップの決断次第で「役人の縄張り根性」では進まないと言うことも府民は分かった筈だ。府と市が双方別個にやることではない。
・ 私は知事に1年先行して「学校改革」に着手し丁度2年が経った。小さな組織体であるが「大きな成果」を感じている。しかし「これで十分」「もう良くやった」と思った瞬間に組織は「硬直化し後退する」のである。常に新しい水を呼び、身体を「揺り動かして」いなと血液は流れない。
・ 確かに組織の構成員からすれば「もういいでしょう、十分でしょう」と思うだろうが、そうではないのである。常に目標に向かって1歩1歩組織を前に前に進めるという意識が「組織を活性化」させる。
・ 浪速2年で完全に消費収支で黒字化を果たし、「内部蓄積が可能」となるような「筋肉質」に変わった。知事もこの言葉を使っていたが1年前に私が使った言葉だ。諸手当を第一段階で見直し、人件費の協力も教職員から頂いた。
・ 私企業との建前から労働基準監督署のご指導にのっとって「時間外勤務管理体制」も構築した。新経営計画を立て「新校舎建設も視野」に入ってきた。「多聞尚学館」も購入を決めた。お陰で志願者数が2400名を超える「人気校」の手ごたえも感じた。
・ これらはすべて私の方針に全員が一致協力してくれた「教職員のお陰」である。PTAの理解と協力も大きい。しかしなんと言っても「最大の功績者」は私を招聘した「大阪府神社庁と理事会」である。橋本さんが「府民の皆様のお陰です」と言うのは「勝利者は私を当選させてくれた皆さん方府民です」と言っているのである。

・ 今日の「面接試験」は午前中3回のグループに分けて行われた。「時間差」で実施したから全く混乱なくスムースに実施できた。私も一教室覘いてみたが中学生はおそらく学校で訓練を受けてきたのであろうが礼儀正しく応対していた。全く問題なく予定通り12時30分にはすべて終了した。
・ 午後から「採点作業」となる。「総力戦」である。遅くなっても今日は採点を済ませ明日の「合否判定会議」に向かうことになる。2264人で5科目、計11320枚の答案用紙を100人で採点していく。一人当たり113枚だから「楽な仕事」ではない。
・ 3時過ぎに出入りの「教科書販売会社」さんから採点作業の教職員に「どら焼きとお茶」の差し入れがあった。もう何年も頂いてきているらしい。「どうかな?」とも思ったが有難く頂くことにした。有り難うございました。作業は19時30分に無事終了。教員は大変良く頑張ってくれた。後は教務部が残ってくれて明日の作業の段取りを進めてくれる。ご苦労様でした。

2009年2月10日火曜日

2月10日(火)高校入試当日

・ 昼休みに近くの病院に診療に出かける。昨年から「校医」さんを頼んでいる若くて中々良い先生だ。「高血圧の診断」をして貰うためである。その側には薬局があり何時もそこで薬を処方して頂く。もう皆さんとは「顔なじみ」である。
・ 「先生、すごい数の生徒さんですね」と言われてしまった。朝JR我孫子駅を降りて薬局の前を通っていく生徒で「驚いた」と言われたのである。「悪い気はしない」。遂に高校入試の当日である。
・ 今日は全員が7時45分の出勤、受験生で早い人は7時半ごろには学校に来るから、整理のためには教員も早い。しかしピークとなる8時頃には「中学生の洪水」みたいに正門に飲み込まれていく感じだ。私はこの光景を見るのが大好きで「機嫌」が一挙に良くなる。しかし「2460名の生徒というのは相当な迫力」ですよ。
・ 8時10分職員室に全員が集まり、私から短い挨拶と教務部長からの注意事項がある。その後部隊は「図書室」に移りそこが今日の「入試本部」である。広さが丁度良いのだ。そして試験問題が「大型金庫」から取り出され運ばれてくる。入試広報のある室員はその数を見て「感無量」だと言う。一時期は600部くらいの時もあったという。
・ 今日は全教職員は「しっかりとした服装」で「厳粛な受験となるべく」を形で見せて呉れている。マスクをしていた先生が結構目立った。欠席は1名の先生だけで、昨日の会場準便作業で「ぎっくり腰」になったそうだ。
・ 8時45分、きっかりと最初の科目である国語が始まった。試験開始前に「試答」と言う作業があり2人の教員がもう一度問題用紙と解答用紙の不備をチェックするのだ。若し何か発見すれば全受験生に試験前に説明して「適切な対応」を取ることになる。問題はなかった。
・ 「数名のインフルエンザの生徒」もこの日ばかりは休むわけには行かず受験に来るがこういう生徒は「特別室受験」となる。一般教室で受験させるわけにはゆかないからである。それ以外に突然の体調不良なども起きた場合を考え「保健室は特別体制」だ。
・ 壮観な光景は試験が終わって監督の先生が問題と解答用紙を抱えて引き上げて来た時だ。「ワッと人が増える」のである。そこで問題用紙を本部役員が受け取り解答用紙は所定の位置において再度ここで枚数などを確認する。そして次のクルーが試験問題を持って教室に出向くと、「ワッと人が居なくなる」のだ。「潮の満ち引き」のようである。
・ すべては「チャイム」が知らせてくれる。このように受験の日は「校内放送」が重要な役割を果たしてくれる。節目節目で説明が入るため混乱は起きない。「しゃべるシナリオ」もしっかりと出来ており今日は英語科の女性教員が放送を担当していた。聞き取り易い声であった。少し語尾が甘えるように聞こえるがね。
・ 昼食は「お弁当の支給」である。アルバイトの高校生と教職員では当然、中身が少し違うらしいが全員に仕出しだ。落ち着く暇もないので恐らくかき込むという感じではないか。しかし私は満足していない。あれほど言ったのに「ボリューム感が全くない」。かえって寂しくなった感じだ。
・ 「今年は200円上げて1200円」としたのに付き出しみたいなおかずに干からびた3ミリ程度の鮭の切り身であれは「詐欺に近い」のではないか。若い先生が多く、「今日は肉体労働日」だから昨年から言っているのだが大体「事務の人間が少食で上品」と来ているから何時もこんなことになる。メーカーを変えろと言っても何時も同じだ。明日の弁当も期待できないだろう。
・ 私は部屋から時々図書室に顔を出す。教務と管理職が解答用紙を厳重に管理して今度は受験番号と本人の氏名に加えて採点番号みたいな新しい番号を当て嵌めて一切「受験番号と採点番号とが一致しないような作業」をする。どのようにやるのか私にも分からない。これで絶対誰の解答用紙か分からないのだ。最終発表までこれで行くことになる。
・ 堺市の中学校の校長先生からお電話があった。インフルエンザの生徒は今日中に面接試験をやると入試本部が決めたことについての感謝であった。「ご配慮有り難うございます」と丁重に言われてこちらが恐縮した。「面接担当の教頭の素晴らしい判断」であった。
・ このようにして2時55分全く混乱なく試験は終了した。私は大体意地が悪いのだと思うがこの時は正門で受験生を送りながら「どう、出来た?」「難しかった?」と聞くのが唯一の楽しみなのである。入試説明会で私の顔を覚えてくれているのか、笑いながら素直に答えてくれる。「数学が難しかった」という生徒ばかりだった。
・ 帰りは班に分けて少しづつ混雑しないように正門から出していく。本校は便利な場所で南海我孫子前駅、JR我孫子駅、御堂筋線の我孫子と三つの駅があるがそこに教員を待機させ、「事故のないように交通整理」だ。こういうところは「浪速の良いところ」である。鼻が高い。
・ 終わったからと言って教員はすぐ帰れる訳ではなくて長椅子を取り出して普通の教室に教員の手で戻すのだ。「現状復帰」でその後、明日の「面接会場の準備」となる。今日は17時10分が勤務終了日としている。このようにして「頑張ってくれている教員を見ると私はいとおしく、優しく」なるのだ。
・ 16時10分教務部長が報告に来て呉れた。「見事な入試作業でした」と慰労したのである。4月から指導教諭となるこの教務部長と「二人のY教諭という補佐役」がこれまた素晴らしいのだ。これに情報委員長も教務兼務だから「本校の教務部は強い」。
・ 夕刊は当然のようにして「私立高 京阪神入試スタート」と見出しだ。ここでもまた「不況の影響で受験校を公立に絞る受験生が増えているとみられ、各府県とも志願者は減少した」とか書いてある。もう書かなくっていいからと言いたい気分である。
・ 産経は大阪高校の写真を使ってわざわざ2297名の受験者を集め、定員320名で府内最高の7.18倍を記録したとあるが、「数では2462名の本校の勝ち」だ。倍率も定員を400人から同じように320人にすれば本校は7.69倍で断トツなのになーと思うが、「マッ!いいか!」。
・ ある新聞は又ここでも早稲田摂陵について触れ、245人の募集に対して出願が29人になったと又わざわざ記事にしている。あの名門摂陵が外部志願者29人で新学年を迎えざるを得ないのか。他人事ながら気になる。教職員はどうなるのだろうか。若し私がここの校長だったら今頃は「荒れ狂っているだろう。」
・ 生徒を夕方正門で見送りながら感じたのであるが「どうも今年は賢そうな顔をした生徒ばかり」に見えてきた。それに服装も良いし、「挨拶も出来る」。「ウーン、楽しみだ」。これは入試広報担当の教頭先生も同じことを感じているらしい。でもまあ、「油断は出来ない。彼らはすぐ豹変するからな。」
・ しかし夕刊には私立高を巡る「苦しい記事」もある。それは「授業料の滞納者が増え」ているという事実だ。全国の私立高校1321校を対象に調査し、「20年の12月末時点で24500人が滞納し2.7%に当たる」という。これは19年度末の調査時に比べて「9ヶ月間で約3倍の増」となっており、塩谷文科省が本日の記者会見で明らかにしたそうだ。「「滞納者への対応をしっかりとしたい」と述べたが何をしてくれるのか具体的に示して欲しいものだ。
・ 地域別では九州ブロックが5.7%、次いで北海道・東北が4.5%、一番低かったのは東京で1.3%、次いで関東ブロックが1.6%、中部は2.0%で「近畿は2.5%」である。ちなみに本校はゼロ%。
・ 本校は事務室と教員のタイアップで卒業間じかの「中学3年生と高校3年生の授業料滞納はなくなった」。即ちゼロであるからこれも特筆的である。それは「減免制度の活用」など親切に保護者に説明したり、熱心にご理解を求めたからであろうが、基本はやはり「本校の教育を評価頂いているから」だと私は思っている。
・ 本校は「授業料が払えず退学になった例はない」。しかし他校では現実にある話で厳しい世の中になっていく。それだけに昨日のブログ「ゼロ・トレランス」ではないが「一人の生徒を大切に大切に」していかねばならないと思うのである。